ゼレンスキーの国会演説に反対する! -紛争は武力では解決しない- | ちきゅう座
タイトルだけでげんなりします。
泉・立民代表のように「演説それ自体には反対しない。しかし武器支援要請希望などと変な演説をされても困る。その点の不安を払拭した上で演説して欲しい」ならわかる。俺もそういう意見ですので。何せ自民党には「ショー・ザ・フラッグと米国に言われた」など外国首脳の発言(但しショーザフラッグについて言えばそんな発言はなかったという指摘もありますが)を自己正当化に使ったことが過去にある。
「演説それ自体に反対」というのは「おいおい」ですね。
ただし
◆ゼレンスキーは、二つの事をはっきりさせるべきだ。一つは、19年の大統領選の時、東部に投票所を設置せず在住ロシア人の投票権を剥奪した上で当選した事だ。二つには、米国から軍事・経済にわたり強力な支援を受けている事に関してである。
という批判のうち、「後者はともかく」前者については「事実であり、その行為を正当化する理由が何もないのならば*1」ゼレンスキーやその支持者たちは「ロシア人差別者」と批判されて当然でしょう。
ただし、それにしたって、前者の事実は「ロシアの侵攻」を正当化しないし、「ゼレンスキーの演説それ自体」に反対する理由にはならないでしょう。「武器支援要請希望などの問題発言が懸念されるから演説に反対」というならまだわかりますが。
ただし一方でちきゅう座にはゼレンスキーの国会演説。被侵略国の代表者の訴えに耳を傾け励ましたい。 | ちきゅう座(澤藤統一郎)というまともな文章も掲載されてはいますが。
澤藤論文の詳細な紹介は省略しますが「演説自体には反対しないが泉代表のような懸念は感じる。その点、果たして払拭できたのか?」「もしゼレンスキーが問題発言をするならばその時には批判する」という俺的に賛同できる内容です。しかしちきゅう座も「自由な言論」とでも抜かすのかもしれませんが、何でも掲載すればいいという物ではないでしょうに。
ゼレンスキー国会演説について「原則賛成」の澤藤氏と「絶対反対」の小島では全然違う。
リベラル21 なぜ20世紀社会主義は狂気の独裁者を生み出したのか(盛田常夫*2)
何も「狂気の独裁者」イコール共産党(例:ホロコーストのヒトラー)でもない。ましてや「狂気」を外した「ただの独裁者」なら「なおさら」ですがそれはともかく。
「狂気」というと、共産党関係では「スターリン粛清、毛沢東文革、ポルポト虐殺」レベルでしょうか。
やっていいとは言いませんが例えば「鄧小平の天安門事件」レベルでは狂気とまでは言えないでしょう。
・私は1990年に上梓した『ハンガリー改革史』(日本評論社)において、20世紀社会主義の特質を分析した。
・私は中東欧社会主義の歴史的総括を行った(拙著『体制転換の政治経済社会学』日本評論社、2020年)
老害が「過去の自分の業績」を自画自賛してるだけであり「見るに堪えません」。
なお、盛田の言う「特質」とは共産圏では「ソ連(ロシア革命)」「中国(国共内戦)」など「戦乱下」において「選挙」ではなく、非民主的な手法(革命や内戦勝利)で政権獲得した国が多かったため、民主主義の観点で問題が生じ、それがソ連東欧においては「反民主主義への反発(勿論、経済的不満もありますが)」から「共産体制の是正ではなく崩壊をもたらした(共産体制は反民主主義性の是正に失敗した)」というだけの「間違いではないだろうがどや顔するほどでもない平凡な普通の見解」です。
いかにプーチンが「元KGB(ソ連体制経験者)」とはいえ、1991年のソ連崩壊後の2000年に大統領となったプーチンを「ソ連が生んだ」というのは認識としておかしいと思います。今の体制はおそらく「ソ連を引き継いだ部分(勿論それもあるでしょうが)」より「20年間の統治の間にプーチンが築き上げた部分」の方が大きいのではないか。
しかし「ソ連崩壊から約30年後」にウクライナ侵攻ねえ。
「日独が敗戦後、一時、武装解除され、連合国(米国)に支配されたのに対し、共産体制崩壊時の旧ソ連(ロシア)はそうではなかった」など、単純比較できないとはいえ「1945年のナチス崩壊や大日本帝国崩壊から約30年後(1975年頃)の西ドイツ(シュミット*3社民党政権)や日本(三木政権)」とは偉い違いです。
どう評価しようとも「1975年頃の西ドイツや日本」は今のプーチンロシアほどに無茶苦茶ではない。
勿論「ドイツはともかく」日本も「靖国神社」など戦前の「残滓」「負の遺産」が未だ残存してる面があるのであまり偉そうなことも言えませんが。