珍右翼・黒坂真に突っ込む(2022年1月9日分)

◆黒坂のツイート

黒坂真
 田村智子*1議員。日本共産党創立の頃、20代だった党員と言えば野坂参三徳田球一、渡辺政之輔、鍋山貞親、佐野学らですね。反党分子とやらが多い。
◆田村智子
 明日です。配信します。
 日本共産党の創立は、20代の若者たちの手によって成し遂げられた。

 黒坂のバカさに吹き出しました。野坂*2や徳田*3はともかく「鍋山*4や佐野」は「現在の藤岡信勝筆坂秀世」みたいなもんで完全に右翼転向してるので「反党分子」なのは当たり前の話です。
 渡辺政之輔だけは「反党分子」ではないのですが

渡辺政之輔 - Wikipedia(1899~1928年)
 1928年(昭和3年)、国際連絡の帰途、台湾の基隆で挙動不審ゆえ刑事に誰何された際、隠し持っていた拳銃で刑事を狙撃(翌日、死亡)したため官憲に追われ、包囲され自身の拳銃で自殺したという(ただし、訪台して遺体を引き取った布施辰治によると、弾痕は渡辺の額の中央にあったという。このため渡辺の死は自殺ではなく警官隊による射殺との主張もある。)。

という「悲劇的死」を黒坂が「共産党叩きに使う思惑」なんでしょうが時代が今と全然違いますからね。
 当時の時代状況においては「警官射殺など無法」と安易に渡辺を批判すべきではないでしょう。一方で、こういう出来事が今の日本共産党において起こる可能性もない。
 なお、黒坂は触れていませんが、1921年共産党創立メンバーは

第一次共産党 (日本) - Wikipedia参照
荒畑寒村 - Wikipedia(1887~1981年)
高津正道 - Wikipedia(1893~1974年)
山川均 - Wikipedia(1880~1958年)

ということで「戦後、社会党の創立メンバーとなった人間が多数いる(勿論、戦後も共産党に所属したメンツもいますが)」というあたりが興味深いところです。
 最後に渡辺政之輔についていくつか雑学を書いておきます。
1)渡辺政之輔(わたなべ・まさのすけ)のあだ名が「ワタマサ」。
 で、ご存じの方もいるでしょうが、読売のナベツネ渡辺恒雄)は学生時代は共産党員でした(今は完全に右翼転向していますが)。
 で、共産党員時代は、周囲から「ワタマサ」をもじって「ワタツネ」と呼ばれていたそうで、党員ではなくなった今でも「古くからの知人」は彼のことを「ワタツネ」と呼ぶのだそうです(確か、魚住昭渡辺恒雄・メディアと権力』(講談社文庫)にそんなことが書いてあった記憶があります)。ちなみに「いわゆる竹下派七奉行の一人」渡部恒三*5ワタミグループ創業者「渡辺美樹」のあだ名もそれぞれ「ワタコー」「ワタミ」でしたね。「渡辺貞夫(ジャズサックス奏者)」「渡辺晋(渡辺プロ(通称:ナベプロ)創業者)」は「ナベサダ」「ナベシン」ですが。
2)

https://twitter.com/chocoramastudio/status/1049630086637346816
みぞぐちカツ
 ボツになった東映映画の企画で特に惜しまれるのは68年「あゝ全学連(仮題)」と73年「実録日本共産党(仮題)」。「あゝ全学連」は企画がどの段階まで詰められたのかは定かではないが、「実録日本共産党」は主役の渡辺政之輔に(ボーガス注:笠原脚本の映画『仁義なき戦い』で主演した)菅原文太など主要キャストも内定し、笠原和夫による脚本(傑作選に収録)も完成していた

