「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年6/27分:荒木和博の巻)

◆荒木のツイート

https://twitter.com/ARAKI_Kazuhiro/status/1408944448663220229
荒木和博
 予備役ブルーリボンの会「レブラ君とあやしい仲間たち」第39回。葛城奈海幹事長が先日上梓した『戦うことは「悪」ですか*1』について語ります。

 11分34秒の動画です(馬鹿馬鹿しいので見ていません)。葛城はブルーリボンの会幹事長とは言えこの著書

戦うことは「悪」ですか|書籍詳細|扶桑社
◎3.5mの荒波を11時間、尖閣海域渡航15回で見た現実
拉致被害者役になって実感したこと
古事記の時代から続く日本人の捕鯨とその文化とは 他

などというのだから「必ずしも拉致問題に関係した著書」ではない。本来「拉致問題をテーマにした団体ブルーリボンの会」の広報・宣伝動画で紹介すべき本ではないでしょう。


映画「ヨーロッパ特急」の話に金正恩を少々(R3.6.27): 荒木和博BLOG

 令和3年6月27日日曜日のショートメッセージ。武田鉄矢とガブリエル・サニエの映画「ヨーロッパ特急」のお話しです。あとヨーロッパがらみで金正恩についても。

 6分8秒の動画です。動画説明文だけで見る気が失せます。実際見る価値はないですが。
 荒木は土日は「土日なので肩の凝らない話題を」と言いだして奴の鉄道趣味話を始めますが今回もそれです。拉致とは何一つ関係ない。
 金正恩云々は動画説明文で分かるように本筋では全くありません。「『ヨーロッパ特急』というヨーロッパが舞台の映画で思い出しましたが、そういえば金正恩って、スイス留学してましたね」「スイス留学してたから改革派という説もあるが、今のところ目立った改革などない(反共右翼らしい、いつもの北朝鮮への悪口雑言)」程度のどうでも良い話しか動画では話をしてない。当然ながらその程度の話でしかないので、「ヨーロッパを舞台にした映画」なら「ヨーロッパ特急」でなくても

男はつらいよ 寅次郎心の旅路 - Wikipedia(1989年公開、ウィーンが舞台)

でも何でもいいわけです。
 「ヨーロッパ特急」(1984年公開)については後でウィキペディアの記述を紹介しておきます。「ガブリエル・サニエ」は有名な女優ではないのでしょう。ググってもヒットしません。

【参考:ヨーロッパ特急】

ヨーロッパ特急 (映画) - Wikipedia
 TEE(ヨーロッパ国際特急)の撮影に情熱を傾ける日本人カメラマンと、身分を隠したある国の王女とのラブストーリーである。映画『ローマの休日』とプロットが似ており、この名作へのオマージュとされている。
 なお、主人公は鉄道写真家の南正時*2がモデルで、南自身の撮影エピソードが本作に用いられている(なお、映画の監修を南が担当)。
◆ストーリー
 森田次郎(武田鉄矢)は、列車写真を撮るためヨーロッパで旅をしているカメラマン。アムステルダムビビアン・リー(ガブリエル・サニエ)と名乗る女性と知り合う。泥酔した彼女をホテルに泊めた次郎だが、朝起きたビビアンに大騒ぎされる。次郎がアムステルダム中央駅からパリ行きの列車に乗ると、男に追いかけられたビビアンが列車に飛び乗ってきた。結局、二人して撮影旅行をするのだった。
 二人はその後、ブリュッセル、パリ、ジュネーブヴェネツィアと旅を続けるが、ビビアンを追いかける男たちが行く先々でたびたび現れる。そしてついに、ビビアンはヴェネツィアでイタリア警察によって保護され、次郎はビビアンの正体が王女であることを初めて知る。翌朝、気落ちした次郎はホテルでテレビを観ていると、テレビでは空港で記者会見をするビビアンが映っていた。それを観た次郎は一目散に空港へと走るのであった。
◆エピソード
 高野秀行*3ミャンマーの柳生一族』(2006年、集英社文庫)や高野のブログ記事ミャンマーがハリウッドになった!?によれば、本作は軍事政権下のミャンマーでも上映され、当地で高い人気を博した。更に2005年には、本作のリメイク版がミャンマーで製作された。

