ふと思いついた言葉『前川となるも、赤木となるなかれ』

 元ネタは「鶏口となるも牛後となるなかれ」ですね。
 要するに自殺するな、死んで花実が咲くものか、つうことですが。俺的には同じ「安倍の犯罪に対する内部告発者」(財務省(近畿財務局)の赤木氏は森友学園文科省(元文科事務次官)の前川氏*1加計学園)でも赤木氏にはあまり魅力を感じず*2、前川氏の方にはある種の魅力を感じます。
 俺が「朝鮮学校無償化除外反対」の立場から前川氏への評価が甘くなることは否定しませんが。
 何というか、世間での赤木氏や前川氏の扱いを見ていると「死んで聖人扱いされる赤木氏(一方で死なないので聖人扱いされない前川氏)」という「日本でありがちな良くないパターン」のような気がしますね。
 しかしやはり「死ぬ人間より生き続ける人間の方が無条件で偉い」と声を大にして言いたいですね。つうと「赤木氏の奥さん」はマジギレかもしれませんが。

*1:著書『これからの日本、これからの教育』(共著、2017年、ちくま新書)、『前川喜平 教育のなかのマイノリティを語る:高校中退・夜間中学・外国につながる子ども・LGBT・沖縄の歴史教育』(2018年、明石書店)、『前川喜平「官」を語る』(2018年、宝島社)、『前川喜平が語る、考える。 学ぶことと育つこと、在日とアイデンティティー、あなたと私。』(2018年、本の泉社)、『面従腹背』(2018年、毎日新聞出版)、『同調圧力』(共著、2019年、角川新書)、『権力は腐敗する』(2021年、毎日新聞出版)など

*2:但し俺もヘタレなところは赤木氏に似ているとは思いますが。赤木氏に魅力を感じないのは同族嫌悪(?)かもしれない。