世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実(2021年12/20版)

【1】
 世間に知られ始めた「田中絹代が映画監督だった」と言う事実(2020年12月11日版:2021年12月20日に追記あり)コメ欄でのご指摘に「応答が長くなる」ので本文で応答しておきます。
 なお、小生は「わざわざ見に行くほどの興味は無い」ので見に行かない予定ですが、情報提供は本当にありがとうございます。
1)田中が監督として大成せず、

お吟さま (1962年の映画) - Wikipedia
 1992年に「松竹ホームビデオ」からビデオソフト(VHS)が発売されたが廃盤。現在はDVDは発売されていない。

ということで死後も長く忘れ去られていた(おそらく黒歴史扱い)以上、コメ欄でのご指摘の通り「高評価はできない」でしょう。
 例えば、田中作品『お吟さま』(1962年公開)は、その後、『お吟さま』(熊井啓監督、1972年公開)が作られており、たぶん後者の方が有名だと思います。
 とはいえ、田中絹代 - Wikipedia田中絹代監督特集 | 早稲田松竹 official web site | 高田馬場の名画座を見ればわかりますが

◆恋文(1953年、新東宝
・脚本:木下惠介
→木下は1953年に『恋文』(田中監督作品)、『日本の悲劇』(木下監督作品)でブルーリボン賞脚本賞毎日映画コンクール脚本賞を受賞
・出演:森雅之(復員兵・真弓礼吉(主人公))、久我美子(森演じる礼吉の幼なじみ)、田中絹代*1(下宿のおばさん)
◆月は上りぬ(1955年、日活)
・脚本:小津安二郎
・出演:笠智衆(父親・浅井茂吉)、山根壽子(長女)、杉葉子(次女)、北原三枝(三女)、田中絹代*2 (浅井家の下働き)
◆乳房よ永遠なれ(1955年、日活)
・脚本:田中澄江*3
・出演:月丘夢路中城ふみ子
流転の王妃(1960年、大映
・脚本:和田夏十(映画監督・市川崑の妻で市川作品の多くで脚本を担当)
・出演:京マチ子(愛新覚羅浩(嵯峨浩)に当たる人物)、船越英二(溥傑に当たる人物)
◆女ばかりの夜(1961年、東京映画)
・脚本:田中澄江
・出演:原知佐子(主人公・邦子)、淡島千景(邦子が収容されていた白菊婦人寮の寮母・野上)、沢村貞子(白菊婦人寮の寮母・北村)、平田昭彦(邦子が働くバラ園の主人・志摩)、香川京子(志摩の妻)など
お吟さま(1962年、文芸プロ)
・脚本:成沢昌茂*4
・出演:有馬稲子お吟さま千利休の娘)、仲代達矢高山右近戦国大名お吟さまの恋人)、滝沢修豊臣秀吉)、月丘夢路淀君)など

ということで「脚本や俳優は一流(さすが昭和の大女優です、一般人にはかなうことではありません)」なので、おそらく「それなりに見るに堪える物(まあ、脚本家が一流(橋本忍)なのにトンデモになってしまった『幻の湖』のような例外はありますが)」とは思います。
 実際

乳房よ永遠なれ (映画) - Wikipedia
 封切週は東京都内で1位の観客動員を記録した。また1955年度のキネマ旬報ベストテンの第16位となった。また主人公・中城ふみ子の地元にあたる北海道の札幌では、通常約1万5000人程度であった観客動員が約6万人を数えた。

そうですし「高評価はできない」にせよ「そんなに馬鹿にした物でもなさそう」です。
2)「日本で二人目の女性監督(女優監督としては日本初)」という「意義」もある
 昨今は

荻上直子 - Wikipedia
 2007年、映画『めがね』で第27回藤本賞*5特別賞を受賞。
河瀨直美 - Wikipedia
 2007年、カンヌ国際映画祭で映画『殯の森』がグランプリを受賞。また、カンヌ国際映画祭グランプリ受賞を受け、奈良県民栄誉賞を受賞。2015年、フランス芸術文化勲章シュヴァリエ章を、日本人女性映画監督として初めて受章。2017年、映画『光』がカンヌ国際映画祭独立部門でエキュメニカル審査員賞を受賞した。同部門での受賞は日本人女性監督としては、初の受賞。2020年東京オリンピック公式記録映画の監督に決定、2022年春公開予定。
西川美和 - Wikipedia
 2006年、映画『ゆれる』でキネマ旬報ベスト・テン日本映画2位、ブルーリボン賞監督賞などを受賞。2009年、映画『ディア・ドクター』でキネマ旬報ベスト・テン日本映画1位、ブルーリボン賞監督賞(2度目)、山路ふみ子映画賞などを受賞。2016年には映画『永い言い訳』で毎日映画コンクール監督賞を受賞。
三上智恵 - Wikipedia
 2018年、元同僚でジャーナリストの大矢英代との共同監督作品『沖縄スパイ戦史』が、文化庁映画賞優秀賞、キネマ旬報ベスト・テン文化映画部門1位など多数の賞を受賞。

ということで「女性映画監督」は「映画に無知な俺」ですら名前がいくつか挙がるほど増えていますが、田中の時代はもちろんそうではなく、大女優だからあり得た「周囲の支援」という特殊事情があったとはいえ、彼女の「開拓者精神」は評価したい
のでこういう上映は大変いい、もっと田中の監督業は評価され、知られるべきと思います(こうした上映を「黒歴史に過ぎない」と見なす人間もいるのでしょうが)。
 今回田中絹代監督特集 | 早稲田松竹 official web site | 高田馬場の名画座で上映されるのは

田中絹代 - Wikipedia参照
◆恋文(1953年、新東宝
◆月は上りぬ(1955年、日活)
◆乳房よ永遠なれ(1955年、日活)

流転の王妃(1960年、大映
◆女ばかりの夜(1961年、東京映画)
お吟さま(1962年、文芸プロ)

のうち、赤字部分の作品です。「全6作品のうち5作品上映」ですから、ほとんどすべて上映ですね。なお、id:Bill_McCrearyさんは以前『流転の王妃』は「見た」とおっしゃってるので、今回すべて見れば田中作品を全制覇したことになります。いずれにせよ後でブログ記事でもアップして頂けると幸いです(勿論要望に過ぎません。記事を書く意欲までは出なかったと言うことは十分あると思います)。
【2】
 この機会に改めてググってみたのですが以下の記事が見つかりました。

