珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年9/8日分)(追記あり:伊丹万作『戦争責任者の問題』(青空文庫)の紹介)

150年ぶりに再会したみほとけ - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 雨が続いて自転車に乗れなかったが、今日は久しぶりに晴れたので、東京薬用植物園へ。
 この植物園はたくさんの季節の草花を鑑賞できる、私にとっては癒しの場だ。
 「聖徳太子法隆寺」と同じ東京国立博物館で、ちょうど特別展「国宝 聖林寺十一面観音:三輪山信仰のみほとけ」もやっていたので、これも観てきた。

 高世も本当に「ジンネット倒産後」は仕事の話をしなくなりました。つまりは「事実上のジャーナリスト廃業」であり高世は内心は「相当の屈辱」でしょう。

 千年以上の「神仏習合」という日本の伝統を明治政府が否定*1したことで、日本中で無数の貴重な仏像、仏具、仏典などが捨てられ、燃やされ、二束三文で売り払われた。
 一部は海外に流れたりもしたが、十一面観音像などが何とか後世に残されたのは幸運だった。
 神仏分離神道をも歪めて、異様な国家神道への道を開いたのだった。

  まあ、「日本のタリバン(あるいは文革)」廃仏毀釈の歴史を知っていれば「タリバン(あるいは紅衛兵)はろくでもないけど日本人の歴史も大して違いはないわな」とは思います。
 で、その「異様な国家神道」は戦後、消えてなくなったわけでは残念ながらありません。「日本最大の神道組織」神社本庁は「国家神道を否定する立場」ではありません。靖国にいたっては「東条英機ら戦犯」を昭和殉難者として美化すらしている。
 日本国内の『他の宗教団体(仏教、キリスト教など)の多く』が「必要充分か」はともかく戦前について一定の反省をしているのに対し、神社本庁靖国など「神社多数派」の無反省ぶりは酷いものがあります。
 まさに神社の関係者で、戦争の反省を述べた人、神社の戦争責任を述べた人など見たことがない - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)ですね。
 もちろん「日本型右翼=神社」ではありません。「神社と関係ない右翼」ももちろんいますが、「神社(日本の伝統宗教の一つ)が右翼であること」は「安倍政権の誕生」など日本の右傾化に大きく「貢献」していると言うべきでしょう。そして「神社=日本型右翼」だからこそ神社は「インドのヒンズー教」同様「日本限定のローカル宗教」にしかなれません。
 キリスト教や仏教、イスラム教のような世界宗教にはなれない。まあ、神社側にも「なる気もない」のでしょうが。

【追記】
 コメント欄で紹介した伊丹万作*2について以下を紹介しておきます。
 なお、伊丹の伊丹万作 戦争責任者の問題をもじれば「2002年の小泉訪朝から18年以上がたった今」、いい加減「拉致敗戦責任者(救う会)の問題」が追及されるべきでしょう。
 もちろん伊丹が「あの戦争は政府だけが悪いのではない、政府の無法をただせなかった国民も愚劣だった」と指摘したように拉致敗戦も「救う会だけが(以下略)」ですが。

伊丹万作 戦争責任者の問題
 多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。
 多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後には(ボーガス注:昭和天皇東条英機首相など)たつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
 たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。
 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。
 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。
 「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我が子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
 私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。
 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
 「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から(ボーガス注:東京裁判で裁かれた東条英機元首相など)戦犯者の追及ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
(『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月)

*1:とはいえ明治政府は「神仏分離」を指示したものの、「廃棄しろ」「二束三文で売り払え」などとはいってないのではないか。「分離=破壊」ではないので。明治新政府が「公式に容認していた」のは「寺院関係者が分離に反対しても、その反対を排除して、構わず分離しろ」つうことでしかないでしょう。裏返せば寺院側が『自主的』に分離してくれるなら、何もすることはないわけです。もちろん『自主的に分離しない場合は力で分離する(それが嫌ならお前ら寺院側が自主的に分離しろ)』つう恫喝をバックにした、カギ括弧付きの『自主的』ですが。つまりは「廃棄」「二束三文でたたき売り」つうのは「現場の神道原理主義者が暴走した」つう部分がかなりあるでしょう。

*2:1900~1946年。映画監督、脚本家。主な監督作に『國士無双』(1932年)、『赤西蠣太』(1936年)、脚本に『無法松の一生』(1943年、稲垣浩監督)、『手をつなぐ子等』(1948年、稲垣浩監督)など。著書『伊丹万作エッセイ集』(2010年、ちくま学芸文庫) (伊丹万作 - Wikipedia参照)。