「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年10/13日:荒木和博の巻)

西村栄一民社党元委員長と「自主防衛」(R3.10.13): 荒木和博BLOG
 6分52秒の動画です。
 「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年10/11日:荒木和博の巻) - bogus-simotukareのブログで批判的に紹介した

西村栄一民社党第二代委員長の演説: 荒木和博BLOG
 昭和43年(1968)3月、民社党第10回党大会での委員長あいさつ。

の続編のようなもんです。ただし、西村栄一民社党第二代委員長の演説: 荒木和博BLOGが西村演説をそのまま流してるだけなのに対し、西村栄一民社党元委員長と「自主防衛」(R3.10.13): 荒木和博BLOGは荒木の「演説(?)」ですが。
 以前も

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年10/11日:荒木和博の巻) - bogus-simotukareのブログ
 「拉致被害者帰国と関係ないことをやるな」と心底呆れます。荒木が「民社党本部の職員だった」という予備知識がないと全く意味不明です。

と書きましたが、今回も全く同じ事が該当します。
 さて荒木がこの動画で触れていたので「そういえばそうだった」と思い出しましたが、西村と言えば

西村栄一 - Wikipedia
 1953年(昭和28年)2月の衆院予算委員会吉田茂*1首相に質問中、吉田が西村*2に対して「無礼じゃないか」と言ったのに対し「何が無礼か。答弁出来ないのか君は」とやり返す。これが癪に障った吉田が思わず「馬鹿野郎」と言い、いわゆる「バカヤロー解散」を引き起こす。

バカヤロー解散 - Wikipedia参照
 1953年(昭和28年)3月14日の衆議院解散の俗称である。
【解散の原因となった吉田と西村のやりとり】
◆西村
「総理大臣が過日の施政演説で述べられました国際情勢は楽観すべきであるという根拠は一体どこにお求めになりましたか」
◆吉田
「私は国際情勢は楽観すべしと述べたのではなくして、戦争の危険が遠ざかりつつあるということをイギリスの総理大臣、あるいはアイゼンハウアー大統領自身も言われたと思いますが、英米の首脳者が言われておるから、私もそう信じたのであります。(以下略)」
◆西村
「私は日本国総理大臣に国際情勢の見通しを承っておる。イギリス総理大臣の翻訳を承っておるのではない。(以下略)」
◆吉田
「只今の私の答弁は、日本の総理大臣として御答弁致したのであります。私は確信するのであります」
◆西村
「総理大臣は興奮しない方がよろしい。別に興奮する必要はないじゃないか」
◆吉田
「無礼なことを言うな!」
◆西村
「何が無礼だ!」
◆吉田
「無礼じゃないか!」
◆西村
「質問しているのに何が無礼だ。君の言うことが無礼だ。(中略)翻訳した言葉を述べずに、日本の総理大臣として答弁しなさいということが何が無礼だ! 答弁できないのか、君は」
◆吉田
「バカヤロー」
◆西村
「何がバカヤローだ! バカヤローとは何事だ!! これを取り消さない限りは、私はお聞きしない。(中略)取り消しなさい。私は今日は静かに言説を聞いている。何を私の言うことに興奮する必要がある」
◆吉田
「私の言葉は不穏当でありましたから、はっきり取り消します」
◆西村
「年七十過ぎて、一国の総理大臣たるものが取り消された上からは、私は追究しません。(以下略)」
【その後】
 発言直後に吉田は発言を取り消し、西村もそれを了承したものの、この失言を議会軽視の表れとした社会党右派(西村が所属)は、内閣不信任決議案を提出し、「与党・自由党主流派の吉田首相」と対立する「自由党反主流派である鳩山派30余名(鳩山一郎がリーダー)」が自由党を脱党し鳩山派自由党を結成。不信任案に賛成したために3月14日に可決。これを受けて吉田は衆議院を解散し、4月19日に第26回衆議院議員総選挙が行われることになった。
 解散後の総選挙では吉田の率いる自由党は202議席、一方、野党は267議席(改進党(重光葵総裁)76議席日本社会党(左派)72議席日本社会党(右派)66議席、分党派自由党(鳩山自由党*335議席など)で少数与党に転落し、(野党側が連立内閣を作るには政策の差がありすぎたことから)内閣は維持したものの、吉田の政治的影響力は急速に衰えていった。1954年の「造船疑獄での指揮権発動(佐藤栄作*4自由党幹事長、池田勇人*5自由党政調会長をかばった)」への批判もあって、1954年の吉田首相退陣につながる。吉田退陣後の1955年には鳩山一郎*6内閣が誕生した。
 晩年吉田はその回想録の中でバカヤロー解散について「取るに足らない言葉尻をとらえて」不信任案に同調した「自由党反主流派(鳩山一郎一派)」を「裏切り」と糾弾し、「当時起こった多くの奇怪事」で最大のもので「忘れる事が出来ない」と述べている。

