日本の「過去の戦争被害」を考えれば「国のために戦う」という回答が低いのは当たり前の話だ

【一筆多論】浮世離れの「平和教育」 沢辺隆雄 - 産経ニュース
 むしろ産経らウヨのように「対外侵略」を云々する方が浮世離れしています。「世界最強の米軍」が駐留し、世界有数の軍事力「自衛隊」が存在する日本をどこの国が攻めるというのか。

 「橋の上のオオカミ*1」という寓話(ぐうわ)をご存じだろうか。以前もコラム*2で紹介したことがあるが、小学校の低学年用の道徳の教科書に登場する。
 丸太の橋があり、互いに譲り合わなければ渡れない。ところが順番を守らないオオカミがいて、反対側からきたウサギやキツネなど弱い者を次々追い返す。するとその次にきたのは大きなクマ。オオカミはあわてて逆戻りしようとするが、クマはオオカミを抱きあげて通してやる。

 産経的には「クマ(米国)」が「オオカミ(プーチンロシア)」をボコボコに殴り倒し、半殺しにするのが望みなんでしょうか?

 大型連休中に改めて読んだ『こんな教師になってほしい―戦後の歴史から学んでほしいもの―』(逸見博昌著、2017年、悠光堂)は、そんな戦後教育を見直すうえで参考になる。著者は昭和37年から平成4年まで旧文部省で、私学部長や体育局長*3などを歴任した。
 スウェーデンに本部を置く組織*4が18歳以上を対象にした調査を紹介。「もし戦争が起こったら、あなたは国のために戦いますか」という質問に「戦う」との回答が50~80%台の国が多数なのに対し、日本は15%台と低く、「分からない」との回答が多いことを指摘している。他国が万一、理不尽にもわが国に戦争をしかけてくるような事態が生じた場合、どうすればよいか。著者はそう問いかけ、「国の独立と国民の自由を守るため、『平和を犠牲にしても戦争しなければならない』こともある*5のだということを、中学生くらいになれば理解させておくことも必要ではないでしょうか」としている。国として守るべきものを守らない「偽りの平和は、将来、いつかもっと大きな紛争を引き起こす種として残る*6」とも。

 産経・沢辺(論説副委員長)が褒めると言うことは「加戸守行(元文部省官房長。愛媛県知事時代に、つくる会教科書を採用したことなど右翼言動で悪名高い)」のような「右翼人士」なのでしょう。一方で文科省には「前川喜平氏」のようなリベラル派もいますが。赤字部分は完全にウヨ的な内容です。これが「元文部省幹部」とは背筋が寒くなります。
 産経は「逸見を褒めてるつもり」なのでしょうがこんな主張に共感するのは産経のような極右だけでしょう。
 逸見のような輩は「日中戦争、太平洋戦争当時の日本」なら「国のために死んでこい」と平然と子どもたちを戦場で死なせたあげく、戦後は「俺だけが悪いんじゃない」などと居直って生き恥をさらすのではないか。まあ、戦前においてそういう恥さらしな「自称・教育者」が多数いたことは有名な話です。
 これについて以前俺は拙記事で逸見のような主張(なお、高世仁も逸見と同様の主張をしていましたので高世を批判しました*7)は間違っているとして、以下のように書きました。

珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年6/16日分) - bogus-simotukareのブログ
 「沖縄での集団自決強要」「いわゆる戦争マラリア問題」「外道の戦術・神風特攻や人間魚雷回天」「兵站無視によるインパール作戦などでの餓死者」「敗戦後の戦争孤児(映画『火垂るの墓』の主人公のように餓死する孤児も少なくなかった)」など、日中戦争、太平洋戦争での「日本国政府の酷さ」を知っていれば、普通に考えて「国のために戦える」と答える日本人は少ないでしょう。
 しかもそうした無謀な戦争の「当事者」である昭和天皇は「近衛文麿元首相のような自殺」「東條英機元首相のような死刑判決」どころか、退位すらしませんでした。
 「国のために戦え」という国(戦前日本)の命令に従ったら「死んだり(米軍の空襲などで殺されたり)」「大けがさせられたり」したあげく、後で「ハルノートを受諾すればそもそも開戦せずに済んだ」「開戦前からまともな人間は米国相手には敗戦必至と予想していた」ということが「判明した」、また戦争の結果「日本が持ってる植民地(台湾、朝鮮など)は全てぱあになり、一時は日本が米国の支配下にあった」なんて経験を経てどこの世界に無邪気に「国のために戦える」といえる馬鹿がいるのか。
 これが、そうした酷さがまだ表面化してなかった「日清、日露戦争(日清では賠償金と台湾植民地化、日露では南樺太などリターンもあった)」の頃などなら、まだしも。
 しかも「現在、日本侵略する国があるとはとても思えない」のだからある意味、当たり前の回答でしょう。
いずれにせよ、こういうのは「個人の価値観」より、その国の置かれた状況が大きいでしょう。
 たとえば

