河野太郎の反共演説に呆れる

【最初に追記】
 こんな文字通りの前世紀の遺物の反共演説を今時聞くとは思わなかった - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)でこの拙記事をご紹介頂きました。いつもありがとうございます。
【追記終わり】
戦闘モード河野氏、立民・共産を猛烈批判! 東欧の留学経験語り「毎日食べるのはジャガイモと酢漬けのキャベツ…」 共産党・志位委員長は反論「見当違いだ」(夕刊フジ) - Yahoo!ニュース

 「自由と民主主義を守るのか、あるいは共産主義への第一歩を踏み出すのか。衆院選はそれが問われる」
 河野氏は15日、川崎市での街頭演説でこう訴えた。
 立民の枝野幸男*1代表と、共産の志位和夫委員長は9月30日の党首会談で、衆院選後に立民中心の政権が樹立された場合、「消費税減税」や「安全保障法制の違憲部分の廃止」など、共通政策を実現する範囲で「限定的な閣外からの協力」で合意した。
 河野氏は14日、JR赤羽駅前では、1984年に共産主義時代のポーランドに留学した経験を、次のように語った。
 「自由がない国、街は灰色です。人々もドヨーンとしている。毎日食べるのはジャガイモと酢漬けのキャベツ*2、赤かぶ。肉は配給キップを持って1時間並んでソーセージが買えた」
 「外が氷点下でも、宿舎にお湯は出なかった」
 「一方、共産党幹部は米ドルで好きなものを買っていた。どこが平等なのか」
 そのうえで、東欧での共産党独裁への道をさらに説明した。
 「最初、共産党は連立政権や閣外協力をする。ドアに靴の先を少し入れたら、次はこじ開けて入ってくる。家主を追い出して乗っ取る。それを東欧でやった。何十年も国民は自由や民主主義がないところで虐げられた。今回の衆院選と同じことが、東欧で展開された」
 共産党の志位委員長は14日、自民党幹部が、今回の衆院選を「自由民主主義か、共産主義か」の政権選択選挙と位置付けていることについて、「体制選択のような話を持ち込むのは見当違いだ」「大義の旗に基づいて野党共闘をやっている」と反論している。

 明らかな誹謗中傷、反共デマを「戦闘モード」と報じるとはさすが「常軌を逸した反共」夕刊フジですがそれはさておき。
 一応マジで、河野*3に反論しておけば
1)日本共産党が「連立政権の最大勢力」でない限り、例え政権参加しても何でもできるわけではない(しかも今回は、政権交代が仮にあっても、現時点での立民との合意では閣内協力ではなく閣外協力止まり。かつ現時点では今回の選挙で与党過半数割れ政権交代まで行く可能性は『野党支持者にとっては残念ながら』低いとみられる)
 「中曽根政権」での新自由クラブ、「細川政権」での社会党*4、さきがけ*5*6、「村山政権」での社会党*7、さきがけ*8、「橋本政権」での社会党*9、さきがけ*10、「自公連立(小渕から岸田まで)」での公明党*11、「自自公連立政権」での自由党*12、「自保公連立政権」での保守党*13保守新党*14、「民主党政権」での「社民党*15国民新党*16」などを考えればわかる話です。なお、つい「見落としがち」ですが実は「中曽根政権」は一時「新自由クラブ」と連立し、新自由クラブ(メンバーはほとんどロッキード事件を契機とした自民離党者で、党勢の不振から後に大半が自民に復党しますが)からは「田川誠一*17自治相・国家公安委員長)」「山口敏夫*18(労働相)」、「河野洋平*19科学技術庁長官)」が入閣しています(新自由クラブ - Wikipedia参照)。
 なお、以上の「過去の連立」では「少数政党」は「今も存在する公明、社民*20」を除き「新自由クラブ」「社会党社民党として残ってはいますが)」「新党さきがけ*21」「保守党」「保守新党」「国民新党」はその後、消滅しました。
 明らかに連立政権で巨大政党(自民や民主党)に引きずられて「思い通りの政治(公約で主張していた政治)」が実現できないことに支持者が失望して「党が衰退し、ついには消滅した」と言う面があるでしょう。河野などが強弁するほど連立入りは「少数政党」にとって魅力的な物では必ずしもありません。
 しかし、「共産が今も残る」一方で

