新刊紹介:「歴史評論」2022年6月号

 小生が何とか紹介できるもののみ紹介していきます。正直、俺にとって内容が十分には理解できず、いい加減な紹介しか出来ない部分が多いですが。
特集『第55回大会報告特集:変貌する国家と個人・地域Ⅲ』
【第1日目:パンデミック下の生存と新自由主義の克服】
◆近代イギリス保健医療と「政府の役割」(永島剛*1
(内容紹介)
 イギリスの公的保健医療として国民保健サービス - Wikipedia(NHS)(1948年、労働党アトリー*2政権、有名なベヴァリッジ*3報告書に基づく)が紹介されます。
 なお、話が脱線しますがアトリー政権は『1950年に西側諸国で最も早く中華人民共和国を国家承認したこと』で有名ですね(クレメント・アトリー - Wikipedia)。
 話を元に戻しますが、筆者曰く、NHSは「労働党政権時に拡充され、一方、保守党政権政権時には縮減される傾向」にあり、特に酷かったのがサッチャー*4政権時代である」。
 現在も「キャメロン→メイ(キャメロン保守党政権で内務相)→ジョンソン(メイ保守党政権で外相)」と保守党政権が続いているため、縮減傾向とのこと(ただし新型コロナの蔓延から、ジョンソンは「どこまで本気かはともかく」新自由主義見直しを示唆しており、今後のNHSに対するジョンソンの態度が注目される)。
 サッチャーが「ビクトリア女王時代」を「自助の精神に富んだ時代」として美化していたことから筆者によって「ビクトリア時代(1837~1901年)」の言及がされます。
 筆者はこうしたサッチャーの主張は一面的であり、ビクトリア時代(1837~1901年)にエドウィン・チャドウィック(1800~1890年)による公衆衛生改革*5、ウィリアム・ブース(1829~1912年)による救世軍の開始(1865年)があったことなどに注意を促しています。
 ググったところ、チャドウィックについてはアンソニー・ブランデイジ『エドウィン・チャドウィック:福祉国家の開拓者』(2002年、ナカニシヤ出版)という評伝があります。
 なお、ビクトリア時代(1837~1901年)といえば

◆チャールズ・ディケンズ*6『オリヴァー・ツイスト』(1838年
フリードリヒ・エンゲルス*7イングランドにおける労働者階級の状態』(1845年)
カール・マルクス*8資本論』第1巻(1848年)

ということで「英国資本主義の矛盾」がまさに表面化し「方法論、方向性」はともかく*9それを「個人の自己努力に委ねるべき物ではなく社会問題である」とみなす価値観が生まれてきたことに注意が必要です。
 ちなみに、話が脱線しますがヴィクトリア朝 - Wikipediaによれば、サッチャーに限らず「ビクトリア時代=栄光の時代」と見なす価値観は強いようです。
 「話を元に戻しますが」その後もチャールス・ブース(1840~1916年、いわゆるロンドン調査で知られる。ブース船舶会社会長という資産家)、ジョセフ・ラウントリー(1836~1925年,英国の老舗チョコレートメーカーであるラウントリー社*10の経営者)、ベンジャミン・シーボーム・ラウントリー*11(1871~1954年、ジョセフ・ラウントリーの息子でラウントリー社の経営者、いわゆるヨーク調査で知られる。自由党*12の支持者でロイド・ジョージ*13とは親しい関係にあった)など保守派によっても「貧困問題への国家介入」の必要性が主張されるようになります。
 ブースについては、阿部実*14『チャールズ・ブース研究:貧困の科学的解明と公的扶助制度』(1990年、中央法規出版)、ジョセフ・ラウントリーについてはアン・ヴァーノン『ジョーゼフ・ラウントリーの生涯』(2006年、創元社)を、ベンジャミン・シーボーム・ラウントリーについては武田尚子*15『20世紀イギリスの都市労働者と生活:ロウントリーの貧困研究と調査の軌跡』(2014年、ミネルヴァ書房)を紹介しておきます。「ラウントリー」は表記が『ラウントリー(日本版ウィキペディア)』『ローンツリー(河上肇)』『ロウントリー(武田尚子氏やコトバンク)』『ロントリー(キットカット・ヒストリー)』と『人によってぐちゃぐちゃ』ですが、その辺りは気にしないでください。

