「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2022年3/6日分:荒木和博の巻)(副題:仙台市の中国パンダ誘致運動について)

701回にちなんで西武701系の話(R4.3.6): 荒木和博BLOG
 6分12秒の動画です。荒木が日曜にやる「鉄道趣味話」で、拉致は関係ありません。701系電車についえは以下を紹介しておきます。

西武701系電車 - Wikipedia
 1963年(昭和38年)から1967年(昭和42年)にかけて新製された西武鉄道の通勤形電車。


レブラ君とあやしい仲間たち(梅原克彦さん): 荒木和博BLOG
 14分程度の動画です。

梅原克彦 - Wikipedia
 梅原は市長在任中、タクシーチケットの私的流用を問題とされ、これは梅原が市長選再選を断念する主因となった。
 梅原が市長に就任した2005年(平成17年)5月から2008年(平成20年)9月末までに市長の名前で使ったタクシーチケットのうち、行き先を記入していなかった1,364枚分、総額約221万円を市に返納するとともに、2009年(平成21年)1月から3カ月間、給与を2分の1に減額された。
 さらに、これらタクシーチケットのなかには、梅原の東京出張中に仙台市内で使われていたものもあったことから、梅原による他者へのタクシーチケット譲渡が発覚した。2009年6月24日、市議会は梅原に対する問責決議案を可決。

ということで「仙台市のタクシーチケット」の私的流用がばれて、「市議会で問責決議案を可決」され、野党どころか、当選時に梅原を支援した自民党にすら見放されて仙台市長を1期(2005~2009年)で辞任に追い込まれたクズ「梅原」なんぞとよく交際できると心底呆れます。
 しかも「予備役ブルーリボンの会(拉致被害者救出が建前上の目的)」の宣伝動画なのに

 第1回は台湾の状況についてお話しいただいています。

て話が拉致問題と全く関係ない。
 一応視聴しましたが「台湾の北朝鮮拉致被害者(いないと思いますが)」「北朝鮮拉致問題解決のために台湾の協力を得る(台湾に協力できることはないと思いますが)」といった拉致に関係する話がされるわけでは全くありません。
 ちなみに梅原辞任後の仙台市長は「奥山恵美子*1(2009~2017年、2期8年)→郡和子*2(2017年初当選、2021年に再選:現職)」です。

【参考:仙台市のパンダ誘致】

奥山恵美子 - Wikipedia
 2011年9月、程永華*3駐日大使と面会し、「被災地の子供を元気付けたい」として仙台市八木山動物公園へのジャイアントパンダ貸与を要請。これに対し、中国の温家宝*4首相からは「積極的に検討したい」と返答が寄せられた。しかし、2012年9月に野田内閣による尖閣諸島国有化が行われたことによる日中関係悪化に伴い、仙台市議会の自民党会派などから反対意見が出されたため、交渉は停止状態になった。
 なお、2011年11月に仙台市を訪問したダライ・ラマ14世からの奥山市長への面会要請があった際には、日程の都合がつかないとして面会しなかったが「パンダ貸与のために面会を断ったと見られる」と報道された。

仙台市、パンダ誘致の取り組み加速 経済効果47億円: 日本経済新聞(仙台支局 田村匠)2019.2.20
 仙台市が中国のジャイアントパンダ誘致へ取り組みを強化している。日中両首相が昨年10月、パンダ貸与の協議を推進することで合意したが、東日本大震災後の2011年に同市の動物園への貸与が決まりかけた経緯があるからだ。パンダの経済効果を47億円と試算するなど期待は大きい。ただ他の都市も誘致に手を上げるとみられ、決して楽観はできない。
 パンダを巡っては、仙台市奥山恵美子前市長は震災後、復興のシンボルとして誘致を表明。八木山動物公園への貸与がいったん決まりかけた。だが、その後の尖閣諸島を巡る領有権問題で日中関係が悪化し、貸与は棚上げになった。
 議論が停滞するなか、安倍晋三首相と中国の李克強*5首相が18年10月、パンダ貸与の協議推進で一致。
 仙台市郡和子市長は「一歩前進と受け止めている」と期待を表明していた。
 震災の経験やこれまでの経緯を踏まえると、仙台市が最有力候補のようにみえる。だが楽観できないのは、「他の動物園が手を挙げるかもしれないし、そもそも日本に来るのかも含めて注視しなければならない」(八木山動物公園の金集(かなつみ)隆幸園長)からだ。
 市が楽観視を避けるもう一つの理由は、貸与はあくまでパンダの繁殖や研究目的であることだ。
 現在1頭のパンダを育てている神戸市立王子動物園は18年、中国側から研究実績に乏しいと指摘された。その後、研究飼育員を公募し、体制の強化を狙った。ある仙台市議は「神戸は20年に貸与期限を迎える。協議推進が決まり、次のパンダを狙ってアピールに躍起になっているのでは」と話す。
 仙台市は誘致に向けて取り組みを加速する。金集園長は18年、中国で毎年開催されるパンダの学術会議に参加した。各国でパンダを育てる関係者らが集まり、パンダの生態や保護などについて研究成果を披露。市は最前線で情報収集に努める。
 金集園長は「これまでに計3回参加した。中国語と英語での発表だが、飼育員も連れて行き、しっかりと知見を得た」と話す。
 八木山動物公園内にはパンダを育てる「パンダ舎」の場所もすでに確保済みだ。
 市は18年12月、パンダ貸与が実現した場合の経済効果が初年度約47億円になるとする試算を公表した。動物園への来場者らの消費に伴う事業者の所得増など総合波及効果は約75億円にものぼる。