女性監督の先駆、田中絹代再評価 意志強いヒロイン: 日本経済新聞編集委員 古賀重樹*6)2021年10月30日
 監督・田中絹代が再評価されている。
 「確固たる自由の感覚と挑発的なタッチで映画の中心に女性を置いた」
 フランスのリヨンで17日まで開かれた第13回リュミエール映画祭は、日本の女性監督の先駆者として田中絹代をそう紹介した。古典映画に光を当てる同映画祭は今回、絹代が監督した全6作品を上映。ルモンド紙は「彼女が一流の映画作家であることを明らかにしている」と大きく報じた。
 7月のカンヌ国際映画祭が「月は上りぬ」(1955年)4Kデジタル復元版を上映したのに続く再評価の波だ。リヨンの上映にあわせて残る5作品も4Kデジタル復元された。このうち「月は上りぬ」「乳房よ永遠なれ」(55年)、「流転の王妃」(60年)、「お吟さま」(62年)の4作はきょう開幕する東京国際映画祭でも上映される。
 再評価の機運は高まっていた。日活版権営業部の加藤拓氏によると、きっかけは2018年にベネチア国際映画祭が上映した古今東西の女性監督の作品を紹介する14時間のドキュメンタリー「ウイメン・メイク・フィルム」(マーク・カズンズ監督、英国)。これを見た欧米の映画祭や映画配給会社から絹代作品への問い合わせが相次いだ。
 同作が紹介するのは世界初の女性監督アリス・ギイ*7からキャスリン・ビグロー*8セリーヌ・シアマら現役監督まで183人。作品の一部を引用し「発見」「死」など形式主義の視点で分析する。
 その中で唯一取り上げられた日本人監督が田中絹代だ。引用回数は10回。2桁の引用はアニエス・ヴァルダ*9キラ・ムラートワら6人しかいない。「恋文」(1953年)が1954年のカンヌに出品されたとはいえ、忘れられた監督だっただけに、注目された。
 背景にあるのは2017年からのMe Too運動*10の盛り上がり。映画界のジェンダーギャップ*11が問い直され、映画祭では出品監督や審査員の女性の比率が問題となった。映画史上の女性監督の再発見もその流れの中にある。
 研究者も注目する。2018年に英国のエジンバラ大学出版局が論文集「田中絹代:国家、スター性、女性の主体性」を刊行。寄稿者の一人である明治学院大の斉藤綾子*12教授は「乳房よ永遠なれ」の脚本家・田中澄江田中絹代の対照的な生い立ち*13を比べつつ、絹代の監督としての独創性を指摘した。
 斉藤氏が例にとるのは絹代が撮影時に使った台本。セリフを削る一方で、自身が細かくカット割りした絵コンテを書き込み、新たな表現を加えた。夫の不貞に気づいた歌人・ふみ子が、部屋に残された女の足袋を投げるショットもその一つだ。
 「脚本をそのまま撮るのでなく、監督の解釈を出している。映画作家として見るべきだ」と斉藤氏。脚本にない絹代独自の解釈に基づくカット割りは「恋文」のラストなど他の作品にもある。
 「映画をよく知っている」と斉藤氏は指摘する。例えば乳房を失ったふみ子が、親友・きぬ子が焚く風呂に入るシーン。かつてその風呂にはふみ子が横恋慕したきぬ子の亡夫が入っていた。同じ状況の反復と2人の女の視線の交錯が微妙な心理の綾を表現する。まるでヒッチコックのように。
 主題も重要だ。溝口健二に「絹代の頭では監督はできない」と反対されながら、成瀬巳喜男小津安二郎らが支援し「恋文」「月は上りぬ」を撮ったことはよく知られるが、その後の4作は絹代が自ら題材を選んだ。
 奔放な歌人中城ふみ子(乳房よ永遠なれ)、満州国皇帝の弟に嫁いだ嵯峨浩(流転の王妃)、社会復帰を目指す元売春婦(女ばかりの夜=61年)、キリシタン大名に恋した千利休の娘(お吟さま)。どのヒロインも運命に翻弄され、偏見に苦しみながらも、自分の意志を貫いて生きる。
 「女性を社会の犠牲者として安易に描かない*14」と斉藤氏。男の監督が描くかわいそうな女性像と一線を画し、女の主体的な生き方に重心を置く。それは絹代自身の生き方の反映かもしれない。
 鎌倉市・川喜多映画記念館*15で12月12日まで開催中の特別展「田中絹代:女優として、監督として」はそんな絹代自身の歩みと監督業への強い意欲を多くの資料で伝える。
 絹代が監督を志したきっかけは1949年の渡米。ハリウッドで多くの映画人と会い、キャリアを重ねた女優たちの社会進出や転進に興味をもった。主役が少なくなる40代を迎えた絹代にとって、それは切実な問題だった。
 同館の阿部久瑠美氏は「役柄から日陰の女やマゾヒスティックな女と思われがちだが、女優としても監督としても強さという点では変わらない。そんなフェミニズム的文脈で再発見したかった。監督業も自分の意志で選び取っている」と語る。
 絹代の台本も展示する。斉藤氏が指摘した書き込みがある。遺品を整理したスクリプターの梶山弘子氏*16は「絹代さんの鉛筆の字、強い字でしょう」と語る。その筆圧に確固たる意志を感じた。

