【2023.11.12追記】
リベラル21 新疆の惨状はやはり事実である(阿部治平)
中屋昌子さん*1の本を紹介したのは、革新・リベラル派の一角を担うはずのマルクス主義*2雑誌「経済」(新日本出版社)2021年9月に、以下のような文言があり、いまだに何らの弁明もなく訂正もされていないからである。
「なお(新疆においては)、『ジェノサイド』などと欧米で宣伝されていますが、これは明確な根拠が乏しく……反体制派の人物も殺されることはあまりありませんでした。収容所(通常の『監獄』以外に多数存在する『労働改造管教隊』施設)にいれ『教育する』形がとられました(p132)」
「中国では少数民族は弾圧を受けているという側面もありますが……(少数民族が)犯罪を行っても逮捕されにくいという実態から、漢民族の方が少数民族を恐れているという側面もあるのです(p138)」
また『経済』誌にしつこく悪口する阿部です。
まず第一にp132は「『大量殺害という意味でのジェノサイド』を否定しているのであって迫害の事実は否定してないこと」は阿部が引用する収容所(通常の『監獄』以外に多数存在する『労働改造管教隊』施設)にいれ『教育する』形がとられましたで明らかですし、阿部が紹介する中屋本『信仰と越境のウイグル』(2023年、文理閣)の記述を事実と認めるにしても「その記述」は「大量殺害という意味でのジェノサイドがあった」とは書いてないので中屋本は何らp132を否定していません。
第二にp138は阿部が引用するように中国では少数民族は弾圧を受けているという側面もありますがと書いてあるのでそもそも迫害の事実をこれまた認めています。
阿部は「(少数民族が)犯罪を行っても逮捕されにくいという実態から、漢民族の方が少数民族を恐れているという側面もある」が事実では無いと言いたいのかもしれませんが、阿部が紹介する中屋本の記述を事実と認めるにしても「その記述」は少なくとも「(少数民族が)犯罪を行っても逮捕されにくいという実態から、漢民族の方が少数民族を恐れているという側面もある」という事実が存在しないということを何ら証明しません。
ということで「元高校教師」阿部の批判は「本当に元教師なのか?」「アンチ中国共産党だとここまで頭がおかしくなるのか」と言う酷い代物でした。こんな駄文を掲載するリベラル21にも呆れます。
なお、阿部は何故か筆者名を記載しませんがp132(インタビュー『中国問題をどう見るか:近現代史の視点から』)の筆者が「久保亨氏*3」、p138(コラム『少数民族の懐柔と刑法の適用』)の筆者が「高橋孝治氏*4」です(新刊紹介:「経済」2021年9月号(特集:中国と日本)(副題:浅井基文ブログ記事(中国関係)をこの機会に「多数」紹介する)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ参照)。
外部筆者だから掲載雑誌(『経済』)には責任がないとは言いません(掲載した以上一定の責任は生じる)が、この場合「『経済』誌の内部筆者」ではないので「一義的責任」は外部筆者(久保氏や高橋氏)にあるでしょうに外部筆者の名前を阿部が書かないことが謎です。
なお、上記は阿部記事に投稿しますが掲載拒否でしょう。リベラルを自称しながら批判意見を拒否とはリベラル21と阿部のデタラメさには心底呆れます。
【追記終わり】
リベラル21 日本の左翼は中国をどう見ているか(阿部治平)
マルクス経済学*5雑誌「経済」(9月号 新日本出版社)の特集「中国と日本」にはおおいに関心を持った。私は、自分をリベラル左翼だと思い込んでいる*6が、他の左翼の人々が中国をどう見ているか、できるだけ広く知りたかった*7からである。
特集は論文3編と談話、コラムでできている。川田忠明氏の論文「中国の海洋進出」については、すでに「八ヶ岳山麓から341」で検討した。
