受田新吉(民社党代議士)&稲村隆一(社会党代議士)の女帝導入論

 今日の産経ニュース(2021年6月8日分) - bogus-simotukareのブログで紹介した受田新吉の女帝導入論ですが、既に紹介した第51回国会 衆議院 内閣委員会 第17号 昭和41年3月18日 | テキスト表示 | 国会会議録検索システム シンプル表示以外にも見つけたので紹介しておきます。
 しかし1)受田は民社党だが、民社党はゴリゴリのウヨで、民社党出身ウヨ(例:荒木和博)には女帝反対派が多い、2)受田の活躍した時代(例えば佐藤内閣時代)は今のような「皇位継承者の激減」はあまり表面化してなかったと言う意味で、受田のような存在は俺には面白いですね。
 また、後で紹介しますが、皇位継承者不足が表面化していない「佐藤内閣時点」で稲村隆一が「今後、皇族に女子しか生まれなかったらどうするのか?。そういうことを考えて早く女帝を導入すべきだ」と言ってるのが「本心そうした事態を危惧していた」のか、はたまた「ウヨに女帝を飲ませるためのマヌーバー」かはともかく俺的に興味深い。

第58回国会 衆議院 内閣委員会 第8号 昭和43年4月3日 | テキスト表示 | 国会会議録検索システム シンプル表示
◆稻村隆一*1委員(日本社会党
 皇室典範の第一条において、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」と、こうなっておりますが、これは明らかに帝国憲法時代の皇室典範の考え方を残そうとする一部の学者の方、あるいは宮内庁方面にもあったかもしれないが、その人たちの強いお考えによって私はこういうのが残ったと思うのですが、これは私は明瞭に憲法第十四条の精神に背馳すると思うのです。違反とか何とかということは言わないけれども……。むろん人間の歴史を見て、古い文化がなければ新しい文化はない。古い文化の発展が新しい文化なんだから、あらゆる制度において、法律において、その国独得の慣習、制度をできるだけ残すということは私は必要だと思うのです。しかし、これはあくまでも発展させなければならない。古い文化はそのまま古い文化としておくのじゃなくして、古い文化を常に人間の進歩とともにそれに適応するように発展させることが私は必要だと思うのです。
田中龍夫総理府総務長官(佐藤内閣)
 ただいまの御意見に対しまして、私どもがただいままで考えております考え方を申し述べますと、憲法第十四条におきまして、新憲法は平等の原則を打ち立てておりまするが、同時にまたそれに対しまする一つの特例とも申すべき意味におきまして、第二条におきまして皇位世襲を申しておる、こういう関係に立つと存じます。そしてまた皇位世襲の問題につきましては、皇胤をたっとび男系の男子が皇位を継がれるのがわが国の伝統の考え方であろう、こういうふうに考えておる次第でございまして、ことに現在皇太子殿下をはじめといたしまして多数の男子の方々もおられるわけでございます。ただいま先生の御意見といたしましては拝聴をいたしておりまするが、今日まで政府のとってまいりました考え方と申しまするものは、大体ただいま申し上げたような姿であるわけであります。
◆稻村隆一委員(日本社会党
 日本の歴史からいっても八人の女帝がおいでになる。私は女帝論者でも何でもない。しかし、今日皇族の数が非常に少ない。それから一つの制度というものは、万一の場合を考慮して制定するのが当然なんです。現実的にはかりにあり得ないとしても、将来万一の場合にあり得ることがあるのです。そこで、もし皇室及び皇族に男子がなかった場合、一体どうするか、男子がかりにあられても逝去される場合もある、そういう場合はどうするか、そういうことを私はお尋ねする。これは架空の問題かもしれないけれども、現実的にはあり得ることですから。特に皇族の数が非常に少ない今日においてそういうことはあり得る。過去の日本の歴史においてもそういうことがあったんですから、そういう意味においてそういう場合どうしますか。もし、皇室及び皇族に男子があられない場合、一体どうするつもりですか。その点をお尋ねしておきたいと思います(ボーガス注:そして、今現在、稲村の危惧が実際に表面化しているわけです)。
田中龍夫総理府総務長官(佐藤内閣)