 なお、荒木は動画内で「『王女が正体を隠して』云々という、この映画って明らかに『例のオードリー・ヘプバーン映画を元ネタにしてますよね』と言っていますが、確かにそうでしょう。
 上に紹介したようにヨーロッパ特急 (映画) - Wikipediaにも同様の指摘はあります。
 それにしても、ならば王女の名前を「オードリー」としたら「きれいにまとまる」のに「ビビアン・リー*4王女」ねえ。
 しかし高野記事の話(日本で無名の映画『ヨーロッパ特急』が海外で大人気)は

◆1970年代中国での『君よ憤怒の河を渉れ - Wikipedia』(1976年に日本公開)

を連想させますね。ちなみに『君よ憤怒の河を渉れ』もマンハント (2017年の映画) - Wikipediaというリメイク映画が作られています。
 なお、君よ憤怒の河を渉れ - Wikipediaを見て気づきましたが『君よ憤怒の河を渉れ』では「最大の巨悪=西村晃(国外逃亡しようとして、射殺される)」「西村の子分の一人(口封じのために西村によって薬物で廃人にされたあげく、精神病院に監禁)=田中邦衛」ですね。
 その後、「水戸黄門(TBS:西村が水戸黄門役)」「北の国から(フジ:田中が父親役)」で好人物イメージが強まるこの二人もこの頃は専ら悪役でした。以前、読んだ日経『私の履歴書倉本聰)』によれば、倉本が田中を使いたいと言ったら「(宇津井健のような父親役イメージの俳優でなく)何故あんな悪役イメージの俳優を」とテレビ局側に言われ「悪役がきちんと演じられる俳優だから使いたい」「(父親役イメージの俳優を使って)ありきたりのホームドラマだと思われたくない」と倉本が言ったとか。


【参考:中国での『君よ憤怒の河を渉れ』】

人民中国よみがえれ 日本の名作映画よ(日本国際交流基金北京事務所・黄海存)
 私が初めて『君よ、憤怒の~』を見たのは11歳のころだったと記憶している。
 次から次へと起こる物語の筋の展開が、強く私を引きつけた。こんなに変化に富んで、おもしろく、ドキドキする映画があったとは!
 映画を見終わった一人の女性の観衆が、興奮して皆にこう言ったのを覚えている。
 「本当にすばらしかったわ。『♪ラーヤーラー』というテーマ音楽もすごくきれいだった。もう一回見たいわ」
 実際、『君よ、憤怒の~』は、当時の中国人の考えを一変させた。映画に映った近代化された新宿の街を見て、普通の中国人は、戦後の日本の姿を初めて感覚的に認識した。
 たぶんそのときから人々は、日本の戦後に関するイメージについて、長年の空白を埋め始めた。そして中国の大衆の頭に、日本に関するふたつのイメージが現れ始めた。一つは中国を侵略した「鬼子」が統治した戦前の日本、もう一つは『君よ、憤怒の~』の中に登場する高倉健扮する「杜丘」らに代表される戦後の日本である。
 改革・開放政策が始まった後の中国で、初めて上映された日本映画である『君よ、憤怒の~』は、中国でセンセーションを巻き起こした。物語のストーリーの展開も、男優、女優のすばらしい演技も、きわめて観賞性が高い。
 多くの中国人は、一家をあげてこの映画を見に行った。映画に出てくるいくつかのシーンは、当時流行っていた漫才の中に組み入れられたほどだった。いま40歳前後の中国人なら、たくさんのシーンやセリフをみなよく覚えている。
 この映画は、当時の中国人の好奇心を満足させた。当時、中国の映画には娯楽映画が少なく、この映画はその足りないところを補ったのである。
 寡黙で一本気な、がっちりとした体躯の高倉健のような男性が、一時は、中国女性が結婚相手を選ぶときの基準となった。