ここでは高橋孝治氏のコラム「少数民族の懐柔と刑法の適用」と、久保亨氏の談話*8「中国をどう見るか」について感じたことを記したい。
阿部の『川田論文』へのコメントについては新刊紹介:「経済」2021年9月号(特集:中国と日本)(副題:浅井基文ブログ記事(中国関係)をこの機会に「多数」紹介する)(追記あり) - bogus-simotukareのブログに「追記」の形で「否定的、批判的に」コメントしました。俺は基本的に阿部の中国認識を「全く評価していません」。まあ、阿部は俺のような人間を「中国シンパ」と憎悪するだけでしょうが。
また、高橋コラム、久保インタビューについても新刊紹介:「経済」2021年9月号(特集:中国と日本)(副題:浅井基文ブログ記事(中国関係)をこの機会に「多数」紹介する)(追記あり) - bogus-simotukareのブログに俺の感想を書いています。
さて今回も新刊紹介:「経済」2021年9月号(特集:中国と日本)(副題:浅井基文ブログ記事(中国関係)をこの機会に「多数」紹介する)(追記あり) - bogus-simotukareのブログに「追記」の形で書いてもいいのですが、「長すぎるよなあ」という考えのもとに別記事にしてみました。
阿部の日頃の論調を知っていれば「高橋氏や久保氏、彼らの記事を載せた月刊・経済への悪口雑言なんだろうな」と言うことが読む前から予想がつきます(川田氏に対しても悪口雑言でしたし)。
決して
『銃後』とは『自由』な『自己実現』ができる時代だった(副題:NHKスペシャル「銃後の女性たち―戦争にのめりこんだ‟普通の人々”」) - bogus-simotukareのブログコメント欄
◆id:Bill_McCrearyさん
久保氏のインタビュー記事を読みたかったので、はじめて「経済」を買ってしまいました。こういってはなんですが、たとえば阿部治平氏も、久保氏くらいのことを書いてくれればいいんですけどねえ。ちょうど久保氏は、岩波新書で大躍進~文革あたりの本を書いています。私も前に読みましたが、あらためて再読しようと思い、図書館から借りてきました。
などという好意的評価にはならないだろう、ということが読む前から「二万パーセント予想できる(橋下風に)」。もちろん阿部にとってはid:Bill_McCrearyさんも俺同様「憎むべき中国シンパ」でしかないでしょう。
まあそれはともかく。阿部文章の最初から「お前はアホか?(横山ホットブラザーズ)」ですね。
新刊紹介:「経済」2021年9月号(特集:中国と日本)(副題:浅井基文ブログ記事(中国関係)をこの機会に「多数」紹介する)(追記あり) - bogus-simotukareのブログでも書きましたが
◆川田忠明
日本共産党平和運動局長。日本平和委員会常任理事。原水爆禁止日本協議会常任理事。著書『それぞれの「戦争論」』(2004年、唯学書房)、『名作の戦争論』(2008年、新日本出版社)、『市民とジェンダーの核軍縮:核兵器禁止条約で変える世界』(2020年、新日本出版社)など
という川田氏は勿論左翼でしょう。
しかし
◆高橋孝治
立教大学特任研究員。著書『ビジネスマンのための中国労働法』(2015年、労働調査会)、『中国社会の法社会学』(2019年、明石書店)
◆久保亨
信州大学特任教授。著書『戦間期中国「自立への模索」:関税通貨政策と経済発展』(1999年、東京大学出版会)、『戦間期中国の綿業と企業経営』(2005年、汲古書院)、『社会主義への挑戦 1945-1971(シリーズ中国近現代史4)』(2011年、岩波新書)、『日本で生まれた中国国歌:「義勇軍行進曲」の時代』(2019年、岩波書店)、『現代中国の原型の出現:国民党統治下の民衆統合と財政経済』、『20世紀中国経済史論』(以上、2020年、汲古叢書)など
