今日もkojitaken氏に悪口する(2022年5月16日分)(追記あり)

【最初に追記】
 「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞した文藝春秋社の本ですら、文春文庫(他社の文庫にも)なっていないことがある - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)でこの拙記事をご紹介頂きました。いつもありがとうございます。
 なお、簡単にコメントしておきます。

 出来がいい本だとして、「大宅壮一ノンフィクション賞」を出すほどのものなのか。私見では、優れたノンフィクション(ルポルタージュ記録文学ほかいろいろな呼称があります)というのは、当たり前ですが、現代の世情を鋭く切り取る内容であるはずだし、過去のことを題材にするとしても、それはまさに現代につながるものである必要があるでしょう。それでどうなんですかね、約半世紀前の、早稲田大学での革マル派との問題とかが、そんなに現代社会のさまざまな問題に対峙する際のヒントになりうるのか。そんなこともないと思いますけどね。その時代の新左翼が暴れたエピソードなんて、まさに時代のあだ花でしょう。

 樋田氏の著書ならむしろ『記者襲撃:赤報隊事件30年目の真実』(2018年、岩波書店)にやった方がましでしょう。あの事件はまだ解決してないし、その後も『刀剣友の会事件(建国義勇軍事件)(2003年)』、『加藤紘一宅放火事件』(2006年)のような「類似の右翼テロ」が起こってるわけですしね。『革マル』よりはよほど「現代性がある話」でしょう。
 ただし、過去の大宅賞

大宅壮一ノンフィクション賞 - Wikipedia
第46回(2015年)
◆須田桃子*1『捏造の科学者 STAP細胞事件』(文藝春秋*2
第49回(2018年)
森功*3『悪だくみ :加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』(文藝春秋*4

という「現代性のある代物(内容の善し悪しはともかく、同時代の出来事なので)」も勿論ある一方で他にも

大宅壮一ノンフィクション賞 - Wikipedia
第5回(1974年)
◆後藤杜三*5『わが久保田万太郎』(青蛙房
 作家・久保田万太郎(1889~1963年)の弟子による評伝
第24回(1993年)
塚本哲也*6エリザベートハプスブルク家最後の皇女』(文藝春秋
 エリーザベト・マリー・ペツネック(1883~1963年)の評伝
第31回(2000年)
高山文彦*7『火花:北条民雄の生涯』(七つ森書館*8
 作家・北条民雄(1914~1937年)の評伝
第34回(2003年)
◆近藤史人*9藤田嗣治「異邦人」の生涯』(講談社
 画家・藤田嗣治(1886~1968年)の評伝

など「現代性があるとは思えない代物」が結構ありますが。

 野坂除名が、共産党の支持を増やしたとか減らしたとかいうこともない

 まあ、野坂を除名したことで「重鎮でもきちんと処分する」ということで「支持減少を防いだ」という面は多少はあるかもしれませんが。

 立花隆自身戦前の日本共産党については本を書いても、戦後の共産党についてはまとまったものは残していないはず。

 そもそも立花が書いた「まとまった政治本」て、「田中金脈」「戦前共産党」「極左過激派の内ゲバ」ぐらいですからね(しかもそれも全て1970~1980年代)。どう見ても「政治に関心があった」ようには思えません。以前も別記事で書きましたが

立花隆 - Wikipedia参照
◆『小林・益川理論の証明』(2009年、朝日新聞出版)
◆『地球外生命・9の論点』(小林憲正*10、長沼毅*11らとの共著、2012年、講談社ブルーバックス
◆『立花隆の「宇宙教室」』(共著、2014年、日本実業出版社

など、晩年の著書を考えるに、立花自身は本当は「科学ライター」になりたかったんじゃないか。そんな立花にとって「若き日の田中金脈」ばかりが評価されることは「ある種の屈辱」だったかもしれない。

 この人も直木賞の名前の人というイメージしかないですよね。たぶん今時彼の小説を読んだ人なんてそうはいないはず。

直木三十五 - Wikipediaによれば

◆『南国太平記』(新潮文庫、角川文庫)
 薩摩藩のいわゆる「お由羅騒動」を扱った直木の代表作。何度も映画化(『1931年、松竹、主演・月形龍之介』『1954年、東映、主演・片岡知恵蔵』『1960年、東映、主演・里見浩太朗』など)されている。また、NHKドラマ風の隼人 - Wikipedia(1979~1980年)の原作。

だそうですがまあ今となっては彼も時代小説家としてはそれほど有名ではない。
 直木についてある評伝のタイトルは山崎國紀『知られざる文豪・直木三十五』(2014年、ミネルヴァ書房)なんて代物ですし。
 むしろ時代小説作家としては

◆『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅庵』などの池波正太郎
◆『国盗り物語』(戦国大名斎藤道三が主人公)、『功名が辻』(土佐藩主・山内一豊が主人公)、『燃えよ剣』(新選組土方歳三が主人公)などの司馬遼太郎
山田洋次監督の映画『たそがれ清兵衛』(2002年)、『隠し剣鬼の爪』(2004年)、『武士の一分』(2006年)の原作者である藤沢周平
◆『樅ノ木は残った』、『赤ひげ診療譚』などの山本周五郎
◆『宮本武蔵』の吉川英治

などの方が有名でしょう。池波が「彼が小説にするまではほとんど無名の存在だった長谷川平蔵(火付盗賊改役)」を「時代小説のヒーローにしてしまった」のはやはりすごいと思いますね。
【追記終わり】