新自由クラブ - Wikipedia(1976~1986年)
 党を解散し、所属議員の大半が自民党に復党
日本新党 - Wikipedia(1992~1994年)
 細川熊本県知事が代表。新生党に参加し解散
新党さきがけ - Wikipedia(1993~2002年)
 鳩山由紀夫*22菅直人*23がさきがけを離党し、民主党を結党。民主党に参加しなかった武村正義*24らがさきがけを続けたが、2002年に解散
自由党 (日本 1998-2003) - Wikipedia(1998~2003年)
 小沢一郎*25が党首。民主党に参加し解散
みんなの党 - Wikipedia(2008~2014年)
 渡辺喜美(第一次安倍、福田内閣行革等担当相)が代表。2013年に所属議員の大半が離党し結いの党 - Wikipediaを経て、維新の党(現・維新の会)に参加。2014年に解散に追い込まれる。
日本創新党 - Wikipedia(2010~2012年)
 山田宏*26元杉並区長(現在、自民党参院議員)が党首。国政進出を目指したが、国会議員を出すことができず、維新の党(現・維新の会)に参加し解散

などといった「多くの非共産系政党(なお、多くは保守政党で、なかには連立入りした政党もある)が消えた」という事実、つまり1)繰り返しますが少数野党にとって連立入りはかえって支持者の失望で党が衰退し消滅するリスクがあること、2)共産を過大評価はしませんが、「衰退し消滅した政党」より共産党の方が支持されてきたことほど「河野発言の無意味さ」を語るものはない気がします。
2)今の日本が「東欧レベル(河野の言う、『毎日ジャガイモ』の食事)に国民生活が全体としてダウンすること」はありえない
3)国民全体としてそこまでダウンはないが、自公の「弱者切り捨て施策」による格差拡大で「貧困者」は正直そのレベルの生活者もいる
 このあたり、わかりやすいのは「大学の100円朝食」や「子ども食堂」でしょう。貧困者対応としてそういうもんがあるわけです。
 あるいはワイドショーなどで「業務スーパー」など安売りスーパーが良く取り上げられるのも同じ事でしょう
4)「地方政治と国政」「自民党が弱い地域限定(小沢一郎氏が強い岩手、維新が強い大阪など)」と言った違いはあるが、その河野の認識では自共共闘 - Wikipediaはどう理解されるのか、そんな危険な政党「共産党」と自民は共闘したのか?
などといった批判が可能でしょう。
 しかし河野洋平氏もいい加減「馬鹿なことは辞めろ」と馬鹿息子に苦言を呈したらどうなのか。俺の中での洋平氏評価が「河野談話」を考慮に入れても、「どんどん落ちていきます」。
 河野がこうしたことを「自分から進んでやってる」とは思いません。「総裁選挙の負け犬」として、「体制選択選挙だ!」「敵の出方論ガー」の甘利幹事長などに命令されて「やらされてるだけ」でしょう。むしろ河野からすれば「こんなことはやりたくない(父・洋平氏に好意的な穏健保守から呆れられるので)」「でもやらないと石破元幹事長みたいに干される」つうことでしょう。
 どっちにしろこんな反共デマ行為をやる河野に同情はしません。やりたくないなら干されることを覚悟して拒否すればいいだけの話です。「改革派」ぶっていた河野の「正体」が明白になったと言うべきでしょう。河野が総裁になったところで「改革などなかった」と。
 そもそも俺は『次の質問どうぞ』や澤藤統一郎氏が非難する澤藤統一郎の憲法日記 » 河野太郎 「『桜を見る会・前夜祭』に関する公開質問状」を受領拒否で完全に河野に呆れています。澤藤氏によれば総裁選候補で「質問状の受け取りすら拒否した」のは河野だけです(ただし岸田、高市は受け取ったが回答拒否、回答したのは野田のみ)。
 それはともかく「1980年代に東欧(ポーランド)留学」なのに「当時のポーランドは酷かった」云々などと河野が言い出したのはおそらく今回が初めてです。繰り返しますが「自分から進んでやってる」とは思いません。
 そもそも河野がこんなことを自分から進んで言うような『ゴリゴリの反共』ならいかに『改革開放が始まった1980年代』、『東欧では比較的自由度の高かった国』とは言えポーランドに留学しないでしょう。単なる箔づけなら米国の有名大学でもいい。河野がポーランド留学した理由が気になります。ピアノ留学でしょうか?(注:ショパンコンクール日本人入賞で思いついたギャグであって、もちろん本気ではありません)
 いずれにせよ「残念ながら、議席倍増などの大々的な躍進はない(残念ながら現時点では、トンデモ極右で自民応援団・維新がその予想)」と見られるとはいえ今回、共産は「議席増加予想(数議席の微増)」です(勿論最後の最後まで油断は禁物ですが)。
 いい加減、この種の反共演説は「その種の物を好むウヨにしか通用しない(つまり極右以外には無意味)」「むしろ穏健右派(後述する品川氏など)を自民支持から離れさせ、立民や共産支持に向かわせる可能性大」と気づいたらどうなのか。
 そもそも