という高橋氏や久保氏を阿部が「左翼認定」する根拠は何なのか。「日本共産党幹部で新日本出版社から著書を出している川田氏」とは違い、肩書き(大学教員、研究員)や著書(明石書店や岩波から著書を出した程度ではとても左派とは言えないでしょう)だけではとても彼らを左翼認定することはできないでしょう。主張も「俺の認識」では取り立てて「左翼的」でもない。
河野洋平氏*9、福田康夫氏*10などといった「親中派の保守」「リベラル保守」が主張してもおかしくない内容です(実は高橋氏、久保氏だけでなく、川田氏の主張もそれほど左翼的ではなく、リベラル保守が主張してもおかしくない内容ですが。従って、高橋、久保、川田文章を読んでも、『左翼もリベラル保守も、今は中国認識って大して変わらないんだなあ』程度の理解しか実は得られません)。
にもかかわらず、阿部が彼らを何ゆえに左翼認定するかと言ったら「日本共産党の機関誌に準じる存在である月刊経済*11に登場したから」でしょう。
「おいおい」ですね。
特に野党共闘参加後の共産党はそういう傾向ですが、
加藤、古賀、野中氏…元自民幹部 宿敵「赤旗」に続々登場で首相批判 - 政治・社会 - ZAKZAK2014.5.19
加藤紘一氏ら元自民党幹事長の共産党機関紙「しんぶん赤旗」への登場が相次いでいる。
加藤氏は18日付赤旗日曜版の1面で、安倍政権が目指す集団的自衛権の行使容認について「徴兵制まで行き着きかねない」と反対を訴えた。加藤氏は昨年1月にも紙面に登場。慰安婦募集の強制性を認めた河野洋平官房長官談話の見直しを進めようとしていた首相を批判した。
赤旗にAKB48や藤原紀香、相葉雅紀ら大物芸能人が出る理由|NEWSポストセブンSAPIO2016年10月号
〈私たちの世代が一人ひとり意思のある一票を投票することによって日本の政治はより良いものになると思います。この本が、少しでも日本の政治に関心を持ち、社会について考えるきっかけになったらうれしいです〉
一昨年の9月、こう締めくくられたインタビューが「しんぶん赤旗日曜版」に掲載された。登場したのはアイドルグループ・AKB48のメンバーの内山奈月だ(現在はグループを卒業)。赤旗と旬のアイドルの組み合わせは、当時大きな話題となった。
今年に入り、ジャニーズ事務所の人気アイドルグループ・嵐の相葉雅紀が日曜版4月3日号に登場したこともファンたちの間では騒然となった。
アイドルだけではない。これまで赤旗では日曜版を中心に女優の藤原紀香、俳優の役所広司、阿部寛、狂言師の野村萬斎、落語家の笑福亭鶴瓶などのほか、白井健三、伊藤美誠、内村航平など今回のオリンピックで活躍したスポーツ選手も登場していた。
AKB内山の記事は憲法学者*12との共著『憲法主義*13』に関する著者インタビューで、憲法を暗唱できるアイドルとして売り出していた内山に話を聞くものだった。
これはいわば赤旗・共産党の“政治臭”がする記事*14だったが、他の芸能人・スポーツ選手の場合、多くは当人の出演作品への思いや生き方を語るものに終始。反戦や平和に触れた内容もあるが、共産党の意向に沿った政治的主張はほとんど見受けられない。
いち政党機関紙が、なぜエンタメ雑誌のように第一線で活躍する有名人をラインナップし、こうした紙面を作成できるのか。
ポイントは、「政党機関紙」という点だ。紙面で芸能人のゴシップやスキャンダルには一切触れない。
大手芸能事務所関係者は「(ボーガス注:明らかな犯罪行為(例:沢尻エリカの違法薬物使用)や反社会的行為(例:宮迫が吉本を首になった反社会的勢力との不適切な付き合いなど)をしない限り、不倫(例:杏の夫だった東出昌大(今は離婚)の、若手女優との不倫)レベルなら)スポーツ紙や週刊誌のように一方では持ち上げて、一方ではスキャンダラスに取りあげることがないから、安心してタレントを出せる」という。
党員でない芸能人や事務所は赤旗への登場で、政治色がつきイメージダウンになることを嫌うのではないか。