劉文兵先生講演会「中国人から見た日本の映画スターの系譜—高倉健とそれ以前、それ以降—」 | 中国語の日中学院2018年1月20日
 子供の頃から日本映画が好きで、高倉健の『君よ憤怒の河を渉れ』を見て「いつか健さんのいる国で映画の勉強をしたい」と思い、20数年前に来日しました。
 高倉健は日中映画交流史において欠くことのできない存在と言って良いと思います。彼が体現した日本人像は当時の中国人の憧れでした。それまでの日本人のイメージは旧日本軍の軍人に代表されるネガティブなものでしたが、高倉健の登場によりポジティブに変わったと言え、高倉健は日中映画交流史の大きなターニングポイントと言えるでしょう。そのため今回の講演も「高倉健以前とそれ以後」でお話しします。
 文化大革命終結後、日本映画は空前絶後の大ブームとなります。
 特に高倉健がカリスマ的存在となりました。日本では彼のヤクザ映画が彼の人気の原点で、そのため男性ファンが多いのですが、中国においてヤクザ映画は一本も上映されず、もっぱら人情味あふれる映画が上映されていたため、男女問わず人気があり、特に彼の男性的振る舞いから「本当の男らしさとはなにか」というテーマがメディアで話題となり、多くの中国人女性の理想の結婚相手とされました。中国において最もポピュラーな高倉健映画といえば『君よ憤怒の河を渉れ』で、この映画はヒットしたのみならず、この映画を意識していろいろな中国作品も作られており、2018年2月にはジョン・ウー監督によるリメイク版『マンハント』が公開されます。
 しかし、現在の日本人俳優は中国人スター、韓国人スターなど数ある選択肢のひとつに過ぎず、かつての高倉健のような圧倒的な影響力はもはや持ち得ません。