終戦直後の日独伊

なんかで聞けば敗戦ショックから「戦えない」回答がかなり多いでしょう。
 一方

◆第二次大戦中の日独伊
◆第二次大戦中及び「勝利直後」の「勝利の歓喜にわく」連合国(米英仏中ソなど)
ソ連フィンランド戦争当時のフィンランド
ベトナム戦争中のベトナム
◆イラン・イラク戦争中のイランやイラク
◆今もアラブ諸国と激しく対立するイスラエル
イスラエルの攻撃を受けるパレスチナ自治政府
◆ロシアにクリミアを併合されたウクライナ

などで聞けば「戦う」回答が多いでしょう。
 つまりは「戦争の危機に直面している」わけでもないのに「戦う」回答なんか普通多くないでしょう。「戦う回答」が少ないことは俺的には「良いこと」ですね。だって「戦争の危機がない」わけですから。
 また

質問文は「もう二度と戦争はあって欲しくないというのがわれわれすべての願いですが、もし仮にそういう事態になったら、あなたは進んでわが国のために戦いますか」と慎重なニュアンスだ。

と言う質問文だというのも「日本人最下位」の一因ではないか。
 こういう聞き方をされると日本人というのは「俺もそういう傾向だと思います」が「良く言えば穏健、悪く言えば優柔不断」で「その場の空気を読もうとする人間」が多いので

◆「そう言う事態が仮にあったら」て言われても「仮定の質問には答えられない」。つうか、そう言う事態はないと思う。「ある」つうならどういう事態か教えて。
◆「そう言う事態」が「日本から戦争を始める太平洋戦争パターン」か「日本が侵略されるパターン」かどっちかによって話が変わるから答えられない。後者なら戦うが、前者なら戦えない。だからどっちとも言えない。分からないか、無回答しか答えようがない。あんたの質問が良くない
◆「もう二度と戦争はあって欲しくない」つうならそもそも「戦うべきじゃない」んじゃないの?。前半の前振りと後半の質問が矛盾してる
◆つうか、その「もう二度と戦争はあって欲しくない」云々つう前振り、何なの?。戦うって答えたら嫌なの、良くないの?
◆「戦う」て答えて「タカ派」「極右」と思われるのも嫌だけど、「戦わない」て答えて「腰抜け」扱いされるのも嫌だし。分からないか、無回答しか答えようがない。

で「最下位」なのではないか(一方外国人はそういう点で優柔不断ではない)。
 これが単に

戦争が起こったらあなたは進んでわが国のために戦いますか

つう簡単な質問文だと、あるいは

「外国の侵略(例えば戦前日本の中国侵略)や軍のクーデター(例えばフランコ・クーデターに対するスペイン内戦)があった場合、自国の民主主義や独立を守るためにあなたは戦いますか」

という質問(戦争を正義の戦争のケースに限定)だと「戦う」回答が若干増えるかもしれない。「戦わない」「その時にならないと分からない」「無回答」にはもちろん「自分は命が惜しいので積極的に戦うか分からない」という回答もあるでしょうが、それオンリーではない。
 「質問文の『戦争』において自国が正義の立場か分からない(『侵略への反撃』などのような限定はされてない)ので答えようがない。不正義の戦争には加担できない」という人もいるでしょう。
 ちなみに高世の紹介するグラフを見れば分かりますが「戦う回答は日本最下位」ですが、実は「戦わない回答が日本トップ」かというと違います。
 日本は「わからない」「無回答」がかなり多い。

珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年6/17日分) - bogus-simotukareのブログ
 たとえば今のミャンマーで「国のために戦う」とはどういうことなのか?。
 「国軍の立場」と「反国軍の立場」では当然「国のため」の意味は違います。
 結局、あなたは日本のために戦えますか? - 高世仁のジャーナルな日々で「戦う」と答えるには「その戦いは自国に正義があり、戦い以外に選択肢がない(典型的には侵略、軍部クーデターに対する軍事的抵抗)」という前提が必要になりますが、そもそも「実際の戦い」において必ずしもそんな前提はない。また、あなたは日本のために戦えますか? - 高世仁のジャーナルな日々での質問も高世の記事を信じれば

「もう二度と戦争はあって欲しくないというのがわれわれすべての願いですが、もし仮にそういう事態になったら、あなたは進んでわが国のために戦いますか」

であって

「外国の侵略(例えば戦前日本の中国侵略)や軍のクーデター(例えばフランコ・クーデターに対するスペイン内戦)があった場合、自国の民主主義や独立を守るためにあなたは戦いますか」

ではないのだから「わからない」回答が増えるのもやむを得ないでしょう。質問者の主観が『侵略や軍クーデターへの抵抗』限定だとしても、この質問文は客観的には「ナチスドイツのポーランド侵攻」「日本の真珠湾攻撃」「ソ連のアフガン侵攻」のような場合(自国の軍事行動に正義があるとは言いがたい場合)も明らかに含んでいるとみなさざるを得ないでしょう。
 正直

「外国の侵略や軍のクーデターがあった場合、自国の民主主義や独立を守るためにあなたは戦いますか」

なら「分からない」「無回答」「戦わない」回答はかなり減り、「戦う」回答はかなり増えるでしょう。ちなみに俺がここで書いたようなことに「マジで気づいてない」のか、はたまた「故意にネグってる」のか高世が触れないのには「高世は何だかなあ?」と思いますね。

珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年7/23日分)(副題:今日も高世に悪口する) - bogus-simotukareのブログ
 なお、「自国のために戦うという回答が低い(ただし「戦わない」が高いというよりは「わからない」が多い)」のは別記事珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年6/16日分) - bogus-simotukareのブログ珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年6/17日分) - bogus-simotukareのブログでも書きましたが、1)「自国のため」として戦われた戦争「太平洋戦争」が「勝算のない無謀な戦争」「ハルノートを受諾すれば回避可能な戦争」であったという過去の歴史、2)(ソ連北方領土支配という問題はあるが)現実問題として日本への侵略がありえないこと*8の反映であって高世が言うほど「嘆かわしいことだとは少しも思っていません」。
 実際に「日本が侵略される危険性」が現実に出てくれば*9回答はおそらく変わってくるでしょう。

 正直「分からない」回答が多いことはむしろ「実際の戦争が聖戦とは限らない」「この質問では論理的には『国のための闘い』が『侵略戦争での戦争加担』も含んでしまう」と多くの日本人が認識していると言うことでありむしろ「喜ばしいこと」ではないか。
 例えば今のロシアにおいて「国のために戦う」とはどういう意味なのか。「プーチンのためにゼレンスキーらウクライナと戦う。間違ってるのはプーチンではない。ゼレンスキーと彼を支援するNATOなどの方だ。ロシア国民でありながらプーチンを批判する者はロシアに敵対する国賊売国奴だ。ロシア国民ならプーチンを支持すべきだ」という意味ならそれは客観的には「違法な侵略への加担」でしかない。
 あるいはベトナム戦争において米国民にとって「国のために戦う」は「戦争支持派と反対派」では勿論違う。反対派においては「反戦活動こそが国のための闘い」でした。
 まあ高世はともかく産経や逸見はそうした問題を「故意にネグってる」と思いますが。
 なお、珍右翼・高世仁に突っ込む(2022年5/7日分)(副題:今日も高世に悪口する) - bogus-simotukareのブログで触れましたが今のウクライナにおいても