「事務所に入社したての頃は『赤旗?』と訝しんでいましたが、私も業界に馴れて少し考えが変わりました。とくに日曜版は100万部媒体ですからプロモーションとして割り切れば良い取引相手です」(別の芸能事務所のマネージャー)
AKB48や藤原紀香らビッグネームが出たことで、“前例主義”の芸能事務所側でも出しやすくなったという側面があるだろう。
むろん、赤旗サイドにも、旬の芸能人やスポーツ選手が紙面に登場することで購読者を増やし、一般への共産党アレルギーを薄めようという狙いがあることも透けて見える。
ということで、赤旗など共産党系メディアは近年「右(穏健保守、リベラル保守)にも中道にも、非共産系の左派にもノンポリにも」できる限りウイングを広げようとしています(それがどこまで成果を上げてるかは、そんなことを論じる能力が俺にはないので、ここでは論じません)。
「毎度毎度」決まり切った顔ぶれ、それも
【生年順】
◆米田佐代子(1934年生まれ)
◆岩垂弘(1935年生まれ)
◆横田喬(1935年生まれ)
◆坂井定雄(1936年生まれ)
◆広原盛明 (1938年生まれ)
◆岡田幹治(1940年生まれ、ただし最近、死去)
◆盛田常夫(1947年生まれ)
など「70代以上の老人(1939年生まれの阿部もその一人)」しか登場しない「志の低い」「やる気のない」リベラル21一味と共産党は違うわけです。共産党が立派と言うより「リベラル21一味」が無能で愚劣なのですが。
ちなみに、月刊・経済9月号「中国特集」では
【生年順】
◆座間紘一(1942年生まれ)
◆井手啓二(1943年生まれ)
◆久保亨(1953年生まれ)
◆川田忠明(1959年生まれ)
◆高橋孝治(1984年生まれ)
です。「座間氏、井手氏は70歳代」ですが、「久保氏、川田氏は60歳代」、「高橋氏は30歳代」で明らかにリベラル21よりは年齢構成がまともです(70歳代より上の人間しか出さないリベラル21が酷すぎるのですが)。「70歳以上の老人しか出てこない」リベラル21の酷さには心底呆れます。
それはともかく、「共産党系メディアに出たからといって左翼扱いなど明らかにできないこと」を知っていれば『月刊・経済にでたから』といって左翼認定などできる話ではない。
『月刊経済にでたから左翼』という阿部の理屈ならば、赤旗(日曜版の芸能人インタビューを含む)にでたから
◆自民党幹部の加藤*15、古賀*16、野中*17
◆AKB48メンバーの内山奈月(当時、内山奈月 - Wikipediaによれば現在はグループを卒業。当初は芸能活動を続けていたが、結局、芸能界から引退し、博報堂のアクティベーションプランナー、コピーライター)や嵐(当時、現在は活動休止中でソロで活動)の相葉雅紀
も「左翼」となってしまいますが、さすがに阿部だってそうは言わないでしょう。
特に新刊紹介:「経済」2021年9月号(特集:中国と日本)(副題:浅井基文ブログ記事(中国関係)をこの機会に「多数」紹介する)(追記あり) - bogus-simotukareのブログでも触れましたが、高橋氏は「週刊プレイボーイ」や「産経新聞」にも「中国専門家」としてそのコメントが採用されています。
これが何を意味するか。
まず第一に左翼メディアとはいえない「産経(むしろ極右)」「週刊プレイボーイ」に登場した高橋氏は「月刊・経済に登場することに躊躇がない」とはいえ、「左翼ではない可能性が高い」ということです。
第二に左翼メディアとは言えない「産経」「週刊プレイボーイ」に登場した高橋氏は明らかに世間に「中国シンパの左翼」などとは見なされてないだろうと言うことです。特に産経なんか明らかな「反中国極右」ですからね。中国シンパなんか出すわけがない。
さてまずは、高橋論文です。
氏は、警察が犯罪を見て見ぬふりをするのは「少なくとも2013年には行われていたことは、筆者は確認しています」といい、またそのことが、漢民族が少数民族を怖がる原因になっているという趣旨のことをのべている。
