珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年10/26日分)(副題:今日も高世に悪口する)

熊本の文芸を辿る(坂口恭平×渡辺京二) - 高世仁のジャーナルな日々

 地方を元気に、という掛け声は、主に経済を念頭においているイメージだが、ほんとうに地方の独自性をもちながら活性化するには、文化を重視すべきだと思う。
 熊本では、石牟礼道子*1渡辺京二*2ら、ユニークで一目置かれる作家たちが地元に住みながら作品を生み続けてきた。
 熊本はなぜ文芸活動が盛んなのかを、坂口恭平*3渡辺京二が『ブルータス*4』(去年1月1日/15日号)で対談していて、これは地方文化の活性化にとって参考になるのではと思った。

 高世が「高世が評価するという石牟礼、坂口、渡辺」を礼賛してるだけの駄文です。
 もちろん「石牟礼らを礼賛するのは高世の勝手」ですが正直、この中で「世間一般に知られてる人間」は『苦海浄土』(講談社文庫)の石牟礼だけでしょう。
 そして「町おこし(地場産業の育成や観光促進)」云々という意味で「熊本の文芸活動」が評価できるのかと言ったら「一番有名な石牟礼も含めて」評価できないでしょうね。

◆いわゆる「大林宣彦尾道三部作(例えば大林 宣彦作品-尾道三部作-参照)」で尾道が大林ファンにとっての聖地となり観光客誘致に役立ってる

のような事実は「熊本の文芸活動」にはないでしょう。
 勿論「文芸活動」は「町おこし」のためにやるもんではありませんが。
 むしろ「くまモン」「熊本城」の方が「町おこし」ではないか。
 また「熊本の文芸活動」とやらも「石牟礼や渡辺」と言った個人が好き勝手やってるだけで「熊本の文化人がネットワークを築いてやってきた。それを行政など地元の諸団体もバックアップしてきたので石牟礼や渡辺が死んでも、熊本の文芸活動は続いていく」つうもんでもなさそうです。高世が紹介する対談も「熊本文芸活動」の長老面する「渡辺」が単に「熊本の文芸活動は俺と石牟礼が支えてきた」と自画自賛してるだけに過ぎません。つまり、石牟礼らの活動をどう評価するにせよ、彼らの活動は「彼らの個人的活動」にすぎず、明らかに「地方文化の活性化にとって参考になる話(高世の強弁)」ではありません。
 まあ、それはともかく。石牟礼や坂口はともかく、俺は「渡辺」など評価しません。
 以前も今日の産経ニュース(8/16分)(追記・修正あり)(副題:江戸川乱歩『蜘蛛男』、小栗虫太郎『完全犯罪』の一部ネタばらしあり) - bogus-simotukareのブログで批判しましたが、

【話の肖像画】史家・渡辺京二(4) 堕落した善の追求は最悪を招く(1/2ページ) - 産経ニュース
◆戦後、「自虐史観」が幅をきかせてきた
◆日本の悪口を言うことによって自分が偉くなったような気になったり、喜々としていたりする態度には嫌悪感を覚えます。

なんて言ってるウヨが渡辺ですのでねえ。
 もちろん

南京事件研究の笠原十九司
 著書『南京事件』(1997年、岩波新書)、『南京事件三光作戦』(1999年、大月書店)、『南京事件と日本人』(2002年、柏書房)、『南京難民区の百日:虐殺を見た外国人』(2005年、岩波現代文庫)、『「百人斬り競争」と南京事件』(2008年、大月書店)、『増補・南京事件論争史』(2018年、平凡社ライブラリー) など
沖縄戦研究(沖縄集団自決含む)の林博史
 著書『沖縄戦と民衆』(2001年、大月書店)、『沖縄戦 強制された「集団自決」』(2009年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『沖縄戦が問うもの』(2010年、大月書店)など。ホームページWelcome to Hayashi Hirofumi'
慰安婦研究の吉見義明氏
 著書『従軍慰安婦』(1995年、岩波新書)、『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(2010年、岩波ブックレット)、『買春する帝国:日本軍「慰安婦」問題の基底』(2019年、岩波書店)など

などは

日本の悪口を言うことによって自分が偉くなったような気になったり、喜々としていたりする態度

ではないので「歴史修正主義右翼」渡辺の物言いは言いがかりも甚だしいですが。
 まあ、石牟礼はともかく、渡辺など「死ねば(山本七平などのように)急速に忘れられる」でしょう。渡辺が「自虐史観」と悪口する「南京事件研究」笠原氏、「沖縄戦研究」林氏、「慰安婦研究」吉見氏の方がよほど「後世に残る」でしょう。
 ちなみに渡辺の評伝『渡辺京二』(2016年、言視舎評伝選)を書いた三浦小太郎も「新しい歴史教科書をつくる会理事」という「歴史修正主義極右(渡辺の同類)」ですが、この「極右」三浦についても高世は