仏リュミエール映画祭 監督・田中絹代に脚光 他の邦画にない女性の視点:北海道新聞 どうしん電子版
◆全6作品を上映
 田中絹代(1909~77年)は溝口健二小津安二郎成瀬巳喜男ら巨匠が信頼を寄せた名優だが、実は6本の監督作品を残した、日本の女性映画監督の先駆けの一人である。このたびフランスの映画関係者の情熱が日本の映画会社を動かし、修復プロジェクトが実現。そのお披露目に、監督第2作「月は上りぬ」(1955年)が7月のカンヌ国際映画祭で先行上映された。
 リュミエール映画祭は、4Kデジタル修復で美しくよみがえった全6作品が、初めて一挙上映される貴重な機会となった。映画祭はコロナ禍でも全座席の85%以上が埋まる盛況ぶりだったが、田中の映画はとりわけ人気が高く、前売り券が完売した後もキャンセル待ちの人の列が長く伸びた。
 期間中には「田中の場合」と題されたラウンドテーブル(公開の専門家会議)も開催され、上映の経緯や作品の魅力が語られた。
 ドキュメンタリー映画監督で日本映画専門家のパスカルアレックス・バンサンは「当時の他の邦画では感じられない女性の視線がある」と指摘。帯広出身の歌人中城ふみ子の評伝を映画化した監督第3作「乳房よ永遠なれ」(1955年)に感銘を受け、回顧上映を提案した元ロカルノ国際映画祭ディレクターのリリ・アンスタンは「なぜこれほどの才能が紹介されずにきたかは検証されるべきだ」と問題提議した。田中の堂に入った演出ぶりを、フランスの巨匠マルセル・カルネジャン・ルノワールと重ねる声もあった。
 今回の回顧上映は昨今の映画界における女性差別撤廃の流れとも連動しているだろう。「#MeToo」運動をきっかけに、映画界における女性の地位の見直しが世界的に進んでいる。新世代の女性監督の活躍も目覚ましく、この1年をみても米アカデミー賞カンヌ映画祭ベネチア映画祭の最高賞を女性の作品が占めたほど*17
 長らく陰に置かれてきた田中監督の作品群だが、まっさらな目で評価を受ける時代がようやく訪れたのかもしれない。
 30日(土)に開幕する東京国際映画祭でも修復作4本が上映される予定だという。「映画監督・田中絹代」の評価は、今始まったばかりだ。

【お吟さま 4Kデジタルリマスター版】| 第34回東京国際映画祭(2021)
◆「女性監督のパイオニア 田中絹代トークイベント」開催決定!
 日時:11/1(月)18:00~、 東京国際映画祭 YouTube 公式チャンネルにてライブ配信
お吟さま
 作品解説
 茶道の名匠千利休中村鴈治郎)の娘・お吟(有馬稲子)の悲恋を描く今東光*18原作の同名小説の映画化。キリシタン大名高山右近仲代達矢)と吟の悲恋を描いた作品。右近に思いを寄せつつも堺の豪商(伊藤久哉)と結婚させられたうえ、秀吉(滝沢修)の側女になることを強制される。右近への愛を貫き通し、死をもって権力に抵抗する女性の生き方を、華麗な桃山文化をバックに田中絹代の女流監督らしい耽美的でキメの細かい演出により、美しく映し出している。
【俺のコメント】
 2021/12/20現在で、1時間23分程度の動画が張ってありますのでトークイベントの視聴ができます。
 一応「少しだけ」見ましたが、司会曰く「田中監督は海外で再評価されています」「今年(2021年)のカンヌ国際映画祭でも田中作品『月は上りぬ』が上映されました」「ということでカンヌ映画祭ディレクターのクリスチャン・ジュンヌ氏にフランスでの田中監督評価をお聞きします」(以下は見ていませんので省略)。

 なお、「月は上りぬ、カンヌ映画祭」でググったら確かに

田中絹代さん監督第2作「月は上りぬ」がカンヌ映画祭クラシック部門で上映 - シネマ : 日刊スポーツ2021.6.24
 世界3大映画祭の1つ、カンヌ映画祭(7月6日開幕)事務局は23日(日本時間24日)カンヌクラシック部門の上映作品を発表し、日本映画史に残る女優であり、映画監督でもあった田中絹代さんの監督第2作「月は上りぬ」(1955年)を上映すると発表した。
 カンヌ映画祭は公式サイトで、田中さんを「女優兼映画監督」と紹介。田中さんが1953年の初監督作「恋文」を同映画祭に出品したと説明した上で「(前略)田中さんは、日本映画の黄金時代に活躍した、唯一無二の映画制作者であり、今回、上映する監督2作目からも、その計り知れない才能がうかがえます」と紹介した。
(中略:この部分に「月は上りぬ」の簡単な紹介が書いてあります。)
 田中さんは1977年(昭52)に67歳で亡くなったが、没後半世紀が過ぎた近年、出演、監督作ともに海外で再評価されている。2020年のロカルノ映画祭(スイス)で開催された、女性をテーマにした回顧展で作品が取りあげられた。またカンヌ映画祭公式サイトも「4Kで修復された6本の映画による、回顧展が予定されています」と紹介している。

と言う記事がヒットしました。
 これらの記事の赤字部分、特に

ルモンド紙は「彼女が一流の映画作家であることを明らかにしている」と大きく報じた。
ロカルノ国際映画祭ディレクターのリリ・アンスタンは「なぜこれほどの才能が紹介されずにきたかは検証されるべきだ」と問題提議した。田中の堂に入った演出ぶりを、フランスの巨匠マルセル・カルネジャン・ルノワールと重ねる声もあった。

は田中には失礼ながら、田村正和さん「家に帰りたい、学校に行けない」忙しすぎた “泣き虫俳優” 時代|ニフティニュース(2021年06月25日)といった「冨士眞奈美の酷評」もありますし、「ホンマかいな、ひいきの引き倒しと違うのか(苦笑)」ですが。
 ということで近年は「女性映画監督としての田中」に着目する流れが強くなってるようですね。「開拓者、先駆者」はそれだけで「評価したい」と思う俺的には「大変いいこと」です。
【3】
 いくつか田中映画の感想などを見つけたので紹介しておきます。なお、ググったら「全否定に近い酷評も実はあった」のですが、それは

◆武士の情け(?)
◆『騎士は、女性と子どもの守護者たらねばならない』という『騎士道精神(?)』

として紹介しません(冨士眞奈美の回想田村正和さん「家に帰りたい、学校に行けない」忙しすぎた “泣き虫俳優” 時代|ニフティニュースはかなり手厳しいですが、それは「関係者の貴重な体験談」として紹介しておきます)。