日中映画交流史 「『君よ憤怒の河を渉れ』と中国」 講演レポート | シネマ侍 CINEMA-SAMURAI
 日中映画交流史に名を刻んだ諸作品の特集上映「特集 日中の架け橋となった映画たち」として、2018年2月26日(月)に東京千代田区の神楽座において、野村芳太郎監督『砂の器』(1974年)、佐藤純彌監督『人間の証明』(1977年)とともに、高倉健主演、佐藤純彌監督『君よ憤怒の河を渉れ』(1976年)の上映後に劉文兵氏*5による日中映画交流史の講演 「『君よ憤怒の河を渉れ』と中国」 が行われた。
◆中国の約8割が観た『君よ憤怒の河を渉れ
 日本において、この映画は1976年の公開当時は大きな反響を呼ぶこともなく、その後の日本では、ほとんど忘れ去られて省みられなくなった作品の一つでした。それに対して、1978年の中国では、社会現象になるほどの熱狂的な人気を巻き起こしました。調査によりますと、約8割の中国人がこの映画を観たといいます。私自身もその時代の経験者でもありまして、ちょうどこの映画を観たときに私は10歳だったんですね。入れ替え制の映画館でこの映画を観て、「ああ、面白いなあ。健さん格好良いなあ」と思って、もう一度観たいとトイレに隠れて、次の上映の回がはじまると出てきて観続けたということもありました。その後、健さんのいる国で映画の研究や勉強をしたいと思いまして日本に参りました。研究活動の中で、実際に憧れの健さんにインタビューをすることができまして、とても幸せに思います。
 実は、『君よ憤怒の河を渉れ』の大ヒットにあやかって、当時の中国では、パロディ映画が作られました。それをご覧になれば、この作品が当時の中国社会にどれほどのインパクトを与えたかということがよくお分かりになるだろうと思います。一本目は、この太ったコミカルな男なんですけれども、名前はなんと高倉健が演じる主人公の杜丘と同じ漢字を書くのです。中国語で「トウ・チュウ」といいます。だから、彼はいつも誇らしげに「私の名前は主人公と同じだよ」と言いふらしているんです。相手から、「どうして日本人の真似をするのか」と訊かれると、彼は「俺の本名が杜丘なんだよ。日本人が俺の名前を真似したんだ」と言い返す場面です。
 次の作品は、中国の志村けんともいえるコメディアンの陳佩斯(チェン・ペイスウ)という俳優さんが演じた北京の下町の青年が主人公とする映画です。この青年はたくさんの鳩を飼っていて、近所に迷惑をかけているんです。彼はいつもこの映画のテーマ音楽を替え歌にして歌っているのですね。歌っているのは、「誰か私の鳩に指一本でも触れたらタダではおかない」という替え歌を歌っているんです。
 『君よ憤怒の河を渉れ』のラストには、原田芳雄が演じる刑事役が西村晃が演じる悪役に対して、「お前も、ここから飛び降りてもらう」というようなセリフがあったのです。日本語では、とても早口で聴き取りにくかったと思うのですけれども、中国語に吹き替えられた際には、声優さんがとても抑揚をつけて名ゼリフに仕立てたんですね。大変格好良かったので、当時の中国人がみんなそのセリフを言ってみたくなるセリフだったのです。その名ゼリフは、当時の中国のアクション映画にも取り入れられているんですね。
 次は、アクション映画を一本おみせします。映画館の映写室の中で大乱闘が起きるという設定なのです。しかし、映画館では、ちょうど『君よ憤怒の河を渉れ』の上映をしているのです。だから、音声が聴こえます。最後に悪役が飛び降りた後に流れてきたのは、原田芳雄の名ゼリフだったんですね。このようなパロディ映画が作られたことは、やはりオリジナルの映画作品が中国において、いかに人気があったのかを如実に物語っているといえるでしょう。
高倉健中野良子が日本のシンボルになっていた
 いったいなぜ高倉健というスター俳優を軸にして、大量生産されたサスペンス映画の一つに過ぎなかった日本の娯楽作品が当時の中国でこれほど人気を博したのでしょうか。まず、その要因として、この映画の大ヒットの背景には、文化大革命という時代の終結という経緯があったと思います。1966〜1976年までの10年間は、中国は大変大きな混乱に包まれていました。そして、中国の映画産業もまた同じ状況だったのです。10年間、中国での映画製作はほとんどストップしてしまい、外国映画の上映といえば、北朝鮮アルバニアルーマニアベトナムなどの社会主義国の映画しか上映されませんでした。だから、その10年間は10億人の中国人は精神的な飢餓状態におちいっていたと言って良いと思います。
 そして、1976年に文化大革命が終わると、中国の映画製作も再開し、外国映画も徐々に公開されるようになったのです。中国の観客は、非常に猛烈な勢いで映画館に殺到しました。その結果、この映画が上映された1978〜1979年の1年間の中国の映画観客動員数は293億人だったんです。国民1人当たり28回、赤ん坊からお年寄りまで全部含めてです。それぐらいの状況の中で、資本主義国や先進国からの最新映画ということで『君よ憤怒の河を渉れ』は空前絶後の大ヒットを博したと思います。
