珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年8/18日分)(副題:高世&Mukkeに悪口する)(追記あり)

アフガン政権崩壊によせて - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年8/16日分)(副題:今日も高世に悪口する) - bogus-simotukareのブログで紹介した首都を包囲したタリバン - 高世仁の「諸悪莫作」日記の続きです。

 20年という米国史上最長の戦争だった。世界中の官民から莫大な支援が注ぎ込まれた。そして多くのアフガン国民が犠牲になり傷ついてきた。いったいどんな意味があったのか、と呆然としてしまう。

 「ベトナム戦争は?」と思ったんですが、ベトナム戦争 - Wikipediaによれば「それ以前から米国による南ベトナム軍事支援」はあったとはいえ、米軍部隊がベトナムに投入されたのは「1964年のトンキン湾事件以降(なお、1973年に米軍が撤退し、1975年に南ベトナムの首都サイゴン(現在のホーチミン市)が陥落し、戦争終結)」なので、「米軍部隊が投入された年数」で考えると「20年のアフガン戦争が最長」ということになるようです(おそらく今回のアフガン戦争以前はベトナム戦争が最長)。
【追記】
 ライス元米国務長官「6·25戦争後70年韓国に駐屯したようにアフガンにもっと時間与えるべきだった」-Chosun online 朝鮮日報が指摘するように「現状の朝鮮戦争は事実上終戦だが、建前では休戦に過ぎない」点を重視すれば「最長の戦争」は「朝鮮戦争」になるでしょう。
【追記終わり】
 それはともかく「サイゴン陥落」と比べられる今回の「カブール陥落」ですが「米軍撤退後の陥落の早さ」はサイゴン陥落とは比べものにならないほど早かったわけです。
 ちなみに「2001年にブッシュが始めたアフガン戦争」は「その結末の是非」はともかく「20年後の今年2021年」、米軍撤退、タリバン侵攻によるアフガン政府崩壊、ガニ大統領国外亡命(タリバン勝利による新政権樹立の見込み)で「一応の結末」がつきました。
 「2002年の小泉訪朝」から「19年経っても解決の見通しが立たない北朝鮮拉致」について高世は

2002年の小泉訪朝から今に至るまで、日本の対北朝鮮外交(勿論、経済制裁含む)にいったいどんな意味があったのか、と呆然としてしまう。

とは思わないのか。アフガン戦争についてあれこれ言う前に高世は「過去に散々カネ儲けのネタにしてきた拉致問題」の現状について何か言うことはないのか。ジンネットが倒産してからは拉致問題に触れることを露骨に逃げているのだから高世のクズぶり、ゲスぶりには心底呆れます。

 マララ・ユスフザイさん(24)はツイッターで「タリバンアフガニスタン掌握を大きな衝撃をもって見つめている。女性や少数派、人権活動家のことが非常に心配だ。国際社会および各国は、ただちに停戦するよう要求し、緊急人道支援を行い、難民と市民を保護しなければならない」と書いた。
 マララさんは母国パキスタンイスラム武装組織TTP(パキスタンタリバン運動)による女子教育の抑圧や残虐行為を告発し、報復として銃撃され重傷を負った。事件後も女子が教育を受ける権利を訴え続け、14年に史上最年少の17歳でノーベル平和賞を受賞した。
 このツイートに対して、すぐにノルウェーのアーナ・ソールバルグ首相が、「マララさん、アフガンの大混乱のなか、婦人や少女を代弁し、市民の保護を主張していただき感謝します。ノルウェーはあなたの呼び掛けを心にとめ、国連安保理で活動します」と応じている。
 さすが人権の国、ノルウェー

 ということでノルウェーを美化する高世ですが、ノルウェーもそんなにきれい事ではないことについて以下を紹介しておきます。
 「タリバン」が「中国並みの政治力、経済力」を持っていたら果たしてこう言えたかどうか(勿論、タリバンにそんな力はありませんが)。
 「ダライ盲従分子」高世にとっては、認めたくない「不都合な真実」でしょうが。
 そういえば「id:Mukke」という「ダライ支持者、中国批判者」に「ノルウェーの態度をどう思うか」と聞いたら「ノルウェーに霞を食えとは言えない」という迷言(その理屈なら『日本企業が多数中国進出している』日本も『政府や与野党』が中国批判できなくて当然になるので、Mukkeによる『日本政府や与野党』への『中国に甘い、ダライ亡命政府に冷たい』という批判根拠が崩壊する)を吐いたことが奴が「はてなからトンズラした理由」の一つではあるのでしょう。ノルウェーをかばいたかったのでしょうがバカにも程があります。

