山際永三氏と言えば俺的には「人権活動家」の印象が強い

 ウルトラシリーズなどのテレビドラマの演出で有名な山際永三監督のトークショーに顔を出してきた(映画のフィルム発見の経緯、商業化の過程も興味深い) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)コメント欄にもコメントしましたがこちらにも記事を書いておきます。

山際永三 - Wikipedia
狭山事件などの冤罪支援運動や死刑制度廃止運動、被逮捕者の人権擁護運動などでも知られる。
◆著書『「悪魔のお前たちに人権はない!」:学校に行けなかった「麻原彰晃の子」たち』(共著、2001年、社会評論社

ということで小生的にはウルトラシリーズよりむしろ「人権活動家」の印象が強いですね。彼の名前を最初に知ったのも多分「映画関係の本ではなく、冤罪関係の本(後で触れる帝銀事件かもしれないがよく覚えていない)」だったと思います。
 なお、コメント欄ご指摘に寄ればid:Bill_McCrearyさんも「山際監督の人権活動家の面」は知っているがウルトラシリーズなどのテレビドラマの演出で有名な山際永三監督のトークショーに顔を出してきた(映画のフィルム発見の経緯、商業化の過程も興味深い) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)が紹介したトークショーの性格もあって、ウルトラシリーズなどのテレビドラマの演出で有名な山際永三監督のトークショーに顔を出してきた(映画のフィルム発見の経緯、商業化の過程も興味深い) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)では「山際監督の人権活動家の面」には触れなかったようです。
 山際氏のお名前でググると以下の「帝銀事件」関係記事もヒットしたので、この機会に紹介しておきます。

幸せの学び:<その187> 帝銀事件70年=城島徹 | 毎日新聞2018.1.24
 戦後の混乱期に起きた「帝銀事件」で死刑判決を受け、無実を叫びながら獄中死した平沢貞通(さだみち)元死刑囚(1892~1987年)の獄中画を展示する「帝銀事件70周年 故平沢貞通画伯執念の獄中画展」が2月4日まで、下町情緒が残る東京都台東区谷中の「ギャラリー・てん」で開かれている。1月22日、二十数点の作品を並べた会場を訪ね、降りしきる雪に「雪冤(せつえん):無実の罪をすすぎ、潔白であることを明らかにすること」(広辞苑)という言葉が脳裏に浮かんだ。
 「獄中の平沢さんの心境が伝わってきますね」。
 そう言いながら作品を見つめていたのは、画展を企画した「帝銀事件再審をめざす会」代表で映画監督の山際永三さん(85)だ。
 1948年1月26日、東京都豊島区の帝国銀行*1椎名町支店で都職員を装った男に赤痢予防薬と偽った青酸化合物入りの液体を飲まされた行員ら12人が死亡し、現金や小切手が奪われた。この「帝銀事件」発生から半年余り後に逮捕されたのが、北海道・小樽出身で、日本画の巨匠・横山大観に師事したことのある画家、平沢元死刑囚だった。
 1955年に死刑判決が確定した後も、冤罪だと訴え続け、支援者の協力で描いた獄中画は数千点にものぼったという。
 「この大量毒殺事件は毒物に知識が皆無の画家には起こせない」。
 冤罪への強い疑いが指摘されるなか、1987年に獄中で95歳の生涯を閉じたが、遺族が2015年11月、第20次再審請求を東京高裁に申し立てている。
「映画に携わっていることから冤罪事件に関心が及び、特に帝銀事件は戦後冤罪の原点とも言うべきものとして70年代から支援活動に加わりました」
「今年は事件発生から70年。平沢さんの出身地の北海道以外では確かにこの事件を知らない人が多くなったと思います。この獄中画を通して帝銀事件を知ってほしい」。
 展示画を引き立てる照明を念入りにチェックしながら山際さんはそう語った。