「ギョエテとは俺のことか」とゲーテ言い

という川柳があるように、「外国人名の日本語表記」ではよくあることです。拙文では引用以外は「ラウントリー」表記にします。
 「それはともかく」従って「保守派=自助」「左派=国家介入」というサッチャー的な主張は「事実に反する一面的な物」と批判。
 1948年のNHSも「チャドウィック」「ブース」「ラウントリー」ら先行者の影響の下に実現した物であり、「労働党が突如生み出した物ではない」と指摘される。だからこそサッチャー登場までは、保守党政権ですら(予算削減自体はしても)「NHSを大幅に削減すること」は躊躇したし、大幅予算削減を実行したサッチャーですら「NHS廃止はできなかった」とされる。
【参考:永島剛氏】

Gale インタビュー:永島剛先生
◆インタビュアー
 タイムズの記事の中で、特に印象に残っている記事を一つ挙げてください。
◆永島氏
 19世紀半ばの公衆衛生改革についての記事です。当時コレラ*16が流行していて、エドウィン・チャドウィック(Edwin Chadwick)が衛生改革を推進する中で、タイムズが「健康を強制されるぐらいなら、コレラになる方がましだ」と言っています。タイムズは、チャドウィックらが主導する衛生改革の集権的な側面に反対の立場を取っていました。大きな政府を警戒するというのが当時の時代の風潮だったのです。下水道も税金がかかるため反対されます。下水道を家庭に引く場合、家庭に介入することになりますが、家庭への国家の介入も反対されます。タイムズはこのような時代の風潮を代弁していたのです。
 レッセ・フェール(自由放任主義)的な傾向が強かったのかも知れません。自由貿易を志向し、社会政策面では官僚主義的な政府の介入に反対するという考えです。
◆インタビュアー
 先生のご専門の公衆衛生に関して、特にパンチの方に関連の挿絵が掲載されていたように思いますが、特に印象に残っている挿絵はありますか。
◆永島氏
 テムズ川に浮かぶ船に死神のような追いはぎが乗っていて、命を選ぶか金を選ぶか、問いかけています。衛生改革を推進するお金を渋るのか、さもなければ死んでしまうぞというように、衛生改革がなかなか進まない状況を諷刺しているのです。パンチもタイムズと同様に、チャドウィックらの改革手法については強権的であるとして批判的だったのですが、衛生改革自体は必要であるとの立場をとっていたわけです。
◆インタビュアー
 パンチにはイギリス独特の笑いやユーモアのセンスがあると思います。パンチを使うことで、狭い意味での文学や歴史から離れて、イギリスの笑いの文化について授業を行なうこともできると思いますが、どうお考えですか。
◆永島氏
 そうだと思います。ユーモア、諷刺の感覚ですね。

【参考:ディケンズオリバー・ツイスト』】

オリバー! (映画) - Wikipedia参照
 1968年に製作されたミュージカル映画キャロル・リード*17がこの作品でアカデミー監督賞、ゴールデングローブ賞監督賞を受賞している。
【キャスト】
オリバー・ツイストマーク・レスター:1958年生まれ)
◆ジャック・ドーキンズ(ジャック・ワイルド:1952~2006年)
 オリバーの友人役。受賞は逃したものの、ワイルドはこの作品で16歳にしてアカデミー助演男優賞にノミネート(ちなみにこの時の受賞者は『バラが問題だ(原題:The Subject Was Roses)』のジャック・アルバートソン(1907~1981年))。
 この時、共演したマーク・レスターとは、映画『小さな恋のメロディ』(1970年)でも友人役で共演している。身長が164cmで童顔だったため、子役のイメージが抜けず、その後、役選びが難しくなり、出演作が激減。そのせいか、アルコール依存症となった。
◆フェイギン(ロン・ムーディー:1924~2015年)
 オリバーやジャックが属した少年スリ組織のボスを務める老人役。最終的には殺人教唆容疑で死刑判決。ムーディーはこの作品でゴールデングローブ賞主演男優賞を受賞。また、受賞は逃したものの、アカデミー主演男優賞にノミネート(ちなみにこの時の受賞者は『まごころを君に*18』のクリフ・ロバートソン(1923~2011年))。