パンダと外交 切れない関係 | 特集記事 | NHK政治マガジン2020.7.22
◆神戸のパンダがいなくなる?
 「タンタン、さようなら」
 7月初め、神戸市の王子動物園に子どもたちの声が響いた。
 動物園の人気者、ジャイアントパンダのタンタンの貸与期限が7月15日に迫るのを前に、子どもたちから、感謝の手紙とささの葉が贈られたのだ。ただ、返還先の施設がある中国・四川省と日本との直行便が運休していることから、タンタンはしばらく動物園にとどまることになった。
 いま、日本にいるパンダは10頭。神戸のタンタンに加え、東京の上野動物園に3頭、和歌山県アドベンチャーワールドに6頭となっている。いずれも中国から「貸与されている」ものだ。日本で生まれたパンダもいるが、それも所有権は中国側にある。
 返還された後、代わりのパンダが貸与されるという取り決めはなく、このままでは長年“神戸市の象徴”だったパンダはいなくなる。
 神戸市がパンダを招こうと本格的に活動を始めたのは1997年。その2年前、神戸市は阪神・淡路大震災で壊滅的な被害を受けた。
 動物園の園長を務めていた大久保建雄は、子どもたちを勇気づけたいと、パンダの誘致を思いついた。関係者の熱意と、さまざまな偶然が重なり、誘致が実現したと当時を振り返る。
 2000年に関係者の努力が実り、ジャイアントパンダのつがいが神戸市に繁殖・研究目的で貸与される。そのうち1頭は、「旦旦(タンタン)」と名付けられた。
 動物園の入園者は年間200万人に倍増し、マンホールにもパンダが描かれるなど、神戸市を象徴する存在に育っていく。
◆ポスト「タンタン」を獲得せよ
 その後、貸与期限は2回延長され、ことし20年目を迎えた。
 人間で言えば70歳とも言われるタンタンを、繁殖目的で貸与を受け続けることはかなわなくなり、返還が正式に決まった。
 これに先立って神戸市は新たなパンダの貸与を受けるべく、動き出していた。
 2018年6月、神戸市議会の超党派議連のメンバーが中国・北京を訪問した。その目的はずばり「タンタンの“後任”問題」。北京市内のホテルでパンダの貸与の窓口になっている中国野生動物保護協会の副会長、李青文と会談した一行が直面したのは、中国側の厳しい姿勢だった。
神戸市議団
「神戸の幼児と神戸市がパンダを愛おしく思っている。是非、パンダをお願いしたい」
中国側
「(世界中の)新しい機関もパンダを要求しているので、王子動物園は不利。科学研究と繁殖に関しては(神戸市は)評価が低い。われわれは14国、16の機関とコンタクトを持っている」
 出席者の1人は「パンダを欲しがっているのはあなたたちだけではありませんよ」という強気な姿勢を強く感じたという。神戸市側は戦略を練り直すことを決める。
◆始まりは蔣介石の“プロパガンダ戦略”
「パンダを中国政府は厳重に管理し、外交の重要局面でたびたび外国に贈ってきました。中国から海外にパンダが移動するとき、その背景には必ず中国の外交政策があったとも言えます。これが『パンダ外交』と呼ばれてきたのです」
 「パンダ外交*6」の著書もあり、中国近現代史が専門の東京女子大学の家永真幸*7准教授はこう解説する。
 最初に外交の表舞台にパンダが登場するのは1941年だという。中華民国を率いた蔣介石の下、アメリカ・ニューヨークのブロンクス動物園にパンダが贈られた。
 時は日中戦争のまっただ中。家永准教授は、アメリカの国民政府への支持を得るため、蔣介石がパンダを利用したと話す。
「それに対し、当時の日本の新聞に『珍獣でご機嫌とり』と蔣介石を批判する記事が出る程度には、日本も、中国の『パンダ外交』を意識していた」
 そして戦後、パンダは日中友好の象徴となっていく。
 1972年に田中角栄*8が総理大臣に就任し、日中国交正常化が急速に進む。同年の9月に行われた「日中共同声明」の調印式後の記者会見で、官房長官二階堂進*9がひとつがいのパンダが中国から贈呈されたと発表した。
 そして上野動物園にやってきたのが「カンカン」と「ランラン」。日本に空前のパンダブームが巻き起こる。
 2001年8月、総理大臣の小泉純一郎*10靖国神社に参拝。中国側が反発し、日中関係は冷え込んでいく。
 家永准教授は「2000年代半ば以降、(ボーガス注:自民党右翼議員、産経新聞など右翼から)『レンタル料を払って中国を潤わせてどうする』という議論が日本国内で起きた。日本側としても受け入れるのが簡単ではない動物になっていった」という。
 ただ「パンダ外交」の糸は、ぎりぎりで切れなかった。
 2008年、中国の国家主席胡錦濤*11国賓として来日し、総理大臣の福田康夫*12との間で「戦略的互恵関係」をうたった共同声明に署名。当時、パンダが不在となっていた上野動物園に「リーリー」と「シンシン」が貸し出された。
 しかしその後、日中関係は最悪とも言われる局面に入っていく。きっかけは2010年、尖閣諸島沖での漁船衝突事件だ。
◆「仙台にパンダを」と動いた“大物議員”
 尖閣諸島をめぐり国民の対中感情がさらに悪化するなか、外務省関係者によると、このころから、パンダの貸与をめぐっては、外交当局の事務レベルの折衝でさえ、ほとんどなくなったという。
 一方、今回の取材で、この厳しい時期に別のルートでパンダをめぐる交渉があったことがわかった。動いたのは、ある「大物議員」だった。
 2011年の東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県。訪日した中国の首相、温家宝は、宮城県の避難所を訪れ、子どもたちにパンダのぬいぐるみをプレゼントした。
 仙台市は、中国側が日本の震災復興のためにパンダの貸与の可能性を探っているという内々の情報を得て、パンダの誘致に新たに手を挙げた。
 その際、仙台市は1人の政治家に相談をしている。自民党の元幹事長、加藤紘一*13だ。
 外務官僚として中国課にも勤務した加藤はかつて、(ボーガス注:田中内閣外相として日中国交正常化を実現した)大平正芳*14の流れをくむ派閥「宏池会」のプリンスとも呼ばれ、当時は、野党議員だったものの、親中派の重鎮として、日中友好協会の会長を務めていた。
 震災から半年たった9月、加藤は仙台市長の奥山恵美子とともに中国大使の程永華と面会。程は「意向は、中国政府に伝える」と応じた。その後、自らも訪中し、旧知の元外相、唐家璇と会談した加藤は、周囲に「中国側は前向きな感触だ」と話していたという。
 そして、12月に総理大臣の野田佳彦*15が訪中。会談した中国の首相、温家宝は「被災地の子どもから手紙を頂いた。積極的に検討する」と約束。事務レベルでの具体的な協議が始まる。
 しかしその翌年の2012年9月、尖閣諸島が国有化され、事態は急変する。加藤は再度訪中するが、中国側の反発は予想以上に厳しいものだった。
 それから8年たった今も、仙台市にパンダは来ていない。