【参考:ノルウェーと中国】

「経済のほうが政治よりよっぽど現実(実状)に正直だ」の実例(追記あり) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2014.5.14

ノルウェー、対中配慮でダライ・ラマと距離
2014.5.2 05:00
 中国を刺激したくないとして、ノルウェー政府が今月オスロを訪問するチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世(78)との面会を回避する可能性があることがわかった。ノルウェー・ノーベル委員会が2010年に中国反体制活動家の劉暁波氏にノーベル平和賞を授与して以来続く、世界第2位の経済大国との緊張関係を緩和したいという意向の表れだ。
 議会での議論後、ブレンデ外務大臣は記者団に対し、「わが国は中国との関係を重視しなければない。ダライ・ラマ14世と会談すれば関係の正常化が難しくなるだろう」と話し、まだ最終的な結論には至っていないと述べた。
 トムセン国会議長は4月22日、ダライ・ラマ14世との会談を回避する意向を表明した。ダライ・ラマ14世は、ノーベル平和賞受賞25周年を記念して、ノルウェー・ノーベル研究所の招待により同国を訪問する予定。ノルウェー放送協会のインタビューに対し、トムセン議長は「私の課題は中国との関係を改善することだ」と述べた。
 中国は10年、ノルウェーが劉氏にノーベル平和賞を授与したことから、同国との政府高官レベルでの交流を断絶した。2国間の貿易も緊張状態に陥り、中国はノルウェーからのサーモンの輸入を実質的に禁止している。
 中国は、ダライ・ラマ14世がチベット自治権を求めているだけだと主張するなか、独立運動を扇動したとして同氏を糾弾している。同氏は中国統治への反対運動に失敗したのち1959年にチベットを脱出。チベットの独立を支援する団体によると、それ以降、何十万人ものチベット人が中国政府の統治の結果亡くなっているという。
 駐ノルウェー中国大使は昨年、演説のなかで、国交の正常化のためにノルウェーは「レッドポリシーライン(政治的に越えてはならない一線)」を越えないと約束すべきだと述べた。一方、ノルウェー政府はノーベル平和賞受賞者を決定するノーベル委員会に対して何ら権限を持っていない。
 ダライ・ラマ14世は今年初め、米中関係を悪化させるとして中国政府が非難するなか、オバマ米大統領と会談している。
 ノルウェーチベット委員会の委員長も務めたことがあるトムセン議長は、ダライ・ラマ14世との会談回避は「責任の重い」決断とし、「困難な状況から抜け出し、同じ価値観、特に人権を重んじる人々とともに活動する可能性を高められるかが問題だ」と述べた。

 ノルウェーの態度を支持するかしないか、中国側の言い分をもっともと思うか思わないか、チベット亡命政府ダライ・ラマを支持するかしないか、といったことはこの際問題ではありません。つまりは、中国とチベットダライ・ラマとの人権問題で、ノルウェー政府はそう公然とチベット側を支持するわけにはいかない、と認識しているということです。これが重要なことです。

ダライ・ラマ訪問という外交リスク|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト2014.10.6
 寛容と福祉の国で知られるノルウェーさえ、ダライ・ラマを避けている。ダライ・ラマは今年5月にノルウェーを訪問したが、政府高官たちは彼との面会を拒んだ。理由は、10年に獄中の民主活動家、劉暁波(リウ・シアオポー)*1ノーベル平和賞が授与された際、中国から受けた「報復」を覚えていたからだ。
 受賞者はノーベル賞委員会によって選ばれるのであって、ノルウェー政府は関与していないにもかかわらず、中国はノルウェーからの輸入を制限。文化交流や外交にも影響を及ぼした。
 この苦い経験から、ノルウェー政府は同じ轍は踏まないと決意したようだ。エルナ・ソルベルグ首相*2は、中国との関係を重視してダライ・ラマと面会しなかったと公言。「中国政府が会うなと言ったわけではない。ただ私たちは、もし彼と会えばもっと長く『冷凍庫』に入れられたままになることを知っている*3」と語った。