国書刊行会「笠原和夫傑作選」収録作品解説(第1回) : 備忘の都
「実録・共産党」(未映画化)
 前売券を日本共産党へ売りつけるべく、(ボーガス注:広島ヤクザ抗争を描いた「仁義なき戦い」、池田大作の小説を映画化した「人間革命創価学会初代会長・牧口常三郎(映画では芦田伸介)と二代目会長・戸田城聖(映画では丹波哲郎)が主人公)」(いずれも1973年公開)、「続・人間革命」(創価学会二代目会長・戸田城聖(映画では丹波哲郎)、三代目会長・池田大作(小説では『山本伸一』。映画ではあおい輝彦)が主人公)(1978年公開)に続く)実録路線の一編として岡田茂社長が企画したもの。
 結局、未映画化に終わります(一説には、チケットをあまり買ってもらえなかったため)。
 このシナリオは、笠原和夫深作欣二の追悼号となった雑誌「映画芸術」2003年春号に収録されたほか、雑誌「en-taxi」の付録として刊行されたこともあります。

笠原和夫/「実録・共産党」「日本暗殺秘録」解説(扶桑社 「en-taxi」2005年秋号付録)
 「実録・共産党」と「日本暗殺秘録」は笠原脚本らしい脚本であるといえる。
 ただ、これらの脚本は「実録」「秘録」と銘打たれているものの、戦前の日本共産党昭和維新運動の歴史を記録的に描いたものではない。「実録・共産党」で主要な登場人物として描かれているのは、大正末期に共産党の中央委員となった渡辺政之輔とその妻のセツであり、(中略)また「日本暗殺秘録*6」で主要な登場人物として描かれているのは、一人一殺を掲げ、五・一五事件の先陣を切った血盟団事件の小沼正*7であり、焦点が絞られているのは、北一輝*8大川周明*9超国家主義思想を背景にしたクーデター事件ではなく、昭和恐慌期に思春期を迎えた小沼が革命思想を抱くに至る過程である。つまり何れの脚本も、人口に膾炙した共産党の歴史や昭和維新運動の歴史の中では、傍流といえる史実に焦点を絞ったものなのである。
 しかもこれらの脚本は、日本共産党にとっての共産主義とは何か、あるいは昭和維新運動における超国家主義とは何かという問いに答えるものでもない。
 笠原はこのような疑問に答えるように、「実録・共産党」と「日本暗殺秘録」の共通点について、次のように述べている。
『大正末から昭和にかけての南葛労働組合―あのへんで働いている青年たちだとか、この血盟団事件の茨城の大洗の青年たちというのは、現代人が理解できないほど貧しくて、生活が追いつめられていたんですね。<中略>つまり絶対的な貧困なんですよ。努力して何かすれば、もう少しいい生活が送れるというものじゃないんですよ、上に天皇制がある以上は!。天皇制があって軍隊があって、軍隊に徴兵されちゃえば何もかも全部パアになっちゃう。そういうものが頭にズシーンとのしかかっている中での貧乏というのは、そう呼んでいいのかわからないけども絶対的貧困なんですよ。』(笠原『昭和の劇*10』)
 「実録・共産党」「日本暗殺秘録」二つの脚本を読めば分る通り、笠原は、渡辺政之輔やその妻のセツ、小沼正が、このような「上に天皇制と軍隊がある以上は、頭にズシーンとのしかかってくるような絶対的貧困」の中に置かれた人たちとの関わりを通して、共産主義超国家主義の運動に加担していく姿を描いている。そして一人の工員、一人の職工として「絶対的な貧困」を体感したがゆえに、運動に加担した人たちが、大卒者が中心を占めていた共産党や、将校や下士官が中心を占めていた昭和維新運動の中で、「孤独」に苛まれていく姿を描いている。「実録・共産党」の主要な登場人物が、(ボーガス注:渡辺が中心人物だった)元工員を中心にした南葛労働組合*11であり、「日本暗殺秘録」の主人公格が元職工の小沼正であるのはこのためであろう。
 たとえば「実録・共産党」の渡辺政之輔は、会社に雇われ、スト工員を襲撃に来る不良工員を前にして次のように叫んでいる。
 「評議会の渡政は、そこらのマルクスボーイとは違うんだ、喧嘩の仕方を教えてやろうか!」
 このセリフは笠原のフィクションであるが、一工員から日本共産党の中央委員長となった渡辺政之輔の特徴を巧みに捉えている。