田口八重子さん拉致事件の謎8 - 高世仁のジャーナルな日々

 ウクライナでは2月24日の国民総動員令で、18歳から60歳までの男性は原則として国外に出られなくなっている。
 誰も死にたくはないから、銃を取って戦うことに拒否感を持つ人がたくさんいるのは当然だ。*10
 NHK国際報道で、ロシアの侵攻時、たまたまギリシャにいて今も国に戻らないウクライナ男性エフゲニーさんの苦悩を報じていた。
 ウクライナに帰国したら、もう外には出られない。ポーランドに留まって戦争が終わるのを待つという。悩んだすえ、自分も何かしら貢献したいと、カメラマンの彼は、ウクライナから非難してきた人々のドキュメントを撮影しはじめた。戦闘には参加したくないが、祖国の勝利を祈っていると語る。
(エフゲニーさんは、「戦場で死にたくありません。それは思い描いた人生ではありません」「国を愛する気持ちは強く持っているのだが」と語る。ロシアが侵攻する前の2月上旬だが、(ボーガス注:;世論調査では)「戦う」は3分の1強だけ)。

 まあ当たり前の話ですよね。勇ましいことを言ってる日本ウヨの連中も同じ状況*11で果たして帰国して銃を取る奴がどれほどいる物やら。

つう話です。何もウクライナ人全てが戦争参加してるわけではない。勇ましいことを言ってる「産経・沢辺」や「元文部OB逸見」も果たしてそうした事態が生じた際に「銃を取ること」をするのかどうか?
 ちなみに「悠光堂」ですが

悠光堂
文科省
◆大滝一登*12編著『学びの環境をデザインする学校図書館マネジメント』(2022年)
◆國分正明*13『ひとつの人生の棋譜』(2020年)
◆辻村哲夫*14『もう一度考えたい「ゆとり教育」の意義』(2020年)
◆中岡司*15『文化行政50年の軌跡と文化政策』(2021年)
【産経】
◆野口和久『集まり散じて』(2016年)、『続・集まり散じて』(2021年)
◆平山一城*16『都議・立石晴康*17の「孤高の真実」』、『虹:日本弘道会のさらなる発展のために』(いずれも2017年)、『いばらの道を楽しみて:市井人・仮屋茂の以徳報徳』(2022年)

つうことで産経が紹介する逸見某(元文部省体育局長)以外にも文科官僚や産経記者(!)が本を出してます。
 また沢辺や産経は、今回だけでなく過去にも

【大学ナビ】「学校図書館年」の手引書 - 産経ニュース2016.7.20
 この夏は、日本の大学で、「学校の図書館」をめぐる大きな会議が続いて開かれる。その意義を理解するためにも、絶好の資料となる本が出版された。『学校図書館の挑戦と可能性』(悠光堂)。司書教諭や学校司書として活躍する35人が、教育現場での自らの実践を交え、図書館の活用法について熱く語る。

【風を読む】道徳の教授がいない 論説副委員長・沢辺隆雄(2/2ページ) - 産経ニュース2017.11.28
 明治維新から150年。シンポジウムを主催した日本弘道会は明治9年に誕生し、140年の長い歴史を持つ。『虹:日本弘道会のさらなる発展のために』(平山一城著、悠光堂)に詳しい。

【風を読む】学校で教えてくれないこと 論説副委員長・沢辺隆雄 - 産経ニュース2022.3.22
 「シリーズ学びの環境デザインを考える」と題し、学校図書館について取り上げた本を興味深く読んだ。教育関係の書籍を出版する悠光堂(東京・築地)の同シリーズ1巻『学びの環境をデザインする学校図書館マネジメント』(編著=野口武悟*18専修大学教授、大滝一登・文部科学省視学官)と、2巻『情報教育と学校図書館が結びつくために』(編著=今井福司*19白百合女子大学准教授)で、学校図書館の歴史を含め、その活用について詳しく知ることができる。

