「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2022年3/9日分:荒木和博の巻)

救出運動はなぜ一本にならないのかというご質問について(R4.3.9): 荒木和博BLOG
 6分29秒の動画です。タイトルと説明文だけで「荒木は何を言っているのか」と「興味津々」です。
 「一本にならない」、つまり

1)救う会の内紛で佐藤勝巳会長が会を追放され、西岡力が後任会長に就任。佐藤の側近だった荒木和博も事務局長を辞め救う会を事実上追放される(但し、特定失踪者調査会、予備役ブルーリボンの会を創設し代表に就任することで拉致利権には食い込み続ける)。
2)拉致被害者家族会から「家族会主流派、救う会批判者」蓮池透氏を追放

ということは荒木にとって「うかつには触れられない話」だと思っていたのですがね(苦笑)。
 荒木曰く「ある方に『何で一本化できないのか』と言われた」が「北朝鮮と仲良くして拉致被害者を帰してもらおうという人とは私は一緒にはやっていけない」「それでいいと思っている」。
 さすがに具体的な実名を出すことを躊躇したのか「田中均氏」「蓮池透氏」「和田春樹氏」らの名前を出していないで「ぼかしてる」とはいえ「北朝鮮と仲良くして*1拉致被害者を帰してもらおうという人」が「田中均氏ら」を意味してることは間違いないでしょう。つまり上で書いた「2」について触れたわけです。
 触れた上で「田中や蓮池ら日朝交渉派と共闘なんかできるか」と罵倒&居直りです(1については救う会との関係悪化を恐れたのか触れていません)。
 そして「だから、もう救う会や家族会、日本政府の言うオールジャパンなんか拉致問題で成り立ってない」。
 荒木の本心が「拉致解決を口実にした日朝交渉妨害」であることがもろばれです。それにしてもこんなことを言い出すとは「蓮池氏除名なんておかしい」「家族会と救う会は本気で拉致を解決する気があるのか」という批判はよほど荒木にとって「苦痛」なのでしょう。そこで言い訳したと。一方家族会や「救う会の西岡、島田ら」にとってもそうした批判は「苦痛」でしょうが彼らは荒木と違い「やぶ蛇」を恐れ蓮池氏のことは「ある時期においてのジャニーズ事務所にとっての森且行」のように「触らぬ神に祟りなし」で無視されます。
 それはともかく、そもそも荒木ら救う会にとって「拉致被害者救出」が「目的」であるならば「北朝鮮と仲良くして拉致被害者を帰してもらおうという人」を敵視する理由はどこにもないはずです。
 「北朝鮮と仲良くしたくない」からこそ荒木ら救う会は「平壌への常駐事務所設置」「国交正常化」に反対し「経済制裁」「朝鮮学校無償化除外」を主張する。「バーター取引による拉致被害者救出」を主張する「田中均氏ら」を敵視し個人攻撃する。
 はては特定失踪者というデマまで垂れ流す。
 「北朝鮮と仲良くしたくない>絶対に越えられない壁>拉致被害者救出」の荒木ら救う会と家族会は縁切りし、蓮池透氏と和解すべきです。それなしでは「いつまでたっても拉致は解決しない」でしょう。
 いや「拉致が風化し忘れ去られる」という形での「解決」ならあり得るでしょうし、現状は明らかにその方向に「着実に」進んでいるでしょうが。

【参考:森且行

森且行 - Wikipedia
 1974年生まれ。1988年4月にSMAPに参加。1989年、日本テレビツヨシしっかりしなさい』で連続ドラマ初主演。SMAPのメンバーでは、初の連続ドラマ主演。1991年、SMAPとしてCDデビュー。1996年5月をもってオートレース選手へ転身することに伴い、SMAPを脱退。同時にジャニーズ事務所を退社し、芸能界を引退。その後、オートレース選手としてメディア出演することはあったが、かつてのSMAPメンバーとの共演は2017年11月までなかった。
 2017年11月4日、AbemaTV『72時間ホンネテレビ』で浜松オートレース場において香取慎吾、草彅剛、稲垣吾郎(なお、2016年12月にSMAPは解散し、その後、稲垣ら三人は芸能事務所CULEN*2に所属)と21年ぶりのメディア共演を果たす。2020年11月3日、「オッズパーク杯 SG第52回日本選手権オートレース」で、SG初優勝。元SMAPメンバーの稲垣、草彅、香取の3名は連名で、木村拓哉中居正広は個人で、それぞれ祝福のコメントを寄せた。
 2021年1月1日、AbemaTV『7.2 新しい別の窓 初夢サプライズ祭り!』に出演し、香取、草彅、稲垣と共演。3人との共演は、2017年11月の『72時間ホンネテレビ』以来、3年ぶり。
【エピソード】
◆中学の時点ではオートレーサーに身長制限があったため一度断念したが、自身が年齢制限最後の年に身長制限が175cmに緩和(現在は撤廃)されたことによって、転身を決意。それでもギリギリだったことから、二次試験の健康診断直前には2日前から、水入りバケツを頻繁に持ち、身長を縮めようとしたとのこと。
オートレース選手養成所では坊主頭にしなければいけなかったため、養成所入所の前日に私用で欠席した稲垣を除くSMAPメンバーが森の自宅に集まり、断髪式を行った。
SMAPが総合司会を務めた2014年のフジテレビ『FNS27時間テレビ』の終盤において、森がメンバーに宛てた手紙が読まれる一幕があった。この約1ヶ月後、BSフジ『たけしの等々力ベース』に出演した森は、『FNS27時間テレビ』内で自身の手紙が読まれたことについて、「僕の手紙で感動してくれたので嬉しかった」と素直に喜んだ。一方で、SMAPのメンバーとの共演には「それは(オートレースで)日本一になると約束したので、日本一になれるまでは考えていません」と否定し、自身の目標・メンバーとの約束を果たした上での「再会」を希望しているとした。