三浦小太郎が斬るNY平壌公演1 - 高世仁のジャーナルな日々2008.3.12
 畏友、三浦小太郎さんが、先月、この公演を批判するすばらしい文章をある雑誌に書いた。三浦さんという人、政治だけでなく、文化・芸能にも強い。阿久悠ZARD坂井泉水が亡くなったときには、味わい深い追悼文を書いたし、クラシックからジャズ、ロック、はてはサブカル系アート、少女漫画まで何でもありの実に幅広い教養人だ

嘘の人権 偽の平和 - 高世仁のジャーナルな日々2010.12.26
 畏友、三浦小太郎さんの先月発売の著作『嘘の人権 偽の平和』(高木書房、1200円)が届いた。
 三浦さんは、評論家にして「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の代表をつとめる活動家でもある。以前から、彼の見識の深さ、確かさには教えられることが多かった

2019年に読んだ10冊の本 - 高世仁のジャーナルな日々2019.12.31
 三浦さんは長い付き合いの畏友である。

ということで畏友彼の見識の深さ、確かさには教えられることが多かったと書いて大絶賛です。
 「自虐史観」という言葉を平然と使う「歴史修正主義右翼」渡辺や三浦を、高世は「エクスキューズもつけずに」平然と礼賛する。
 「元左翼」高世も随分と落ちぶれたもんです。こうした高世の右翼路線が「ガチで右翼」なのか「商売右翼」なのかはともかく。
 なお

渡辺
 地方の文壇の文学者は東京でものにならなくて帰ってくると、地元の政界や財界に顔が利くような郷土文化人になるんだ。漱石ラフカディオ・ハーンの話ばかりしているような世界。僕らはそういう地方文壇とは全く関係のないサークル運動をやっていたわけ。

という「渡辺発言」は「予備知識」がないと意味不明でしょうが、簡単に説明しておきます。
 漱石、ハーン(小泉八雲)は以下のような形で熊本と関係があります。

夏目漱石 - Wikipedia参照
 1896年(明治29年)、熊本市の第五高等学校(熊本大学の前身)の英語教師に赴任。
 1898年(明治31年)、寺田寅彦ら五高の学生たちが漱石を盟主に俳句結社の紫溟吟社を興し、俳句の指導をする。同社は多くの俳人を輩出し、九州・熊本の俳壇に影響を与えた。

小泉八雲 - Wikipedia
 1891年11月、熊本市の第五高等中学校(熊本大学の前身)の英語教師となる。熊本居住当時の家は、小泉八雲熊本旧宅として、熊本市指定の文化財とされた。

*1:著書『十六夜橋』(1999年、ちくま文庫)、『新装版 苦海浄土』(2004年、講談社文庫)、『妣たちの国』(2004年、講談社文芸文庫)、『西南役伝説』(2009年、洋泉社MC新書)、『食べごしらえおままごと』(2012年、中公文庫)、『椿の海の記』(2013年、河出文庫)など

*2:著書『逝きし世の面影』(2005年、平凡社ライブラリー)、『北一輝』(2007年、ちくま学芸文庫)、『維新の夢』(2011年、ちくま学芸文庫)、『日本近世の起源』、『神風連とその時代』(2011年、洋泉社新書y)、『ドストエフスキイの政治思想』(2012年、洋泉社新書y)、『もうひとつのこの世:石牟礼道子の宇宙』(2013年、弦書房)、『近代の呪い』(2013年、平凡社新書)、『私のロシア文学』(2016年、文春学藝ライブラリー)、『死民と日常:私の水俣病闘争』(2017年、弦書房)、『幻影の明治:名もなき人びとの肖像』(2018年、平凡社ライブラリー)など

*3:著書『独立国家のつくりかた』(2012年、講談社現代新書)、『モバイルハウス:三万円で家をつくる』(2013年、集英社新書)、『TOKYO一坪遺産』(2013年、集英社文庫)、『現実脱出論』(2014年、講談社現代新書→増補版、2020年、ちくま文庫)、『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』(2016年、角川文庫)、『幻年時代』(2016年、幻冬舎文庫)、『徘徊タクシー』(2017年、新潮文庫)、『苦しい時は電話して』(2020年、講談社現代新書)、『躁鬱大学』(2021年、新潮社)など

*4:マガジンハウス発行の雑誌(BRUTUS - Wikipedia参照)