山際永三 トークショー レポート・『帝銀事件 大量殺人 獄中三十二年の死刑囚』(1) - 私の中の見えない炎(2022.3.11)から一部引用
 1948年1月26日、帝国銀行椎名町支店で行員ら12人が殺された。検事(橋本功)や警部補(田中邦衛)らは画家・平沢貞通(仲谷昇)をマークする。
 謎につつまれた帝銀事件をドラマ化した『帝銀事件 大量殺人 獄中三十二年の死刑囚』(1980)。原作に松本清張、脚本に新藤兼人、監督に森崎東などスタッフには大物が名を連ねる。
 2月に死刑映画週間の一環としてリバイバル上映され、山際永三監督のトークもあった(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
◆山際
 若いころに映画監督もやっていた*2んですが、映画のつくり方というのは大体判っているつもりです。
 憂鬱です。なさけない思いでいっぱいです。この映画は、完全にとは言いませんが70パーセントぐらいは警察・検察の立場で描いてますね。平沢さんの人間性も若干出てはくるんですが、こういう形で描かれていいのかと複雑な思いに駆られます。映画は商売にならなくちゃいけないですけども。
 この映画の前に熊井啓さんの日活映画で『帝銀事件 死刑囚』(1964)がありました。この作品は新聞記者物なんですね。当時流行りのセミ・ドキュメンタリーで、ドキュメンタリーに近い撮り方をしている。当時新鮮な思いで見て、最近ももう一度見てみたんですがなかなか上手くできています。
 私は「帝銀事件の再審を求める会」に入っていて、平沢さんが死ぬ前に養子縁組をした武彦(平沢武彦)さんが中心になって第19次という請求をしていて、武彦さんの死とともに法律上なくなっちゃったんですね*3。その後しばらくなって、弁護士の一瀬敬一郎さんを中心に弁護団が編成されて、平沢さんの直系の親族の方が請求人になって第20次をやっております。
 免田栄さんは第6次で無罪を取ってますね。第3次で再審開始の決定が出たんですが、検察官の上訴によってダメになって、第6次で日弁連も総力を挙げる形で支援して無罪になりました。平沢さんは何と20次で、どうしてこんなに長くかかっちゃうのかと、われわれは精神が萎えていく感じもあるわけです。
 ぼくは再審を求める立場的に、平沢さんを主人公にしたものをつくってもらいたいんですね。

山際永三 トークショー レポート・『帝銀事件 大量殺人 獄中三十二年の死刑囚』(2) - 私の中の見えない炎(2022.3.11)から一部引用
◆山際
 帝銀事件を通して何を知りたいかというと、戦後の日本の歴史ですね。GHQの問題も含めて、戦後史をどういう観点で見るべきなのか。朝鮮戦争が起きて、GHQの性格転換*4もあって、日本は再軍備で予備隊もできていく。戦後民主主義がどんどん崩れていくんですね。
 帝銀事件から始まる日本型の冤罪。外国にも冤罪はたくさんありますけど、どうも日本的な冤罪があるのは何故なのか、考えていただきたい。その中で死刑がどう位置づけられているか。
 戦後の民主主義は脆弱でみんな挫折していった*5。先輩たちは挫折したし、全共闘運動も挫折した。われわれは今後、どのように戦後史を見るかというのが問われているとぼくは思います。
(以上)
 「もともとテレビドラマで、映画館で上映する機会のない作品ですので、山際さんに辛口のコメントをつけていただいたわけですが、何だそんな映画かと思わずに大事な経験をしたとぜひ思ってくだされば」と関係者の方が言い添えていた。