品川正治 - Wikipedia参照
 1924~2013年。元・損保ジャパン日本興亜相談役。経済同友会終身幹事。
 晩年は「新自由主義経済政策への批判」「憲法擁護」の立場から日本共産党が主催する赤旗まつりへの参加や、日本共産党と共闘する市民運動平和・民主・革新の日本をめざす全国の会」(全国革新懇)の代表世話人を務めた。2013年8月29日、食道癌のため死去(89歳没)。岩波書店『世界』に回顧録「戦後歴程」を連載していたが、未完のまま、絶筆となった。
【著書】
◆『戦争のほんとうの恐さを知る財界人の直言』(2006年、新日本出版社
◆『9条がつくる脱アメリカ型国家:財界リーダーの提言』(2006年、青灯社)
◆『これからの日本の座標軸』(2006年、新日本出版社
◆『志位和夫日本共産党委員長品川正治経済同友会終身幹事 響き合い対談』(2008年、日本共産党中央委員会出版局
 新春響き合い対談/経済界の中から理性の声/9条をもつ国の経済探求/日本共産党委員長 志位 和夫さん/経済同友会終身幹事 品川 正治さんのパンフ化
◆『戦後歴程:平和憲法を持つ国の経済人として』(2013年、岩波書店
 岩波『世界』連載の単行本化
など

と言う時点で「河野はアホか?」です。
 「リベラル派」とはいえ品川氏のような「保守派財界人」と共闘する共産党は「河野や甘利」の言うような意味では何ら脅威ではない。

参考

https://twitter.com/shiikazuo/status/3762225600456581122013.9.7
志位和夫
 品川正治さん(経済同友会終身幹事、全国革新懇代表世話人)の訃報に接し、深い悲しみにうたれています。革新懇の会合や「赤旗」の対談で親しく議論をさせていただき、たくさんのものを教えていただきました。憲法9条を守れと情熱を燃やす姿に、畏敬の念を抱いていました。心から哀悼を申し上げます。

新春響き合い対談/経済界の中から理性の声/9条をもつ国の経済探求/日本共産党委員長 志位 和夫さん/経済同友会終身幹事 品川 正治さん2008.1.1

人間中心の経済運営/品川正治さん提言/NHKラジオ2009.4.29
 「人間中心の経済運営とは」をテーマに、全国革新懇の代表世話人を務める品川正治さん(経済同友会終身幹事)が語るラジオ番組が、二十八日未明放送されました。番組は、NHKラジオ「ラジオ深夜便」の新企画「日本のあす、私の提言」のコーナー。
 司会者から、東京・日比谷公園での「年越し派遣村」に注目していることを聞かれた品川さんは、昨年来の世界不況のなか、日本では政局の話ばかりで、政策論議が後景に追いやられてきたと指摘。そのときに、「派遣切り」にあった人たちを救う「年越し派遣村」が報道され、「こういう人たちを放っておいてなにが政治だ、なにが経済政策だというのが国民の心に届いた」と述べました。
 品川さんは、この間進められてきた「構造改革」についても、「大企業のためとしかいいようがない、さらに言うなら米国の要求に応えるものだった」と断じ、生存権の保障をうたった憲法二五条もあげ「底辺の人たちの生活を文化的な水準まで引き上げていくべきだ」と述べました。

政治を前に インタビュー/財界も審判を受けた/経済同友会終身幹事 品川 正治さん2009.10.28
 共産党は「建設的野党」といっておられます。民主党政権を見極めながら、国民の立場からぜひ対応していただきたいと思います。
 自民党公明党をあそこまで追い込んだのは、民主党の力ではなく、国民の力です。九条の会革新懇や貧困と格差をなくすたたかいなどの力は大きいと思います。その点で、共産党の果たした役割は大きいと思います。
 共産党は自信をもったらいい。政策が悪いわけでもない。政官財のトライアングルのなかで、常に日本共産党をなんとか締め出そうという力が働いてきました。自民・公明の議席を減らした分が、共産党にはいかずに民主党にいったのも、「反共」でしょう。ここを、どう乗り越えていくかでしょうね。自民党の支持基盤は崩れています。とくに若い力をどう結集していくかでしょうね。
 アメリカも日本もチェンジのスタートを切りました。しかし、日本のチェンジの中身をどうしていくか。そこに「建設的野党」としての共産党の存在意義があると思います。