7年前の2014年末、中国共産党中央と国務院の文書「新情勢のもと民族工作を強化し改善することに関する意見」によって、異民族間の犯罪はもちろん、少数民族地域の事件も「民族化」つまり「両少一寛」政策を適用するのでなく、法律によって裁くべきことが強調された。
私は念のため高橋氏の見解をチベット人モンゴル人の友人に確かめたが、彼らは一様に驚き、コラムの内容を否定した*18。彼らもまた「両少一寛」の時代はほぼ終わったと考えている。
ところで高橋氏は、政府が少数民族を(ボーガス注:両少一寛などで)「懐柔」している*19というが、中共中央は「懐柔」などする気はさらさらないし、その必要もない*20。
いや、さすが「アンチ中国の阿部」、予想通りですね。予想通り過ぎて「思わず吹き出した」。
阿部の主張を認めるにしても「2014年までは両少一寛だった」わけです。そうであるのならば、「少なくとも2014年までは懐柔の手法として両少一寛を使っていた」わけです。
もちろん「2014年から両少一寛を使わなくなった」かどうか自体、「議論の余地がある」でしょうが、仮に阿部の主張「2014年以降は両少一寛がなくなった」を認めるとしましょう。
しかしそれは「だから懐柔がなくなった」とは必ずしも言えないでしょう。
高橋氏も書くように「あえて犯罪を見逃す」なんて両少一寛は「補助金」「大学などの優遇枠」と違って「正当化しづらい行為」です。
また、「弾圧があるから懐柔なんかない」というのも認識として大間違いです。戦前日本の植民地統治であれ、欧米の植民地統治であれ、多くの場合「飴と鞭はセット」です。「鞭があるから飴なんかない」とはいえない。
阿部が何を書こうと勝手ですが、「中国は鞭だけで少数民族統治をしている」なんて「どう見ても事実に反するトンデモ文章」をリベラル21は掲載していいのか?。まあリベラル21の場合もっと酷い、『コロナはただの風邪(岡田幹治)』てのすらありますが(これについては例えば「コロナはただの風邪」論を未だに放言する岡田幹治とリベラル21に呆れる - bogus-simotukareのブログ参照)。
高橋氏の「漢民族が少数民族を弾圧している」というのは、「中共*21中央あるいは中国政府が少数民族を弾圧している*22」とするのが正確ではないか。また「少数民族の漢民族に対する動乱」という言い方も、漢民族と中共中央・中国政府を取り違えているのではないか。それに、いかに何でも「動乱*23」はおかしい*24。ここは編集者の力量が問われるところだ。
おいおいですね。高橋批判はともかく「編集批判」は無茶苦茶です。基本的に筆者の意思を無視して勝手に書き換えるわけにいかんでしょうよ。編集の力量とかそういう話ではない。
わかりやすい例が新刊紹介:「前衛」2月号(追記あり) - bogus-simotukareのブログで取り上げた◆急速にすすむウイグル人弾圧(水谷尚子)です。
「日本共産党機関誌」前衛でまさか「ウイグル問題限定」とはいえ、「安倍総理のおかげでウイグル政治犯トフティ・テュニヤズさんの釈放ガー」なんて安倍礼賛文章を読まされるとは思ってもみませんでしたが、さすがに前衛編集部も「そうだ、安倍のおかげで釈放された」なんて少しも思ってないでしょう。
もしかしたら「前衛は安倍批判を行っている共産党機関誌なのでそういう話は別の場所でやってくれ」つうダメ出しが編集部からあったかもしれない。しかし「嫌だ。どうしても削れというなら掲載しなくていい(水谷女史)」と言われれば「掲載拒否するか」「あえて掲載するか」どっちかしかないわけです。そして前衛は「あえて掲載した」。
俺的には「まあ、他の掲載記事は安倍批判だし、外部筆者だから仕方なくそのまま載せたことは解るし、水谷氏も『ウイグル限定での安倍評価限定(さすがにモリカケは濡れ衣だとか書いてない)』だし許容範囲かな」ですが。