 「帝銀事件」については『帝銀事件 死刑囚』(熊井啓監督、1964年公開)といった映画が作られてるので、山際氏の場合、そういう方面からの接近でしょうか? 
 なお、「帝銀事件」については俺もさすがに忘れかけていました。「世間のはやり廃り(?)」に関係なく、このように愚直に取り組む山際氏のような人間こそが「本物(ここで言う「本物」とは「人間的誠実さが信じられる」という意味ですが)」であり、もはや韓国(人)にとっては、北朝鮮は「脅威」「打倒の対象」よりもメロドラマのネタ程度のものなのだろう(たぶん日本も同じ 関川某も自分の書いたことを撤回しろとおもう) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)巣食う会とか家族会系の連中とかかわった北朝鮮関係の言論人は、その後ろくな状況でないと思う(関川夏央や高世仁、恵谷治、李英和ほか) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)が批判する関川夏央などは「完全に偽物(誠実さのかけらもないクズ)」といっていいでしょう。
 以前も別記事で書きましたが

関川夏央 - Wikipedia
北朝鮮叩き(1990年代後半頃まで)(刊行年順:刊行年が同じ場合は出版社名順)】
◆『検証・北朝鮮北朝鮮の全体像を読む』(佐藤勝巳*6らとの共著、1992年、ジャプラン出版)
◆『退屈な迷宮:「北朝鮮」とは何だったのか』(1996年、新潮文庫→増補版、2003年、ワニ文庫)
◆『北朝鮮軍、動く:米韓日中を恫喝する瀬戸際作戦』(恵谷治*7らとの共著、1996年、ネスコ)
◆『北朝鮮の延命戦争:金正日・出口なき逃亡路を読む』(恵谷治らとの共著、1998年、ネスコ)
◆『金正日の哄笑:南北は本当に和解したのか』(恵谷治らとの共著、2000年、光文社)
【文芸評論家(2000年頃から現在まで)(刊行年順:刊行年が同じ場合は出版社名順)】
◆『戦中派天才老人・山田風太郎』(1998年、ちくま文庫)
◆『本よみの虫干し:日本の近代文学再読』(2001年、岩波新書)
◆『二葉亭四迷の明治四十一年』(2003年、文春文庫)
◆『白樺*8たちの大正』(2005年、文春文庫)
◆『現代短歌 そのこころみ』(2008年、集英社文庫)
◆『女流:林芙美子有吉佐和子』(2009年、集英社文庫)
◆『「坂の上の雲*9」と日本人』(2009年、文春文庫)
◆『おじさんはなぜ時代小説が好きか』(2010年、集英社文庫)
◆『「解説」する文学』(2011年、岩波書店
◆『「一九〇五年」の彼ら:「現代」の発端を生きた十二人の文学者』(2012年、NHK出版新書)
◆『東と西:横光利一旅愁』(2012年、講談社
◆『文学は、たとえばこう読む :「解説」する文学Ⅱ』(2014年、岩波書店
◆『子規、最後の八年』(2015年、講談社文庫)
など

ということで関川は「北朝鮮叩き」があまり受けなくなるとそこからトンズラして、文芸評論家にジョブチェンジしたわけです。
 そしてウヨ時代には、ウヨ仲間と一緒に「北朝鮮に甘い」とあれほど悪口していた『岩波書店』からも平気で本を出すようになります(出す岩波の方もどうかと思いますが)。
 帝銀事件については以下の記事も紹介しておきます。