*1:日本共産党政策委員長

*2:1892~1993年。戦後、日本共産党第一書記、議長など歴任。1992年、ソ連との内通を理由に党を除名された(野坂参三 - Wikipedia参照)。

*3:1894~1953年。戦後、日本共産党書記長。1958年に宮本顕治が書記長に就任した後の日本共産党においては「1950年から1955年にかけて徳田がソ連や中国の言いなりとなって武装闘争路線を持ち込み、党を混乱させた」「西沢隆二(徳田の女婿)、伊藤律などの側近ばかりを偏重し、家父長的な個人中心指導の誤りを犯した」「1950年問題を経て党は自主独立の立場を確立した」という立場をとっているため、徳田は否定的に扱われている。徳田の出身地である沖縄県名護市のガジュマル公園には、市によって1998年に公費によって徳田の記念碑が建てられている。建立に際しては自民党公明党も賛成したが、日本共産党は態度を保留した(徳田球一 - Wikipedia参照)。

*4:1901~1979年。1946年には塩路一郎(日産自動車労組組合長、自動車労連会長、同盟副会長を歴任)や宇佐美忠信(全繊同盟会長、同盟会長、連合副会長、日本会議代表委員を歴任)など右派労働運動家が出入りする世界民主研究所を設立、その代表理事として反共運動を指導。1950年に結成された民主社会主義連盟では佐野学(1892~1953年)らと共に発起人と評議員に名を連ね、民社党、同盟の理論的ブレーンとして活動した(鍋山貞親 - Wikipedia参照)。

*5:中曽根内閣厚生相、海部内閣自治相・国家公安委員長、宮沢内閣通産相新進党総務会長、民主党国対委員長衆院副議長など歴任(渡部恒三 - Wikipedia参照)。

*6:1969年公開。主なキャストは『桜田門外の変井伊直弼大老暗殺)の参加者である薩摩藩士・有村次左衛門(若山富三郎)』『紀尾井坂の変(大久保利通内務卿暗殺)の参加者である元加賀藩士・島田一郎(唐十郎)』『住友財閥総帥・安田善次郎を暗殺した朝日平吾菅原文太)』、『井上準之助・前蔵相を暗殺した小沼正(千葉真一:千葉がこの映画においては主役扱い)、血盟団事件の黒幕・井上日召片岡千恵蔵)』、『515事件(犬養首相暗殺や牧野内大臣邸襲撃)を起こした海軍青年将校のリーダー藤井斉(田宮二郎:ただし藤井は515事件前の1932年2月15日に第一次上海事変で戦死しており、実際の実行犯は三上卓(犬養暗殺)や古賀清志(牧野内大臣邸襲撃)など』、『永田鉄山陸軍省軍務局長を暗殺した相沢三郎(高倉健)』『226事件の中心人物である磯部浅一鶴田浩二)、村中孝次(里見浩太朗)』など。なお、虎ノ門事件 - Wikipedia(1923年)、桜田門事件 - Wikipedia(1932年)も脚本に書かれ、映像化する予定だったが削除されたという噂に対して、脚本の笠原は「昭和天皇を襲うという話はいくら何でも映画にできない」と否定している。 (日本暗殺秘録 - Wikipedia参照)

*7:1932年、井上準之助・前蔵相を暗殺

*8:226事件の黒幕として死刑判決。

*9:十月事件に関与。計画では荒木貞夫を首相とした内閣において大川は蔵相に就任する予定だったとされる。戦後、十月事件への関与などを理由に戦犯として訴追されるが精神異常を理由に免訴十月事件 - Wikipedia大川周明 - Wikipedia参照)

*10:2002年、太田出版

*11:なお、亀戸事件で虐殺された平沢計七が南葛労働組合の活動家(平澤計七 - Wikipedia参照)。