【世界を読む】中国礼賛に走るノルウェーとギリシャ…批判封じたのは巨大な「胃袋」と「財布」(1/5ページ) - 産経ニュース2017.7.5
 ノルウェーはいま、中国への水産品輸出拡大への期待にわいている。2010年のノーベル平和賞で極度に悪化した関係が昨年末に正常化し、市場が一挙に開かれたためだ。そのためには、中国に対する批判を自ら封じる代償を伴った。
 「信じてください。私は中国が大好きです」
 ノルウェーのサンドバルグ漁業相は5月、在北京のノルウェー大使館に多くの関係業者を招き、精いっぱいの友好ムードを演出した。ノルウェー紙アフテンポステンが伝える。
 中国の電子商取引最大手アリババグループノルウェーの水産団体と提携し、タラなど魚介類を販売するイベントを行った。失われた6年を取り戻そうと、ノルウェーは中国向けの販売促進に必死だ。
 サンドバルグ漁業相は、約120人というこれまでにない規模の随行団を率いて北京入りした。訪問中に中国の人権状況を持ち出す機会はあるのかと問うアフテンポステン紙に対し、同氏はこう答えたという。
 「いまはまずは、魚のことが重要だ」
 水産品は石油・天然ガスに次ぐノルウェーの重要輸出品目。米国産シェールオイルなどの影響による石油安に悩まされる中、安定した消費が期待できる水産品の輸出促進は国家戦略だ。
 2010年、ノルウェーは中国の虎の尾を踏んだ。オスロノーベル賞委員会が、反体制派の民主活動家、劉暁波氏に平和賞を授与し、これに中国が「内政干渉」だとして激怒した。委員会は独立機関だが委員は元首相などが務め、「影響下」だという認識。中国は養殖サーモン輸入の事実上の閉め出しやビザ取得制限など報復措置を発動した。
 北欧の小国には大きな痛手だった。中国の輸入サーモンはノルウェーの独壇場だったが、制裁によってチリやカナダなどライバル国が漁夫の利を得た。ベトナム経由の輸出で制裁を回避する苦肉の策も編み出したが、それほど中国市場は魅力的だったのだ。
 平和賞を機にノルウェーと中国の関係は停滞していたが、昨年12月に正常化で合意。今年4月にはソルベルグ首相がノルウェーの首相として10年ぶりに中国を訪問し、自由貿易協定(FTA)の交渉の再開など経済面での協力強化を約束した。
 しかし、人権問題など中国が不快と感じる事柄は取り上げられなかった。関係正常化の際の共同声明でノルウェーは、こう誓約しているからだ。
 「一つの中国政策を堅持し、中国の核心的利益を高度に重視する」
 ノルウェーは自らの口を縛った。そのご褒美が、14億人の胃袋に自国のサーモンを収める許可だ。
 「わずか400万人の人口しかない国が、14億人を抱える中国に教えようとした。とんでもない話だ」
 中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報は昨年末、勝ち誇ったような社説を掲げた。ノルウェーの人口は約520万人だが小ささを強調したいあまり筆まで滑ったようだ。
 「6年にわたった制裁は、内政干渉に対する中国の強い意志を示した」。
 社説は自己礼賛に満ちていた。
 その後、中国メディアは盛んに「改善」した両国関係を取り上げるようになった。人民日報は6月、中国の国有造船会社がIT管理の養殖サーモン施設を輸出したと報じた。ノルウェーからは一次産品を輸入し、中国は工業製品を輸出するという貿易による互恵的な関係を持ち上げた。

