三浦小太郎に突っ込む(2022年1月30日分)(副題:改めて半藤一利を小馬鹿にする)

ラグタイムララバイ(三浦小太郎)のアマゾン批評『原節子 十六歳~新しき土~』

 当時のナチスと日本の関係、満州国建国などの要素があることは確かだが、映画としては、原節子の少女時代のアイドル的輝きを見るべきもの。なんせ、弓道、和服、洋服、水着シーン。最後は時代が時代だから期待してはいかんが、アイドル映画にしばしば出て来そうなシーンがてんこ盛り。

 吹き出しました。

新しき土 - Wikipedia
◆概要
 「新しき土」とは満州のことを指しており、唐突なラストシーンも日本の満州進出を喧伝するものになっている。一方でこの映画の製作背景には、日本とドイツの政治的、軍事的接近の目論見があった。折りしも日独合作映画を企画していた川喜多長政東宝東和創業者)とアーノルド・ファンク(映画監督)にドイツ政府が働きかけた結果、この映画の製作となった。
 1936年2月8日の撮影隊の訪日には日独軍事協定締結交渉の秘密使命を戴したフリードリヒ・ハックが同行、同年11月25日に日独防共協定締結に至った。1937年3月23日に公開されたドイツでは、国民啓蒙・宣伝省の通達によりヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相とアドルフ・ヒトラー総統が自ら検閲して最終許可を与えたことが大々的に報じられた

原節子 - Wikipedia
 1936年、『河内山宗俊』撮影中に見学にきたドイツのアーノルド・ファンク監督の目にとまり、日独合作映画『新しき土』のヒロイン役に抜擢される。
 1937年3月26日、原は川喜多長政や義兄・熊谷久虎らと共にベルリンに到着。宣伝省の工作もあって、原はドイツ各地で大歓迎された。
 なお、『新しき土』の製作は、11月25日に締結される日独防共協定の交渉のための両国スタッフの往来をカモフラージュする目的もあったという。

ナチスは「親日的」だったのか? -日独合作映画『新しき土』と翻訳されなかった『わが闘争』 | Football is the weapon of the future
 1937年プロモーションのために原節子はドイツに向かう。
 この時、『新しき土』はヒトラーゲーリング*1、そして宣伝相であり、実はこの映画の仕掛け人だったゲッベルスが初日の上映に駆けつけている。
 監督のアーノルド・ファンクは、ゲッべルスをしてこの男こそ「本物のナチだ」と言わしめた男でもある。この監督がなぜか日独合作映画を撮ることになった。それはもちろん、ドイツの国策である。
 日本が満州事変から中国大陸への進出が続き、国際的な孤立を深めていた時期。『新しき土』のスタッフ*2として入国した政商フリードリッヒ・ハックは、秘密裏に日独防共協定の交渉に臨んでいた。映画の予算は当時としては破格のものだったが、当然これはゲッべルスが提供したものだ。こうして日独防共協定(1936)が結ばれ、後に日独伊三国同盟(1940)と発展する。
 『新しき土』は「親日的」表現に満ちている。また同時にナチス政権下のドイツと日本が露骨に友好的に描かれている。海外の映画に出てくる日本人といえば、必ずカリカチュアされたものばかりであった時代、日本人が外国人と対等に描かれて、それが日本賛美に満ちていれば気分も悪いものではない。ヒトラーの発言にもいくつも日本を称賛する発言が記録されている。
 だが本当のところはそうだったのだろうか。
 『新しき土』の原節子は、ベルリンに行って数多くのレセプションに参加したり、様々な歓迎行事にひっぱりだこになったそうだが、これらを離れるとホテルでも交通機関でも、アジア人として一顧だにされない。街を歩けば中国人といわれると不満めいた当時の回想を残している。同行した映画監督・熊谷久虎は、その同盟国ドイツ人にすら白色人種以外は人間扱いされない、と憤激していたことも付け加える。