 ヒットしたもう一つの要因というのは、この映画の中で描き出された資本主義社会の物質的な豊かさだったと思います。例えば、新宿の高層ビルやホテル、豪邸での贅沢なライフスタイル、あるいは、主人公の洗練されたファッションなど、当時の中国人にしては、非常にモダンだったのです。1978年当時、中国の都市での生活者の平均年収は614元なんです。日本円にして1万円だったんですね。だから、みんな灰色の人民服をまとい、家と職場の間を自転車で往復するような毎日を過ごしていたのです。彼らにとっては、この映画に現れた先進国日本の姿は、まるで異星人のような世界だったのですね。ですから、中野良子原田芳雄のファッションは流行の指標となって、ヒロインの真由美にあやかった美容室や化粧品が数多く出現しました。それを見た中野良子さんは「私たちが上げた経済効果は何億になるのだろう」とおっしゃっていました。
 そして、中野良子さんにまつわるエピソードなのですけれども、私は日本での留学生時代にアルバイトで日本の会社員に中国語を教えたことがありまして、その際に使用した教科書が中国の大学が発行した外国人向けの教科書でした。その中の応用練習の一つとして、様々な国の人物やシンボルを描いたイラストを学生が見て、それがどこの国の人であるかを書いてもらうという課題があったのです。例えば、エジプト人であれば、ピラミッドの前にラクダを引いている男が立っていたりするようなイラストです。中国人ならば、万里の頂上の前にチャイナドレス姿の女性が佇んでいます。しかし、日本人の場合は、富士山の前にサラサラのロングヘアーの姿で、しかもワンピース姿の女性が立っているんですよ。そこで、学生から「なぜ和服じゃないのにこの女性が日本人なのですか?」と訊かれたのですけれども、実は、その女性の姿はまさに『君よ憤怒の河を渉れ』に出てくる中野良子そのものなんです。だから、1980年代や1990年代当時の中国では、日本人女性といえば、あるいは、日本人といえば、中野良子だったんです。一個人が映画で演じたキャラクターが国のシンボルになりうることを改めて実感しました。
 『君よ憤怒の河を渉れ』に対する熱狂的な反応がビジュアルな次元のみならず、聴覚的な次元においても引き起こされたといって良いでしょう。とくにこの映画の場合は、青山八郎作曲の映画音楽が中国で大変な評判になったのです。というのは、当時の中国の若者の間では、ディスコダンスを踊り狂うことが流行の最先端だったんですね。だから、この映画のディスコ中のテーマ音楽は当時の中国社会の開放的な風潮にぴったりマッチしていました。そのメロディに多くの中国の若者たちが惹かれていったわけです。ジョン・ウー監督の『マンハント』(2017年)をご覧になった方がいるかと思いますけれども、このテーマ音楽がそのまま使われています。それを知った青山八郎さんは、大変喜ばれていました。しかしながら、青山さんは一昨年の春に亡くなられたので、映画の完成を観ることは出来ずに本当に無念だったと思います。私は色々と青山さんに取材をしましたけれども、自分が作曲したテーマ音楽が中国で大ヒットしたことを青山さん自身がはじめて知ったのは1987年でした。中国での10年間の内外の映画音楽のベストテンにこのテーマ音楽が選ばれて、トロフィーが中国から届けられたのですね。青山さんはとても不思議に思っていたようです。
 また、映画のラストの場面では、真由美が杜丘に対して「事件は終わったの?」と訊くのですけれども、杜丘は「いや、終わりはないよ」と答えます。その当時の中国では、このやり取りを真似することが非常に流行りました。例えば、職場で1日の仕事が終わったときに、女性の誰かが映画の真似をして「終わったの?」と言うんですね。すると、周りの男性の誰かが高倉健風に「終わりはないよ」と答えるのです。そうすると、職場は笑い声に包まれて1日の疲れが吹き飛んだのですね。その後、みんな一緒に『君よ憤怒の河を渉れ』の主題歌を歌いながら、自転車で一緒に帰宅するという状況だったのです。ですから、その時代の中国人には、この映画が本当に慰めと癒しを与えたといえますね。
 次のヒットした要因は、この映画の勧善懲悪的なストーリーによると思います。みなさんもご存知のように、文化大革命の間には多くの人が迫害を受けて、文化大革命後には失脚した人々の名誉回復が進んでいたわけです。ですから、この映画のストーリーというのは、無実の検事が自分の潔白を証明していくストーリーなので、それに対して多くの観客は共鳴したわけなのです。それがヒットしたもう一つの要因だと思います。