「検証・郡市政 あの問題は今」(中)パンダ誘致 日中関係に翻弄される | 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS(報道部・高木大毅)2021.7.14
 被災地の子どもに夢や希望を届けるプロジェクトが、東日本大震災から10年が過ぎても足踏みしている。
 仙台市が2011年に名乗りを上げた八木山動物公園太白区)へのジャイアントパンダ誘致。緊張と雪解けを繰り返す日中関係に翻弄され、新型コロナウイルス感染拡大も重なって現在は動きが止まっている。
 パンダ誘致のきっかけは11年5月、中国の温家宝首相(当時)が被災地を訪れた際、出会った少女が「パンダが好き」と手紙を書き、温首相から返事が届いたことだった。それを聞いた奥山恵美子市長(当時)が9月に中国大使館を訪れ、パンダの貸与を要請した。
 日本政府も後押しし、12月の日中首脳会談で貸与に合意。市は12年4月、副市長をトップとする導入プロジェクト会議を発足させ、動物公園の東門付近にパンダ獣舎の予定地を確保して受け入れ準備を急いだ。
 だが、12年夏以降、尖閣諸島の領有権問題を巡って日中関係が悪化し、誘致は暗礁に乗り上げた。再び機運が盛り上がったのは約6年後。18年10月に会談した日中首脳が貸与協議の推進で合意し、仙台が受け入れ先の有力候補に挙がった。
 20年4月に習近平*16・中国国家主席国賓来日が予定され「手土産」でパンダの貸与が決まる。そんな期待が膨らんだ直後、新型コロナが世界的に流行し、瞬く間に立ち消えとなった。
 誘致の実現はまたも不透明になったが、市は「その時」に向けた地道な取り組みを続ける。16~19年には中国で年1回ある「ジャイアントパンダ繁殖技術委員会」に職員を派遣。繁殖や飼育の研究を深めるとともに中国側に熱意を伝えた。
 郡和子市長(64)も19年11月、駐日中国大使に面会し、パンダ貸与を巡り意見交換した。導入プロジェクト会議も存続させ、関係局長が情報共有を図るとともに、外務省の担当者と連絡を取り続けている。
 動物公園の金集隆幸園長は「誘致が始まった11年に比べ職員の技術力は高まっている。動物公園の魅力向上にも取り組む」と受け入れ態勢に自信を見せる。
 来年は日中国交正常化50年の節目となる。市幹部は「新型コロナが収まれば、何か起きるのではないか」と前進に期待を寄せる。
 宮城県日中友好協会の水戸雄二理事長(74)は近代中国の文豪、魯迅(1881~1936年)の仙台留学から120年となる24年に、市幹部が訪中することを提案する。「さまざまな機会を捉え、誘致の声を上げ続ける必要がある。パンダに東北の復興を見せ、日中友好の証しにしたい」と願う。