高橋氏の場合も話は同じです。まあ、阿部だと躊躇なく「掲載拒否すべきだった」と言うのかもしれませんが。
で次に久保氏。
久保氏のテーマは多岐にわたるが、以下中国近現代史の碩学がこんなことを言うのかと、違和感があったところだけをのべる。
第一は、氏が「大陸に対して『議会制民主主義が欠如』というのは多分言い過ぎだ」としているところである。
久保氏は「全人代や政治協商会議がある。過大評価はできないが、中国に民主的システムが『全くないわけではない』」と言ってることは新刊紹介:「経済」2021年9月号(特集:中国と日本)(副題:浅井基文ブログ記事(中国関係)をこの機会に「多数」紹介する)(追記あり) - bogus-simotukareのブログでも触れましたが、「やはり予想通り」、アンチ中国の安倍はこれが気にくわないようです。
俺的には「久保氏の言うてること、事実やん。久保氏も『だから、中国は人権面で問題なんか何もない、今のままでいい』とまでは言うてないで」ですね。
氏が「共産党以外の政党も存在しています」というに至っては、ご冗談でしょうという以外ない。
「えーと、何が冗談なんですか?。」ですね。新刊紹介:「経済」2021年9月号(特集:中国と日本)(副題:浅井基文ブログ記事(中国関係)をこの機会に「多数」紹介する)(追記あり) - bogus-simotukareのブログでも触れましたが、中国人民政治協商会議 - Wikipedia、日本の常識「中国=一党独裁国家」は本当なのか 実は8つの小政党も、合法的に認められている | 中国・台湾 | 東洋経済オンライン(安田峰俊)などを見れば解りますが、久保氏の指摘は事実です。
もちろん久保氏も安田峰俊も
1)それらの政党がいわゆる衛星政党であること
2)政治協商会議主席は「毛沢東(中国共産党主席)」「周恩来(中国首相)」「鄧小平」など、代々、中国共産党幹部であり、制度的に中国共産党が他の政党よりも優越した地位にあること
は指摘しています。とはいえ、「政治協商会議」の存在について「過大評価は禁物」とはいえ、阿部のように「完全に無視する」のもいかがなものか。
第二、久保氏はウイグル問題に関連して、「民族としての『ウイグル』自体が微妙な存在で、近代の安定した国家が形成されていたわけではない、1920~30年代当時の国民党の盛世才*25がチュルク系の人々を『ウイグル』と呼ぶことにした云々」と語っている。そして、民族的な自立をどこまで、どのように考えるか難しい問題もあるという。
この部分は俺もうまく処理できなかったので新刊紹介:「経済」2021年9月号(特集:中国と日本)(副題:浅井基文ブログ記事(中国関係)をこの機会に「多数」紹介する)(追記あり) - bogus-simotukareのブログでは触れませんでした。
久保氏の言う「難しい問題」というのが
1)中国と敵対関係になるわけにも行かないし、そうそう簡単に独立なんか無責任に叫べないと言う意味か
2)ウイグル概念は、歴史的に曖昧なので、ウイグルにどういう扱いをすべきかはなかなか難しい(例えば、今のように『新疆ウイグル自治区』という形で『ウイグル』としてひとまとまりで扱っていいかどうか、もっと細かく分けるべきかもしれない)
なのか、何なのかは正直、俺も読んでいて今ひとつわからない点がありました。
ただ「ウイグル素人の俺」ですが、私見では1)、2)とも正論だと思います。
久保氏は「欧米のウイグルに対するジェノサイドなどという宣伝は根拠が乏しい」という。だが、かりにそれを認めても、新疆でも強引な反イスラム的、人権無視の漢化政策を進めていることを指摘すべきである。
いやいや、久保氏も「ウイグル統治には何の問題もない」とはいってないでしょうよ。「弾圧、迫害」と言えばいいところをわざわざ「ジェノサイド」と呼ぶ意味は何なのか?、と言う久保氏の指摘をそう理解しますか?
