珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年8/10日分)(副題:今日も高世に悪口する)

ホロコースト雑感 - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 片付けをしていたら、一年前の鷲田清一*1の「折々のことば」(朝日新聞)の切り抜きが出てきた。なぜ切り抜いたかは忘れた。

 権威への服従が人びとの責任感を麻痺させ、残虐な行動に走らせる。(田野大輔*2
 ナチス時代のユダヤ人迫害から現代の酷薄な差別発言まで、人はなぜ「正義」を装い、嬉々(きき)として少数者を排撃するのか。ポイントは、権威を後ろ盾にした「責任からの解放」にあると社会学者は言う。つまり責任を負うべき〈顔〉を隠せること。匿名でしか声を出せない人は、他者を属性でしか見られない。何より自身がもはや属性でしかないから。田野『ファシズムの教室』から。

 大樹によりかかり、その陰に隠れて匿名で他者を攻撃する。こういう行為に注意を払おう。

 「ナチスユダヤ人迫害」など、多くの無法行為は必ずしも「匿名」ではないので「匿名」に話を限定する必要はない。また「匿名での誹謗(例えばnetgeekへの鉄槌は振り下ろされるのか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学))」はともかく「匿名での批判」は何ら非難されることではない*3ですが、それはともかく。

「家族会、救う会」という大樹によりかかり、田中均氏という他者を攻撃する。

高世がよくもまあ自分を棚上げにしてふざけたことが言えたもんです。
 まさにそういうことであるなら、小泉元首相、田中均氏、蓮池透氏らに陳謝する用意くらいはあるんだろうな - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)ですね。そういう偉そうなことを抜かすのならいい加減、救う会や家族会をきちんと批判し、田中均氏らにわびたらどうなのか。
 それとも高世は

・俺は黙認しただけで積極的に救う会、家族会の田中攻撃に加担してない。
・また、俺は匿名での発言もしてない。だからその陰に隠れて匿名でに該当しない

として「『折々のことば』が批判対象としている物から外れてるから謝罪の必要はない」と居直るのか?。
 なお、「話が脱線しますが」

権威への服従が人びとの責任感を麻痺させ、残虐な行動に走らせる。

と言う意味では前衛・今月号(9月号)の

特集『戦場と銃後の体験』
◆インタビュー『普通の日本軍兵士が見た日中戦争の侵略と加害:『中国戦線、ある日本人兵士の日記*4』をどう読むのか』(笠原十九司*5
◆インタビュー『民衆と社会は戦争をどう支えたのか:「銃後」はどうつくられ変遷したのか』(大串潤児*6

を読むことをおすすめしたい(なお、笠原、大串インタビューの内容は多岐にわたっており『権威への服従による暴走』以外のことも論じられています)。
 どういうことかというとまず笠原インタビュー。

弁護士会の読書:中国戦線、ある日本人兵士の日記
 南京攻略戦徐州作戦に参加した日本人兵士が毎日のように日記をつけていて、日本に持ち帰ったものが活字になっています。写真もついているという、大変貴重な日記です。
 内容は、日本軍の兵士たちが中国人を見境なく殺戮(さつりく)していくのですが、悪びれたところがまったくありません。日本では良き夫であるような人が中国戦線では平然と罪なき人々を殺し、食糧をふくめて財物を略奪しても罪悪感が皆無なのです。
 日本国内では人間的に善良な日本人であり、地域や職場で誠実であり、家庭において優しい父や息子であった日本人男子が、ひとたび日中戦争の厳しい戦場に送られると、中国人を平気で虐殺し、残虐行為をし、中国人からは「日本鬼子」と怖がられる日本兵になっていた。