という「悠光堂」紹介記事を書いています。
 つまりは「文科省や産経と何らかのつながりがある会社(例えば産経が資本参加している、文科官僚が多数天下ってるなど)」なんでしょう。 
 ちなみに逸見は悠光堂から、『もっと知ろう!国を愛するこころを育む歴史と文化』(2019年)、『憲法9条を知るための「10の問答」:国の平和と安全、国民の命はどのように守られているのか』(2021年)なんて著書も出しています。「産経が褒めるような男(つまりウヨ)」なので、どんな本かは「読まなくても」何となく見当がつきます。

*1:「揚げ足取りになりますが」この話は元々は小学校低学年向け絵本なのでタイトルとしては「はしのうえのおおかみ(全てひらがな)」が正しい。

*2:【風を読む】国際社会では強くて優しいクマが来てくれるとは限らない 教育投資は重要だが、内容を伴ってほしい 論説副委員長・沢辺隆雄 - 産経ニュース(2017.10.24)のこと

*3:現在のスポーツ庁長官に当たる(局→庁なので格が上がったわけです)

*4:具体的な団体名を書かずにぼかす辺りが実にうさんくさい。

*5:ウクライナを見ろ」とでも言いたいのでしょうが「ウクライナを手前らの右翼主張のダシにするな。『核共有』維新や安倍晋三と同じことするな」「戦前日本を美化する手前らはむしろロシアの側だろ」ですね。いずれにせよ今の日本においてそんな事態はまず生じ得ない(中国、ロシア、北朝鮮の脅威云々というのはおよそ正気ではありません)。明治以降の日本においてもそんな事態はありませんでした。明治以降の日本の戦争はその全てが「内戦(例:西南戦争)」か「侵略(例:太平洋戦争)」です。それにしても「ウヨがウクライナ戦争を九条改憲に悪用しようとする」こういう状況下で「れいわのロシア擁護が許せない(例:「ウクライナが独立主権国家として存在することを容認できないプーチン」(英ジェームズ・ニクシー氏) - kojitakenの日記)」ばかりいうid:kojitaken氏は根本的に政治センスがおかしい。

*6:「偽りの平和は良くない。ハルノートは受諾すべきではない」「今こそ米国の反日行為を懲らしめるべき時」として戦前日本が対米開戦に突き進んだことを知っていればこうした放言には怒りしかありません。

*7:とはいえ高世に「高世さんも、逸見さんや沢辺さんと同意見ですか?」と聞けば多分「逸見や沢辺のようなウヨと同一視するな!」と不快な顔をするのでしょうが。

*8:「中国の尖閣(あるいは沖縄)侵略」「ロシアの北海道侵略」などは現実的脅威では明らかにない。

*9:とはいえ「出てこない」でしょうが。

*10:こうした高世の指摘に「ロシア相手に勇ましい」id:kojitaken氏がどう反応するのか興味深いところです。「出国禁止を非難するのか?。ロシアを利する気か?」などと高世を非難するのか?

*11:但し現在の日本において「同じ状況が起こること」は遠い将来(例えば50年後など)はともかく、近未来(例えば10年以内)ではあり得ないと俺は思っていますが。

*12:ノートルダム清心女子大学准教授、国立教育政策研究所教育課程研究センター研究開発部教育課程調査官などを経て文部科学省初等中等教育局視学官(初等中等教育局教育課程課教科調査官(国語)兼務)。著書『高校国語 新学習指導要領をふまえた授業づくり 実践編』(2019年、明治書院)など

*13:元文部事務次官。次官退任後も公立学校共済組合理事長、日本芸術文化振興会理事長、修養団理事長など歴任(國分正明 - Wikipedia参照)

*14:文部科学省初等中等教育局長、東京国立近代美術館館長、国立美術館理事長などを歴任(辻村哲夫 - Wikipedia参照)

*15:文化庁次長。現在、京都市立芸術大学客員教授

*16:元・産経新聞編集委員。著書『大学の淘汰が始まった! 』(2013年、宝島社新書)

*17:立石は元自民党都議

*18:著書『変化する社会とともに歩む学校図書館』(2021年、勉誠出版

*19:著書『日本占領期の学校図書館アメリ学校図書館導入の歴史』(2016年、勉誠出版