本当にそこが失踪(拉致)地点なのか?【調査会NEWS3567】(R4.2.27): 荒木和博BLOG
「その場所で何者かに拉致されるのを見た」というケースでない限り、失踪場所は「拉致場所かどうか」などわかりません。
単に「最後に目撃された場所」や「遺留品が見つかった場所」にすぎない。
というか「その場所で何者かに拉致されるのを見た」というケースに該当しない「特定失踪者」のほとんどは「北朝鮮拉致認定する証拠」どころか「拉致と認定する証拠」がないケースがほとんどです。実際、国内で既に40人以上発見されそのほとんどは「自発的失踪」。
一部、犯罪被害もありますが、足立区女性教師殺人事件 - Wikipediaのように北朝鮮は全く関係ないので馬鹿馬鹿しい限りです。
繰り返しますが、拉致で脱却すべき虚構は「特定失踪者は北朝鮮拉致の疑いがある」という「巣くう会が垂れ流す悪質なデマ」でしょう。こんなデマを野放しにして拉致問題が解決するわけもない。
「山へ行く」と言って出かけて失踪したケースも十数件見られます。
例えば兵庫県在住の広田公一さんは、昭和59(1984)年、鳥取県の大山登山口の駐車場に車を置いて失踪しました。
普通に考えて「遭難死で遺体が発見されてないだけ」でしょう。
全ての失踪で「偽装」を想定すべき
「拉致実行犯の偽装だ」と決めつける根拠は何もありません。そもそも「自発的失踪ではなく拉致だという根拠」が何もない。そして仮に「拉致実行犯の偽装」だとしても、その実行犯が「一般刑事犯ではなく北朝鮮工作員」と見なすまともな根拠も何もありません。
京浜急行の話(R4.2.27): 荒木和博BLOG
5分34秒の動画です。荒木が日曜にやる鉄道趣味の話で拉致は全く関係ありません。京急については以下を紹介しておきます。
京浜急行電鉄 - Wikipedia
◆歴史
京浜急行電鉄の元となったのは、1899年に旧東海道川崎宿に近い川崎駅(後の六郷橋駅(1949年に廃駅))から川崎大師近くの大師駅(現在の川崎大師駅)までの大師電気鉄道である(現在の大師線の一部)。
創立時には安田財閥が人的・資金面で援助したこともあり、そのため現在でも安田財閥の流れを組む芙蓉グループの一員となっている。
太平洋戦争中の1942年には陸上交通事業調整法に基づく戦時統合により東京急行電鉄(現在の東急電鉄)に併合されるが、1948年に京浜急行電鉄、小田急電鉄、京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)の3社が東急電鉄から分離・独立し、現在に至る。
◆車両
経営・技術面など多方面から範としたアメリカのパシフィック電鉄の影響から、創業以来の伝統として車体広告車などの例外を除いて車体は赤く塗装されており、会社のイメージカラーにもなっている。
「冷戦終結」という虚構【調査会NEWS3567】(R4.2.27): 荒木和博BLOG
そんな事が拉致問題と何の関係があるのかと心底呆れます。
なお『「冷戦終結」という虚構』という荒木の主張は事実として間違っています。
冷戦とは「米ソ対立=資本主義体制VS共産主義体制」ですが今の「米ロ対立」「米中対立」は「国益の対立」にすぎず「冷戦」のような「体制対立」ではない。
ソ連圏(共産圏)に該当するような「ロシア圏」「中国圏」が存在するわけではない。
「中台対立」「南北朝鮮対立」にしても冷戦そのものと言うより「冷戦の残滓」とでも見るべきでしょう。
プーチンの発言はまさに冷戦時代を彷彿とさせるものであり、あるいは半世紀前に世界を戻そうとしているのかもしれません。
勿論プーチンはそんなことは考えていないでしょう。もはやソ連の再建などできる話ではない。
彼は「ロシアにとって都合のいいウクライナ」を構築しようとしているに過ぎません。
冷戦後の「ブッシュ米国のフセイン・イラク侵攻」などと同じだと思いますね。
しかし荒木の言う「半世紀前(50年前、1972年)に戻す」とはどういう意味なのか。例えば、なぜ「ソ連が東欧を支配下に納めた1950年代(今から約70年前)ではないのか?」といったらおそらく荒木自身もまともに説明できないでしょう。
なお、1972年には
1972年 - Wikipedia、1972年の日本 - Wikipedia参照
◆1月24日
グアム島で元日本陸軍兵士・横井庄一を発見
◆2月3日
札幌五輪開催
◆2月19日
あさま山荘事件
◆2月21日
ニクソン米国大統領、訪中。27日に米中共同声明
◆4月4日
外務省機密漏洩事件で毎日新聞の西山太吉記者を逮捕
◆4月16日
ノーベル文学賞受賞者・川端康成が自殺
◆5月15日
沖縄返還
◆5月30日
イスラエルのテルアビブ空港で日本赤軍乱射事件。26人死亡
◆6月11日
田中角栄通産相が「日本列島改造論」発表
◆6月17日