三、
氏は「中国では、(ボーガス注:中国共産党に限らず、それ以前から)歴史的に『殺すことは敗北』という意識がありますし、反体制派の人物が殺されることはあまり*26ありませんでした」と語っている。
なお、これは「ウイグルジェノサイド」について「民族同化」ならともかく、「大量殺戮」と言う意味ならそういうことは考えがたいという文脈での久保発言であることを指摘しておきます。
このあたりは、俺も中国史に無知なので「うーん、どうだろう」ですね。
もちろん「文革ではかなり殺されてます」し、予想通り「文革」を持ち出して阿部も「久保氏は間違ってる」と悪口してますけど、あれは毛沢東という特異な人格による「異常事態」ですからね。
例えば、劉暁波なんか「殺されてない」ですしねえ(医療ネグレクト云々という説は一先ず無視します)。まあ、「金大中を殺せなかった朴正熙」「マンデラを殺せなかった南ア」など「著名な反体制派」というのは、中国に限らずそうそう殺せない物ではありますが。
久保氏は中国による尖閣領有の可能性に関連して、中国の潜水艦は「性能が低く、音がうるさい」という。中国とかぎらず潜水艦の性能は秘匿性が特に高い*27。しかも中国の軍事科学は高水準に達している。素人が云々できる分野ではない。
久保氏は「尖閣侵攻が考えがたい理由」として、「音の問題」よりもむしろ「政治的な問題(そんなことをして日本や欧米の批判を浴びてまで尖閣を領有してもメリットに乏しい)」を主たる理由にしているので揚げ足取りもいいところです。つうか、こんなことを抜かす阿部は本気で「中国の尖閣侵攻がある」と思ってるのか。もし、そうなら正気の沙汰ではないですね。「繰り返しますが」そんなことをして日本や欧米の批判を浴びてまで尖閣を領有してもメリットに乏しいでしょう。まあ、阿部がキチガイで「中国認識が狂ってる」のはある意味どうでもいい。
よくもまあ、自称「護憲・軍縮・共生」リベラル21もここまで酷い駄文を掲載できるもんです。本気で阿部と同意見で「中国の尖閣侵攻がありうると思ってる」のか、それとも「阿部のような常連投稿者はノーチェックで掲載」なのか。どっちでもくだらないですが。
それにしても「中国の軍事科学は高水準に達している」ねえ。
「『軍事』に限定する必要ねえだろ?」ですね。まあ、阿部は「中国脅威論(アンチ中国・阿部の持論)に利用できるため」か「軍事科学」については「高水準認定する」ようですがはっきり言ってそれただのご都合主義でしょう(阿部の珍論については基本的に、理数系の学問振興と政治体制・民主主義の程度は関係ないと思う - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)参照)。
とりあえず、これでひとまず阿部批判を終わりにします。
*2:以前も新刊紹介:「経済」2021年9月号(特集:中国と日本)(副題:浅井基文ブログ記事(中国関係)をこの機会に「多数」紹介する)(追記あり) - bogus-simotukareのブログで書きましたが「経済」誌の自称は「科学的社会主義の経済誌(マルクス主義の雑誌、ではない)」だから、阿部も「「経済」誌の自称である」旨を断った上でそのように書くべきでしょう。
*3:信州大学特任教授。著書『戦間期中国「自立への模索」:関税通貨政策と経済発展』(1999年、東京大学出版会)、『戦間期中国の綿業と企業経営』(2005年、汲古書院)、『社会主義への挑戦 1945-1971(シリーズ中国近現代史4)』(2011年、岩波新書)、『日本で生まれた中国国歌:「義勇軍行進曲」の時代』(2019年、岩波書店)、『現代中国の原型の出現:国民党統治下の民衆統合と財政経済』、『20世紀中国経済史論』(以上、2020年、汲古叢書)、『戦争と社会主義を考える』(2023年、かもがわ出版)等
*4:立教大学特任研究員。著書『ビジネスマンのための中国労働法』(2015年、労働調査会)、『中国社会の法社会学』(2019年、明石書店)
*5:新刊紹介:「経済」2021年9月号(特集:中国と日本)(副題:浅井基文ブログ記事(中国関係)をこの機会に「多数」紹介する)(追記あり) - bogus-simotukareのブログでも書きましたが「経済」誌の自称は「科学的社会主義の経済誌(マルクス経済学の雑誌、ではない)」だから、阿部も「「経済」誌の自称である」旨を断った上でそのように書くべきでしょう。
