千葉真一が亡くなって、『新幹線大爆破』のメインキャスト3名が故人となった(追記あり)

 こういうタイトルですが内容は千葉真一が亡くなって、『新幹線大爆破』のメインキャスト3名が故人となった - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)へのコメントであって『新幹線大爆破』とは全く関係ありません。千葉真一が亡くなって、『新幹線大爆破』のメインキャスト3名が故人となった - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)のコメント欄に書くのには長すぎるためこちらに書きます。

 報じられるところでは、千葉氏はワクチン接種はしていなかったとのこと。そのあたりはご本人の意向ですので仕方ありません

 千葉の年齢(65歳以上)では「優先接種対象」ですので、やはり「本人の意向」だったんですかね?
 小生(40代)なんかは「受けたい」と言う意向があるのに「自治体接種は現時点では無理」「職場接種もやってない」つう状況ですし、「自治体接種を受けたという知人の体験談」やマスコミ報道によれば「すさまじい電話待ち」「インターネットでもすぐに予約が埋まって予約が難しい(まあ、年配だとネットになれてない方も多いですが)」なんて話だったので「受けたくても接種できなかった」のかもしれないと思っていたのですが。

【追記】
千葉真一さん「俺は大丈夫!」交流40年俳優にワクチン未接種を宣言していた(女性自身) - Yahoo!ニュース
 ということで、その理由はわかりませんが、「接種したかったのに打てなかった」のではなく「あえて接種しなかった」ようですね。
 「接種しておけば死なずにすんだのでは」と残念に思います。
【追記終わり】

 ジャパンアクションクラブ(JAC)を設立。真田広之さん*1志穂美悦子さん*2らを輩出した。

ジャパンアクションエンタープライズ - WikipediaJACが後に改名)によれば「ら」にあたる人間のうち「それなりに活躍している(した)人物」としては

【あいうえお順:ウィキペディア参照】
大葉健二
 1979年から1980年に放送されたテレビ朝日の特撮番組『バトルフィーバーJ』で曙四郎(バトルケニア)役としてレギュラー出演が決まり、師である千葉真一から「葉」の字をもらって大葉健二の芸名で活動を開始。同作品ではバトルケニアスーツアクターを兼任し、変身前と変身後を吹き替えなしで演じた。1980年から1981年に放送されたテレビ朝日の特撮番組『電子戦隊デンジマン』では青梅大五郎(デンジブルー)役でレギュラー出演し、こちらでもデンジブルーのスーツアクターを兼任した。1982年から1983年に放送されたテレビ朝日の特撮番組『宇宙刑事ギャバン』の主人公、一条寺烈(ギャバン)役で初主演を果たす。
伊原剛志
 JAC時代は以下の作品に出演。
・映画「コータローまかりとおる!」(1984年)
 砂土屋峻平役。JACメンバーの黒崎輝(主演)、真田広之志穂美悦子が共演。
日本テレビ『素晴らしきサーカス野郎*3』(1984年1月4日放送、二時間ドラマ)
 千葉がサーカス団団長として主演。サーカス団員として井原の他、JACメンバーの大庭健二、黒崎輝、真田広之志穂美悦子、春田純一、森永奈緒美が出演。サーカス団という設定から吹き替え無しのアクロバティックなアクションを披露。
・フジテレビ『影の軍団IV』(1984年)、『影の軍団 幕末編(影の軍団Vにあたる。影の軍団シリーズ最終作)』(1985年)
 服部半蔵(千葉)の配下である忍者「善九」役。なお、JACメンバーとして以下の人間も出演(名前はあいうえお順)。
 ・大葉健二服部半蔵(千葉)の配下である忍者「がま八」役
 ・黒崎輝:服部半蔵(千葉)の配下である忍者「隼太」役
 ・真田広之勝麟太郎(後の勝海舟)役
 ・志穂美悦子服部半蔵(千葉)の配下である忍者「お蓮」役
◆黒崎輝(くろさき・ひかる)
 1980年、テレビ朝日の時代劇『柳生あばれ旅』(千葉が柳生十兵衛役で主演)にて十兵衛に仕える裏柳生の忍者役で俳優デビュー。1983年にJACメンバーである大庭健二、真田広之志穂美悦子、春田純一、渡洋史が共演の映画『伊賀野カバ丸』で初主演(伊賀野カバ丸こと伊賀野影丸役)。1984年にはJACメンバーである大庭健二、真田広之志穂美悦子が共演の映画『コータローまかりとおる!』で再び主演(新堂功太郎役)。1985年から1986年に放送されたテレビ朝日の特撮番組『巨獣特捜ジャスピオン』(テレビ朝日)で主演。ポスト真田広之として期待されていたが1992年にJACを退団。『振り返れば奴がいる』(フジテレビ)などのテレビドラマに端役で出演していたが、1995年末までに俳優を引退。
堤真一*4
 JAC時代は一時、真田広之の付き人を務めた。「今後は真田と共演の可能性もあるのでは?」と尋ねられ「今でも真田の前では極度に緊張してしまい、付き人根性が出てしまう」ので「広之さんとなんか、絶対無理!」と答えている。
 また、JAC時代は以下の作品に出演。
JACミュージカル「ゆかいな海賊大冒険」(1984年)
 海賊船の船長として千葉が主演。JACメンバーの大庭健二、黒崎輝、真田広之志穂美悦子森永奈緒美が「海賊船の船員」役などで共演(堤真一 - Wikipediaには役名が書いてないので、この時の堤は端役だったのでしょう)。
JACミュージカル「酔いどれ公爵」(1985年)
 「オルゴン六剣士C*5」役。千葉が「ロベール公爵」役で主演。JACメンバーの大庭健二、黒崎輝、真田広之志穂美悦子が共演
◆春田純一
 1978年の時代劇『柳生一族の陰謀』(千葉が柳生十兵衛役で主演)の裏柳生衆・ハヤテで俳優デビュー。1980年のフジテレビ時代劇『服部半蔵 影の軍団』(千葉が服部半蔵役で主演)では伊賀忍者・喜平次役でレギュラー出演。1982年から1983年に放送されたテレビ朝日の特撮番組『大戦隊ゴーグルファイブ』でゴーグルブラック・黒田官平役を、1983年から1984年に放送されたテレビ朝日の特撮番組『科学戦隊ダイナマン』でダイナブラック・星川竜役を演じた。
森永奈緒美
 テレビ朝日の特撮番組『宇宙刑事シャイダー』(1983~1984年)、『時空戦士スピルバン』(1986~1987年:JACメンバーの渡洋史が主演)で主人公のアシスタント役女性としてレギュラー出演。1998年に引退するが、2014年、Vシネマ作品『宇宙刑事シャイダー NEXT GENERATION』で女優復帰。
渡洋史
 1983年、テレビ朝日の特撮番組『宇宙刑事シャリバン』の主役・伊賀電に抜擢。1986年にはテレビ朝日の特撮番組『時空戦士スピルバン』にて、再び主役を務めた。2014年、Vシネマ作品『宇宙刑事シャリバン NEXT GENERATION』にて、再び伊賀電役を演じた。