 いろいろと将来をおもんぱかっての御配慮に対しまして、深く敬意を表する次第でございますが、将来の問題といたしましては、あるいはさようなことを検討しなければならぬ場合があるかもしれませんが、そのときには、わが皇室の伝統と国民感情とを考慮いたしまして検討をすればよいのではないか。現在の時点におきまして、現行の皇室典範を特に改める必要はないというような見解のもとにただいま立っておる次第であります。
◆稻村隆一委員(日本社会党
 ですから、私が前に言ったとおり、あらゆる制度を制定する場合には万一の場合を考慮してやらなければならぬということを言っておるわけです。それを無理に男系の男子でなければならぬということ、どうしてそういうふうな規定をしたかということ。いろんな歴史的な事情があったでしょうが、その点いろいろ学者の間にも論争があった。現に女帝を認めるべきでないかというふうな議論が当時の国会においては大半の議論だった。私最初出ておりませんでしたが、大半の議論だった、こういうことなんです。学者の間でも論争があった。宮澤博士のごときは、どうしてこういうことをきめたんだろうというふうなことを自分の著書に書いております。そういう点に対して無理に、現実にそういう心配がないからといって、男系の男子でなければ皇位継承の権利がないなんという規定をしたことは非常に危険じゃないか。これは即刻改正すべきである。御存じのように、皇室典範は旧憲法と違って国会において自由に改正できるんですから、そういう点で、宮内庁ではどういうふうにお考えになっておりますか。そういう政治的な問題をあまりあなたにお答えさせるのはお気の毒なんですけれども、私は、こういう男系の男子でなければ皇位継承権がないような第一条の規定をされるにあたって、宮内庁方面の意向がずいぶん大きく作用したんじゃないか、こう考えております。
◆瓜生順良宮内庁次長
 男系の男子が皇位を継がれるという皇室典範の規定、これは私もそのきめられた当時のこともいろいろ聞いておりまするが、要するに皇位世襲であるというように憲法第二条で書いてありまして、では世襲という場合に、いままでの伝統的な世襲のなさり方がどうであったかというような点を検討されたようであります。そうしますと、原則は男系の男子である。しかし男系の男子となっておりましても、たとえば、ちょうどあと継ぎされる方が非常に小さいとかいうような特別の事情があった場合に、臨時に女子の方がなっておられますが、ずっと見ますと男系の女子、ある天皇さんのお子さんとかその系統の方が皇后さんになっておられたり、あるいはまたいろいろそういう関係の方が継いでおられる場合がある、これが例になっております。それで男系という点は動いておらないわけです。しかし、男系の男子になりますと、歴史上男系の女子というのもありますから、場合によってはそういうことも絶対排除していかなければならないんじゃないかという点もあるわけであります。しかし、そういう場合も、男系で男子の方がどうしてもない場合の例外的な御措置でありますというようなこと。また、外国の英国あたりの例を見ましても、あそこは女帝の制度を認めておられますが、やはり男系の男子の方と女子の方で同親等、たとえばごきょうだいとかいう場合は、男子の方がおられれば男子の方がお小さくても皇位を継がれる、どうしても男子がない場合に女子が継がれるというので、ほんとうの平等でもないわけであります。その当時の状況から見て、一方男系の男子の皇位継承権者が相当おいでになる。現在でいいますと、皇太子殿下、それに次いでは浩宮さん、それから礼宮さん、常陸宮さん、高松宮さん、三笠宮さん、三笠宮さんに男の親王の方が三方おられます。そういうように現在では相当おいでになりますから、特に先生がおっしゃいますようなことは、現在ではあまり不安がないというようなことです。しかし将来にわたって先生がおっしゃるような場合があれば、これはやっぱり検討をすべきことであるかもしれない、こう思っておるわけで、現在ではその必要がないというふうに考えております。
◆稻村隆一委員(日本社会党
 もしも男子の方がおありにならぬときに一体どうするか。だから万一のことを考えて、そういうことを区別しないで、新憲法の精神にのっとって、女子も皇位継承権があるように皇室典範を改正したらどうかという意見なんです。