無意識の偏見に気づくきっかけに。大学生が主催する「ジェンダー・ギャップ映画祭」 | マガジン9から「田中絹代」関係部分のみ引用
◆インタビュアー
 古くは1935年の中国映画から現代の日本映画まで、場所も時代もバラエティにとんだラインアップになっていますね。
日大芸術学部ゼミ生
 なるべく多くの国、時代の作品を集めるようにしました。
 上映作品を比較しながら観てもおもしろいと思います。たとえば、サウジアラビア初の女性監督による2012年の映画『少女は自転車にのって』と、1955年の田中絹代監督による日本映画『月は上りぬ』は、時代も国も異なりますが、どちらもジェンダー・ギャップの大きい社会でのパイオニア女性監督の作品であり、どんな共通点、違いがあるのかも見所です。
※『少女は自転車にのって』(ハイファ・アル=マンスール監督/2013年/サウジアラビア
 サウジアラビア初の女性監督の作。女性の権利が厳しく制限されているサウジアラビア。女の子が自転車に乗ることさえはばかられる社会にあって、自由闊達に生きる少女の奮闘を描く
※『月は上りぬ』(田中絹代監督/1954年/日本)
 戦争で妻を亡くした父と暮らす3人姉妹の恋模様から当時の女性を取り巻く社会が見えてくる

なぜならそれは、切実な問題だから──現役大学生主催の「ジェンダーギャップ映画祭」が伝える世代を超えたメッセージ。 | Vogue Japanから「田中絹代」関係部分のみ引用
◆インタビュアー
 今回のラインナップの中で、皆さんにとって思い入れのある作品や、映画を選んでいく上での基準を教えてください。
◆佐々木
 明確な基準があるわけではないのですが、観てくれた人びとに共感してもらうことが一つの狙いなので、自身の経験を投影しやすい、ある程度一般化された設定の作品を意識して選びました。私は、考える余地を与えてくれるアニエス・ヴァルダ監督の『5時から7時までのクレオ』(1961年)と田中絹代監督の『月は上りぬ』(1954年)の2つに特にビビッときました。

【東京国際映画祭】トークイベント・ライブ配信「女性監督のパイオニア・田中絹代トーク」(11月1日18:00)。 - fpdの映画スクラップ貼2021.10.30
東京国際映画祭】のトークイベント・ライブ配信として「女性監督のパイオニア田中絹代トーク」が11月1日18:00、配信される。日本映画クラシックス部門で上映されている日本映画界の女性監督の草分けでもあった田中絹代監督に関して、ゲストを招いてトークを行うというもの。
登壇者(予定):
 クリスチャン・ジュンヌ(カンヌ国際映画祭代表補補佐)
 三島有紀子*19(映画監督)
 斉藤綾子明治学院大学教授/映画研究者)
 冨田美香*20(国立映画アーカイブ主任研究員)
【俺のコメント】
 2021/12/20現在で、1時間23分程度の動画が張ってありますのでトークイベントの視聴ができます。

流転の王妃 ★★★ - まり☆こうじの映画辺境日記2008.11.9
満州国皇帝の弟溥傑に嫁いだ嵯峨浩(さが・ひろ)の自伝に基づく”激動の昭和史”映画。正味75分程度のカット版なので特に前半がやたらと快調に進んでしまうのだが、激動の昭和史に押し流されるひとりの女の半生記としては波乱万丈の展開で引き込まれる。しかも、ほとんどは実話に忠実に描かれているようだ。
◆映画制作当時はまだ、当事者が存命中だったので竜子(京マチ子)と溥哲(船越英二)という名前に変えられているが、関東軍の策謀で政略結婚させられ、愛し合いながら敗戦で引き離され、溥儀の皇后を護りながら中国大陸を転々とする流浪の日々が切実に描かれる。ここでは、もうひとりの”流転の王妃”である溥儀の皇后が阿片中毒で精神を病みながら、流浪の途中で襤褸切れのように死んでゆく姿と対比されて竜子の姿が描き出され、女の力強さを打ち出す。
◆後半の過酷な旅の描写は、もちろん大陸ロケなど行われていないが、演出的にはかなり頑張っている。その後、長女の天城山心中があっさりと流され、あわただしく収束してゆく展開は時間不足という印象だが、満州国の一断面をひとりの女の、いくぶん浮世離れしたとはいえ、生活実感のなかに浮き彫りにしたドラマは見ごたえがある。頼りになりそうで頼りない溥哲を船越英二が上品に演じて、さすがに巧い。
的場徹の特殊技術作画合成を中心として、満州での居宅のフルショットの情景やサーチライトの交錯する空襲の情景などを描き出す。
◆2003年にテレビ朝日開局45周年記念ドラマとして「流転の王妃・最後の皇弟」のタイトルでも映像化されているが、これは未見。オールスターキャストなので、これはこれで楽しそうだ。

わたくし田中絹代は、溝口健二を目指します!『お吟さま』 - まり☆こうじの映画辺境日記2021.5.20
感想
千利休の娘・吟(有馬稲子)は妻あるキリシタン大名高山右近仲代達矢)に積年の想いを告白するが信仰を盾に拒絶される。絶望して堺の商家に嫁いだが、キリスト教は禁止され、目障りな高山右近を除く石田三成南原宏治)の計略で二人は引き合わされ、落ち延びる途中で、信仰を裏切り地獄へ落ちる覚悟で結ばれる。だが秀吉の側室になれと迫られた吟は自分の魂は右近とともにあり、ここにあるのは自分の抜け殻だと反抗する。
熊井啓が後に宝塚映画でリメイクしているが、見比べるとかなり違う。本作は文芸プロダクションにんじんクラブの製作、松竹配給作で、田中絹代が監督に専念している。文芸時代劇だけど随分贅沢に作られていて、撮影は宮島義勇を連れてきて、田中絹代溝口健二を意識しながら演出しただろう。当然ながら美術も贅沢で、特に着物の発色と色合いの美しさはうっとりする。キャメラの画角もいかにも宮島義勇好みで、当時でも既に古臭くうつったはずだ。構図は基本的に俯瞰気味で、当時の東映時代劇でも大作の場合はそんな撮り方をするが、しかし人物を撮るときには、それはあまりに俯瞰すぎだろうというカットが散見される。もちろん、不自然にはなっていないが、いささか映画全体の流れを阻害する部分もある。
◆ただ、脚本の問題として、テーマの掘り下げが浅くて、吟の自刃で終わっている。というか、牛に背負われて刑場へ引かれる若い女岸恵子の特別出演!)の美しい顔を思いながら、白無垢姿で別室に移る場面で終わっている。刑場へ引かれる女の図は溝口の『近松物語』を思わせ、悪くないし、夕景の淡いマジックアワーの光線を生かしたロケ撮影が秀逸な美しいシーンだ。ただ、ドラマとしてのテーマ性の打ち出しが弱く、メロドラマに終止する印象だ。正直、作劇的にもっとメリハリが欲しいし、もっと盛り上がるはず。
◆このあたりは、熊井啓の『お吟さま』ではかなり改善されていて、お吟の自死は迸る情愛への殉死であるし、権力者への反抗であることが強調される。さらに、熊井啓は敬愛する黒澤明を意識して、秀吉と利休の対立を激しく描く。このあたりが非常に面白いし、上出来だった。熊井啓もやりすぎくらいにヒートアップしてたよね。なにしろ音楽も伊福部昭で、散々盛り上げる。
◆本作では利休を演じる中村鴈治郎が名演で、あまり大きな見せ場はないが、先日観た『琴の爪』よりもずっと良い。一方、滝沢修演じる秀吉も出番が少なく、熊井啓版の三船敏郎の方が実は良いのだ。お吟の気持ちをどんどん代弁して説明してしまう側女が冨士眞奈美で、かなりの儲け役。お吟の夫役として伊藤久哉がわざわざ東宝から来て大役を演じるのも珍しいし、お吟の弟役は田村正和じゃないか。