ジャニーズ最大のタブー?森且行、SMAP脱退の真相激白、『ミヤネ屋』独占に驚き広がる2020.11.06
 3日に行われた第52回日本選手権オートレースでSG初優勝を果たした森且行。森といえば元SMAPメンバーとして知られており、優勝を受けて中居正広木村拓哉香取慎吾草なぎ剛稲垣吾郎の元メンバー全員が祝福コメントを出すなど、改めて絆の強さを見せた。
 多くのメディアで森の優勝が報じられるなか、6日放送のテレビ番組『情報ライブ ミヤネ屋』(読売テレビ日本テレビ系)は森への独占インタビューを敢行。森がSMAPを脱退してオートレース選手養成所に入所してからこれまでの軌跡を振り返る映像なども交えながら、20分以上にわたり特集した。
 まず、森は1996年にSMAPを脱退した当時について、「誰にも伝えずにレースの試験を受けて、だから、多分、メンバーもすごいビックリしたと思うし、(ジャニーズ)事務所の方も驚いたと思うし、すごい迷惑はかけましたね」と告白。何が選手生活の支えになっているのか、という質問に対し、「支えは、5人が頑張っている姿を見ることです。それが一番の支えです。みんなが頑張っているからこそ、僕も頑張れる」と答えた。
 さらに今回の優勝について、「『日本一になる』って言って(SMAPを)出てきて。それが24年間待たせてしまって。そのときに(元メンバーたちと)約束したんで、“お互い日本一になろう”って」と改めてSMAPメンバーへの思いを語った。そして彼らから祝福のコメントが寄せられていることについて「本当に読むだけで、涙が出てきました」と目を潤ませ、中居からは直接電話があり「飯行こう」と誘われたことを明かした。
「森がSMAPを抜けたのは、グループの人気が絶頂へ向けてぐんぐん上昇している頃で、まさにこれから黄金期を迎えるという文字通り“人気沸騰”の状態でした。そんななかで森が事務所に内緒でオートレースの試験を受け“事後報告”というかたちをとり、脱退と芸能活動引退を強行したわけです。
 そのため、ジャニーズと関係の深いテレビやスポーツ紙、一部の雑誌では、森のレース結果などをニュースとして報じるのはOKの一方、森が単独インタビューなどでSMAPのことや脱退の真相などについて語ることはタブーとされてきました。業界内で漏れ伝わってくる情報からも、実際にジャニーズもメディアによる森の扱いについては、かなり敏感な反応を示していたという印象があります。それだけに、全国区の地上波で、ここまで森が踏み込んで語ったということに少し驚きました」(出版社関係者)
 また、テレビ局関係者はいう。
「インタビューに応える森の発言を聞いてわかるように、森は“仲間”という表現に置き換えることで、意識的に“SMAP”というフレーズを使わないよう配慮している様子が伝わってきます。今回のインタビューで森が“SMAP”という言葉を口にしたのは1度だけだったと思いますが、そんな森の気遣いとは裏腹に、テレビの画面上では終始“支えはSMAP”などとテロップで“SMAP”という言葉が映し出されていました。
『ミヤネ屋』は制作は大阪の読売テレビですが、日本テレビ系で全国に放送されており、その日テレは今、ジャニーズともっとも関係の深いテレビ局といえる。さすがに今回の件で事務所が日テレサイドに何か言ってくることはないとは思いますが、両者の間に微妙な“しこり”が生じる可能性もある。読売テレビが日テレに事前に森の特集について伝えていたのかどうかは、わかりませんが、日頃からジャニーズに気を遣う日テレだけに、少しヒヤッとはしたかもしれません」
 一方、こんな見方もある。
「確かに以前は、森の脱退ネタがジャニーズにとって最大のタブーだった時期があった。ただ、もう20年以上も前の話ですし、SMAP解散から4年がたち、SMAPに対して厳しい評価を持っていた(藤島)メリー(泰子)さん*3も会長を退任して、経営陣も代替わりを果たしています。3年前に香取、草なぎ、稲垣の3人がジャニーズを退所した時点で、もう“森タブー”は消えたという認識も業界内にあり、どこかのメディアで森がジャニーズやSMAPのことに言及したからといって、今さらジャニーズがどうこう言うことはないと思います。ただ、キー局やスポーツ紙、一部の雑誌メディアのほうは、いまだに気を遣ってる部分はあるでしょうね」(別のテレビ局関係者)
 解散から4年が経過した今でもメディアが気を遣うほど、SMAPの存在は大きかったといえるのかもしれない。

*1:「日朝交渉」とは目的が「拉致被害者救出」「核、ミサイル問題」「日本人妻帰国」「平壌への常駐事務所設置」「国交正常化」であれ何であれ「仲良くする」ということとは違いますが荒木の発言通りに書いてみました。

*2:代表はSMAPの元マネージャー・飯島三智(飯島三智 - Wikipedia参照)

*3:弟のジャニーが1962年6月に芸能事務所「ジャニーズ事務所」を興すと、メリーは事務所の経理を担当するようになった。長年ジャニーズ事務所副社長を務めていたが、2019年7月に弟で創業者のジャニーが亡くなったことを受け、2019年9月27日付でジャニーズ事務所代表取締役会長に就任。2020年9月4日付で会長を退任し名誉会長に就任。2021年8月14日、肺炎のため東京都内の病院で死去(メリー喜多川 - Wikipedia参照)