*6:そういう思い込みは本当にやめてほしいですね。どう好意的に見ても「日本共産党に敵対的な」阿部は「リベラル保守」であって「左翼」ではないでしょう。阿部の左翼定義って何なんでしょうか。
*7:『え、それなのに月刊・経済しか読まないの?』ですね。前衛、岩波世界、週刊金曜日など、他の左派雑誌が中国を取り上げたことが「一度もない」なんてことはないでしょうに。
*8:談話と言うよりインタビューと言った方が適切でしょう。経済の記事タイトルも「インタビュー」ですし。
*9:中曽根内閣科学技術庁長官、宮沢内閣官房長官、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長など歴任
*11:新日本出版社から刊行され、不破哲三氏など党関係者が良く登場するとは言え、赤旗、前衛と違い経済は機関誌ではありません。
*14:とはいえ一般的な護憲主張に過ぎないので、そんなに左翼色が強いわけではない。
*15:中曽根内閣防衛庁長官、宮沢内閣官房長官、自民党政調会長(河野総裁時代)、幹事長(橋本総裁時代)など歴任
*16:橋本内閣運輸相、自民党国対委員長(小渕総裁時代)、幹事長(森総裁時代)など歴任
*17:村山内閣自治相・国家公安委員長、小渕内閣官房長官、自民党幹事長(森総裁時代)など歴任
*18:いや、そりゃ否定するでしょう。両少一寛なんて公然と正当化できる話ではありませんので。ましてや阿部は「そんなの今はないよな!」という聞き方だったでしょうから「なおさら」です。
*19:正確には「懐柔しようとしている」ですね。「懐柔できている」とまでは高橋氏は言ってませんので。
*20:いやいや、「高橋氏の見解の是非」に関係なく、さすがに「懐柔する意思も、その必要もある」でしょう。鞭だけで統治してるなんて事はさすがにないと思います。
*22:一方、中国共産党と中国人を区別して考えてはならない|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト(楊海英)などで「中国政府と中国人を区別する必要はない」「中国人(漢民族)は皆、少数民族の敵で、差別者だ」とアンチ漢民族を煽ってるのが楊海英です。阿部もそういう批判をするのなら、高橋氏よりもむしろ楊でも批判したらどうなのか?(少なくとも高橋氏には楊のような『薄汚い思惑はない』でしょう)。本当に阿部の政治感覚は狂っていますね。
*23:ダライが亡命したチベット動乱(1959年)など「チベット、ウイグルなど少数民族側の暴力的反発」のこと
*24:何がおかしいんですかね。「蜂起(あるいは革命)と言え、動乱と呼ぶのは中国びいきだ」とでもいうのか?。それとも「最近のチベットやウイグルはほとんど個人的な焼身自殺や個人的な犯罪(例:政治テロではないが、日本での京都アニメ放火事件など)ばかりで動乱とは言えない」ということか。阿部の言いたいことが全く理解できません。なお、例えばチベット動乱 - Wikipedia、チベット動乱59年:亡命の500人、中国へ抗議活動 | 毎日新聞、「中国に存在消される」チベット動乱60年、募る危機感:朝日新聞デジタル、【チベット動乱60年(上)】自動小銃で警戒 監視下の故郷(1/3ページ) - 産経ニュース、チベット動乱60年、ハイテク大手、相次ぎ進出、経済成長と統制強化狙う - 日本経済新聞でわかるように「1959年のチベット動乱」などそれなりに大きな「暴力的反発」を動乱と呼ぶことは一般的であり、何らおかしくはない。「反中国」産経も「動乱」と呼ぶことで解るように「動乱=中国側の立場」というわけでもない。
*25:1892~1970年。1934~1944年まで新疆省(今の新疆ウイグル自治区に当たる)の主席として10年間、新疆を支配し「新疆王」の名で呼ばれた。(盛世才 - Wikipedia参照)
*26:「あまり」とするのはもちろん文革があるからでしょう。
*27:「お前も素人だろ?」ですね。しかも「音はうるさくない」といえないのが滑稽です。