『ドクター・ハック:日本の運命を二度にぎった男』(中田整一、2015年、平凡社)
◆中田整一*3
 ノンフィクション作家。1941年生まれ。熊本県出身。1966年NHK入局。プロデューサーとして現代史を中心としたドキュメンタリー制作に携わる。文化庁芸術最優秀作品賞、日本新聞協会賞、放送文化基金個人賞など受賞多数。退局後、大正大教授を経て執筆に専念。『満州国皇帝の秘録:ラストエンペラーと「厳秘会見録」の謎』*4で第60回毎日出版文化賞、第35回吉田茂賞受賞。『トレイシー:日本兵捕虜秘密尋問所』*5で第32回講談社ノンフィクション賞受賞。
◆序章『神戸港に降り立った密使』
 1936年2月、東京に記録的な大雪。神戸に日独合作映画の撮影隊一行到着。監督は山岳やスキー映画の第一人者として知られたアーノルド・ファンク。その一行にプロデューサーとして加わっていたのがハックだが、真の狙いと素顔を知っている者は誰もいない。ハックの目的こそ、リッペントロップ*6大島浩陸軍駐独武官との間で進んでいた外交交渉だった。
◆第2章『二つの顔:武器商人と秘密情報員』
 リッペントロップが日本海軍に日独接近の第1歩を画策。その使者となったのが軍事ロビイストだったハックで、ハインケル航空機と日本海軍の仲介をし、1935年の山本五十六*7の訪独を促し、ヒトラー・山本会談は日本がヨーロッパの戦争に巻き込まれることを懸念した松平恒雄*8駐英大使、武者小路公共*9駐独大使の反対に遭って実現しなかったものの、36年には日独防共協定締結に漕ぎ着ける。
◆第3章『 原節子と「武士の娘*10」』
 1935年、創立7年目にして全盛期を迎えようとしていた欧州映画の輸入会社、東和商事*11川喜多長政・かしこ夫妻にドイツから日本初の国際共同制作の誘いが来る
⇒日独協会理事だった酒井直衛が大衆娯楽の映画によって日本文化の理解を図ろうと考えてハックに相談、ハックが後輩のファンク監督に話を持ち込まれ、多額の製作費で台所が火の車だったファンクが飛びついたもの
 ストーリーは単純な日本人の良家の子女と養子の恋物語だが、ゲッペルスの意向で国策映画の色彩が濃く出て、共同監督となった伊丹万作がファンクとことごとに衝突、ハーケンクロイツと日の丸が並んで強調される場面が、日本の伊丹版ではユニオンジャック*12に差し替えられたりしている
◆第4章『二・二六事件と日独接近』
 ドイツ撮影隊来日直後に二・二六事件勃発。滞在中の平河町万平ホテルは反乱軍占拠地域にあり、滞在者は全員拘束された。ハックは、ドイツ紙の東京特派員でドイツ大使館の駐在武官・オット大佐の私設の政治顧問だったゾルゲと頻繁に接触。ハックの本来の来日目的で、陸軍の独断で交渉が先行していた日独防共協定の話も、ゾルゲからモスクワに筒抜け
◆第5章『運命の岐路』
 二・二六直後、ハックは満洲に亘り皇帝溥儀(西太后の甥の息子)と会見、溥儀からは関東軍に対する不満がでたが、ハックの真の目的は、満洲国を通じての日独経済協力の実現にあった
⇒滿洲大豆を輸出する代わりにドイツの工業製品を満洲に輸入

という国策映画を「国策映画の部分を完全無視した批評」をするとは(苦笑)。
 これが、「三浦が嫌ってる国の国策映画」、例えば「旧ソ連」「中国」「北朝鮮」などだったら糞味噌に罵倒でしょうにねえ。
 何せ

◆「ヒロインの家の近くに富士山(山梨県or静岡県)と厳島神社広島県)がある」「帝国ホテル(東京)の近くに阪神電車(大阪)が走ってる」(地理関係がおかしい)
◆「自殺するのに火山の火口に飛び込もうとする」(普通そんな自殺方法はしない)
◆「恋愛映画なのにエンディングで唐突に満州国万歳」
◆「ヒロインの恋人がドイツ留学し、婚約者がいるのに現地のドイツ女性と恋仲になる(ただし最終的にはヒロインを選ぶ)、という設定だがドイツはほとんど映画内容に関係ない」

というキテレツな描写に満ちてるそうですし。
 「当時、16歳の若手女優・原節子(ちなみにデビューが15歳、この映画が初主演)」には「オファーを断る選択肢」は事実上ないとはいえ、これは原にとって