 今回、仙台市についてググったら「パンダ誘致(仙台市や神戸市)」について知ったのでメモしておきます。
 まさに「経済のほうが政治よりよっぽど現実(実状)に正直だ」の実例(日本の自治体編) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)の一例と言っていいでしょう。
 しかし、「反中国極右」梅原が今も仙台市長だったらやはりこういうことはなかったんですかね?
 それとも「都知事時代の石原」が「上野のパンダ」に反対しなかったように梅原でも「誘致に励んだ」のか?

*1:仙台市役所生涯学習課長、女性企画課長、市民局次長、教育長、副市長などを経て市長。宮城県初の女性市長、政令指定都市初の女性市長

*2:衆院議員(民主党)。野田内閣で復興大臣政務官

*3:マレーシア大使、韓国大使、駐日大使、中日友好協会副会長など歴任

*4:党中央弁公庁主任、党中央書記処書記、副首相、首相(党中央政治局常務委員)など歴任

*5:中国共産主義青年団共青団)中央書記処第一書記、河南省長、河南省党委員会書記、遼寧省党委員会書記、副首相などを経て首相(党中央政治局常務委員)

*6:2011年、メディアファクトリー新書

*7:著書『国宝の政治史:「中国」の故宮とパンダ』(2017年、東京大学出版会)。なお「家永」という名前から「もしかして」と思いましたが、「家永三郎東京教育大学名誉教授の孫」だそうです。

*8:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)などを経て首相

*9:佐藤内閣科学技術庁長官(北海道開発庁長官兼務)、田中内閣官房長官自民党総務会長(鈴木総裁時代)、幹事長(田中、中曽根総裁時代)など歴任

*10:宇野内閣厚生相、宮沢内閣郵政相、橋本内閣厚生相などを経て首相

*11:中国共産主義青年団共青団)中央書記処第一書記、貴州省党委員会書記、チベット自治区党委員会書記などを経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席

*12:森、小泉内閣官房長官を経て首相

*13:中曽根内閣防衛庁長官、宮沢内閣官房長官自民党政調会長(河野総裁時代)、幹事長(橋本総裁時代)など歴任

*14:池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、蔵相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相

*15:鳩山内閣財務副大臣菅内閣財務相、首相、民進党幹事長を経て立憲民主党最高顧問

*16:福州市党委員会書記、福建省長、浙江省党委員会書記、上海市党委員会書記、国家副主席、党中央軍事委員会副主席、国家中央軍事委員会副主席などを経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席