 話が脱線しますが「オリバー・ツイスト」は国際児童版「世界の名作:全20冊(1983年、講談社)」で小学生の頃読んだ記憶があります。
 ちなみにググったところ、全集のラインナップは

【1】スチブンソン*19『宝島』
【2】オルコット『若草物語
【3】デフォー『ロビンソン・クルーソー
【4】ウィーダ『フランダースの犬
【5】ベルヌ*20海底二万里
【6】マーク・トウェイン*21ハックルベリー・フィンの冒険
【7】セルバンテスドン・キホーテ
【8】ストー『アンクル・トムの小屋』
【9】デュマ『がんくつ王』
【10】ルイス・キャロル*22ふしぎの国のアリス
【11】ゴーゴリ*23隊長ブーリバ
【12】カルロ・コッローディ『ピノキオ』
【13】バーネット*24『小公子』
【14】ベルヌ『八十日間世界一周
【15】ジャック・ロンドン*25『荒野の呼び声』
【16】デュマ『三銃士』
【17】アンナ・シュウエル『黒馬物語』
【18】ヨハンナ・スピリ『アルプスの少女ハイジ
【19】ディケンズ*26オリバー・ツイスト
【20】マロ*27家なき子

ですね(内容はもはやあまり覚えていないものが多い)。
 まあ「救貧法についての導入編、入門編」としてなら『オリヴァー・ツイスト』は非常にいいのではないか。

ディケンズ『オリヴァー・ツイスト』あらすじ解説~ロンドンの悲惨な社会状況を告発!善良な少年オリヴァーの冒険

 一八三四年の救貧法改正法によって設立されたのが救貧院であったが、その運営と環境は劣悪なものであり、そこに送られた貧民たちに与えられたものは過酷な労働と貧しい食事であった。そのような社会情況の中で、ディケンズは、その辛辣な風刺によって救貧法を徹底的に批判した。
 また、『オリヴァー・ツイスト』は救貧院の非人道的な冷酷さだけでなく、そこを出た者たちを待っている恐ろしい犯罪の巣、すなわち、泥棒、強盗、ごろつきの浮浪者、売春婦、人殺し、オリヴァーのような孤独な逃亡児たちが織り成す複雑怪奇な社会の暗部を見事に暴きだしている。
新潮文庫、加賀山卓朗訳『オリヴァー・ツイスト』p62

 世の中には「悪人がいるのではなく、悪人を生み出す社会がある」。
 ディケンズは世の中の悪を、個人の悪の問題であると同時に、社会の仕組みが生み出す悪としても考えます。
 貧富の差が虐げられた人を生み出し、そこから抜け出したくてもどうしようもなくなった人が、生きるために罪を犯す。
 悪いことをしたいから犯罪に手を染める人間などほとんどいない。悪人を悪人だからと切り捨てるのは問題の解決にならないとディケンズは考えるのです。
 オリヴァー少年もまさしくそんな境遇に生まれ育ち、救貧院を追い出されそんな悪党集団の中に取り込まれてしまうことになります。
 フランスの偉人ユゴーの『レ・ミゼラブル』もそうですが、「世の中の仕組みそのものが悪人を作り出し、虐げられた惨めな人たちが負のスパイラルに落ち込まざるをえない」という視点を持っています。
 たしかに悪いことをした人間は物語上悪人かもしれませんが、全てが全てその人固有の性質ではないということをディケンズは言っているようです。
 だからこそ、そこに目を向け行動し、社会をよりよくしていく必要がある。
 そしてディケンズの思想は世の中を実際に動かしていきました。
 伝記作家ツヴァイク*28はこのことについて次のように述べています。