田村正和さん「家に帰りたい、学校に行けない」忙しすぎた “泣き虫俳優” 時代|ニフティニュース(2021年06月25日)から、田中映画「お吟さま」関係部分のみ引用
 女優・冨士眞奈美が語る、古今東西つれづれ話。今回は、4月3日に心不全で逝去した故・田村正和さんとの若かりしころの思い出を綴る。
 初めて共演したのは、1962年に公開した、大女優の田中絹代さんが監督をされた『お吟さま』という映画だった。原作は今東光さん。千利休の娘・お吟とキリシタン大名高山右近の悲恋を描き、お吟さまは大美人の有馬稲子さん、右近を仲代達矢さんが演じた。
 千利休を(二代目)中村鴈治郎さん、奥方を高峰三枝子さん、豊臣秀吉滝沢修さん……錚々(そうそう)たる役者が集う中、私はお吟さまの女中役・宇乃。正和ちゃんはお吟さまの弟役として出演。新人若手はふたりだけ。
 お吟さまの女中だから、ずっと出番がある。長時間、現場にいる。その間、弟役である正和ちゃんと時間を過ごすことが多かった。彼は、前年の『永遠の人』で本格デビューを果たしたものの、芸歴はまだ浅く、当時は東京・世田谷の成城学園高校に在学する高校3年生だった。
 撮影場所は京都太秦。彼は、「家に帰りたい。学校に行けない。日数が足りないと受験ができない」と不安がつのり、いつもシクシク泣いていて。私は話し相手になって「大丈夫よ!」なんてなぐさめていた。撮影は半年もかかった。
 (ボーガス注:田中絹代など関係者の多くが故人となった)今だから話せるけど、実は『お吟さま』は製作の裏側がドタバタだった。正和ちゃんが、「家に帰りたい」と嘆いていた気持ち、それもわかるのよね(笑)。
 まず、監督である田中絹代さんに申し訳ないけれど、監督としての才能に疑問符。もともと田中さんは、小津安二郎さん、溝口健二さん、成瀬巳喜男さんなど名だたる監督に重用された本当の大女優。だからといって、監督としての才覚があるかどうかは別問題。『お吟さま』は、田中さんの6作目にあたるわけだけど、撮影が全然進まない。
 私たちへの演技指導も不確かで自信がなく、振り付けで伝える。「ここで何歩か歩いて、振り返る」という具合に、踊りのようにディレクションなさるんだけど、よくわからないから私も正和ちゃんも困っちゃって。
 なのに我を通そうとなさるから、新人ふたりはうさの捨てどころ。田中さんはベレー帽をかぶってブルゾンを着て、格好は超一流監督だったけど、(ボーガス注:千利休役の)中村鴈治郎さんや(ボーガス注:豊臣秀吉役の)滝沢修さんを前にすると何もおっしゃらない。脚本やセリフの直しが多く、あまりに撮影が進行しないので、(『人間の條件』などを担当した)撮影監督の宮島義勇さんが「うーん、困った」とよく愚痴をこぼしていらした。
 おまけに、主役の有馬稲子さんは、(ボーガス注:後に離婚するが)萬屋錦之介さんと結婚したばかり。撮影には気分が乗らず、早くお家に帰りたいお気持ち。脚本もお気に召さず*21、有馬さんの気持ちも十分わかるけれど、撮影もままならなくて、正和ちゃんじゃなくても泣きたくなったわよ。
 やっと撮影がアップすると、みんなで京都駅まで正和ちゃんを見送りに。ホームで「受験がんばってねー!」って大声を上げながら手を振ったことを覚えている。

