1月24日は民社党の結党記念日です(R4.1.24): 荒木和博BLOG
反省のお話しを。
9分程度の動画です。タイトルと説明文で分かるように拉致は全く関係ありません。心底呆れます。この動画はそもそも「拉致について語る場」ではなかったのか。「そんなに拉致について語るネタが無いのか」「それとも本当に話したいのは民社党云々の方なのか?」と聞きたくなります。
さて「特定失踪者デマ(特定失踪者が国内で何人発見されようがまともに反省の弁を語った事が一度も無い)」の荒木(元民社党職員)が「民社党解散についてまともな反省などしない、できないこと」はわかりきっていますが、どんな「反省を語るのか」聞いてみます。
荒木曰く
だそうです。まあ、「それ自体は正しい(やや意外でした)」と思う。しかし、そこで「何故起こせなかったのか」いえない点が荒木の限界です。
まあ、正直、「土井ブームのようなブームを、旧民社党が起こせなかったこと」の理由の一つは
第二自民党あるいは自民党補完政党もしくは極右政党の解党・壊滅的打撃を嘆く産経新聞 - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
第2に、民社党の政治家の資質の低さです。春日一幸なんてのは、支持者や一部有権者には人気はあったのでしょうが、政治家としてはろくでもない人間という以上の評価はできないでしょう。支持はしなくても、ある程度敬意を払われる、といったレベルでもない。このあたり共産党の政治家が、イデオロギーとかは違っても全般として政治家としての実力が高いことは、他党の政治家からも認められていることとえらい違いです。社会党の政治家のほうがずっと実力があったし、公明党にもだいぶ劣ったのでは? これも、たとえば政治家の魅力で投票する気持ちにもならないというのが多くの有権者の正直なところだったでしょう。
という指摘があるように、「土井に比べてあまりにも旧民社党幹部連中のレベルが低いこと」でしょうが、荒木には「それはいえない」わけです。
勿論そういう幹部の個人的な才能の違いだけで民社党は消滅したわけでもないですが、こうした「幹部の能力の違い」は社会党だけでなく第二自民党あるいは自民党補完政党もしくは極右政党の解党・壊滅的打撃を嘆く産経新聞 - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)の指摘通り、共産党なんかもそうでしょう。
例えば、不破哲三氏(書記局長、委員長、議長を歴任)は「新日本出版社からの刊行が一番多いらしい」とはいえ、一般出版社から
【不破】
◆『私の南アルプス』(1998年、ヤマケイ文庫)
◆『新・日本共産党宣言』(井上ひさし氏との共著、1999年、光文社)
◆『一滴の力水:同じ時代を生きて』(水上勉氏との共著、2000年、光文社)
◆『歴史教科書と日本の戦争』(2001年、小学館)
これ以前に刊行した『ここに「歴史教科書」問題の核心がある』(2001年、新日本出版社)を加筆訂正。
◆『私の戦後六〇年:日本共産党議長の証言』(2005年、新潮社)
◆『マルクスは生きている』(2009年、平凡社新書)
◆『不破哲三・時代の証言』(2011年、中央公論新社)
と言う本を出していますが、民社党の政治家にそんなのはいたのか。勿論「共産党員、支持者の購入」は見込んでいるでしょうが、不破氏が「それなりにまともな政治家だ」という出版社の評価も一方ではあるでしょう。
それにしても「ブームを起こしたこと」限定とはいえウヨの荒木が「土井(社会党委員長)への高い評価」とは(苦笑)。
さて、荒木曰く
◆新進党結党の時に、『新進党の失敗を恐れた』のだろうが、公明党は完全に解散はせず、公明党を二つに分けて、一方は公明党のまま残して、一方だけ新進党に参加させた。関ヶ原合戦での真田家(長男・信之が徳川家康の東軍に、父・昌幸と次男・信繁が石田三成の西軍に参加)のような態度(ある種の保険)をとった(大河ドラマ『真田丸』参照)。
