「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年9/9日:荒木和博の巻)

日本政府の嘘(R3.9.9): 荒木和博BLOG
  6分30秒の動画です。「どうせくだらないことしか言ってないだろう、見ても不愉快になるだけで時間の無駄だ」「動画説明文だけで批判は可能だ」と思い、今回も「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年9/8日:荒木和博の巻) - bogus-simotukareのブログ同様に動画は見ていません。今までは「不快さを我慢して、あえて見ていた」のですが、今後は「俺の精神的健康」を考慮し、できる限り「動画を見ないで、動画説明文だけで荒木への批判文章を書くこと」にしようかと思います。
 さて「日本政府の嘘」云々という荒木ですが問題は
1)本当に日本政府は嘘をついているのか
2)ついているとしてそれは嘘だと証明可能なのか 
3)嘘だと証明することで「荒木らの建前上の目的」である拉致解決に結びつくのか、ですね。おそらくすべてノーでしょうが。
 おそらく1)からして、「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年9/8日:荒木和博の巻) - bogus-simotukareのブログで俺が批判した「山本美保さんDNA鑑定捏造疑惑(山梨県警などを誹謗する荒木のデマ)」と同じで「荒木のデマ」でしょう。
 荒木の場合「先入観、思い込みからデマを言ってるのであり、少なくとも主観的には真実」ではなく明らかに「主観的にもデマ」でしょうから話になりません。
 もちろん問題は「荒木個人」ではない。
 珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年9/8日分)(追記あり:伊丹万作『戦争責任者の問題』(青空文庫)の紹介) - bogus-simotukareのブログで紹介した「映画監督、俳優の伊丹十三*1の父」「俳優の池内万作伊丹十三の息子)の祖父」としても知られる映画監督、脚本家の伊丹万作*2

伊丹万作 戦争責任者の問題
 だますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らない

と書くように「誰も荒木の嘘を相手にせず、むしろ徹底的に批判する」のならば何の問題もない。「だます荒木とだまされる(ふりをする?)国民」がいるから問題になる。
 弱るのは拉致被害者家族会が荒木の嘘を容認してることでしょう。バカとしか言い様がない。
 伊丹の言葉

伊丹万作 戦争責任者の問題
 批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

をもじれば

 批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、(ボーガス注:救う会への)家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた拉致被害者家族会の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

が家族会の抱える問題です。
 そして、家族会がすべきことは

伊丹万作 戦争責任者の問題
 脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。

でしょう。彼らは「救う会言いなりの脆弱な自分」というものを「改造すべき」、つまりは「蓮池透氏を見習って」救う会と縁切りし、蓮池氏と和解すべきです。しかし、残念ながらもはや「手遅れ」なのでしょう。
 ふと思ったのですが、家族会、例えば横田早紀江救う会べったりになってしまったのも、『銃後』とは『自由』な『自己実現』ができる時代だった(副題:NHKスペシャル「銃後の女性たち―戦争にのめりこんだ‟普通の人々”」) - bogus-simotukareのブログで俺が紹介した話と「同じような話」なのでしょう。

リベラル21 「女がだまされると戦争になる」
国防婦人会の会合や行事には出ていくことができて開放感をもった」という思い出

銃後の女性たち ~戦争にのめり込んだ“普通の人々”~ - NHKスペシャルまとめ記事 - NHKスペシャル - NHK
一生懸命になると思うよ、それまで母親なんて出番がなかったもん。

と同様、家族会に参加して救う会にちやほやされるまでは、「平凡な専業主婦」早紀江には出番がなかったから家族会の活動に一生懸命になる救う会や家族会の会合や行事に出ていくことができて開放感をもったのでしょう。しかしそんな事が拉致解決に役立ってるのか。そんな「開放感」のために、早紀江は救う会に政治利用され続け、田中均氏、蓮池透氏らに無礼を働き続けるのかと言うことです。
 まあ、高世なんぞにも一時はそういう開放感があったのかもしれません。会社を潰した今となっては、高世にとって「救う会との関係」はもはや「忘れたい過去」でしょうが。

*1:1933~1997年。俳優として、映画『家族ゲーム』、『細雪』(1983年)で、キネマ旬報賞助演男優賞報知映画賞助演男優賞を受賞。1984年に51歳で、『お葬式』で映画監督としてデビュー。その後も、監督として、国税局査察部(通称「マルサ」)を描いた『マルサの女』(1987年)、『マルサの女2』(1988年)、ヤクザの民事介入暴力(ミンボー)と戦う女弁護士を描いた『ミンボーの女』(1992年)(いずれも主演は妻の宮本信子)などを製作。著書『小説より奇なり』(1986年、文春文庫)、『自分たちよ!』(1988年、文春文庫)、『女たちよ!』、『再び女たちよ!』、『日本世間噺大系』、『ヨーロッパ退屈日記』(以上、2005年、新潮文庫)、『問いつめられたパパとママの本』(2005年、新潮文庫→2011年、中公文庫)など(伊丹十三 - Wikipedia参照)

*2:1900~1946年。映画監督、脚本家。主な監督作に『國士無双』(1932年)、『赤西蠣太』(1936年)、脚本に『無法松の一生』(1943年、稲垣浩監督)、『手をつなぐ子等』(1948年、稲垣浩監督)など。著書『伊丹万作エッセイ集』(2010年、ちくま学芸文庫) (伊丹万作 - Wikipedia