 何故、殺人を「良き父、良き夫」であった日本軍人が行えたのか。まさに

 権威への服従が人びとの責任感を麻痺させ、残虐な行動に走らせる。

わけです。
 日本軍という権威が「殺すこと」を奨励するから殺す。
 次に大串インタビュー。

新刊紹介:「前衛」2021年9月号 - bogus-simotukareのブログ
◆インタビュー『民衆と社会は戦争をどう支えたのか:「銃後」はどうつくられ変遷したのか』(大串潤児)
(内容紹介)
 架空問答方式で書いてみます。架空問答ですので「大筋で内容は正しい」と思いますが、一言一句同じ訳ではありません。
聞き手
 大串先生が日本の『銃後』を考える上で重要と思うことや興味関心があることについてお聞かせ下さい。
大串
「銃後」というのは私は「小権力者が多数生まれた時代」あるいは「つるし上げの時代」と言っていいのではないかと思います。
 あえて言えば「日本版文革*7」と言っていいんじゃないか。
 何のことか。銃後について書かれたフィクション(小説、テレビドラマ、映画、漫画など)、ノンフィクションを読んだり、見たりした方はご存じでしょうが「婦人会や隣組の幹部」が「自分より下の立場の人間」の言動について「危機意識が足りない」などとしてつるしあげる。総力戦なのでそういうことが必要になってくるし求められる。
 漫画「はだしのゲン」でゲン一家を散々いじめた鮫島伝次郎はフィクションで、勿論誇張がありますが、つるし上げ自体はあったわけです。あの戦争を考えるときにはそうしたことにも注意が必要でしょう。「つるし上げへの恐怖」で戦争推進に従ったという面は明らかにある。そして「つるし上げの加担者」という意味では庶民にも「一定の戦争責任」はあるわけです。
 というか、戦争でも独裁でもそうですが、「上からの強制」だけでは多くの場合、うまくいきません。可能な限り「下の同意」を得ようとする。つまり「何らかの飴を与える」「ある程度自主性を与える(婦人会、隣組の幹部はその一例です)」などといった面が明らかにある。
 1980年代以降に、吉見義明『草の根のファシズム』(1987年、東京大学出版会)など、歴史学において「民衆の戦争協力」にスポットが当たるようになるのはそうした理解があります。民衆とは「単なる被害者ではなく加害者でもあった」。この点は前衛今月号の笠原先生のインタビューも指摘しているところだと思います。
 例えば、コロナ禍(その深刻さから戦争に例えられることもありますが)の「自粛警察」は「銃後でのつるし上げ(日本版文革)の一種」でないか。そうして考えれば「銃後」は決して今の日本社会と無関係ではない。

 何で隣組や婦人会の幹部がつるし上げるのか。何で「自粛警察」が無茶苦茶やるのか。
それは

 権威への服従が人びとの責任感を麻痺させ

るわけです。緊急事態宣言も蔓延防止措置も出てないのに自粛警察が生まれるかと言ったらおそらく生まれないでしょう。
 ということで笠原、大串インタビューが一例ですが、別に前衛は「共産党機関誌」とはいえ、すべての記事が「ゴリゴリのマルクス主義、左翼」ではない(勿論そういう記事も一部ありますが)。
 「あの戦争への反省」という話は「日本においては左翼サイドに反省を訴える人間が多く、右翼サイドに無反省な人間が多い」とはいえ別に「左右のイデオロギーの問題」ではないわけです。
 これは前衛今月号(9月号)の

新刊紹介:「前衛」2021年9月号 - bogus-simotukareのブログ
◆対談『「赤木ファイル」は何を明らかにしているのか:いまこそ森友問題の再調査、真相解明を』(宮本岳志*8×辰巳孝太郎*9

なんかもそうです。森友疑惑というのは別に「左右のイデオロギーの問題」ではないわけです。ということで「別に買わなくてもいいので」「全部でなく一部のみでもいい」ので是非、多くの方に前衛を読んで欲しい。「購入して全部読む」のが「共産支持者」の俺的に一番有り難いですが。

 トランプ大統領新型コロナウイルスを「チャイナ・ウイルス」と呼んだことから広まったアジア系への暴力に反対することは、中国当局によるウイグル族へのジェノサイド*10を非難することと両立するはずである。

 おいおいですね。
 俺は「北朝鮮の無法行為(拉致など)を非難することと、民族教育の場としての朝鮮学校の無償化に賛成することは両立するはずである」との認識から、高世のような「無償化除外を正当化する輩」を批判していますが、そういう認識は高世にはないようです。

 ヘイトスピーチヘイトクライム、少数者への差別をはびこらせることは、社会全体から理性的な雰囲気を減退させることにつながる。

 おいおいですね。既に「朝鮮学校無償化除外」と言う形で「官製ヘイト」が起こってるのになんとも脳天気な男です。

 先日、Eテレの「こころの時代」で今井紀明さんが紹介されていた。

 で「イラク人質事件」での今井さん攻撃を批判する高世です。そこだけ見れば正論です。
 しかし「今井さん攻撃」並みの酷い個人攻撃「救う会、家族会の田中均攻撃」を黙認した奴が「何を抜かしてるのか、ふざけるな」という怒りを禁じ得ませんね。まさにそういうことであるなら、小泉元首相、田中均氏、蓮池透氏らに陳謝する用意くらいはあるんだろうな - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)ですね。そういう偉そうなことを抜かすのならいい加減、救う会や家族会をきちんと批判し、田中均氏らにわびたらどうなのか。