 『オリヴァー・ツウィスト』が世に出たとき、街頭の子供たちはそれまでより多くのほどこしを受けるようになった。政府は救貧院を改善し、私立学校の監督を強化した。イギリスの同情と善意がディケンズによって強められたのである。それによって苛酷な運命をやわらげられた貧民や不幸な人たちは、莫大な数にのぼるだろう。
みすず書房 ツヴァイク 柴田翔*29、神品芳夫、小川超、渡辺健共訳『三人の巨匠*30』P90

 『オリヴァー・ツイスト』は単に「小説として面白かったね」で終わらずに、社会そのものに強い影響を与えたのです。

小説『オリバー・ツイスト』10の魅力をネタバレ!孤児オリバーの成長物語 | ホンシェルジュ
【魅力2:当時の時代背景も影響!救貧法とは?】
 この作品が描かれた背景として、「救貧法」という法律の改正が問題になっていたことが挙げられます。
 救貧法とは、元はヘンリー8世*31の時代に始まった法律です。当時のイギリスでは貧しさのために犯罪に走る人々が少なくなく、社会問題となっていました。これに対して貧困者の衣食を税金で賄うことで生活のための盗みなどを抑止する目的で作られたのが、この法律です。救貧院では衣食の他に、仕事も与えられました。
 しかし、本作が発表される直前である1834年におこなわれた改正では、福祉費用が大幅に削減。この改正の背景には「貧しい人々は、救貧法に頼って労働を怠っている」という社会からの反感があったようです。
 また、当時の経済学者・マルサスは「社会が貧困者を救済することは、貧困者の人口を増加させることにつながる」として救貧法の廃止を主張していました。
 この法律については作中でも描写があり、8歳になったオリバーが救貧院に収容されたのと同時期に法改正がおこなわれたようです。
 改正後、救貧院の環境は非常に劣悪なものになっていきました。収容者は、満足な食事を与えられません。
 その結果、作中には「葬儀屋からの請求が増え」「貧困者も含めて救貧院の収容者の数は減り、委員たちはこの上なく喜んだ」(『オリバー・ツイスト』より引用)という内容が描かれました。多くの人が衰弱死したことが、容易に想像できます。
 こうした救貧院の劣悪な環境は、非人道的であるとして多くの批判も受けました。
【魅力6:救貧院での過酷な生活】
 オリバーが暮らしていた救貧院とは、孤児や貧しい浮浪者を支援する目的で作られた施設です。しかし実態としては、暮らしぶりはとても貧しく、職員からの虐待も受ける厳しい環境でした。
 薄いお粥を小さなボウルに1杯だけという食事は、育ち盛りの子供たちにはとても足りません。ある日クジ引きで負けたオリバーは、子供たちを代表して給仕係にお粥のお代わりを要求し、このことで救貧院は大騒ぎとなりました。
 「食事を恵んでもらっている身でありながら、与えられたものに満足しないとは、なんて不遜な態度だ」と非難され、彼は救貧院を追い出されて葬儀屋で下働きをすることになるのです。

【参考:ラウントリーとチョコレート】

近現代社会とチョコレート:オピニオン:社会:教育×WASEDA ONLINE武田尚子
 B.S.ロウントリーの貧困研究の原資は、ロウントリー家が経営していたココア製造・チョコレート会社の経営資源であった。チョコレートの「原料」はカカオ豆であるが、手頃な価格で、多くの人々が口にすることができるようになったのは、わずか百年余り前である。カカオ豆がヨーロッパに大量に輸入されるようになり、生産技術が発達して、チョコレートは大衆化していった。20世紀初頭にココア・チョコレート工場は3千人規模に成長し、キャドバリー社、ロウントリー社などが、大量生産による規格品チョコレートを普及させていった。
 私は社会学者として、ロウントリーの貧困研究の2次分析に取り組むことにより、非常に優れたアーカイブであるロウントリー社の大量の一次資料を10年以上にわたり活用し続け、その間にこれらの資料に記されているカカオ豆の品質や、チョコレート製造プロセスについてもそれなりに詳しくなった。