 他にヒットした理由となるのが、人格者としての高倉健像なのです。みなさんもご存知かと思いますが、中国で公開した中国語バージョンの『君よ憤怒の河を渉れ』は、様々な箇所が検閲によってカットされた修正版でした。例えば、この場面の中国版をご覧いただけますでしょうか。例えば、オリジナルバージョンには、警察に追われる高倉健中野良子が浴室にかくまい、全裸になって警察官を追い払うというシーンがありましたが、中国版では彼女が服を脱ごうとする瞬間にカットが入り、次のシーンでは中野良子の姿は消え失せて、かわりに高倉健のみが立っているという奇妙なシーンとなってます。私が10歳のときになぜ2回目を観たかというと、中野良子がどこに行ってしまったのか分からなかったのもその一因でした。
 (ボーガス注:当時の)中国映画では、アメリカ式の成人向けのレイティングシステムや日本の映倫のようなシステムが存在していなかったのです。子どもからお年寄りまでみんなが観ることの出来るワン・レイティングしか存在しませんでした。ですから、暴力やあるいは、セクシャルな内容に対するセンサーシップが極めて厳しかったのです。まして、文化大革命が終わった直後の非常に閉鎖的な時代だったので、カットされたのもやむをえないと思います。高倉健中野良子のラブシーンは完全に削除されまして、倍賞美津子も特別出演とクレジットには載っているのですけれども、中国バージョンには全く登場していません。
 加えて、裸足で逃走する高倉健が寺で他人の靴を盗んだりするシーンなど、道徳的に問題がある箇所も(ボーガス注:検閲で)全てカットされたことによって、高倉健は完全無欠な人格者へ変貌したわけなんです。こうした検閲は、中国人民を資本主義的な悪影響から守るというイデオロギー的な配慮から行われたものなんですけれども、オリジナル作品の映画的完成度を損なった反面、一種の理想像として高倉健のイメージを作り上げて、それが中国における熱狂的な高倉健ブームの下地になったと思います。ですから、当時の中国では、国内外の映画の人気投票において、高倉健が常にトップの座を占めていました。いわば、国民的なヒーローでした。当時の中国人女性にとって、高倉健が結婚相手の理想像だったのですね。身長が高くて、立ち振る舞いが非常に男性的な高倉健は、どこか中国の北部の方の男性にみえるらしいのです。ですから、上海など中国の南の方の女性たちは、身近にいる男性を気に入らずに、わざわざ北の方に出かけて恋人を探すということがブームになったようです。
 高倉健さんは、実は、ずっと中国に行きたかったといいます。しかし、騒がれたくなかったので行かなかったそうなんです。それを知った吉永小百合さんが「私が一員である日中文化交流協会の窓口を利用すれば、静かに行けますよ」とアドバイスをして中国へ行くこととなりました。これは1986年のことでした。その際に2人だけだと日本のマスコミに怪しまれるので、(ボーガス注:『君よ憤怒の河を渉れ』での共演者でもある)田中邦衛さんと通訳を入れて4人で北京と上海を訪問したわけです。お忍び旅行ということで、泊まるホテルもシンプルでこじんまりしたところを選んだようです。それでも健さんは中国のファンたちの熱愛ぶりを感じたようです。
 健さんは、私のインタビューに答えてくれたときに、2つのエピソードを話してくださいました。例えば、中国のホテルのエレベーターから降りようとした際に、ドアが開くと、エレベーターを待っている中国人女性が健さんを見て、目を丸くして口を大きく開けて、指を指しながら凍りついてしまったのですね。声も出なかった様子でした。健さんが通り過ぎた後に何気なく振り返ると、その女性がまだ凍りついたまま健さんの方を見て、目には涙を一杯にためていたらしいのです。また、健さんは、ホテルの中の喫茶店で人目のつかない席に腰を下ろしてコーヒーを飲もうとしたときに、サクラ、サクラの曲が聴こえてきたので振り返って見たら、喫茶店の女性ピアニストが健さんに気づいて演奏をしたようです。このような中国の健さんファンとの触れ合いの中で、健さんは改めて中国のファンの好意を身をもって感じられて、そのことにお返しをしなければならないという強い気持ちを抱くようになったようです。
 このように『君よ憤怒の河を渉れ』は、健さんを含めて、作り手が全く予想をしないところで極めて大きな力を発揮しました。この一本の映画を通して、これを作った日本側のスタッフ、その中国版の吹き替えに携わった中国側のスタッフ、そして、これを観た観客たちみんなを幸せな気持ちにした非常に不思議な映画でした。中国で公開されてからちょうど40年です。『マンハント』も作られて、その感動がこれからも語り継がれていくでしょう。それこそ映画の力、文化の力なんですね。今後もこのような両国の橋渡しになるような作品が再び作られるようになることを祈っております。ご静聴ありがとうございました。