ですね。
 なお、「自由党総裁だった鳩山」が一時、「親軍部」を理由に公職追放された時*7に、鳩山の禅譲で「後継総裁となった」吉田(鳩山自由党で総務会長)は「追放はたぶん解除される。そのときには、鳩山をしかるべき地位に就ける(場合によっては総裁の座を譲ってもいい*8)」と約束したにもかかわらず、1)鳩山の政治力を恐れて「追放が解除されない」よう裏で「吉田が画策していた(吉田がGHQに鳩山の公職追放継続を働きかけた)」という説もあり、吉田画策説の真偽はともかく鳩山は「公職追放解除後の吉田の冷たい態度」もあって「吉田画策説」を信じていたとも言われます。
 しかも「既に触れましたが」吉田は、鳩山の追放が解除された時に、2)「公職追放が解除されたらしかるべき地位に就ける(場合によっては総裁の座を譲ってもいい)」という約束を完全に反故にして、鳩山を干しました(このことは「やはり吉田画策説は事実だったようだ」という鳩山の「吉田への不信」を深めたと言われる)。
 鳩山からすれば「約束を反故にして俺を干した、吉田に一方的に悪口されるいわれはない」「吉田の方こそ裏切りだ」というところでしょう。
 それにしても

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年10/11日:荒木和博の巻) - bogus-simotukareのブログ
 この挨拶で西村曰く、「我々は社会、共産と違い安保には反対しない。しかし、自民党とは違い『駐留なき安保』を目指す」。
 『駐留なき安保』ねえ、ですね(苦笑)。いつの間にか、旧民社の連中はそんなことは言わなくなりましたが。荒木に『駐留なき安保』てどうなったんですか?、と聞いたらたぶん不愉快な顔をするんでしょう。

と書きましたが、荒木曰く『「駐留なき安保」論の前提には自主防衛論があった』。
 荒木には

◆いや、だからな、お前ら旧民社は何で『「駐留なき安保」論』を今は撤回したの?。今も『「駐留なき安保」論』なら「沖縄基地県外移設」で野党と共闘できるじゃん?
◆自主防衛論って「日本共産党はその考えが大きく違う*9」が、米軍撤退を意味するんだけどね。それわかってるの?

ですよねえ。よくもまあ、こんな訳がわからない動画を流せるもんです。

*1:戦前、 天津総領事、奉天総領事、駐スウェーデン公使、外務次官、駐伊大使、駐英大使を歴任。戦後、東久邇宮、幣原内閣外相を経て首相

*2:民社党書記長、委員長など歴任

*3:後に改進党と合同して日本民主党鳩山一郎総裁、重光葵副総裁)。1955年には自由党と合同して自由民主党(初代総裁・鳩山一郎)となった。

*4:運輸次官から政界入り。吉田内閣郵政相、建設相、自由党幹事長、岸内閣蔵相、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣通産相科学技術庁長官などを経て首相

*5:大蔵次官から政界入り。吉田内閣蔵相、通産相自由党政調会長、石橋、岸内閣蔵相、岸内閣通産相などを経て首相

*6:戦前、田中内閣書記官長、犬養、斎藤内閣文相など歴任。戦後、自由党総裁、日本民主党総裁、首相、自民党総裁など歴任

*7:確かに戦前の鳩山は親軍部だったのですが

*8:さすがに鳩山も「総裁の座を譲る」はリップサービスにしても『副総裁や副総理』のような要職での起用ぐらいは期待していたでしょう。しかしその期待を吉田は裏切ったわけです。

*9:日本共産党は「米軍撤退後は自衛隊軍縮」なのに対し、旧民社のようなウヨの場合は「撤退後は自衛隊は軍拡」ですので。