<つなぐ 戦後76年>帝銀事件「風化させない」 登戸研資料館館長が講演 秘密戦部隊との関わりに迫る:東京新聞 TOKYO Web2021.8.31
 一九四八年に帝国銀行の行員十二人が毒殺された「帝銀事件」について、旧日本陸軍の秘密戦部隊の関わりに迫る講演がオンラインであった。事件をめぐっては、逮捕された画家の平沢貞通・元死刑囚の遺族が現在も再審請求を続けている。戦後最大の冤罪(えんざい)事件とされ、「風化させてはいけない」と明治大の平和教育登戸研究所資料館が開催した。(山本哲正)
 同資料館では、事件から七十年の節目に当たる二〇一八年に、改めて当時の捜査資料を分析した。講演では山田朗*10館長が研究成果を披露した。警視庁の捜査本部に集約された情報を記した「捜査手記」では当初、暗殺用の毒物などを取り扱った登戸研*11や、中国東北部で細菌兵器の開発を進めた731部隊関東軍防疫給水本部)などの関係者がリストアップされ聴取されていたことが分かるという。
 一九四八年四月に聴取を受けた登戸研の関係者は、事件の使用毒物について「(事件の)状況は青酸カリとは思えない」と指摘。登戸研で開発されて暗殺に使いやすく、一般には入手の難しい「青酸ニトリール」との見立てを語っていた。
 だが、同年八月に逮捕されたのは、軍とも毒物とも無縁の平沢画伯だった。
 実際に使われた毒物の十分な鑑定ができていない状況で、この登戸研の関係者は見解を変更。同年九月に捜査会議に出席した際には「一般市販の工業用青酸カリ」と断定したという。
 背景には、米国の思惑があったとみる。当時、米ソ冷戦の激化を背景に、米国が731部隊や登戸研関係者に対して、研究成果の提供と引き換えによる免責を進めていた。
 山田さんは「旧軍関係者を守るため、軍の秘密について警察にも口外しない口止め圧力が、帝銀事件の捜査の過程で強まった」と指摘、青酸カリ使用説に転換していったとの見方を示す。「米軍による731部隊や登戸研関係者への免責と帝銀事件捜査への介入が、まさに時期的に符合する。占領政策の転換によって、戦前的なものが戦後に生き永らえていく過程だった」と指摘した。
帝銀事件> 
 1948年1月26日、東京都豊島区の帝国銀行支店に男が現れ「近くで集団赤痢が発生した。進駐軍が消毒する前に予防薬を飲んでほしい」と行員ら16人に毒物を飲ませ12人を殺害。男は現金を奪って逃走した。
 同年8月、平沢画伯が逮捕されたが、公判で無罪を主張。死刑確定後も再審請求を重ね、87年に95歳で亡くなった。2015年には遺族が第20次再審請求を申し立てている。

 小生は未読ですが山田氏には、「登戸研究所」「帝銀事件」については『陸軍登戸研究所:隠蔽された謀略秘密兵器開発』(共著、2003年、青木書店)、『登戸研究所から考える戦争と平和』(共著、2011年、芙蓉書房出版)、『陸軍登戸研究所・「秘密戦」の世界:風船爆弾生物兵器・偽札を探る』(編著、2012年、明治大学出版会)、『帝銀事件と日本の秘密戦』(2020年、新日本出版社)の著書があります。 
 また小生は未読ですが、登戸研究所については

【刊行年順】
斎藤充功*12『謀略戦・陸軍登戸研究所』(1987年、時事通信社→2001年、学研M文庫)
◆渡辺賢二*13『陸軍登戸研究所と謀略戦:科学者たちの戦争』(2012年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)

の著書があります。

*1:後の三井銀行(今の三井住友銀行

*2:山際氏は1931年生まれで、現時点での「監督を務めた劇場公開映画の最後の作品」は「狂熱の果て」(1961年公開:当時30歳)です(山際永三 - Wikipedia参照)

*3:これについては例えば帝銀事件の再審請求手続き、養子死亡で「終了」 東京高裁: 日本経済新聞参照

*4:いわゆる逆コースのこと

*5:というのは勿論「敗北主義過ぎる」「一面的すぎる」でしょう。冤罪事件限定ですら「帝銀事件が未だ無罪判決が出ない」という問題がある一方で「いわゆる昭和の四大死刑冤罪(財田川事件、島田事件、松山事件、免田事件)の再審無罪」などの成果が一方ではあります。

*6:1929~2013年。著書『日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか』(2002年、草思社)、『「秘話」で綴る私と朝鮮』(2014年、晩聲社)など

*7:1949~2018年。著書『金正日北朝鮮 権力の実像』(1995年、時事通信社)、『金正日非公認情報』(1998年、徳間文庫)、『北朝鮮対日謀略白書』(1999年、小学館)、『1967年10月8日:チェ・ゲバラ 死の残照』(2000年、毎日新聞社)、『アフガン山岳戦従軍記』(2001年、小学館文庫)、『北朝鮮はどんなふうに崩壊するのか』(2013年、小学館101新書)など