俳優の田中邦衛さん死去。中国で有名なのは『北の国から』よりも、あの日本映画だった(中島恵) - 個人 - Yahoo!ニュース2021.4.3
 俳優の田中邦衛さんが3月24日にお亡くなりになりました。田中さんといえば1961年に始まった映画『若大将』シリーズや、1981年から2002年まで続いたフジテレビのドラマ『北の国から』を思い出す日本人が多いと思います。
 田中さん死去のニュースは、もちろん日本でトップニュースとして報道されましたが、中国や台湾など海外でも、すぐに報道されました。中国や台湾でも『北の国から』はとても有名で、リアルタイムではありませんが、のちにネットなどで見た人が多く、ドラマの影響で、富良野のロケ地には大勢の観光客が押し寄せ、大人気となったからです。
 中国人に『北国之恋』(『北の国から』の中国語タイトル)といえば、多くの人が日本人と同じように、懐かしく思い出すと思います。
 しかし、中国の報道を見ていたとき、田中さんの代表作として、もう1つ別の作品名が挙げられていることに気がつきました。それは1976年(昭和51年)に日本で公開された『君よ憤怒(ふんど)の河を渉(わた)れ』という日本映画なのですが、実はこの映画、中国では『北の国から』よりもずっと有名な作品なのです。
 今から45年も前の映画で、しかも、日本ではあまりヒットしなかったので、知らない人が多いかもしれませんが、田中さんはこの映画に短時間ながら重要な役柄で出演していたことから、今回の訃報を受けて、この映画名を田中さんの代表作の一つとしてわざわざ挙げている報道がいくつもありました。
◆中国人の8割が見た大ヒット映画
 なぜ、日本映画『君よ憤怒の河を渉れ』はそれほど中国で有名になったのでしょうか?
 いくつかの理由があります。まず、中国で上映されたのは日本での公開から3年後の1979年。中国語タイトルは『追捕』といいますが、日中平和友好条約が締結された翌年で、中国で初めて公開されることになった日本映画がこの映画だったことが挙げられます。
 その頃、中国では文化大革命文革)の後で、社会全体がまだ疲弊していたこともあり、初めて上映された日本映画を観た中国人は、高倉健のカッコよさ、映画の端々に垣間見える日本社会の豊かさ、中国映画にはない描写やシーン、日本の建物やファッションなどに熱狂し、夢中になり、なんと全中国人の8割がこの映画を観たとまでいわれています。
 現在、50代後半以上の中国人なら、ほぼ確実にこの映画のことを知っている、といっても過言ではないでしょう。
◆ストーリーの内容に共感した
 映画の詳細なストーリーは省略しますが、この映画は、主演の高倉健さんが演じる検事(役名は杜丘「もりおか」)が無実の罪で突然、警察から追われることになってしまい、日本全国を逃亡し続けるという内容です。
 高倉さん演じる杜丘を強盗犯として告発するのが、田中邦衛さん演じる横路敬二という役なのです。今回の訃報を伝える報道でも、この役名まで記載されていました。他に杜丘の逃亡を助け、恋人(役名は真由美)となる女性を演じるのが中野良子さん、警部役で原田芳雄さんなどが出演しています。
 中国であまりにもこの映画が大ヒットしたため、多くの中国人は「杜丘」「真由美」という日本名を(中国語読みで)覚えたり、セリフを真似して役になり切ったりしたといいます。
 また、この映画が大ヒットした他の理由として、中国の人々は、ストーリーの内容(無実なのに理不尽な思いをする)と文革中に起きた出来事とを重ね合わせて共感したから、などともいわれています。
 私はこの映画を、高倉健さんが亡くなった2014年頃に、テレビの追悼映画特集で見たのですが、現在の日本人の目から見ると、中国でのあそこまでの熱狂ぶりは「なぜ、それほど……?」と思ってしまう面もあります。
 しかし、当時の中国人は海外(西側)との接点はまったくなく、娯楽や情報もほとんどなく、抑圧された生活を送っていたので、初めて上映された日本映画の何もかもが珍しく、興味深く、彼らの目に新鮮に映ったのではないか、と感じました。
 中国では“伝説”にまでなっている日本映画がこの作品だったからこそ、それに出演していた田中さんの追悼記事の中に、中国人にとって懐かしい役名「横路敬二」までが、書かれていたのだと思います。

