「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年9/29日:荒木和博の巻)

17時から自民党総裁選会場前でいきなりライブ【調査会NEWS3510】(R3.9.29): 荒木和博BLOG
 もちろん「自民党総裁自民党が多数議席を獲得しているため、自民党40日抗争(反主流派が野党の不信任案に賛成し、不信任が成立)のような異常事態(石破、河野、小泉jrが仲間を引き連れて離党し、枝野に投票など)が生じない限り、事実上、次期首相」とはいえ「首相選出は10/4の予定」。当然、それまでは「菅が首相」であり、次の外相、拉致担当相が誰になるかは現時点では勿論全く解りません。
 それどころか「自民党の役職」なので岸田新総裁がすぐに決められる党三役も未だ決まってない。そうした物がすべて決まってから陳情してもいいでしょうに荒木も随分と焦っているもんです。


自民党と社会党の1960年体制(R3.9.29): 荒木和博BLOG

 令和3年9月29日水曜日のショートメッセージ(Vol.543)。自民党総裁選の日ですので、昔、青学の福井義高さん*1、亡くなった遠藤浩一さんらとやっていた「1960年体制研究会」で色々議論してきたこの問題についてお話ししました。

 9分34秒の動画です。説明文だけでも見る気が失せます。
 ここに名前が出てくる連中は荒木同様に「旧民社党職員」など旧民社の関係者で、連中の言う「1960年体制論」とは「1960年に民社党ができたことを自画自賛するだけのくだらない話」です。拉致解決と何一つ関係ない。
 まあ、一般的には「1955年体制論」が一番有名ですね。
 1955年の「10月13日:右派と左派に分裂していた社会党の再統一」「11月15日:自民党結党(吉田自由党と鳩山民主党が合同)」で「自民が万年与党&社会党が最大野党」という体制が長く続いたことを指しています(1993年の自民党下野、細川政権誕生で終了したと一般には評価される)。
 さて、荒木らの自画自賛「1960年は民社党が誕生した素晴らしい年」は論外ですが「1960年」という年が「日本と韓国の戦後政治において重要な年だったこと」は事実でしょう。
 何がどう重要なのか俺の考えを書いておきます。
 まず日本。1960年 - Wikipediaを見れば解りますが、1960年にあった重要な政治的事件が「安保闘争による岸退陣→高度経済成長の池田の登場」「安保闘争での社会党共産党の共闘」ですね。
 「岸の退陣→池田登場」によって自民党は長く「九条明文改憲」を封印し「経済成長」を前面に出していきます。そもそも自民党で衆参2/3がとれてない上に、国民世論の過半数が「改憲に否定的」ということもありますが。
 一方、社共共闘はその後、美濃部都政(1967~1979年まで、3期12年)などいわゆる革新自治体を生み出していきます。
 もちろんこうした「自民党改憲封印」「社共共闘&革新自治体」がウヨの荒木にとって不愉快であったことは言うまでもありません。
 さて、韓国。1960年には「不正選挙」李承晩が退陣しハワイに亡命。1960年は「韓国民主主義」にとって「ある種の栄光」になりますが、その後、残念ながら、1961年の軍事クーデターによる「朴正熙独裁(1961~1979年)」を生み出してしまう限界も一方ではありました。
 さて1955年体制についても簡単に俺の考えを書いておきます。
 既に書いたように、1955年は「10月13日:右派と左派に分裂していた社会党の再統一」「11月15日:自民党結党(吉田自由党と鳩山民主党が合同)」がありました。
 ただし、他にも

1955年 - Wikipediaなど参照
◆4月18日
 インドネシアのバンドンでアジア・アフリカ会議開催(中心人物はネール・インド首相、スカルノインドネシア大統領、周恩来・中国首相、ナセル・エジプト大統領ら)。いわゆる平和十原則を採択。
◆5月14日
 ワルシャワ条約機構結成
◆7月29日
 いわゆる「六全協日本共産党第6回全国協議会)」の開催。共産党の分裂が解消された。ただしこの時点では武装闘争の根拠の一つとされたいわゆる「51年綱領(1951年採択)」は廃棄されず、また宮本顕治氏も一書記局員にとどまった。
 1958年の第7回党大会で「51年綱領」が正式に廃棄され、新綱領が採択されると共に、宮本氏が書記長に就任。日本共産党の再スタート(いわゆる宮本執行部体制)がここから始まったと言える。
◆8月6日
 第1回原水爆禁止世界大会開催
◆11月11日
 世界平和アピール七人委員会結成
◆11月12日
 西ドイツの再軍備
◆12月1日
モンゴメリー・バス・ボイコット事件

などのビッグニュースがあったことを指摘しておきたい。これらのビッグニュースの中には「自民党結党や社会党再統一」に影響したり、あるいは逆に「自民党結党や社会党再統一」によって影響されたものもあるかもしれない。
 例えば「具体的な根拠はない」「俺が思いつきで書いている」のですが「5月のワルシャワ条約機構結成」「11月の西ドイツ再軍備」が「米ソ冷戦の激化」を岸信介ら保守政治家に予想させ「11月の自民党結党を促したのではないか」ということは容易に予想できる話でしょう。
 あるいは「7月の日本共産党再統一」が「社会党はいつまでも分裂していていいのか」ということで「10月の社会党再統一を促したのではないか」ということは(以下略)。
 まあ俺から言わせればそういうのが「歴史の面白さの一つ」ですね。
 「1955年には自民党の結党があった」だけではあまり面白くない。

「5月のワルシャワ条約機構結成」「11月の西ドイツ再軍備」が「米ソ冷戦の激化」を岸信介ら保守政治家に予想させ「11月の自民党結党を促したのではないか」

という仮説を立てた上で「岸の回顧録など、当時の政治家の回顧録にそうした趣旨の発言が出てこないか」など調べるのが「歴史の面白さ」の一つでしょう。俺にはそんな能力はないので勿論、そんなことは調べませんけど。まあ、この俺の思いつき「ワルシャワ条約機構や西ドイツ再軍備自民党結党に影響*2」は少なくとも「半藤一利のハニートラップ与太」よりは「いくらか説得力があるかな」とは思います(これについては「ハニートラップ」なんてことで、そのような歴史の話を解釈するのはよろしくない(半藤一利氏って、こんなトンデモだったのという気がする)(下) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)参照)。俺もしつこい性格(?)なのでこうした半藤の与太は「しつこく」馬鹿にします。
 それにしても荒木がこの動画で「立民が俺の自衛隊特殊部隊救出論を支持したら俺は立民を支持する。でも共産党と共闘しているから期待薄(俺の要約)」と言いだして吹き出しました。自民党ですらそんなもんを支持しないのにどれほどバカなのか。共産党と共闘とかそういう話ではない。そもそも拉致被害者の居場所もわからないのにどこに自衛隊を出すのか。

*1:著書『中国がうまくいくはずがない30の理由』(2006年、徳間書店)、『会計測定の再評価』(2008年、中央経済社)、『鉄道は生き残れるか』(2012年、中央経済社)、『たかが会計:資本コスト、コーポレートガバナンスの新常識』(2021年、中央経済社)など

*2:もしかしたら既にそうした認識は学界の通説かもしれませんが。