原節子 - Wikipedia
◆『お嬢さん乾杯』(木下惠介監督、1949年、原唯一の木下監督作品)
◆『青い山脈』、『続・青い山脈』(今井正監督、1949年)
◆『晩春』(小津安二郎監督、1949年、初の小津監督作品)
◆『白痴』(黒澤明監督、1951年)
◆『麦秋』(小津安二郎監督、1951年)
『めし』成瀬巳喜男監督、1951年)
◆『東京物語』(小津安二郎監督、1953年)
◆『山の音』(成瀬巳喜男監督、1954年)
◆『東京暮色』(小津安二郎監督、1957年)
◆『娘・妻・母』(成瀬巳喜男監督、1960年)
◆『秋日和』(小津安二郎監督、1960年)
◆『小早川家の秋』(小津安二郎監督、1961年)
◆『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』(稲垣浩監督、1962年、原が出演した最後の作品)

等とは違い「封印したい黒歴史」以外の何物でも無いでしょうに。
 とはいえ、さすがの三浦も「国策映画の部分」を「日独友好アピール(あるいは満州国美化)に感銘を受けた」などと絶賛することは出来ないようです。
 それにしても日独接近とはこうした「様々なドイツの工作」で進んだ物で、「ハニートラップ」なんてことで、そのような歴史の話を解釈するのはよろしくない(半藤一利氏って、こんなトンデモだったのという気がする)(上) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)「ハニートラップ」なんてことで、そのような歴史の話を解釈するのはよろしくない(半藤一利氏って、こんなトンデモだったのという気がする)(下) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)つう話です。つうことで最後に『改めて半藤一利を小馬鹿にしてみました』。

【参考:ドクター・ハック】

フリードリヒ・ハック - Wikipedia
 ハックは退役陸軍少佐でクルップ社日本代表の経歴も持つアドルフ・シンツィンガーと共に、シンツィンガー&ハック商会を設立した。ハックはこの会社を通じて日独両海軍の技術面での情報交換を進めることになる。大木毅*13はその背景として、日英同盟の廃棄でイギリスの技術導入が見込めなくなった日本と、ヴェルサイユ条約で潜水艦や航空機の保有を禁止されたドイツとの利害の一致があると指摘している。ハックと日本海軍の接触は、1920年に渡欧した三菱の技術者を案内したことが記録に残る最初で、1921年頃にはベルリンにある日本海軍事務所の顧問のようになっていた。ハックは日本海軍に戦闘機メーカー・ハインケル社の航空機などを売り込み、関係を強めた。さらに1923年には当時のドイツ海軍統帥部長官パウル・ベーンケ大将を説き伏せ、日本海軍に技術を供与する意向がある旨を伝える書簡を書かせ、帰国する駐独大使館付海軍武官・荒城二郎*14に手交させた。またハインケル社とも密接な関係を築き、後には同社の対日代表にも就任した。
 1934年、ベルリン日独協会の会員であったハックは、第二次ロンドン海軍軍縮会議予備交渉のために訪欧中の山本五十六とドイツ海軍総司令官エーリヒ・レーダー、軍縮問題全権ヨアヒム・フォン・リッベントロップとの会談をセットした。
 1935年、駐独大使館付陸軍武官の大島浩と会談、大島とのリッベントロップとの会談を成立させた。また、1935年10月には大島、国防軍情報部長ヴィルヘルム・カナリス*15、国防相ヴェルナー・フォン・ブロンベルクと共に「日本との軍事協力に関する会合」に参加し、11月15日のリッベントロップ邸での会談にも参加した。出席者はリッベントロップ、大島、カナリス、ナチ党外交部のヘルマン・フォン・ラウマーらであった。
 1936年2月8日に宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスに後援された日独合作映画『新しき土』の撮影チームとともに来日した。この際、彼はリヒャルト・ゾルゲソ連軍スパイであるとも知らずに日独軍事協定締結交渉のために来日したことを話した。
 1936年11月25日、ハックらの努力が実を結び日独防共協定が締結される。
 1937年2月、リッベントロップ、カナリス、ラウマー、オイゲン・オットー(駐日ドイツ大使)らと共に大島から勲章(勲四等旭日小綬章)が手渡された。ハックの肩書きは「日独協会理事」であった。

