「コロナバブルの終焉は近い(7/24時点)」が「入院トリアージが必要だ!、菅は間違ってない(8/6時点)」になってしまった先見性のないバカ

あまりにも「先手」を取り過ぎたことが今後に及ぼす影響は測り知れない: 白頭の革命精神な日記2021年08月06日
 今日も以前から批判対象としている「奇人変人」の白頭先生に突っ込みます。
 菅政権の「中等症患者も自宅療養が原則」に対する批判「自宅で急変して死んだらどうするのか!(例えば崩壊を自宅療養と言い逃れ - 高世仁の「諸悪莫作」日記)」に「病床が不足してる!。入院トリアージが必要だ!。菅は間違ってない」という白頭先生です。
 勿論、この菅擁護自体に俺は「賛同しない立場」ですがそれはさておき。
今日の産経ニュースほか(2021年7月24日分)(副題:やはり柔道がお家芸の日本)(追記あり) - bogus-simotukareのブログでも批判しましたが、白頭先生はあまりにも「先手」を取り過ぎたことが今後に及ぼす影響は測り知れない: 白頭の革命精神な日記の約二週間前の記事コロナバブル(メディアにとって)の終焉は近い: 白頭の革命精神な日記(2021年07月24日)では「五輪を開催してもコロナの感染増加はなさそう。コロナはそのうち終息し、マスコミの『コロナをネタにした菅批判』もそろそろ終了しそう(俺の要約)」と宣ってました。1)「開会直後」であり、影響がすぐには出ないであろう事、2)しかし次第に影響が出る恐れがあることは「gotoトラベルやイート」も開始直後にすぐにコロナが蔓延したわけではないこと(しかし次第に影響が出て結局中止)で予想できたでしょうに「閉会直前や閉会直後ならまだしも」、「開会直後にこの放言」とはおよそ正気ではない。
 それが今や「入院トリアージが必要だ!。中等症も原則自宅療養とする菅は間違ってない」。
 何でしょうか、このでたらめさ。しかも過去に「コロナは終息の見込み」と放言した事への謝罪は何もなし。
 百歩譲って「トリアージが必要」だとしても、白頭先生や菅のように「病床が足りないから仕方がない(菅&白頭)」「国益のためには人間は非情になることも時には必要(白頭)」「菅が辞めて別の人間(石破元幹事長、加藤官房長官、枝野立民党代表など)が首相になっても同じ事をするしかないと思う(白頭)」だのと平然と言うことではない(以上は俺の要約で一言一句同じでは必ずしもありません)。「お前が中等症になって自宅療養でも同じ事が言えるのか。ふざけんな」て話です。
 「病床が足りない」のは自然現象ではない。菅が「病床を増やさなかったこと」や「コロナを蔓延させたこと」で足りなくなったのであり「私の落ち度だと思うが、トリアージ以外に今は手段がない。お許し願いたい」「このコロナ禍が一段落ついたら、責任とって首相を辞任したい」という位の落ち度ではないのか。
 それにしても、他の問題はともかく「コロナ関係では話の方向が常に菅擁護」と言うあたり、この方の本質(コロナ関係では菅応援団)がモロバレです。
 人としてここまで醜悪で無様な人というのもなかなかいないかと思います。しかもそんな菅応援団が自称「主体主義者」。頭痛がしてきます。それとも菅応援団ではなく「厚労官僚応援団」など他の応援団でしょうか(どっちにしろ、コロナ関係では、政府方針を無条件で万歳というのがこの方の生き様のようですが)。


社会政治的生命を実感させる契機となったオリンピック東京大会: 白頭の革命精神な日記
 『日本史上最高のメダルで国民に夢と希望を与えた』という五輪開催派の「いつもの主張」と全く同じなので読む必要は全くありません。「社会政治的生命(北朝鮮で使われる用語らしい)」とは「社会の共同体意識や連帯感」程度の意味です。
 「今の感染状況で良くそんなことが言えるな」と心底呆れます。
 つうか、彼は自称「主体主義者」だそうですが、「主体の国」北朝鮮が「コロナ感染の危険性」を理由に「出場辞退」したこと(つまり彼の考え「五輪開催して良かった」に反対の立場であること)はどう理解されてるのか。
 「自称・主体主義者だから北朝鮮のすることは何でも支持」と言う話でもないでしょうが、そこに「明らかに意図的に触れない」のは「何だかなあ(呆)」ですね。