愛情では依存症は治せない(追記あり)

【最初に追記】
 この拙記事をたぶんだが、この埼玉県警深谷署の署長は、摂食障害者の万引き常習犯に近い精神状態ではないか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)でご紹介頂きました。いつもありがとうございます。
 なお、これはなかなかの金言だと思う(というわけで、読者の皆さまにもご紹介) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)についても是非お読み頂ければと思います。
 漫画『Shrink〜精神科医ヨワイ〜』で示される「精神医学知識」が専門家の目から見てどれほど評価できるのかは素人の俺には評価できませんが、確かに

たぶんだが、この埼玉県警深谷署の署長は、摂食障害者の万引き常習犯に近い精神状態ではないか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
「愛情では依存症は治せない」は至言だと思う

というご指摘には俺も同感です。
【追記終わり】

たぶんだが、この埼玉県警深谷署の署長は、摂食障害者の万引き常習犯に近い精神状態ではないか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
 夫は「僕がいてもダメなのか…」と失望し、離婚を告げた。

 まあ、この一文を読んで俺が思いついた言葉が「愛情では依存症は治せない」ですね。
 むしろ「依存症があっても愛せるかどうか(治療にどれほど時間が掛かって苦しい思いをしても愛せるか)」という問題でしょう。
 とはいえ、別に俺のオリジナルではなく、最近読んだグランドジャンプ - Wikipedia連載の漫画『Shrink〜精神科医ヨワイ〜』での主人公「精神科医ヨワイ」のセリフですが。
 「自分がアルコール依存の父親を迷惑だと思ってるから、依存症が直らないんじゃないか」と悩む息子や「息子のことを本当は大事に思ってないから酒に走るんじゃないか」と悩むアル中の父親への言葉です。むしろそのように考えることこそが愛情の表れじゃないか。むしろ愛情がなかったらそんなことは何一つ考えないでしょう。
 もちろん「家族の愛情」は患者に戦う勇気を与えてくれる。そういう意味での重要性はある。このマンガもそうした事実は否定しない(そして『娯楽漫画』なので、ある意味当然ですが、そうした愛情によって息子が父のアル中治療を支援する*1ハッピーエンディングになるわけですが)。
 しかし「愛情でアルコール依存症が直る(正確には『愛情だけで直る』)」のなら精神医療はいらないし、ヨワイのような精神科医もいらないし、断酒会のようなものもいらない。
 そして「愛情」にこだわると、患者の家族が「私に愛情がないから治らない」と自分を責めたり、逆に「これほど愛してるのに何故酒に走るのか」と家族が患者を攻撃したりとろくなことにならない。
 つまりは依存症脱却には「愛情」プラスアルファとしての「正しい方法論」がある。
 たとえば「君子危うきに近寄らず」、そもそも酒の出そうな宴席に行かなければ、あるいは常日頃から「自分は酒は飲まない」と公言してれば、アルコールについて言えば依存症の危険も減る。あるいは人間は「挫折したとき」に依存したくなるわけです。「挫折しない」つうわけにもいきませんが挫折した場合に「アルコールなどに依存しないで解決するにはどうすべきか」日頃から考える。場合によっては精神科医や断酒会のような他人の力も借りる。
 そういう話です。

*1:ただしマンガ内においては問題解決には至っていません。さすがにそこまでご都合主義ではありませんが「愛情がないから治らない」という間違った精神的呪縛からは解放されるわけです。