品川正治さんお別れ会/志位・山下氏が参列2013.10.31
 8月29日に亡くなった経済同友会終身幹事で全国革新懇の代表世話人を務めた品川正治さん(享年89)のお別れの会が30日、東京都内で開かれました。日本共産党志位和夫委員長、山下芳生書記局長代行*27が参列し、献花しました。
 会場には品川さんの思い出の写真が展示されました。志位、山下両氏は各界の参列者と懇談しました。

*1:鳩山内閣行政刷新担当相、菅内閣官房長官、野田内閣経産相民主党幹事長(海江田、岡田代表時代)、民進党代表代行(前原代表時代)などを経て立憲民主党代表

*2:おそらく「ザワークラウト」のことでしょうが、「酢漬けのキャベツ」ではなく「塩漬けキャベツが乳酸発酵して酸味が出る」ものです。

*3:第三次安倍内閣国家公安委員長、第四次安倍内閣外相、防衛相、菅内閣行革等担当相など歴任

*4:五十嵐広三氏(細川内閣建設相)など(なお、五十嵐氏は村山内閣で官房長官

*5:武村正義代表(細川内閣官房長官)など

*6:ただし社会党、さきがけは国民福祉税騒動などを契機に閣外協力に転じ、最終的には自社さ連立政権を樹立

*7:村山首相の他、五十嵐広三氏(官房長官)、野坂浩賢氏(建設相→官房長官)など

*8:武村正義氏(党代表、蔵相)、井出正一氏(厚生相)

*9:久保亘氏(蔵相)など

*10:菅直人氏(厚生相)、田中秀征氏(経済企画庁長官)

*11:続訓弘氏(小渕、森内閣総務庁長官)、坂口力氏(小泉内閣厚労相)、北側一雄氏(小泉内閣国交相)、冬柴鉄三氏(第一次安倍、福田内閣国交相)、斉藤鉄夫氏(麻生内閣環境相)、太田昭宏氏(第二次、第三次安倍内閣国交相)、石井啓一氏(第四次安倍内閣国交相)など。一部の例外はあるものの、国交相公明党の指定席化している。

*12:野田毅氏(小渕内閣自治相・国家公安委員長)、二階俊博氏(小渕内閣運輸相)

*13:二階俊博氏(森内閣運輸相)、扇千景氏(森、小泉内閣国交相

*14:井上喜一氏(小泉内閣防災担当相)

*15:福島瑞穂・党首が鳩山内閣少子化等担当相として入閣するが、沖縄基地問題を巡り対立から大臣を更迭され、社民党も連立から離脱

*16:亀井静香氏(鳩山、菅内閣金融等担当相)、自見庄三郎氏(菅、野田内閣金融等担当相)など

*17:新自由クラブでは副代表、幹事長、代表を歴任。新自由クラブ解散後も自民には復党せず進歩党代表

*18:新自由クラブでは国対委員長、幹事長を歴任

*19:新自由クラブ代表、中曽根内閣科学技術庁長官、宮沢内閣官房長官自民党総裁、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長など歴任

*20:とはいえ、辻元清美氏(元社民党国対委員長)など主力部隊は立民に移籍し、社民党消滅の危機にあるほど衰退しましたが

*21:さきがけ出身の菅直人氏(元首相、現在、立憲民主党最高顧問)は今も有力政治家ですが

*22:新党さきがけ代表幹事、細川内閣官房副長官民主党幹事長(菅、小沢代表時代)などを経て首相

*23:社民連副代表、新党さきがけ政調会長、橋本内閣厚生相、鳩山内閣副総理・財務相、首相などを経て現在、立憲民主党最高顧問

*24:新党さきがけ代表、細川内閣官房長官、村山内閣蔵相など歴任

*25:中曽根内閣自治相・国家公安委員長自民党幹事長(海部総裁時代)、新生党代表幹事、新進党党首、自由党党首、民主党幹事長など歴任

*26:都議、杉並区長、日本創新党党首、次世代の党幹事長、第四次安倍内閣防衛大臣政務官など歴任

*27:山下氏の役職は当時。現在は副委員長