浜坂事件とその後 (日本における外事事件の歴史12)【調査会NEWS3497】(R3.9.7): 荒木和博BLOG
今回ご紹介する事件は、昭和34(1959)年7月から翌35(1960)年9月にかけて日本に潜伏して工作活動を行っていた北朝鮮工作員が、協力者とともに兵庫県美方郡の浜坂港から脱出しようとしたものの迎えの船と接触できず、予備地の兵庫県城崎郡城崎町(現豊岡市)に行っても接触できなかったことから潜伏先である東京に戻ろうとして検挙された「浜坂事件」と呼ばれるもの
そんなことが拉致被害者の帰国と何の関係があるのか。何の関係もないわけで心底呆れます。
乗り鉄気分(小浜線): 荒木和博BLOG
乗り鉄気分 北陸本線特急しらさぎ57号 福井ー芦原温泉: 荒木和博BLOG
こんなもんをネットにあげてる暇があったら拉致についてまともに語れよ、ですね。しかも荒木も説明文に書いてるように「ただ車窓風景が流れる」だけ。
テレビ朝日「世界の車窓から」などと違い
・「映像が美しい」わけではない
・しかも「BGMもナレーションも何もない」
のだから退屈なことこの上ありません。
寺越事件を隠蔽したもの(R3.9.6): 荒木和博BLOG
島崎譲・元社会党代議士の著書『再会』はこちらから: 荒木和博BLOGについて、荒木が「島崎氏について何が言いたいのか」全く意味不明でしたがこの記事で「ああ、そういうことね」ですね。
7分30秒の動画です。見ると不愉快になるだろうなと思いながら一応見ました。実際、「島崎氏に対する荒木の悪口」に不愉快になりましたので「積極的には見ることをおすすめしません」。見なくても内容の予想がつきますし。
しかし、島崎譲・社会党代議士が「寺越武志さん一時帰国」を実現するに当たって「拉致ではない」「遭難したところを救助してもらった」という武志さんの言い分を認め、その前提で動いたことは「拉致の隠蔽」と非難されることでは全くない。
大体「拉致ではない」と武志さんが言ってるのに、島崎氏であろうと誰であろうと、第三者が「いや拉致だ」といって何か意味があるのか。何の意味もない。武志さんや北朝鮮が「拉致だ」と認めるわけでもない。確かに「拉致の疑い」はあるでしょうが、「拉致だと断定できる堅い証拠」など何もない。
そして北朝鮮が反発して武志さんが帰国できなくなる(あるいは帰国が遅れる)だけです。
そもそも島崎氏は「今から10年前」の2011年に死去していますが、今に至るも寺越親子は「拉致ではない」という立場の訳です。俺の知る限り、彼らは島崎氏の悪口なども言わない(嶋崎譲 - Wikipediaには島崎氏が武志さん帰国を恩に着せ、社会党への献金などをごり押ししていたと書かれていますが、根拠は示されていませんし、果たして事実かどうか)。ちなみに「拉致がらみの政治家のごり押し」としては
横田夫妻が応援演説 拉致議連メンバーら対象に : 拉致問題ニュース保管庫2005.8.26
拉致被害者家族会代表の横田滋さん(72)と妻の早紀江さん(69)が25日、拉致議連事務局長代理で衆院東京4区から出馬する民主党の松原仁*1前衆院議員の決起大会で応援演説した。
横田さんらは今後、郵政民営化関連法案に反対し、無所属で大分1区から出馬する前拉致議連事務局長の衛藤晟一前衆院議員らを個人として応援する方針。
を紹介しておきます。こんな政治家のごり押しを容認するようなことだからいつまで経っても拉致が解決しない。
それはともかく、寺越友枝さんも拉致被害者家族会になんか入っていない。
それが何を意味するか。今更言うまでもないでしょう。
あの森喜朗元首相(彼も島崎兄弟と同じ石川選出です)だって自民党総務会長(橋本総裁時代)の時代には「(北朝鮮の面子を立てるために)第三国で発見という形でもいいのではないか」と言っていた。
大体、こんな「島崎氏への悪口」と「拉致被害者帰国」と何の関係があるのか。何の関係もない。