があげられますが、やはり「JACの大看板」で「JAC退団後、アクションドラマ以外でも主役級や準主役級で幅広く活動する(した)」真田、志穂美の「存在感の大きさ」と比べると失礼ながら「ら」扱いもやむを得ないでしょう。
 しかしこうしてみると「1980年代のテレ朝特撮」とJACとの深いつながりが解りますね。

志穂美悦子も引退が早かった

 これについては

志穂美悦子 - Wikipedia
 1986年6月からTBSのホームドラマ親子ゲーム』(長渕剛主演)で、元暴走族でラーメン屋を営む青年(長渕)と同居する恋人を演じた。不器用ながらもお互い魅かれ合っていくカップルが描かれた映画『男はつらいよ 幸福の青い鳥』(1986年、志穂美がマドンナ役)でも長渕と恋人役で共演*6し、志穂美にとって最後の映画となった。この頃には公に親密に交際を育んでいることを双方とも認めている。1987年8月29日に長渕と結婚。長渕の意向で芸能界を引退した志穂美は、「クセのある男なので専業主婦したい」とこれ以降は芸能活動を行っていない。

とのこと。
 とはいえ

志穂美悦子 - Wikipedia
 2002年には前年から始めた趣味のマラソンをきっかけに、月刊誌「ランナーズ*7」誌上にて対談「悦ちゃんといっしょに話走(はなそう)」を連載。
 2011年11月20日、夫・長渕が経営する自由が丘のカフェ『ROCK ON』の特別企画に賛同し、東日本大震災復興支援・チベット難民キャンプ支援としてフラワーアレンジメントの写真集『Flower Arrangement INSPIRE 〜いちかばちか〜』を自費出版で発売。それに伴い、公の場に姿を現し、握手会とサイン会を催した。
 2013年2月16日、志穂美の出身である岡山県RSKラジオに、12月18日にはTBS系情報番組『はなまるマーケット』にそれぞれゲストで招かれた。『はなまるマーケット』は27年ぶりのテレビ出演となり、女優時代の回想やフラワーアーティストとしての活動を語った。
 2017年1月10日、テレビ朝日徹子の部屋』に31年ぶりに出演、近況などを語った。