満州国が崩壊するとき、女たちの受難の旅が始まる『流転の王妃』 - まり☆こうじの映画辺境日記2021.6.16
感想
◆昔一度見ているのだが、テレビでのカット版だったため、完全版を観たいと思っていたところ、ちゃんとDVDが出ていることを知り、しかも格安になっていたので、買ってしまいました。そんなに何度も観る映画ではないけれどね。
◆映画封切り時には、原作、脚本、監督が女性ですよというのが惹句で、女性観客に訴求することが企画意図だったようだ。とはいえ、全盛期の和田夏十の脚本なので、単純なメロドラマにはならない。
◆まず気になったのは、どこが大幅にカットされたのかということ。予想通り、呼倫覚羅竜子(愛新覚羅浩)が満州に嫁入りするまでの国内シーンがザックリと切られている。短縮版はあきらかに国内場面が軽快すぎるので、そりゃそうだと納得。軍部の策謀の場面も一部カットされていたと思うけど、完全にカットされたのは、皇室で皇太后三宅邦子だった!)から言葉と白雲木の種をいただく場面。これは見覚えがなかった。三宅邦子が敢えてゆっくりと棒読みで、リアルに演じるこの場面は演出的にはかなり凝っていて、違う意味で見応えがある。
◆女性監督だから?かどうかは知らないが、生け花をグラフィカルなアクセントにした様式的な画面構成がここだけ際立っていて、ひょっとして市川崑あたりが手伝ったのではと疑わせる。企画は(ボーガス注:、和田脚本、市川監督の映画『』(1959年)、黒い十人の女』(1961年)、『破戒』(1962年)を企画した)藤井浩明だし、脚本は(ボーガス注:市川の妻)和田夏十だし、ありそうな気もするのだが。例えば同じ監督の『お吟さま』を観ても、こんなにグラフィカルな画作りはしていないからね。(注:実は『乳房よ永遠なれ』を観ると、田中絹代の画作りの凝り方は独特のものとわかる)
◆しかも驚くのが、部屋の奥に広がる庭園の情景がすべて書き割りということ。これをキャメラ移動で捉えるのだが、部分的に役者の薄い影が出るので書割とわかるが、空気感や陰影はかなりリアルで、映像効果としてはかなり高度なもの。これが東映なら、もっと絵画よりだろう。
◆しかもアバンタイトルからの流れが素晴らしく、娘の天城山の心中事件で憔悴して泣き出しそうな表情で天を仰ぐ竜子(京マチ子)から木下忠司のテーマ曲がドーンと入ってタイトルにつなぐあたりの構成は完璧。この場面だけで泣けてくる。まだ若い竜子が軍の行進に道を譲り、軍靴の向こうに竜子の姿を捉えながら歩く姿を対比して、象徴的に描くタイトルバックも秀逸。
笠智衆が大きくクレジットされながら登場しないのは、竜子の娘時代の場面がカットされたことを示す。竜子の画の先生役らしいので、行軍と遭遇する前の場面で登場する予定だったかもしれない。天城山心中からタイトルに繋ぎたいという演出意図で切られた可能性がある。
◆改めて見直しても、終盤の風呂敷の畳み方が性急で、娘の心中事件も随分軽く感じられ、夫婦で日中友好の架け橋になりましょうと手紙で語り合って終わるのは、確かに公式見解としてはそう言っておくしかないのだが、型通りで感動を呼ぶところがない。まあ、なにしろ当時は当事者が健在だし、撮影現場にも見学に来るわけで、脚本家もそれ以上のアレンジの仕方がなかっただろう。
満州国皇帝の溥文(溥儀)もかなり大きな役で、溥哲(溥傑)の妻である竜子と対比されるのがその皇后。皇后は以前から阿片吸引癖で精神的に病んでいたところに、帝国崩壊で浩たちと流浪の旅を続ける中で廃屋に捨て置かれて悲惨な最後を遂げる。実際のところ浩はすでに廃人状態の元皇后の下の世話までしながら流転の旅を共にしたという。若手の金田一敦子が演じているが、かなりの大役で、外見は目を引く貴人ながら内実が病んでいるという、満州国崩壊の悲劇の、その悲惨の象徴として描かれる。いっぽう竜子は通化事件も経験しながら生きながらえて幸運にも日本へ帰国することができたが、一人娘を意外な形で喪うことになる。
◆その運命の不可解さと残酷さが、女の宿命として描かれるが、深い感動にまでは至らないのがもったいない。もう少し大胆なアレンジを許せばよかったと思うよ。少なくとも心中した娘のエピソードは終盤でもう少し拾っておくべきだよなあ。(ボーガス注:関係者が存命だから描きづらかったのだろうが)完全にオミットされているのはあまりにも心理的に不自然だもの。

これが映画監督田中絹代の真価か!早すぎた女性映画の傑作『乳房よ永遠なれ』 - まり☆こうじの映画辺境日記2021.6.26
感想
◆なんとなく難病メロドラマだろうという印象しかなく、全くマークしていなかったが、何気なくアマプラ*22に入っている(!)のでいちど観ておくかと観始めると、途中から姿勢を正して観ることになりました。という隠れた傑作。明らかに早すぎた、攻めすぎた女性映画の傑作。映画監督としての田中絹代が、小津成瀬の薫陶を踏まえて、自分自身の資質を発見した、かなりの問題作で、野心作。
◆本作は、早逝の女流歌人中城ふみ子の特異な半生を描いた実録映画なのだ。全く予備知識無しで観たので、それだけで意外だったが、もちろん大幅に脚色はされているものの、この映画の凄さは本人の壮絶な生き方に負っていることは確かだ。
◆夫婦生活に恵まれないふみ子(月丘夢路)は子どもをつれて実家に戻り、短歌の同好会で頭角を表しはじめるが、密かに慕っていた同級生(森雅之)は突然病死し、自身も乳がんが発見される。乳がんは切除したものの、がん細胞は肺に転移し、余命わずかと言われる病床にありながら、最初は興味本位だった東京の新聞記者(葉山良二)と次第に情を深めてゆく。。。
◆驚嘆するのは、実際に死の床にあったふみ子は新聞記者と病室内で情を通じており、その状況が新聞記者によって書籍化されたということ。それが本作の原作で、よくもこんな機微な実話を映画化したものだと感心する。実際、新聞記者の末期がん患者に対する接し方は、今のリテラシーではありえないもので唖然とする。
◆しかし、ただ実際にあった事実の衝撃をどう映画的に描くかというところが映画監督の腕の見せ所で、本作の場合は脚本も優れているが、映像表現において卓越している。日本映画全盛期のことゆえ、技術スタッフも特に指示がなくてもそれぞれの創意工夫でレベルの高い仕事をこなしてしまうところがあるが、それにしても、カット割りとか編集には監督の意向が大きいだろうし、的確できめ細かい心理描写も、ある部分では成瀬的でもあるが、主人公の激しい情欲に寄り添った終盤の演出には目をみはるものがある。
◆終盤は乳がんが肺にも転移して重傷者病棟で展開するが、一般病棟との間の渡り廊下を象徴的に生かした演出や、様々なライティングで同じ美術装置から幅広い演出的な表情を生み出した美術や撮影の取り組みとか、病院から抜け出して女ともだち(杉葉子)の家で入浴する場面の緻密なカット割りによる複雑な心理描写など、とても並の映画監督のわざではない。ふみ子の実家の奥行きの深い家屋の立体的な捉え方や、その中での芝居の出し入れについても成瀬ゆずり*23といったモノマネを遥かに超えた名演出を見せる。脇役に徹した大坂志郎も持ち味を十二分に発揮している。
◆そして主演の月丘夢路という人も、なかなか謎の人で、宝塚出身の美人女優で松竹でトップ女優だったのに、露骨に共産党色で塗り固めた『ひろしま』にノーギャラで参加*24し、本作では肌の露出や女性の情欲を積極的に演じることに躊躇しない。さらに後年の『白夜の妖女』でもヌード撮影が行われたという。(泉鏡花の『高野聖』の映画化で、昔、東京で観ているが、かなり退屈な幻想映画だったという印象しかない。キレイなリマスターで見直してみたいなあ。)当時のことゆえ、相当に「意識高い」系の大胆な女優だったようだ。旧弊なメロドラマに飽き足りないものを感じていたのだろう。このあたりは今後の研究を俟ちたい。
◆結果として、本作は平凡な女性が最終的に迎える意志的な死と、その直前のむき出しの欲動を、ハードボイルドの域まで突き詰めるという離れ業を成功させた。正直、1955年の時点でこれほど激烈な女性像を描いてしまうと、それだけで一般の反発を食らったことだろう。そのことが映画の過小評価を招いた可能性がある。増村保造が1960年代以降に到達する境地に一足先に足を踏み入れているし、その映画的な表現の洗練ぶりはちょっと観ている方が動揺するくらいだ。
◆女性映画監督としての田中絹代の再評価が始まっています。最初に感心したのは大作『流転の王妃』でしたが、『お吟さま』も実はかなりの意欲作だった気がします。ただ、スペクタクルな大作は任ではなかった気がします。