今更故人である、島崎氏に悪口して何の意味があるのか。こんな馬鹿野郎・荒木とつきあって、荒木を批判した蓮池透氏を除名するのだから家族会のバカさには心底呆れます。そんなんで拉致が解決するわけがないでしょう。家族会が「本気で拉致を解決したい」のならまずは荒木ら救う会と縁切りして、蓮池透氏と和解するべきでしょう。そんなことが「バカの集団」家族会にできるとは俺は思っていませんし、だから俺は「拉致解決」を諦めていますが。他の拉致被害者家族も、「横田滋のように死ぬまで救う会に政治利用されて終わり」でしょう。哀れで無様な話です。
さて「話が脱線しますが」この島崎氏ですが、荒木も動画内で指摘していますが
嶋崎譲 - Wikipedia、嶋崎均 - Wikipedia参照
・兄の均は自民党所属の参議院議員。中曽根内閣で法相を務め、竹下登首相は義理の兄に当たる。
・つまり、兄弟で党籍が与野党に別れていた。
だそうです。別に兄弟だからといって、政治傾向が同じである必要もないのですが、やはり
【自民】
◆岸*2、佐藤*3兄弟
◆小坂善太郎*4、徳三郎*5兄弟
◆安倍*6、岸*7兄弟
【共産】
◆上田耕一郎*8、不破哲三*9の上田兄弟(共産)
など同じ傾向が多いのではないか。
もちろん
◆鳩山由紀夫*10・邦夫兄弟
弟・邦夫は、当初は兄の由紀夫同様、自民党を離党。「非自民連立」羽田内閣で労働相を務める。その後、兄と共に民主党を結党し、野党として活動するが、最後まで民主党にとどまった兄と違い、自民に復党。第一次安倍、福田内閣法相、麻生内閣総務相を歴任(鳩山邦夫 - Wikipedia参照)
のように違う兄弟で政治傾向が違うケースは島崎兄弟以外にもありますが。
ちなみに親子で政治傾向が違う人間としては
◆父
佐々木秀世 - Wikipedia
自民党衆院議員。田中内閣で運輸相
◆息子
佐々木秀典 - Wikipedia
青年法律家協会議長を務めた。衆院議員(社会党)
が有名ですね。
*2:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、日本民主党幹事長、自民党幹事長(鳩山総裁時代)、石橋内閣外相を経て首相
*3:運輸次官から政界入り。吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣通産相、科学技術庁長官などを経て首相
*4:吉田内閣労働相、国家公安委員長、池田内閣外相、田中内閣経済企画庁長官、三木内閣外相など歴任(小坂善太郎 - Wikipedia参照)
*5:田中内閣沖縄開発庁長官、大平内閣経済企画庁長官、鈴木内閣運輸相など歴任(小坂徳三郎 - Wikipedia参照)
*6:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官を経て首相
*8:日本共産党政策委員長、副委員長など歴任。『国会議員』(1999年、平凡社新書)、上田耕一郎著作集1~6(2012,2013年、新日本出版社)など著書多数(上田耕一郎 - Wikipedia参照)
*9:本名は上田建二郎。日本共産党書記局長、委員長、議長を歴任し、現在、党常任幹部会委員(党付属社会科学研究所長)。『新日本共産党宣言』(井上ひさしとの共著、1999年、光文社)、『一滴の力水:同じ時代を生きて』(水上勉との共著、2000年、光文社)、『歴史教科書と日本の戦争』(2002年、小学館)、『私の戦後六〇年:日本共産党議長の証言』(2005年、新潮社)、『マルクスは生きている』(2009年、平凡社新書)、『不破哲三・時代の証言』(2011年、中央公論新社)、『私の南アルプス』(2014年、ヤマケイ文庫)、『『資本論』完成の道程を探る』(2020年、新日本出版社)など著書多数(不破哲三 - Wikipedia参照)