「言語の天才・金壽卿の人生を通じて、日本に『離散家族』を知ってもらいたい」 : 文化 : hankyoreh japan2021.9.29
『北に渡った言語学者・金壽卿:1918-2000』(人文書院)。人類学者である同志社大学社会学部の板垣竜太*1教授(49)が7月に日本で出版した、言語学者の故・金壽卿(キム・スギョン)(1918~2000)氏の評伝だ。
解放後、ソウル大学商学部の前身である京城経済専門学校の教授だった金壽卿は、1946年8月に38度線を越えて北朝鮮に向かった。その年の9月に開校した金日成大学の創設要員として働いてほしいという北朝鮮の招請に応じたのだ。
言語学者としての金壽卿の最大の業績は何か。
「北朝鮮の朝鮮語学を切り開いた人です。北朝鮮は1948年から1月15日をハングルの日(訓民正音記念日)として記念しています(韓国では10月9日をハングルの日としている)。実は、1947年10月9日付の北朝鮮の党機関誌『労働新聞』に、ハングルの日の議論についての金壽卿の文章が掲載されました。金壽卿はその論文で、10月9日は1446年に頒布した訓民正音解例本の出版記念日に過ぎず、訓民正音を創製した日は実録に出ている1443年12月(旧暦)が正しいと主張しました。北朝鮮のハングルの日の変更に金壽卿が深く関与したことを推察できる文章です。」
北朝鮮の言葉を変えた天才言語学者「金壽卿」 南北で違う冷麺の発音 - 北朝鮮ニュース | KWT2021.12.13
冷麺は代表的な韓国料理だが、韓国と北朝鮮で表記も発音も異なる。韓国ではネンミョン、北朝鮮ではレンミョンと言う。
このような違いが生まれたのは、朝鮮半島が分断された後、北朝鮮で行われた朝鮮語改革によるものだ。その改革を主導した言語学者、金壽卿(キム・スギョン)の激動の生涯を描いた評伝が、今年7月に刊行された。『北に渡った言語学者・金壽卿:1918-2000』(人文書院刊)がそれである。
著者は、同志社大学社会学部の板垣竜太教授。板垣教授は、10年の歳月をかけてこの評伝を書き上げた。
◆1948年に頭音法則を廃止した北朝鮮
古い時代の朝鮮語には、R音(日本語のラ行)で始まる言葉がなかったそうだ。しかし、中国から入ってきた漢字には、R音で始まるものが少なくない。
朝鮮半島の人々は、漢字を受け入れるに際して、語中に出てくるR音は、そのまま発音するが、R音が語頭に来る時はN音に変えたり、無音化したりして朝鮮語(韓国語)の中に取り入れた。
このようにR音で始まる漢字音が語中と語頭で異なる現象を韓国では「頭音法則」と言う。
しかし、北朝鮮では、この頭音法則を1948年に廃止した。その決定を主導したのが、北朝鮮の言語学者、金壽卿である。
◆金日成総合大学の教員となるため北朝鮮へ
金壽卿は、1946年に新設された金日成総合大学から文学部の教員として招聘され、妻と2人の子供を連れて北朝鮮に行く道を選んだ。
◆1948年「朝鮮語新綴字法」で冷麺はレンミョン、労働党はロドンタンに
頭音法則の廃止によって、冷麺はレンミョンになり、北朝鮮の指導政党である労働党(ノドンタン)はロドンタンになったのである。
◆朝鮮戦争で離散家族。休戦後も権力闘争に翻弄
1950年に朝鮮戦争が勃発すると、金壽卿とその家族の運命は暗転する。金壽卿は、南下する北朝鮮軍に従軍し、最南端の珍島に到ったところで戦況は一変。命からがら平壌に逃げ帰る。
ところが、平壌に家族はいなかった。混乱の中、家族は南に行く選択をしたのである。こうして、金壽卿一家は離散家族となった。
休戦後も、金壽卿は北朝鮮の権力闘争に翻弄された。
1950年代後半から60年代は、金日成主席がソ連から距離を置き、主体思想を確立していく時期に当たる。その過程で延安系(中国で抗日闘争をしていたグループ)、ソ連系(ソ連軍と行動をともにしていたグループ)の政治指導者は、次々と粛清されていった。
金壽卿もまた、外国思想にかぶれた学者として批判を受ける。
辛くも粛清は免れたが、1968年、金壽卿は金日成総合大学を追われ中央図書館の司書に左遷される。その後、20年間、金壽卿は学界から姿を消すことになる。
学問の世界に生きる学者が、政治権力の影響を大きく被ってしまうところが、北朝鮮社会の特異な点である。
◆20世紀の朝鮮半島史を俯瞰できる壮大な評伝
韓国からカナダに移民していた家族が、北朝鮮の父の消息を知ったのは1983年のことである。
手紙のやり取りを経て、1988年、金壽卿は次女の恵英(ヘヨン)と北京で劇的な再会を果たす。同じ時期、金壽卿は学者としても復権され、研究活動の再開が認めれた。
金日成主席死後の1996年、後継者の金正日総書記によって「愛国烈士」に認められ、2000年に平壌で81歳で没した。
『北に渡った言語学者・金壽卿』の著者、板垣竜太教授は、2010年にたまたま金壽卿の次女恵英に出会い、この天才的な言語学者の存在を知った。
その後、恵英女史から金壽卿の日記を提供してもらうとともに、精力的な取材を続けて、渾身の評伝を完成した。
本書は、1言語学者の評伝というにとどまらず、朝鮮語の学問史、朝鮮戦争史、離散家族史、さらに朝鮮半島の20世紀史にもなっている。
朝鮮半島に関心のある人々にぜひ一読をお勧めしたい。
備忘録的な意味で書いておきます。