ロウントリーとチョコレート工場: 「教育」資料集2011.2.4
 ロウントリーの社風を形づくったのはベンジャミン・シーボーム・ロウントリー。「社会福祉」のテキストで目にした「ロウントリーの貧困調査」の、まさにそのロウントリーであった!
 工場のあるヨークの、労働者階級の生活調査を行い、1901年に『貧困:都市生活の研究』を刊行した。ロンドンだけでなく地方都市にも、今まで無かったタイプの絶対的貧困が蔓延している大問題を世に示し、イギリスの福祉制度改革に大きな影響を与えた。
 ロウントリーの創業者一族は社会改良運動に熱心で、社長であっても成人学校で週1日は講師を務め、集会で貧困や教育問題を議論したという。禁酒や、煙突掃除に少年労働者の就業禁止、動物虐待禁止などのキャンペーンを展開した。労働者階級の生活や娯楽を、身体を張って「正しい」方向に導こうとしたのである。
 また、女性労働者の教育にも熱心であった。日本の「女工哀史」の時代に、ヨークの工場の敷地内に教室や図書館、プールなどが作られ、就業後は料理などの講座が開かれた。「アーモンド製造」などの部門ごとにダンス・パーティーやお茶会、ピクニックなどの余暇活動があったり、スポーツや園芸、演劇などのクラブ活動も盛んだったという。教育プログラムへの投資によって離職者が減り、ビジネス・モデルとして成功したと言えるが、それよりも、10代の少女たちを「正しく」育てようとする使命感が伝わってくる。

Happy Valentine's Day! | コン美味食文化論2011.2.14
 先日、武田尚子著「チョコレートの世界史」(中公新書)を読みました。
 本の前半は世界的なチョコレートの歴史と文化について。
 しかして後半は「キットカット」を世に送り出した、イギリスのある家族の物語なのです。
 現在はネスレという、スイスにある世界最大の食品・飲料会社のブランドになってますけどね。
 日本では1973年にイギリスのロウントリー・マッキントッシュ社と提携した不二家から発売されたので「マッキントッシュキットカット」って呼んでました。
 そのロウントリー・マッキントッシュ社こそが「チョコレートの世界史」で語られている、キットカットの生みの親であり、物語の主人公です。
 ロウントリー家は信仰篤いクエーカーの一家でした。
 クエーカーは17世紀にイングランドで成立した宗教団体で、説明するとものすごく長くなるので、サクッと「キリスト教の一派」であると考えてください。
 その特長は「質素」「平和」「平等」「誠実」といったことばで語られることが多く、社会問題には積極的にとりくんできました。
 ロウントリー家も例外なく、イングランドの不平等社会の是正に力を尽くしてきました。
 1899年、ロウントリー社の重役であったベンジャミン・シーボーム・ラウントリーはヨーク市において貧困調査を行い、大きな成果を挙げたといいます。
 (社会福祉の分野にいる人には常識らしい)
 その結果からもろもろ派生し、社会の貧困層を救うために必要なアイテムとして浮かび上がったのが、チョコレートでした。
 何故?
 ひとつは、チョコレートは少量で大きなエネルギー源になり、肉体労働者の疲労回復に役立つこと。
 また、貧困層にいる労働者はアルコールに溺れることが多く、酒代でますます貧困のループに陥っていました。そこで、アルコールの代わりにチョコレートを推奨したわけです。
 つまり「キットカット」はある意味、重大な社会的使命を背負ったお菓子として誕生したわけですね。

貧困・チョコレート・ビクトリア朝(ヨーク)。 - 近況報告。2016-06-07
 目的その2は、ラウントリーのヨーク調査(貧困調査)のヨークを見てみようというものでした。
 そこで、改めて思い知ったのが、ヨークはチョコレート産業の集積地であるということ。
 ヨーク調査のシーボム・ラウントリーは、ラウントリー社というキットカットをつくった会社の跡取りであったということです。
武田尚子『チョコレートの世界史』2010年、中公新書を参照のこと。)
 クエーカー教徒の福利厚生意識が関係しているとのことで、ヨークの街の中に、学校や保養施設などの跡がたくさん残っていました。