ということで女優引退後も何度か表舞台(?)には出ているようです。

*1:1965年に、5歳で劇団ひまわりに入り、1966年に千葉真一主演映画『浪曲子守唄』でデビュー。その後、中学校入学(1973年)と同時にJACに入団。1974年には千葉主演映画『直撃! 地獄拳』に出演。高校入学後(1975年)、千葉のアドバイスで学業専念することになり、一旦芸能活動から身を引く。高校卒業後の1978年、千葉主演映画『柳生一族の陰謀』のオーディションに合格したことで芸能活動を本格的に再開。以前は本名の「下澤広之」で活動していたが、再デビュー後は千葉真一命名により、千葉真一の「真」と千葉の本名(前田禎穂)の「田」を組み合わせ、「真田広之」と名乗るようになった。1980年公開の映画『忍者武芸帖 百地三太夫』で映画初主演を果たし、桃山城天守からの飛び降りシーンを、翌1981年公開の主演映画『吼えろ鉄拳』において福井県東尋坊の岩場やヘリコプターから海へ飛び降りるシーンを吹き替えなしで演じた。その一方で1988年の『快盗ルビイ』では三枚目を演じて演技の幅を広げたが、アクション俳優としての枠を超えた幅広い演技を求めたことや、母が脳出血で急死したことを機に1989年にJACから独立。1993年、TBSのテレビドラマ『高校教師』に出演し、幅広い世代からの認知を得る。1999年から2000年にかけて、イギリスのロイヤル・シェイクスピア・カンパニー公演『リア王』(蜷川幸雄演出)に唯一の日本人キャストとして出演。その演技力と共に日英両国の文化交流の架け橋としての功績を評価され、女王エリザベス2世より名誉大英帝国勲章第5位(MBE)を授与された。2002年に公開されアカデミー外国語映画賞にもノミネートされた『たそがれ清兵衛』で各映画賞を総なめにしたことや、翌2003年公開の『ラストサムライ』に出演したことで、日本を代表する俳優の一人となった。(真田広之 - Wikipedia参照)

*2:1973年、千葉真一主演映画『ボディガード牙』で、主人公・牙直人(千葉)の妹であるマキ(渡辺やよい)のアクションの吹き替えをし、本名の塩見悦子でデビュー。『ボディガード牙』シリーズの映画『ボディガード牙 必殺三角飛び』(1973年)では、千葉の本名から「穂」を一字貰い受け、本作から芸名を志穂美悦子にして活動。1974年には映画『女必殺拳』の主役に選ばれる。1976年には『必殺女拳士』、『女必殺五段拳』といったカラテ映画など主演作が相次ぎ、当時の人気スターのバロメーターであったブロマイドの売上がNo.1となり、以後数年間その地位を固守した。千葉主演映画『逆襲! 殺人拳』、『直撃地獄拳 大逆転』(1974年)、『少林寺拳法』(1975年)、『激殺! 邪道拳』、『ゴルゴ13 九竜の首』(1977年)の出演や、千葉主演のNET(現在のテレビ朝日)ドラマ『ザ・ボディガード』(1974年)、『ザ★ゴリラ7』(1975年)、『燃える捜査網』(1975~1976年)、『大非常線』(1976年)のレギュラー出演で、JAC における千葉の妹的な立場となった。テレビ東京大江戸捜査網』(1976~1977年)で初の時代劇に進出。この頃から、学園ドラマ『熱中時代』(1978~1979年、日本テレビ)、『気になる天使たち』(1981年、フジテレビ)で教師を演じるなど、それまでと異なる作品にも出演。アクションだけではない女優として認知されるようになった。また、バラエティ番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』(1983年~1985年)に出演しコントを行い、これまでのイメージを一新することとなった。1985年にはJAC より独立し、映画『二代目はクリスチャン』に主演。 1986年には映画『熱海殺人事件』で警視庁の名物刑事・二階堂部長刑事(仲代達矢)の10年来の愛人である女刑事・水野朋子をコミカルに演じるなど幅広い役柄をこなした。1987年に、ドラマ『家族ゲーム』(1986年、TBS)、映画『男はつらいよ 幸福の青い鳥』(1986年)で恋人役として共演した長渕剛と結婚し、それを機に芸能界を引退。(志穂美悦子 - Wikipedia参照)

*3:ドラマ名の元ネタは映画素晴らしきヒコーキ野郎 - Wikipedia(1965年)でしょうね。

*4:2005年に『ALWAYS 三丁目の夕日』、『フライ,ダディ,フライ』で報知映画賞助演男優賞、2008年に『クライマーズ・ハイ』、『容疑者Xの献身』で報知映画賞主演男優賞を受賞。(堤真一 - Wikipedia参照)

*5:六剣士の「A~F」の中の「C」ですから明らかに端役ですね。

*6:男はつらいよ」シリーズで志穂美&長渕のように「マドンナ役と恋人役」を演じ、後に結婚した人物としてはほかに、『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』(1982年)の「田中裕子&沢田研二」がいますね。

*7:市販されてるとは言えランニング愛好家向け雑誌というややマイナーな雑誌ですが。