 もう一つ、私が重大な問題をここで提起したいのは、もし皇室、皇族に男子がない場合、これも仮定の問題だがあり得ることなんだから、天皇が突如として崩御された場合にどうするか。天皇の国事行為ができなくなるから、そこで憲法の運営が不可能になりますよ。そういう重大な問題が出てこぬとも限らない、現在ではむろんそういう心配はないけれども。
 もし、皇室、皇族に男子がなく、しかも天皇が突如として崩御された場合、どうするか。そんなことはあとのことだから、どうでもいいと笑う人があるけれども、笑う人が間違っている。そういう場合には、憲法の運営はできなくなってしまうじゃないですか。これに対してどうですか、総務長官。政府としてどういう考え方を持っておりますか。こういう場合もあり得るのですよ。重大問題ですよ、これは。
田中龍夫総理府総務長官(佐藤内閣)
 将来のあらゆる問題を想定して、ここに典範を十分に整備しておこうというお考えのほどはよくわかる次第でございます。そういうふうな御高見も十分承りまして、また今後政府としても考えてまいりたい、かように考えております。
◆稻村隆一委員(日本社会党
 受田委員があとでまた詳しくお尋ねするそうでありますから、私はこのくらいでやめますけれども、この皇室典範は、私ははっきり申し上げますが、古い皇室典範をそのまま残そうとしたから、こういうことになったのであって、いま私が言ったように、皇室、皇族に男子がおありにならず、女子のみになり、しかも天皇が突如として崩御された場合においては、国会の召集すら不可能である。こういうふうな不用意な皇室典範を、あくまでも、これは間違いないと言うて、改正もしないでほうっておくということは、将来重大な禍根を残すということを申し上げている。
 私の質問は、あとで受田委員からいろいろこまかいお尋ねがあると思いますから、これだけで終わりたいと思っておりますが、総務長官におかれては、これは重大な憲法上の問題ですから、よく総理大臣その他とも打ち合わせの上、こういう問題は明確にやはり考えを決定しておくことが必要だと思う。ひとつよろしくお願いしたいと思います。
◆受田新吉委員(民社党
 皇室典範という法律は、昔のように、国権を重んじ国法に従いという、当時の憲法と同格にあった地位から、法律事項となりまして、政府が御提案になってもよろしいし、国会でこれを提案してもいいというような形になっているわけです。したがって、非常に民主的な法律ということができる。ところが、その中に盛られておる規定の中には、旧憲法の精神をそのまま踏襲しているところが大半である。新時代に即応する規定として当然改めてほしいところがそのままになっているという点、これは稻村委員が指摘されたことにも関係しまするが、私なりにひとつあらためてお伺いします。
 この近代的国家で、特に西欧民主主義諸国家におきましては、イギリスのように女系の女子が王位継承権を持つ国もあれば、オランダのような国もある。むしろ女王が治めるときのほうが国がよくまとまって成果をあげるというのは、ビクトリア女王などでしばしば英国でたたえられていることである。——いまのエリザベス女王のときにはちょっとおかしなことになっているようでございますが……。いずれにしても、女王という存在は非常に意義がある。
 わが国におきましても、三十三代の推古天皇から三十五代の皇極天皇——それが三十六代を越えて三十七代には斉明天皇として重祚されている。それから天武、持統、文武といって、四十三代に元明天皇が女帝の御身をもって奈良朝を始められた。次いで女帝の元正天皇があらわれる。そのあとで仏教を盛んにした聖武天皇という男性が一人おられるが、引き続き孝謙天皇も女性の天皇であられる。淳仁天皇を飛んでまた称徳天皇重祚された。奈良七代七十余年間の治世は、「青丹よし奈良の都は咲く花のにおうがごとくいま盛りなり」といわれて、奈良のあの平和な明るい時代が後世にもたたえられている。その七代の中の四代までは女帝であった。これが日本の特色ですね。そうして徳川時代に入っても、後水尾天皇徳川幕府の横暴を嘆いて、「葦原よしげらばしげれおのがままとても道ある世にあらばこそ」と嘆きたもうて、そのあとに皇女明正天皇皇位につかれた。これが百九代です。それから徳川末期に至っても後桜町天皇というお若いお嬢さんの天皇がおつきになられた。日本の歴史を見ても、八人の女性の天皇がおいでになる。そうしてその女性の天皇がおられるときは必ず対立抗争を避けて平和であった。皇祖天照大神も女の神さまであった。