山本五十六 - Wikipedia
 1934年、山本は第二次ロンドン海軍軍縮会議予備交渉の海軍側首席代表として訪英。ロンドンから帰国直前の1935年1月、日独間の親善のため山本をベルリンでヒトラー総統に面会させることを任務としたリッベントロップの命によって、ドイツ軍事技術の日本への移転に大きな役割を果たしていたシンツィンガー&ハック商会の設立者でハインケル社(戦闘機メーカー)の代理人、日独協会理事のフリードリヒ・ハックの訪問を受けた。山本はヒトラーとの面会を了承したが、松平恒雄駐英大使や武者小路公共駐独大使が、日本海軍高官がヨーロッパで孤立するドイツのトップといきなり会うことを危惧したため実現しなかった。山本はベルリンでリッベントロップ外相やエーリヒ・レーダー海軍統帥部長官や日独協会会長のパウル・ベンケ提督らと会談した。

【参考:新しき土】

映画「新しき土」:主演は16歳の原節子: ゆるやかに時は流れる
 映画としては信じがたいほどのはちゃめちゃな内容です。人間の生き方を描いたドラマというよりは、当時急速に接近して日本と手を結ぼうとしていたドイツ国民に日本の様子、日本人の暮らしや文化を知らせるという「国策映画」の性格が色濃く出ている「映画」です。この映画が制作された年の11月に日独防共協定が締結されています。
 歌舞伎・能・華道・茶道・弓道薙刀などが次々と登場します。主役の原節子演ずる光子の家は富士山麓にあるらしいのですが、その家の裏は瀬戸内海の宮島で、光子が厳島神社のシカと戯れる場面が出てきます。富士山は表富士、裏富士、三保海岸からの富士、田子の浦の富士、伊豆からの富士と盛りだくさんでドラマとは無関係に画面に登場します。帝国ホテルの場面では阪神電車のネオンが映ります。
 光子は長年ヨーロッパに留学していた輝男の許嫁でしたが、帰国した輝男は養子や許嫁という日本古来の風習に疑問を感じ、光子との結婚をやめようとします。
 絶望した光子は晴れ着の和服を風呂敷に包んで自宅裏の火山に登って行きます。和服姿の光子が活発に噴火し、足元から火山ガスを吹き出している中を頂上まで登って行くという信じがたい情景。さらにその光子を追う輝男が着衣のまま池に飛び込み、靴を脱いだままで血だらけになって登って行く。光子が火口に飛び込む寸前に間に合って抱きしめた輝男は光子を抱きかかえて悪路を下りていくというこれまた信じがたい情景が続きます。明神池焼岳でロケしたとのことですが、この場面が延々と続きます。
 場面は変わって、日本の国土が狭いという話のあと、画面は広大な平野でトラクターが稼働している場面に転換します。野良着の光子と輝男、そして生まれた子が明るい表情で「新しい土」に立っています。この新しき土こそ「満州国」です。
 ロケ先は東京・大阪・神戸・京都・奈良・鎌倉・東尋坊・宮島・松島・富士山麓・別府・阿蘇山浅間山・新潟・姥捨・琵琶湖など全国各地です。
 原節子は和服・水着・パジャマ・ドレス・セーラー服・剣道着そしてラストシーンの満州では野良着と着せ替え人形のように衣装が変わっていきます。どれを着てもよく似合って美しいのが原節子ですね。

映画『新しき土』の感想。イビツな制作背景で日本文化が大噴火 | GOOD MOVIES
 珍品として楽しめる側面も多分にある。
 着物を着た女性とか、お寺だの富士山だの日本庭園だの、日本の風物をただ写すだけのショットがやたら長々と続き、これがジブリにリメイクしてほしいくらい素晴らしい。
 主人公がひさしぶりにドイツから日本に帰ってきて、田んぼの土を両手いっぱい手にとり、顔にぬったくるショットなど印象深い。
 これら一連の日本風物ショットは当時、黄色人種である日本への印象を良いものにして、同盟を強化なものにしようとする目的で、いわゆるドイツ国民に向けてのPRのような意図があったそうだ。
 それは主人公がワイングラスとおちょこを両手に持ち、ワインと日本酒を交互に飲むショットなどにも象徴されている。
 よく海外の人が日本人を演出したときによくあるオカシな人間描写がこの映画にはかなりのボルテージで満ち満ちていて、例えば原節子演ずるヒロインの光子がピアノの夢を見てうなされ目が覚め「あたしもピアノを習っておけばよかった。あちらの女の方は大変お上手なんでしょ」と言うと、お父さんが「大丈夫だよ」とひとこと。すると光子はあっさり安心してまた眠る。
 なんだこの取ってつけたみたいなシーンは、と笑える。
 なんでもこの映画は制作中に日独の監督*16同士で対立があり、それぞれ別バージョンを編集したことで、日本版とドイツ版と2つのバージョンが存在することになってしまったそうだ。
 そして現在出回っているのはドイツ版とのこと。
 すると私が見たのもきっとドイツ版なんだろう。
 だから編集の段階で日本人の演技のおかしさは精査が甘かったんじゃないかと想像する。
↓ここから先はネタバレあり↓
 クライマックスは浅間山の火山が荒れ狂う中、主人公がヒロインの光子を助けるシーンと並行して、村が地響きとともに崩壊してゆく壮大なショットが挿入される。
 ここら辺が円谷さんの仕事だな。
 災害も日本文化のひとつって感じか。
 タイトルの「新しき土」とは満州のことらしい。
 ラストで晴れて結ばれた二人は満州日本兵に守られながら広大な大地で畑を耕す。
 それまでのストーリーで積み重ねてきた日本の風物・文化が、新たな土地で主人公たちの愛とともに花開く、という図式。
 映画の中で完結した世界観としてみれば辻褄はあっているものの、戦後この満州の地がどうなったかを知っている現在の我々にしてみれば、なんとも歪な結末でこの映画は終わっている。