【4】
 「女優、映画監督」でググったら田中とは別の「俺的に面白い記事」がヒットしたので紹介しておきます。

伝説の女優・高橋洋子が自身の監督作で再始動 朝ドラのヒロイン共演、渥美清さんの素顔も(よろず~ニュース) - Yahoo!ニュース
 1970年代に時代の先端を走った伝説の女優・高橋洋子が監督、脚本、プロデューサー、主演を務めた30分の新作短編映画「キッド哀ラック」を完成させ、過去に出演した代表作と共に10月に初公開される。
 高校を卒業した72年に斎藤耕一監督の映画「旅の重さ」の主役オーディションに合格して映画デビュー。名監督の作品に出演し、三國連太郎田中絹代原田芳雄文学座付属演劇研究所の同期だった松田優作らと共演。テレビドラマでは73年のNHK連続テレビ小説北の家族」のヒロインに抜てきされ、最高視聴率が50%を超えた同作で国民的な知名度を獲得した。清純派から一転、殺人犯役でゲスト出演した日本テレビ系「傷だらけの天使」では萩原健一、「大都会 闘いの日々」では石原裕次郎や渡哲也を相手にインパクトを残した。
 81年に小説「雨が好き」で中央公論新人賞を受賞。女優、歌手、小説家としてマルチに活躍する中、同作を原作とした映画で83年に監督デビュー。今回は38年ぶりの監督作となり、女優としては2016年公開の映画「八重子のハミング」(佐々部清監督)以来の再始動となる。音楽は夫の三井誠が担当。「僕にまかせてください」などのヒット曲を持つバンド「クラフト」の元メンバーで、稲垣潤一の大ヒット曲「クリスマスキャロルの頃には」を手掛けた作曲家だ。
 テーマは「自分の居場所はどこだ」。それぞれの人生を経て、故郷の町で再会する姉妹の話だ。高橋は妹役で、姉役は77年のNHK連続テレビ小説「風見鶏」のヒロインを務めた新井晴み。「北の家族」以来の共演となる新井とは同い年で、私生活でも交流がある。
 「人間の『喜怒哀楽』を描きました。新井さんが演じる姉は地元にいて、子どもが巣立ち、夫を亡くして認知症の母を介護している。私が演じた妹は夢を持って東京で自由に暮らしていたが、繁盛していた店など全てを失い、帰郷して母の家に転がり込む。そこから物語が展開されます」
 特集上映は2週間にわたって開催される。10月9日に東京・東中野のイベントスペース「ポレポレ坐」で行われる「前夜祭」では新作短編、高橋と新井のトークライブに加え、渥美清主演の「田舎刑事 時間(とき)よ、とまれ」を上映。77年にテレビ朝日系で放映され、ソフト化されていない伝説のドラマだ。当時、24歳で女性刑事を演じた高橋は渥美の役者魂を体感した。
 「渥美さんと肩を抱き合うシーンがあったのですが、そこで渥美さんは私の肩を少しずつ回し、長い髪に覆われた私の横顔は見えなくなり、渥美さんの横顔が大きくフレームに入った。監督の意図ではカメラが真横から2人の横顔を捉えるはずが…。少しでも前に出てやろう、1秒でも長く舞台に立っていたいという浅草芸人さんの根性が、あんなに大きな俳優さんになられても染みついていた」

「北の家族」ヒロイン、伝説の女優が38年ぶりメガホン「本当は映画をやりたかったです」(ENCOUNT) - Yahoo!ニュースから一部引用
 「キッド哀ラック」は東京で夢に破れたヒロイン(高橋)が故郷で姉(新井晴み)と再会し、前に進んでいこうとする姿を描く約30分の短編だ。
 映画では認知症になった母との確執も描かれる。「モデルは94歳になる母です。認知症ではありませんが、今は入院しています。私は長いこと親子関係に苦しんできた。若い時は、『撮影所に行くのに、ジーンズで行くのか』とかよく言われたものです。母娘には抗いたくとも抗えない愛情を抱えている。親のエゴでどこまで子どもを縛っていいのか、というのはずっと考えてきたテーマでした。娘はある時期に母親がイヤになるもの。老いては子に従ってほしいですよ」と苦笑いする。
 映画「サンダカン八番娼館 望郷」(74年)では、アジアに渡った娼婦「からゆきさん」だったヒロインの若い時代を演じ、名女優・田中絹代がその晩年を演じた。
「絹代さんは何本も商業ベースの映画を監督されたすごい先輩ですが、監督業について聞かれると『若気の至りでした』とおっしゃっていました」

*1:完全に脇役に回ってるあたりが「何だかな」ですね。昔の田中なら演じていた役は明らかに久我美子の役(ヒロイン)ですので。

*2:完全に脇役に回ってるあたりが「何だかな」ですね。昔の田中なら演じていた役は明らかに『三姉妹のいずれかの役(ヒロイン)』ですので。

*3:1908~2000年。1951年に映画『我が家は樂し』(中村登監督)、『少年期』(木下惠介監督)、『めし』成瀬巳喜男監督)でブルーリボン賞脚本賞を受賞。また、NHK連続テレビ小説うず潮』(1964年)、『虹』(1970年)の脚本を担当(田中澄江 - Wikipedia参照)