*1:大阪大学名誉教授、京都市立芸術大学名誉教授。著書『じぶん・この不思議な存在』(1996年、講談社現代新書)、『モードの迷宮』(1996年、ちくま学芸文庫)、『現象学の視線』(1997年、講談社学術文庫)、『顔の現象学』(1998年、講談社学術文庫)、『悲鳴をあげる身体』(1998年、PHP新書)、『ことばの顔』(2004年、中公文庫)、『教養としての「死」を考える』(2004年、洋泉社新書y)、『ちぐはぐな身体』(2005年、ちくま文庫)、『「待つ」ということ』(2006年、角川選書)、『てつがくを着て、まちを歩こう:ファッション考現学』(2006年、ちくま学芸文庫)、『夢のもつれ』(2007年、角川ソフィア文庫)、『死なないでいる理由』(2008年、角川文庫)、『新編・普通をだれも教えてくれない』(2010年、ちくま学芸文庫)、『わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座』(2010年、ちくま新書)、『「ぐずぐず」の理由』(2011年、角川選書)、『だれのための仕事:労働VS余暇を超えて』(2011年、講談社学術文庫)、『くじけそうな時の臨床哲学クリニック』(2011年、ちくま学芸文庫)、『感覚の幽い風景』(2011年、中公文庫)、『大事なものは見えにくい』(2012年、角川文庫)、『ひとはなぜ服を着るのか』(2012年、ちくま文庫)、『京都の平熱:哲学者の都市案内』(2013年、講談社学術文庫)、『哲学の使い方』(2014年、岩波新書)、『「弱さ」のちから』(2014年、講談社学術文庫)、『老いの空白』(2015年、岩波現代文庫)、『しんがりの思想:反リーダーシップ論』(2015年、角川新書)、『「聴く」ことの力:臨床哲学試論』(2015年、ちくま学芸文庫)、『人生はいつもちぐはぐ』、『まなざしの記憶』(以上、2016年、角川文庫)、『想像のレッスン』(2019年、ちくま文庫)、『素手のふるまい:芸術で社会をひらく』(2020年、朝日文庫)、『メルロ=ポンティ』(2020年、講談社学術文庫)、『「ひと」の現象学』(2020年、ちくま学芸文庫)など(鷲田清一 - Wikipedia参照)

*2:甲南大学教授。著書『魅惑する帝国:政治の美学化とナチズム』(2007年、名古屋大学出版会)、『愛と欲望のナチズム』(2012年、講談社選書メチエ) 、『ファシズムの教室:なぜ集団は暴走するのか』(2020年、大月書店)など(田野大輔 - Wikipedia参照)

*3:これについてはこのようなことをプロのジャーナリストが発言するのはさすがに驚かされる - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)を紹介しておきます。まあ、俺も匿名批判ですしね。

*4:2021年、新日本出版社

*5:都留文科大学名誉教授。著書『アジアの中の日本軍』(1994年、大月書店)、『日中全面戦争と海軍:パナイ号事件の真相』(1997年、青木書店)、『南京事件』(1997年、岩波新書)、『南京事件三光作戦』(1999年、大月書店)、『南京事件と日本人』(2002年、柏書房)、『南京難民区の百日:虐殺を見た外国人』(2005年、岩波現代文庫)、『南京事件論争史』(2007年、平凡社新書→増補版、2018年、平凡社ライブラリー)、『「百人斬り競争」と南京事件』(2008年、大月書店)、『日本軍の治安戦』(2010年、岩波書店)、『第一次世界大戦期の中国民族運動』(2014年、汲古書院)、『海軍の日中戦争』(2015年、平凡社)、『日中戦争全史(上)(下)』(2017年、高文研)、『憲法九条と幣原喜重郎日本国憲法の原点の解明』(2020年、大月書店)など

*6:信州大学教授。著書『「銃後」の民衆経験:地域における翼賛運動』(2016年、岩波書店

*7:実はこれは俺が思いついたことを書いたのであって、大串先生の言葉には「文革」云々は出てきませんが、架空問答なのでご容赦願います。このほかにも俺の架空問答には「俺が思いついた言葉」が結構出てきますが、その点もご容赦下さい。

*8:衆院議員。日本共産党中央委員、大阪府委員会副委員長

*9:参院議員。日本共産党中央委員

*10:新刊紹介:「経済」2021年9月号 - bogus-simotukareのブログ等で書いていますが、俺個人は「ジェノサイド」と呼ぶことには否定的です。呼び方は「民族迫害」などが良いんじゃないか。