*1:プロイセン州首相、ドイツ航空相、ドイツ空軍総司令官、ドイツ経済相など要職を歴任。戦後、死刑判決。執行方法を絞首刑から銃殺刑に変更するよう嘆願したが拒否されたため、それを不服として刑執行前に独房内で服毒自殺(ヘルマン・ゲーリング - Wikipedia参照)

*2:勿論、スタッフではなく、『秘密裏に日独防共協定の交渉』を隠すための偽装工作です。

*3:NHKプロデューサーとして、NHK特集『戒厳指令「交信ヲ傍受セヨ」:二・二六事件秘録』(1979年)、『二・二六事件、消された真実:陸軍軍法会議秘録』(1988年)、『ドキュメント昭和』(全10回、1986年~1987年)、NHKスペシャル『ドキュメント太平洋戦争』(全6回、1992年~1993年)を制作。著書『モンテンルパの夜はふけて:気骨の女・渡辺はま子の生涯』(2004年、NHK出版)、『戦場の聴診器:ニューギニア戦で6回死んで90歳、「おお先生」は今日も走る』(2008年、幻戯書房)、『盗聴二・二六事件』(2010年、文春文庫)、『最後の戦犯死刑囚:西村琢磨中将とある教誨師の記録の記録』(2011年、平凡社新書)、『虹の橋を渡りたい:画家・堀文子九十七歳の挑戦』(2015年、NHK出版)、『四月七日の桜:戦艦「大和」と伊藤整一の最期』(2021年、講談社文庫)など(中田整一 - Wikipedia参照)

*4:2005年、幻戯書房→2012年、文春文庫

*5:2010年、講談社

*6:軍縮問題担当全権代表(1934~1936年)、駐英大使(1936~1938年)、ドイツ外相(1938~1945年)など歴任。戦後、死刑判決(ヨアヒム・フォン・リッベントロップ - Wikipedia参照)

*7:海軍航空本部長、海軍次官連合艦隊司令長官など歴任

*8:天津総領事、外務省欧米局長、外務次官、駐米大使、駐英大使、宮内大臣など歴任(松平恆雄 - Wikipedia参照)

*9:トルコ大使、ドイツ大使など歴任(武者小路公共 - Wikipedia参照)

*10:『新しき土』のドイツ語版タイトル

*11:現在の東宝東和

*12:ということは「ドイツ留学でドイツ人女性と恋仲」設定が伊丹版では「そっくり英国に変わった」んでしょうか?

*13:著書『「砂漠の狐ロンメル』(2019年、角川新書)、『独ソ戦』(2019年、岩波新書)、『戦車将軍グデーリアン:「電撃戦」を演出した男』(2020年、角川新書)、『「太平洋の巨鷲」山本五十六』、『日独伊三国同盟』(以上、2021年、角川新書)など

*14:第一遣外艦隊司令官、横須賀工廠長など歴任。1932年(昭和7年)予備役。その後、北樺太石油社長などを務めた(荒城二郎 - Wikipedia参照)

*15:1944年7月20日に起こったヒトラー暗殺計画に関与していたことが発覚し、1945年4月に処刑された(ヴィルヘルム・カナリス - Wikipedia参照)。

*16:日本の監督は伊丹万作