【参考:外国人名の日本語表記】

ヘップバーンもびっくり?外国語の日本語表記は難しい | ODAジャーナリストのつぶやき | 国際協力・ODAについて - JICA
 「「ギョエテとは俺のことか」とゲーテ言い」という川柳は、明治初期の小説家、斉藤緑雨の作とされる。18世紀のドイツの文豪GOETHEを英語風に発音すればギョエテとなり、ドイツ語風に発音すればゲーテになる。世界に知られた文豪だから、このほかにも、ギョーツとかグーテなどと呼ばれることもあるようだ。
 同じ名前が国によって違う呼び方をされているのは、ゲーテだけではない。英米ではロスチャイルドである大財閥も、ドイツではロートシルトであり、フランスではロチルドだ。
 最後に緑雨を気どって「ヘップバーン*32(Audrey Hepburn、女優)とは、俺のことかとヘボン(James Curtis Hepburn、ヘボン式ローマ字の作成者、明治学院創設者)いい」を詠む。

 「ヘップバーンもびっくり?」の元ネタは「インド人もびっくり(S&B『特製エスビーカレー』のキャッチコピー)」でしょうが、まあ最近の若者にはわからないでしょうね。


【第2日目:性売買・性暴力と国家・地域・個人】
天保改革下の遊所統制と堀江新地(吉元加奈美*33
(内容紹介)
 江戸時代の大坂*34に存在した公認の遊郭は「新町遊郭*35」のみであり、今回、著者が取り上げる「堀江新地」は非公認の遊郭(いわゆる岡場所)です。
 堀江新地は建前では「茶屋(待合茶屋 - Wikipedia)」でした。
 そのため、天保の改革で「堀江新地の廃止」がいったん打ち出されます。
 しかし最終的には「飯盛女のいる旅籠(旅館)として容認」「容認する場所を新堀、曾根崎、道頓堀の三カ所に限定」という形で堀江新地は存続します。
【参考】

岡場所 - Wikipedia
 「幕府公認の遊郭」以外の「非公認の遊郭」のこと。江戸では吉原のみが公認であり、いわゆる「江戸四宿(品川、内藤新宿、板橋、千住)」などは岡場所だった。

飯盛女 - Wikipedia
 宿場女郎ともいう。飯盛女はその名の通り、旅籠(旅館)で給仕を行う現在の仲居と同じ内容の仕事に従事している者も指しており、一概に「売春婦」のみを指すわけではない。江戸時代、娼婦は江戸の吉原遊廓ほか、為政者が定めた公認の遊廓の中のみで営業が許されていたが、飯盛女については「宿場の奉公人」という名目で半ば黙認されていた。


◆娼妓と近代公娼制度:一次史料から見る娼妓の住み替え*36と廃業(人見佐知子*37
(内容紹介)
 戦前の娼妓制度において、住み替えや廃業は「娼妓の完全な自由意志」ではなく、楼主(貸座敷業者)は勿論だが、女衒(斡旋業者)の意向に大きく影響されたことが指摘されている。


◆近代帝国主義諸国の軍用性的施設(林博史*38
(内容紹介)
 英国領インド、フランス領アルジェリア、イタリア領エチオピア、オランダ領インドネシアなどでの「軍用性的施設」について論じられていますが、小生の力不足のため、詳細な紹介は省略します。


◆2021年度大会報告2日目「性売買・性暴力と国家・地域・個人」を聞いて(小野沢あかね*39
(内容紹介)
 吉元報告について。大坂町奉行は結局「飯盛女のいる旅籠(旅館)として容認」「容認する場所を新堀、曾根崎、道頓堀の三カ所に限定」という形で堀江新地を存続させたが、これは「大坂町奉行」が天保の改革を主導した「老中・水野忠邦」の「堀江新地」廃止方針を骨抜きにし、それを水野が渋々、事後承諾したと評価すべきなのか。それとも当初から「水野老中」も本気で「堀江新地廃止」を強行する気はなかったのか。この点をどう評価するかによって「大坂町奉行の容認方針」への評価も変わってくると思う。
 林報告について。林氏の専門は「日本史」であり、今後は「外国史英米仏イタリアなど)研究者」によるこうした研究が進展することを期待したい。