人権よりも利益(養殖サーモン)を優先する責任の重さ ノルウェーの葛藤(鐙麻樹) - 個人 - Yahoo!ニュース2017.7.17
 劉暁波氏の死は世界に大きな衝撃を与えた。
 劉暁波氏をノーベル平和賞にノミネートした一人が、誰かご存じだろうか。ノルウェー政府のヤン・トーレ・サンネル地方自治大臣(保守党)だ。劉氏(ボーガス注:の死去)に関してコメントを避けていたが、「国会議員だった当時と、大臣になった今では状況が異なる」と、沈黙を続ける理由をノルウェー国営放送局NRKに5日話した。
 政権が右翼でも左翼でも、恐らく反応は変わらなかっただろう。それほど中国というビジネスパートナーは魅力的な存在だ。
 「我々の首相は何て哀れなんだ」、「ノルウェー政府は劉暁波氏よりもサーモンを選んだ」。
「超えてはいけない境界線はないのか?。中国との貿易のために、ノルウェー人は誇りとアイデンティティを代償として支払っている」、「ノルウェーのみんなが口を閉じれば、中国にもっとサーモンを売ることができる!」。
 SNSや現地メディアでは様々な声が交錯していた。
 首相はこのような反応がくることは、もちろん予測していただろう。それでも、国のトップとして中国との関係を優先した。
 利益を人権よりも優先せざるをえなかったことを、ノルウェーの人々に痛感させた劉暁波氏の存在。ノルウェーと他国との外交において、強い政治シンボルとなった養殖サーモン。劉暁波氏の名前は、ノルウェーの教科書に特別な存在として刻まれることになるのだろう。

【世界を読む】中国に「ひざまずく」西洋、筆頭はノルウェー…劉暁波氏の死が炙り出した新しい世界の対中規範(1/4ページ) - 産経ニュース2017.8.14
 中国の民主活動家、劉暁波(りゅう・ぎょうは)氏のがん治療と死をめぐって巻き起こった嵐のような中国批判は、すぐ沈静化した。2010年の劉氏へのノーベル平和賞で中国と鋭く対立したノルウェーは今回ほぼ沈黙を通し、変節ぶりを印象づけた。
 「彼女はまるでサケ売り商人のようだった。人権や劉氏について一言も触れることはなかった」
 今年4月はじめ、ノルウェーの首相として10年ぶりに北京を訪問したソルベルグ首相について、中国の著名な民主活動家がノルウェー紙アフテンポステンにこう話したという。
 中道右派ソルベルグ政権は昨年末、平和賞でこじれた中国との関係を修復し、約6年ぶりに正常化させた。
 かつてノルウェーの独壇場だった養殖サーモンの対中輸出はカナダやチリに立場を奪われ、多数の経済人を引き連れた首相は失った貿易の機会を取り戻そうと、必死だったに違いない。平和賞の選考委員会はノルウェー政府と表裏一体だとして、中国市場からの締め出される事実上の制裁を受けていたのだ。
 米独が治療のための受け入れなどを表明してアピールする中、沈黙を保ち続けた。国内で「沈黙は中国政府に対する同意のサインだ」との批判も出たが、動かなかった。7月13日、劉氏が死去して初めて「非常に深い悲しみ」を表明して故人の功績をたたえる一方、中国政府への言及は注意深く排除していた。
 「ノルウェーの中国との関係正常化が試されることになった」。
 中国研究家のチチャン・ルル氏は英ノッティンガム大にある中国政策研究所への寄稿論文でこう指摘。
 「実験は成功し、ノルウェーはコストいらずの経済制裁で簡単に影響を及ぼせる国だとわかった。この成功は将来の、より広い地域に対して中国の政策を強要する舞台を用意することになった」という。

*1:1955~2017年。2010年ノーベル平和賞受賞者。著書『現代中国知識人批判』(1992年、徳間書店)、『天安門事件から「08憲章」へ』(2009年、藤原書店)、『「私には敵はいない」の思想』(2011年、藤原書店)、『最後の審判を生き延びて』(2011年、岩波書店

*2:高世記事では「アーナ・ソールバルグ首相」で微妙に表記が違うが勿論、同一人物。2004年から保守党代表、2013年よりノルウェー首相。(エルナ・ソルベルグ - Wikipedia参照)

*3:赤字強調は俺がしました。