新進党解散時に「旧公明党グループ」は「新党平和(衆院議員グループ)」「黎明クラブ(参院議員グループ)」を経て、残しておいた公明党に戻った。民社党も公明党のような態度をとればよかった。そうすれば民社党が今も残せたかもしれない。
だそうですが、そもそも「二つに分ける選択肢」をとっても「新進党内での発言力が落ちるだけ」と思ったから、そうしたのでしょうに(苦笑)。
それに「一時的とはいえ」、新進党解散後、旧民社党は「新党友愛」として「民社党単独の勢力」として復活しています。
しかし「新党友愛」ではやっていけないから「新進党を離党して、あるいは新進党を解散して、生まれた諸政党」、具体的には「自由党(旧新生党・小沢一郎グループ)」「フロムファイブ(細川護熙の旧日本新党グループ)」「民政党(旧新生党・羽田孜グループ*1)」などとともに「民主党(当初の中心メンバーは新党さきがけ出身の鳩山由紀夫(さきがけ代表幹事)と菅直人(さきがけ政調会長))」に「新党友愛」は合流したわけです。
荒木曰く「自民は政権与党だから今も続いてる。政権与党でなくなればもろいと思う。衆院選大阪での維新全勝、自民全敗はそういうことじゃないか(大阪府の与党は維新)」。
まあ、そういう面はあると思いますが、それだけで「民社党が一度でも与党だったら今も残っていたのでは」なんて言いたそうな荒木はおかしい(はっきり、そうは言いませんでしたが明らかに口ぶりはそういう代物でした)。
何がおかしいか。第一に「細川、羽田政権では連立とはいえ民社党は与党だった(細川、羽田内閣の大内厚生相(民社党委員長)、羽田内閣の中井法相、神田防衛庁長官)」と言う意味で、第二に「一度も国政与党になったことがない共産党」が「ミニ政党であり過大評価は出来ない」とはいえ、今も続いているという意味で、第三に「短期間とはいえ『細川、羽田政権』『民主党政権(鳩山、菅、野田)』で自民が野党に転落したこともある(しかし勿論、民社党のように消滅しなかった)」と言う意味で「おかしい」。
いずれにせよ「俺的に」間違ってない「荒木の指摘」もありますが、「今後につながる反省とは言いがたいね」という話ばかりです。
勿論拉致とは何一つ関係ない。
最後に「1月24日」に「民社党結党」以外に何があったのかを見ておきます。
1月24日 - Wikipedia参照
◆1911年
でっちあげ冤罪『大逆事件』で幸徳秋水ら11名の処刑が行われる
◆1972年
グアム島で元日本兵の横井庄一を発見
【誕生日】
◆1953年
文在寅(韓国大統領)
【記念日】
◆ボーイスカウト創立記念日
1908年のこの日、ロバート・ベーデン・パウエルがボーイスカウト英国本部を設立
カメラの話(R4.1.23): 荒木和博BLOG
6分44秒の動画です。荒木が土日にやる鉄道趣味の話で拉致は関係ありません。
それにしても「カメラの話」というから「写真カメラの話」かと思ったら「昔のビデオカメラは重い割りに撮影時間が短かった」と「ビデオカメラの話」を始めるから苦笑します。
内容は「昔使っていた写真カメラやビデオカメラも持っているが、今はスマホで写真も動画もそれなりにきれいな物がとれるからもっぱらスマホを使ってる」「ただ写真カメラやビデオカメラも『工夫しないとうまくとれないところに味(面白さ)がある』のでたまには使うこともある」。
「ああ、そうですか」ですね。
「市販のカレールーを使わずにあえて小麦粉からルーを作る」「電気炊飯器でなく土鍋でご飯を炊く」とかそう言うような話でしょう。
もはや鉄道うんちくでも、カメラうんちくでも、何でも無く単なる漫談になっています。
参考
老舗カメラ雑誌の休刊とオリンパスのカメラ事業の撤退から、いかにカメラ(写真)業界がよろしくないかわかるというものだ - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
「日本カメラ」が休刊(廃刊)になったことで、まさにカメラと写真が、根本的に次の時代に入ったのだと思った - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)