◆歴史の眼・リレー連載『21世紀の災害と歴史資料9:球磨川水害と文化財』(萬納恵介*40
(内容紹介)
 令和2年7月球磨川水害での熊本史料ネット(熊本被災史料レスキューネットワーク)の活動が紹介されていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
参考

熊本史料ネット主催オンライン講演会の動画を公開します - お知らせ | 熊本大学 永青文庫研究センター2021.08.30
 去る7月31日、熊本被災史料レスキューネットワーク主催のオンライン講演会「球磨川水害による被災文化財―現状と課題―」が開催されました。当日は県内外から50名以上が参加し、令和2年7月豪雨による球磨川流域の被災文化財の現状と課題について、認識を深めることができました。
 当日は、被災文化財のレスキュー活動に携わった関係者から、二本の報告が行われました。川路祥隆さん(熊本県文化課)による「令和2年7月豪雨による熊本県文化財被災と文化財レスキュー事業―球磨川流域の活動を事例に―」、有木芳隆さん・萬納恵介さん(熊本県立美術館)による「球磨川流域の仏神像の被災について」です。
 この報告動画を公開いたします。下記のURLをクリックいただき、ぜひご覧ください。
(以下略)

*1:専修大学教授

*2:マクドナルド労働党内閣逓信相、チャーチル挙国一致内閣副総理などを経て首相

*3:1879~1963年。1942年に発表された報告書「社会保険と関連サービス」(いわゆるベヴァリッジ報告:邦訳は例えば2014年、法律文化社)は、第二次大戦後のイギリスだけでなく、日本を含む先進諸国の社会保障制度の構築に多大な影響を与えた。ベヴァリッジについては例えば、ジョゼ・ハリス『福祉国家の父ベヴァリッジ』(2003年、ふくろう出版)、小峯敦『ベヴァリッジの経済思想』(2007年、昭和堂)参照(ウィリアム・ベヴァリッジ - Wikipedia参照)

*4:ヒース保守党内閣教育科学相などを経て首相

*5:一方でチャドウィックの救貧法改革(1834年)は大幅な予算削減を目的としており、それがディケンズオリバー・ツイスト」(1838年)で弱者切り捨てとして批判されます。

*6:1812~1870年。下層階級を主人公とし弱者の視点で社会を諷刺した作品を多数発表(チャールズ・ディケンズ - Wikipedia参照)

*7:1820~1895年

*8:1818~1883年

*9:ディケンズマルクスエンゲルスの方法論、方向性は勿論異なります。

*10:キットカット・ヒストリー」によれば現在はネスレが販売しているチョコ菓子・キットカットの生みの親がこのラウントリー社(キットカット・ヒストリーの表記ではロントリー社)です。現在はネスレに吸収合併されてラウントリー社は存在しません。

*11:ラウントリーの表記には揺れがあり、1916年に発表された河上肇の『貧乏物語』(現在は岩波文庫など)では、「有名なるローンツリー氏の貧民調査」として「ローンツリー」と表記された(シーボーム・ラウントリー - Wikipedia参照)

*12:労働党に取って代わられるまでは保守党とともに二大政党の一角を占めた。現在のイギリス自由民主党の前身(社会民主党自由党が合同して誕生し保守党、労働党に次ぐ第三政党)

*13:1863~1945年。キャンベル=バナマン自由党内閣通商相、アスキス自由党内閣蔵相、軍需相、陸軍相などを経て首相

*14:著書『福祉政策の現代的潮流:福祉政策学研究序説』(2003年、第一法規

*15:早稲田大学教授。著書『マニラへ渡った瀬戸内漁民:移民送出母村の変容』(2002年、御茶の水書房)、『もんじゃの社会史:東京・月島の近・現代の変容』(2009年、青弓社)、『瀬戸内海離島社会の変容』(2010年、御茶の水書房)、『「海の道」の三〇〇年:近現代日本の縮図瀬戸内海』(2011年、河出ブックス)、『ミルクと日本人』(2017年、中公新書)、『荷車と立ちん坊:近代都市東京の物流と労働』(2017年、吉川弘文館)、『戦争と福祉:第一次大戦期のイギリス軍需工場と女性労働』(2019年、晃洋書房)、『近代東京の地政学:青山・渋谷・表参道の開発と軍用地』(2019年、吉川弘文館