*1:2021年、扶桑社

*2:1946年生まれ。1967年にアニメーション製作会社のAプロダクション(現・シンエイ動画)に入社し、アニメーターとして勤務するが、1971年に鉄道写真のフリーカメラマンとして独立。著書『失われた鉄道100選:郷愁の旅 廃線跡を訪ねて』(1996年、淡交社)、『「寅さん」が愛した汽車旅』(2008年、講談社+α新書)、『「郷愁と哀愁」の鉄道博物館』(2009年、講談社+α新書)、『明治・大正・昭和 懐かしの鉄道遺産を旅する』(2011年、じっぴコンパクト新書)、『いま乗っておきたいローカル線!(増補版)』(2016年、自由国民社)、『昭和のアニメ奮闘記』(2021年、天夢人)など(南正時 - Wikipedia参照)

*3:1966年生まれ。著書『極楽タイ暮らし:「微笑みの国」のとんでもないヒミツ』(2000年、ワニ文庫)、『極楽アジア気まぐれ旅行』(2001年、ワニ文庫)、『幻獣ムベンベを追え』(2003年、集英社文庫)、『西南シルクロードは密林に消える』(2009年、講談社文庫)、『アジア未知動物紀行:ベトナム奄美アフガニスタン』(2013年、講談社文庫) 、『移民の宴:日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』(2015年、講談社文庫)、『未来国家ブータン』(2016年、集英社文庫)、『謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』(2017年、集英社文庫)、『間違う力』(2018年、角川新書)、『恋するソマリア』(2018年、集英社文庫) など(高野秀行 (ノンフィクション作家) - Wikipedia参照)

*4:1913~1967年。1939年の映画『風と共に去りぬ』(マーガレット・ミッチェル原作)のスカーレット・オハラ役と1951年の映画『欲望という名の電車』(テネシー・ウィリアムズ原作)のブランチ・デュボワ役でアカデミー主演女優賞を受賞(ヴィヴィアン・リー - Wikipedia参照)

*5:著書『映画のなかの上海』(2004年、慶應義塾大学出版会)、『中国10億人の日本映画熱愛史:高倉健山口百恵からキムタク、アニメまで』(2006年、集英社新書)、『証言・日中映画人交流』(2011年、集英社新書)、『中国映画の熱狂的黄金期:改革開放時代における大衆文化のうねり』(2012年、岩波書店)、『中国抗日映画・ドラマの世界』(2013年、祥伝社新書)、『日中映画交流史』(2016年、東京大学出版会