*8:白樺派のこと

*9:司馬遼太郎歴史小説

*10:明治大学教授。歴史教育者協議会委員長。著書『昭和天皇の戦争指導』(1990年、昭和出版)、『大元帥昭和天皇』(1994年、新日本出版社→2020年、ちくま学芸文庫)、『軍備拡張の近代史:日本軍の膨張と崩壊』(1997年、吉川弘文館)、『歴史修正主義の克服』(2001年、高文研)、『護憲派のための軍事入門』(2005年、花伝社)、『世界史の中の日露戦争』(2009年、吉川弘文館)、『これだけは知っておきたい日露戦争の真実:日本陸海軍の〈成功〉と〈失敗〉』(2010年、高文研)、『日本は過去とどう向き合ってきたか』(2013年、高文研)、『近代日本軍事力の研究』(2015年、校倉書房)、『兵士たちの戦場』(2015年、岩波書店)、『昭和天皇の戦争:「昭和天皇実録」に残されたこと・消されたこと』(2017年、岩波書店)、『日本の戦争:歴史認識と戦争責任』(2017年、新日本出版社)、『日本の戦争Ⅱ:暴走の本質』(2018年、新日本出版社)、『日本の戦争III:天皇と戦争責任』(2019年、新日本出版社)など

*11:細菌兵器、毒ガス兵器などの開発に関わったとされる陸軍の研究所。神奈川県川崎市多摩区登戸にあったことから「登戸研究所」と命名された。研究所の跡地には現在、明治大学平和教育登戸研究所資料館 | 明治大学がある(登戸研究所 - Wikipedia参照)

*12:フリーライター陸軍中野学校や犯罪事件についての著書が多い。著書『百年ダムを造った男:土木技師八田与一の生涯』(1997年、時事通信社)、『脱獄王:白鳥由栄の証言』(1999年、幻冬舎アウトロー文庫)、『伊藤博文を撃った男:革命義士・安重根の原像』(1999年、中公文庫)、『昭和史発掘:幻の特務機関「ヤマ」』(2003年、新潮新書)、『刑務所を往く』(2003年、ちくま文庫)、『昭和史発掘:開戦通告はなぜ遅れたか』(2004年、新潮新書)、『諜報員たちの戦後:陸軍中野学校の真実』(2005年、角川書店)、『陸軍中野学校』(2006年、平凡社新書)、『ルポ・出所者の現実』(2010年、平凡社新書)、『陸軍中野学校極秘計画』(2011年、学研新書)、『証言・陸軍中野学校』(2013年、バジリコ)、『日本スパイ養成所・陸軍中野学校のすべて』(2014年、笠倉出版社)、『小野田寛郎は29年間、ルバング島で何をしていたのか』(2015年、学研プラス:勘の鋭い人は「斎藤の著書傾向」で気づくでしょうが小野田は中野学校出身です)、『スパイ・アカデミー陸軍中野学校』(2015年、洋泉社)、『日本のスパイ王:陸軍中野学校の創設者・秋草俊少将の真実』(2016年、学研プラス)、『塀の中の少年たち:世間を騒がせた未成年犯罪者たちのその後』(2016年、洋泉社)、『死刑囚・小田島鐵男:「モンスター」と呼ばれた殺人者との10年間』(2017年、ミリオン出版)、『恩赦と死刑囚』(2018年、洋泉社新書y)、『ルポ・老人受刑者』(2020年、中央公論新社)、『陸軍中野学校全史』(2021年、論創社)など

*13:法政大学第二高等学校教諭を経て、明治大学非常勤講師。著書『子どもの見方・授業のつくり方』(1991年、教育史料出版会)、『平和のための「戦争論」:戦争の時代をどう教えるか』(1999年、教育史料出版会)、『近現代日本をどう学ぶか』(2006年、教育史料出版会)など