佐藤栄作首相退陣表明
◆7月4日
韓国と北朝鮮両政府が、南北平和統一に関する共同声明を発表
◆7月7日
田中内閣発足
◆8月26日
ミュンヘン五輪開催
◆9月5日
「黒い9月」事件。オリンピック選手村でゲリラがイスラエル人選手を殺害
◆9月25日
田中首相、大平外相が訪中し、周恩来首相と会談。29日には日中国交正常化の共同声明に調印
◆10月11日
中国と西ドイツが国交樹立
◆10月28日
日中国交正常化を記念して上野動物園にジャイアントパンダのランラン、カンカンが来園
◆12月21日
東西両ドイツ、互いを国家承認。基本条約を締結
中国とオーストラリアが国交樹立
◆12月25日
北朝鮮最高人民会議が金日成首相を国家主席に選出
などの出来事がありました。
荒木の主張を理解することすら困難です。「乾隆帝の時代(1735~1796年)」であれ「辛亥革命(清朝滅亡)直前(1911年)」であれ、いつの時代であれ「清朝時代に戻す」とはどういう意味なのか。といったらおそらく荒木自身もまともに説明できないでしょう。
拉致被害者救出のため、「冷戦終結」という虚構から脱して、私たちに何ができるのかもう一度根本から考え直すときだと思います。いえ、時間の切迫から考えれば今こそそれが必要なはずです。
禅問答みたいな意味不明なことを言ってないで、まともな発言をしろという話です。既に書いたように『「冷戦終結」という虚構』という事実認識自体が間違いですが、そもそも「冷戦終結」と拉致と何の関係があるのか。といったら荒木もまともに説明などできないでしょうが。
まあ、あえて言えば「冷戦終結→中露の北朝鮮支援が以前より減った→日本との国交正常化による経済支援目当てに拉致を認める」つう意味では「冷戦終結と拉致」に関係はある。今も「冷戦状態=ソ連が健在」なら果たして拉致被害者の帰国はあったかどうか。
ただし、荒木がここで言ってるのは明らかにそういう話じゃありません。
なお、話が脱線しますが
[外交] 欧州、北朝鮮との国交ラッシュ : 東亜日報2001.2.9
欧州諸国が最近、急ピッチで朝鮮人民民主主義共和国(北朝鮮)と国交を結んでいる。オランダ(1月15日)、ベルギー(1月23日)、カナダ(2月6日)に次いで7日にスペインが北朝鮮との国交を樹立した。
▽平壌に大使館を開設国
平壌に大使館を設置する国はドイツと英国である。ドイツは1月24日、閣議で北朝鮮と国交樹立を決定しており、英国は昨年末、北朝鮮との国交を樹立した。
▽在韓大使が北朝鮮大使を兼任する国家
オランダとベルギー。
▽中国北京の常駐大使が北朝鮮大使を兼ねる国
イタリア、スペイン、カナダの3国
朝鮮民主主義人民共和国の国際関係 - Wikipediaなど参照
【2000年国交樹立】
◆イタリア
2000年1月に国交樹立(G7諸国では初の国交樹立)。イタリアには北朝鮮大使館があるが、イタリアは北朝鮮に大使館を置いてない。
→イタリアと言えば過去には共産党が強かったし、G7諸国の中では唯一「中国と一帯一路に関する覚書」を結んでいる国でもあります。
◆英国
2000年12月12日、国交を樹立し、ロンドンと平壌に大使館が設けられた。2016年のデータによればイギリスが北朝鮮の留学生派遣先として105人で最多である。
【2001年国交樹立】
◆カナダ
2001年2月6日、国交を樹立。ただし、両国はともに大使館を設置していない。カナダは韓国大使が北朝鮮大使を、北朝鮮は国連大使がカナダ大使を兼ねている。
◆スペイン
2001年2月7日、国交を樹立。2014年にスペインの首都マドリードに北朝鮮大使館が開設。なお、スペインには北朝鮮大使館があるが、スペインは北朝鮮に大使館を置いてない。
◆ドイツ
北朝鮮はドイツ民主共和国(東ドイツ)のみ国交を結んでおり、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)との国交はなかった。1990年にドイツ統一で東ドイツが消滅したことにより、北朝鮮と西ドイツの後継国家であるドイツとは国交がない状態が続いていたが、2001年3月1日に国交を樹立。ベルリンと平壌に大使館が設けられた。
◆ニュージーランド
2000年7月にニュージーランドのフィル・ゴフ*1外相と白南淳*2外相が会談し、2001年3月1日に国交を樹立。ニュージーランドは韓国大使が北朝鮮大使を兼務している。
といった「2000年、2001年に相次いだ西側諸国(?)との国交樹立(但し、米国、フランスとは国交樹立していない)」も冷戦終結の影響ですね。勿論「2001年9月の小泉訪朝」もこうした流れの中にあった。
そして拉致で脱却すべき虚構は「特定失踪者は北朝鮮拉致の疑いがある」という「巣くう会が垂れ流す悪質なデマ」でしょう。こんなデマを野放しにして拉致問題が解決するわけもない。