*4:1925~2021年。溝口健二の遺作となった映画『赤線地帯』(1956年)の脚本を担当。1970年以降は映画から離れ、1975年から1977年にかけてNHK連続人形劇『真田十勇士』(柴田錬三郎原作)の脚本を担当(成沢昌茂 - Wikipedia参照)

*5:映画プロデューサー藤本真澄の功績を讃え、東宝によって1981年に設立された(藤本賞 - Wikipedia参照)

*6:日経新聞大津支局長、文化部次長、京都支局長などを経て、文化部編集委員。著書『1秒24コマの美:黒澤明小津安二郎溝口健二』(2010年、日本経済新聞出版社

*7:アリス・ギイについては、アリス・ギイ『私は銀幕のアリス:映画草創期の女性監督アリス・ギイの自伝』(2001年、パンドラ)と言う著書があるようですが、日本版ウィキペディアには項目がありません。

*8:2009年の『ハート・ロッカー』でアカデミー監督賞受賞。これは史上初の女性によるアカデミー監督賞受賞である(キャスリン・ビグロー - Wikipedia参照)。

*9:1928~2019年。1965年の『幸福』でベルリン国際映画祭銀熊賞、1985年の『冬の旅』でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞。2017年の第90回アカデミー賞で、長年の功績を称え名誉賞が授与された(アニエス・ヴァルダ - Wikipedia参照)

*10:2017年10月5日にニューヨーク・タイムズが、映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインによる数十年に及ぶセクハラを告発する記事を発表。10月10日には、女優のアシュレイ・ジャッドら数十名が実名で彼のセクハラを告発、雑誌ザ・ニューヨーカーも10ヶ月に及ぶ被害者への取材記事をウェブ版で発表した。これによって、彼が経営するワインスタイン・カンパニーは経営が悪化、2018年3月19日に連邦破産法の適用申請手続きが行われた。被害者によって申し立てられていた性的暴行の件で、2018年5月25日にニューヨーク市警によって公式に逮捕され、訴追された。2020年3月11日に禁固23年の刑が言い渡され、その後、刑務所に収監された。この事件は「俳優ケビン・スペイシー」「メトロポリタン・オペラ名誉監督(なお、告発によって名誉監督を解雇)ジェームズ・レヴァイン」「民主党上院議員ミネソタ州選出)(なお、告発によって議員辞職)のアル・フランケン」など「ワインスタイン以外のセクハラ行為者への告発」も生み出し「ワインスタイン効果」、MeToo運動と呼ばれる社会現象を引き起こした。(MeToo - Wikipediaハーヴェイ・ワインスタイン - Wikipedia参照)

*11:「映画界のジェンダーギャップ」についてはググってヒットしたハラスメント、長時間労働…映画界、深刻なジェンダーギャップ | 毎日新聞(2021.6.30)、少ない女性監督、大作では3% 映画界の環境改善へ団体:朝日新聞デジタル(2021.7.2)、 映画製作現場のジェンダーギャップなど調査する団体が発足 | エンタメ | NHKニュース(2021.7.2)、赤旗大作映画 女性監督3.1%/ジェンダーギャップ調査 「日本の業界改善を」(2021.7.7)を紹介しておきます。

*12:著書『映画女優若尾文子』(共著、2003年、みすず書房)など

*13:田中絹代は小学校卒なのに対し、田中澄江は東京女子高等師範学校(今のお茶の水女子大学)卒

*14:似たようなことは日本映画史に映画監督として絹代さんの名を刻むきっかけになれば。 「映画監督 田中絹代」著者、津田なおみさんインタビュー - 映画ニュースで津田氏も話しています。

*15:川喜多記念館の「川喜多」とは東宝東和創業者の川喜多長政のこと。

*16:著書『映画監督・小林正樹』(共著、2016年、岩波書店

*17:なお、2021年の米アカデミー賞カンヌ映画祭ベネチア映画祭の最高賞受賞作はそれぞれ『ノマドランド』(クロエ・ジャオ監督:なお、この作品は第77回ヴェネツィア国際映画祭(2020年)金獅子賞も受賞)、『チタン』(ジュリア・デュクルノー監督)、『L’Événement』(オードレイ・ディヴァン監督)で確かにすべて女性監督です(第93回アカデミー賞 - Wikipedia第74回カンヌ国際映画祭 - Wikipedia第78回ヴェネツィア国際映画祭 - Wikipedia参照)。

*18:1898~1977年。1956年に『お吟さま』で直木賞を受賞(今東光 - Wikipedia参照)

*19:名前は本名であり、三島由紀夫に由来するという。1992年にNHKに入局。『NHKスペシャル』『トップランナー』などのドキュメンタリー作品を企画・監督。劇映画を撮るため退局後、東映京都撮影所などで助監督、脚本執筆などを経て、2009年に『刺青 匂ひ月のごとく』で映画監督デビュー。2017年、『幼な子われらに生まれ』で報知映画賞監督賞を受賞(三島有紀子 - Wikipedia参照)。

*20:立命館大学准教授、教授などを経て国立映画アーカイブ主任研究員。著書『千恵プロ時代:片岡千恵蔵伊丹万作稲垣浩』(1997年、フィルムアート社)、『山田洋次・映画を創る:立命館大学・山田塾の軌跡』(山田洋次との共著、2011年、新日本出版社

*21:脚本は溝口健二の遺作となった映画『赤線地帯』(1956年)の脚本を担当した 成沢昌茂 - Wikipediaと言う人物なのでそんなに酷い脚本とも思えません。「田中監督への不満」で脚本にも不満が出た、つう事ではないか。

*22:アマゾンプライムビデオのこと

*23:1953年に監督業を始めるにあたり相談相手の成瀬巳喜男監督に弟子入りし、成瀬の『あにいもうと』に監督見習いとして加わった(田中絹代 - Wikipedia参照)。

*24:それが晩年、『統一教会と関係の密接な一和高麗人参茶のTVCMに月丘が出演し、夫・井上梅次統一教会系の国際勝共連合の後押しで制作された『暗号名 黒猫を追え!』で監督・脚本を担当するなど、統一教会との関わりの深い芸能人(月丘夢路 - Wikipedia参照)』と言うのだから絶句しますね。右翼転向という奴でしょうか。