これはもう記紀の伝説の説くところによってもきわめてはっきりしておる。これは別に女なしでは夜も明けぬ国という意味とは違って、女性がおられるとそこに潤いがあって、どこかに対立抗争を避けて平和な国づくりができるという伝統が日本にもあると思うのです。それを明治憲法と同じように男系の男子で皇位継承権が踏襲されているというところに問題があると思う。これはこのあたりでひとつ近代的国家として国民の象徴として天皇御一家であるという時代になれば、男女同権の新憲法及び民法の精神からいっても女帝の出現を期待させていただくような時世ではないか。女系の女子とまでいかなくても男系の女子は皇位継承権が存在するという形にこのあたりで切りかえる時期が来ておる。歴史のよってくるところと、諸外国の平和な明るい国づくりをしている国の女帝の存在とをあわせて、これを古今に通じて誤まらず、これを中外に施してもとらずという、中外から見ても、古今を通じて見ても、女帝の存在は非常に意義があると思うのでございまするが、大臣の御見解をひとつ伺います。
田中龍夫総理府総務長官(佐藤内閣)
 受田先生がお越しになります前に、稻村先生からこの女帝論に対して政府の考え方はどうかというお尋ねがありましたので、大体今日までの政府としての見方、考え方を一応申した次第でございます。それは重複いたしますが、憲法第十四条で男女の同権ということは唱えられておりまするが、その特例的な意味におきまして第二条の皇位継承の問題が出ている。しかも、それは男系の男子というたてまえをとっているということを申した次第でございます。しかしながら、この今日の皇室典範というものが、皇族に対しまする、また皇位に対しまする諸規定といたしましては、私はまだまだ不備な点も多々あるのではないかとも考える次第でございまして、ただいまお話しのような女性の皇位継承という問題等々の歴史的な考証をおあげいただきました受田先生の御高見に対しましても、深く御注意と申しますかいろいろとお考えのほどをありがたく存ずると同時に、われわれ政府といたしましても、これは十分にいろいろと今後ともに研究もしまた考えていかなくてはならない、かように存ずる次第でございます。
◆瓜生順良宮内庁次長
 この男系の男子が皇位を継がれるということがわが国の皇位世襲のなさり方の伝統的な原則であるということで、そのことが皇室典範に書かれたものと思います。しかし、先生がおっしゃいますように、ごくわずかではございまするが、臨時に例外的に男系の女子の方が皇位につかれておる過去の歴史もございますので、それを全然無視していいかどうか、そこには疑問はあるわけです。しかし、私の想像ですが、皇室典範をきめられるその際においても、男系の男子の方が数方もおられまして、特に臨時例外的に女子の方が皇位につかれなければいけないようなことが近い将来にすぐに予想されなかったことで、それで結局原則をそこに書かれたものと思うわけであります。将来やはりその原則だけでなくて、臨時例外的な、女子の方がおつきにならなければならない、男子の方がおいでにならないというようなことが予想されるようなことがあれば、そういう場合に典範をまた改正すればいいというようなことにあったのではないか、こういうふうに私は推察いたしております。
◆受田新吉委員(民社党
 奈良朝時代でも皇伯叔父という方々が全部おられる。だからそちらに男系であればいくべきですね。それを皇女子に皇位を継承されたというのは、便宜的なものではなくてやはり女性を尊重するという気風があったと思うのです。その皇位継承ですが、昔は不文律としてそういうものがあったのかどうか。女性は皇位につけないということがあったのかどうか。つまり原則というのは歴史を流れているということをいま仰せられたと思うのでございますが、その原則の中に例外を認めるという規定が、現に原則を不文律とされたとしても例外が事実たくさん出ております。八例にわたってできている。それを新憲法のもとにできた皇室典範がなぜ拒否をしたかということ。

*1:1970年勲二等瑞宝章を受章するも、1978年笹川良一日本船舶振興会会長)の勲一等瑞宝章受章に抗議するため返上し、当時、話題を呼んだ。笹川については個人的に知らないとしつつ、ギャンブルは社会悪の根源であり、その組織の長を叙勲することについての批判を行った(稲村隆一 - Wikipedia参照)。