「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年11/23日分:荒木和博の巻)

曽我ミヨシさん・ひとみさん拉致について(R3.11.23): 荒木和博BLOG

 11月20日(土)付の産経新聞に中村将(なかむら・かつし)社会部長が曽我さん母子の拉致について書いておられました。

 6分16秒の動画です。タイトルと説明文だけで見る気が失せます。
 荒木の言う中村の記事とは、【教科書が教えない 拉致問題】(4)女工作員が主導 残された謎 被害者リストになかった曽我さん 一緒に襲われた母いまだ消息不明 編集長・中村将 - 産経ニュースですが、今更「曽我親子の拉致」について云々して何の意味があるのか。
 「曽我親子の拉致」について云々して意味があるのは「曽我ミヨシさんの帰国につながる情報があるとき」だけでしょうが、そんなもんは「中村の記事」「荒木の動画」には出てきません。
 中村や荒木は

【教科書が教えない 拉致問題】(4)女工作員が主導 残された謎 被害者リストになかった曽我さん 一緒に襲われた母いまだ消息不明 編集長・中村将 - 産経ニュース
 その紙は、拉致被害者たちが暮らす平壌近郊の招待所の備え付けの鏡台の引き出しの底板に、小さく折りたたんで張り付けてあった。見つけたのは地村さん夫妻。1980年代初めのことだ。広げてみると、A4判ほどの紙にハングルで朝鮮人名が書かれ、横には漢字で「久我良子」とあり、「くがよしこ」と読み仮名もふられていた。
(中略)
 (ボーガス注:メモの記載内容のうち)北朝鮮に来た年や、娘がいること、佐渡に住んでいたことは、ミヨシさんの境遇と重なる。ミヨシさんが拉致された当時、土管などを製造する「北越ヒューム管」の工場で勤務していたことも「漢字と片仮名が入った名前の工場*1で働いていたこと」と一致する。

を「帰国につながる情報」と強弁するのでしょうが、こんなもんは何ら帰国につながらない。
 第一に「久我良子」が何者かわからない。この程度の情報で「曽我ミヨシさんと同一人物」と評価することなどとても無理です。
 第二に百歩譲って「久我良子=曽我ミヨシ」としましょう。しかし、これだけでは「曽我ミヨシさんが当時どんな状況だったか」全くわからない。しかもこれは「1980年代初め」のことです。今から40年も前のことでは『ミヨシさんの現状』についてはわかりようがない。
 ちなみに、最近の若者は知らないでしょうが『くが・よしこ』といえば、久我美子(女優)ですよね。
 久我美子 - Wikipediaによれば、久我美子が「1931年1月21日生まれ」、曽我ミヨシ氏が

曽我ミヨシさん86歳の誕生日 - 高世仁の「諸悪莫作」日記2017.12.29
 きのう28日は佐渡市曽我ひとみさんと一緒に拉致された母ミヨシさんの誕生日だった。失踪当時46歳だったミヨシさんは、86歳になった。

ということで「1931年12月28日生まれ」で、同世代です(ちなみに曽我ミヨシさん86歳の誕生日 - 高世仁の「諸悪莫作」日記にも「くがよしこ」云々の話は出てきます)。
 で、荒木は「久我美子とミヨシさんはどちらも1931年生まれだから、『久我良子』はミヨシさんの偽名(?)に間違いない。曽我ミヨシと久我良子、『我(が)』と『ヨシ』も一致している」といい出しますがこじつけもいいところです。
 なお、久我美子やミヨシ氏と同じ1931年生まれとしては

1931年 - Wikipedia
◆1月2日:海部俊樹
 元首相
◆1月6日:八千草薫(2019年死去、享年88歳)
 女優
◆1月18日:全斗煥(2021年死去、享年90歳)
 元韓国大統領
◆2月1日:ボリス・エリツィン(2007年死去、享年76歳)
 元ロシア大統領
◆2月16日:高倉健(2014年死去、享年83歳)
 俳優
◆9月13日:山田洋次
 映画監督
◆10月23日:ジャニー喜多川(2019年死去、享年87歳)
 芸能事務所「ジャニーズ事務所」創業者
◆10月24日:宇津井健(2014年死去、享年82歳)
 俳優
◆12月5日:香川京子
 女優
◆12月11日:山本富士子
 女優

などがいます。「海部元首相」など、存命の方(存命ならば今年で90歳)もいますが、「高倉健(2014年死去、享年83歳)」など死去の方もおり、ミヨシ氏がもはや故人でも何ら不思議はありません。

【参考:久我美子

久我美子 - Wikipedia
 1946年、 女子学習院(女学校課程)在学中、第一期東宝ニューフェイスに合格。同期に三船敏郎がいる。1947年、女子学習院を中退し、『四つの恋の物語』で映画デビューを果たす。
 1961年、俳優の平田昭彦と結婚。
 1969年より約1年間、フジテレビ『3時のあなた』の司会を務めるなど、1970年代以降はテレビ・舞台を中心に活躍。
 1989年12月公開の映画『ゴジラvsビオランテ』では女性官房長官役で出演。「初(そして現時点では唯一)の女性官房長官」である森山眞弓*2(1989年8月に長官に就任)と一致したことが話題になった。
 近年はほとんど活動休止状態となっているが、2004年、義姉にあたる女優・三ツ矢歌子(ただし、久我が1931年生まれ、三ツ矢が1936年生まれで、久我の方が年上)死去の時に、久々に公の場に姿を見せた。
【エピソード】
◆彼女が芸能界を志した理由は、実家・久我家の経済状態の悪化を打開するためであった。当時の久我家は世間知らずの祖父と父親が、高利貸しに金を借りて慣れぬ事業に手を出して失敗し家屋敷を押さえられた上に、その窮状を詐欺グループに付け込まれ、1932年に寄付金詐欺事件の首謀者の濡れ衣を一時着せられて新聞沙汰になり、警察から厳しい取り調べを受けたこともあるほど、経済的に追い詰められていた。東宝ニューフェイスへの応募は、戦後の華族制度廃止でますます実家の生活が悪化することを憂慮し、家計を助けるため職につきたいという一心からのものであったが、実家からは久我家の「体面を汚す」と猛反対された。漢字は同じでも本名「こが・はるこ」が芸名「くが・よしこ」と異なるのはこのためである。
◆久我のファンである稲垣浩監督は『日本が戦争に負けたために、侯爵家の姫君が女優となった。敗戦は久我家にとって幸福とは言えなかっただろうが美子さんにとっては自由に生きる道が開かれたと言っていいのかもしれない」と評している。

*1:メモにはっきりと『北越ヒューム管』とは書いてないのだから、一致するとはこじつけもいいところでしょう。

*2:森山氏は1927年生まれ、久我は1931年生まれなので、森山氏が久我より4歳年上です。