*16:当時は世界的に流行しており、日本も例外ではありません(1858年の安政コレラ)。日本での流行は例えば手塚治虫陽だまりの樹』、村上もとかJIN-仁-』などで取り上げられています。ちなみに、著名人では『ヘーゲル(ドイツの哲学者、1832年死去)』がコレラで死亡しています(コレラの歴史 - Wikipedia参照)

*17:1906~1976年。1949年の『第三の男』では、カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞

*18:原作はダニエル・キース『アルジャーノンに花束を』(邦訳はハヤカワ文庫)

*19:代表作として『ジキル博士とハイド氏

*20:代表作として『月世界旅行』、『十五少年漂流記』、『地底旅行

*21:代表作として『トム・ソーヤーの冒険』、『王子と乞食』

*22:代表作として『鏡の国のアリス

*23:代表作として『検察官』、『外套』、『死せる魂』

*24:代表作として『小公女』、『秘密の花園

*25:代表作として『白い牙』 、『どん底の人びと』

*26:代表作として『クリスマス・キャロル』、『デイヴィッド・コパフィールド』、『二都物語』、『大いなる遺産』

*27:代表作として『家なき娘』

*28:1881~1942年。著書『マリー・アントワネット』(河出文庫、角川文庫)、『スタンダール』、『メリー・スチュアート』(以上、新潮文庫)など

*29:東大名誉教授(ドイツ文学)。作家。1964年に『されどわれらが日々』で芥川賞を受賞。著書『ゲーテファウスト」を読む』(1985年、岩波セミナーブックス)、『詩に映るゲーテの生涯』(1996年、丸善ライブラリー)など

*30:「三人の巨匠」とはバルザックディケンズドストエフスキーのこと

*31:1491~1547年。離婚問題でローマ教皇と対立し、英国国教会を創設したことで知られる(ヘンリー8世 (イングランド王) - Wikipedia参照)。

*32:1953年に『ローマの休日』でアカデミー主演女優賞を獲得

*33:京都精華大学講師

*34:今の「大阪」表記になるのは明治以降のことで「天保改革」時の表記は「大坂」

*35:1869年(明治2年)の松島遊廓の開設、1890年(明治23年)9月5日の大火の影響から、明治以降の新町遊廓は次第に商業地域となっていった(新町遊廓 - Wikipedia参照)

*36:所属する遊郭を変更すること

*37:近畿大学准教授。著書『近代公娼制度の社会史的研究』(2015年、日本経済評論社

*38:関東学院大学教授。著書『沖縄戦と民衆』(2001年、大月書店)、『BC級戦犯裁判』(2005年、岩波新書)、『シンガポール華僑粛清』(2007年、高文研)、『戦後平和主義を問い直す』(2008年、かもがわ出版)、『戦犯裁判の研究』(2009年、勉誠出版)、『沖縄戦 強制された「集団自決」』(2009年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『沖縄戦が問うもの』(2010年、大月書店)、『米軍基地の歴史』(2011年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『裁かれた戦争犯罪:イギリスの対日戦犯裁判』(2014年、岩波人文書セレクション)、『暴力と差別としての米軍基地』(2014年、かもがわ出版)、『日本軍「慰安婦」問題の核心』(2015年、花伝社)、『沖縄からの本土爆撃:米軍出撃基地の誕生』(2018年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『帝国主義国の軍隊と性:売春規制と軍用性的施設』(2021年、吉川弘文館)など。個人サイトWelcome to Hayashi Hirofumi'

*39:立教大学教授。著書『近代日本社会と公娼制度』(2010年、吉川弘文館

*40:熊本県立美術館学芸員