「日中戦争であれば日本、ベトナム戦争であればアメリカ、アフガニスタン侵攻であればソ連、レバノン侵攻であればイスラエルを徹底的に非難しなければならないように、ウクライナ戦争ではロシアを徹底的に非難しなければなりません」(「無識者(風来坊)」さんのコメントより) - kojitakenの日記
 取り巻き、太鼓持ちの「無識者(風来坊)」に「id:kojitakenさんの意見に同意見」といわれたことを大々的に自慢するという「失笑せざるを得ない」恥ずかしい記事です。著名人ならまだしも無名人に褒められたことをここまで大々的に宣伝しますか(失笑)。


立花隆の『日本共産党の研究』がなければ野坂参三は共産党を除名されなかったのではないか - kojitakenの日記
 古い記事ですが、偶然その存在に気づきタイトルだけで「はあ?」と思ったので突っ込んでおきます。
 「日本共産党名誉議長」野坂除名の元となったのは「ソ連崩壊後に流出したソ連の極秘資料」と「それを元にした週刊文春記事(但し筆者は立花ではない)*12」であって「立花隆」とは何一つ関係ありません。
 野坂除名のきっかけとなる例の文春記事を書いた加藤昭と小林峻一*13が「立花の弟子だから(kojitaken氏)」云々などと言うのは「風が吹けば桶屋が儲かる」レベルの詭弁でしかない。

赤塚不二夫の『天才バカボン』がなければ、北見けんいち釣りバカ日誌』、古谷三敏『ダメおやじ』は存在しなかったのではないか
→北見も古谷も赤塚のアシスタントとして実績を積んだので

つうレベルのこじつけです。
 kojitaken氏が立花ファンであることは彼の勝手ですが、ひいきの引き倒しにもほどがある。
 それにしても「以前も書いたこと」ですが、

現実を変えられない政党や政治家は無価値だ - kojitakenの日記2009.12.27
 私は中学3年から高校生にかけての時分から、科学的社会主義を唱える社会党左派や共産党には共感せず、社会主義協会と抗争を展開した江田三郎を応援していた人間だった。
 80年代前半には私は社民連の支持者だった。

さとうしゅういちさんを広島県議会議員にしよう! - kojitakenの日記2011.2.26
 私は、1977年に社会党における故・江田三郎氏と社会主義協会の抗争を伝える新聞記事を毎日読んで、江田三郎氏のシンパになった人間なので、(ボーガス注:2009年7月の)連合のデモに先だって地元・岡山出身の江田五月*14が挨拶された時には、ミーハーよろしく聞き入っていました。時に政権交代総選挙のわずか2か月前でした。

などと江田三郎社会党書記長、社民連代表)をやたらめたら褒め称える「江田シンパ*15」「江田キチガイ」kojitaken氏が立花隆の『日本共産党の研究』がなければ野坂参三は共産党を除名されなかったのではないか - kojitakenの日記などで共産党に悪口することには吹き出すと共に呆れざるを得ません。
 江田の社民連(1978~1994年)は結局消滅しました。結局のところ、それは「言葉を選ばず言えば」江田三郎や「その後継者たち(江田三郎の息子である江田五月など)」が無能だったと言うことです。
 一方、「過大評価はしませんが」共産党社民党は今も続いている。「消滅したポンコツ政党(社民連)」の元・支持者が「何故、私が支持した社民連は消滅したのか?。何故共産党社民党は今も続いているのか?」という反省もせずに、よくもまあ偉そうに「今も存続する」共産党に悪口できるもんです。

「日本はギリシャとは違う」ことが理解できない菅直人と谷垣禎一 - kojitakenの日記2010.7.3
 江田三郎のシンパであり、保守本流についても、自民党の中では一番マシ(自民党が一番とは間違っても思わないけれど)と考える私のような人間の投票先が「共産党」しかないという現実を、民主党自民党の政治家たちは真面目に考えてほしい

などという前に「何故、江田は社会党内で多数派を占めることができなかったのか?」「何故、私が支持した社民連は消滅したのか?、何故共産党は今も続いているのか?(平たく言えば共産党の方が、江田より有能だったと言うことになるのでしょうが、それを認めることは彼にはできないのでしょう)」を真面目に考えてほしいもんです。

現実を変えられない政党や政治家は無価値だ - kojitakenの日記2009.12.27
 私は政治は結果がすべてであって、いくら正しいことを言っても、それを現実に反映できない政党や政治家は無価値だと思う。自分たちだけが正しいことを主張し、それが潰された時に、彼らは「かわいそうな私たち」などと自己憐憫の情にかられるのだろうか。そんなものは偽善に過ぎない。多数派を形成する努力を最初からしないでどうする。そう私は言いたい*16

などと抜かしてもそれが適用されるのは「共産党など彼が嫌ってる政党」だけで「彼が大好きな江田三郎には適用されないらしい」から心底呆れます。
 なお、ふと気づいたのですが「元・社民連支持者」の彼がやたら「れいわを批判する」のは「れいわの立ち位置」が世間に「昔の社民連」的に評価され、実際「昔の社民連支持者のかなりの部分(彼の知人友人)」がれいわ支持を表明していることが「精神的に耐えられないから」ではないか。その結果、当初公言していた「維新主敵論」とやらが物の見事に消え去ったわけです。
【追記】
 俺の小林、加藤への低評価についてはid:Bill_McCrearyさんにこの記事のコメント欄で賛同コメントを頂きました。
 なお、

 この件は面白そうですね。またちょっと調べて記事にしたいのですが、これもbogus-simotukareさんの記事からヒントを得た旨記事に記してよろしいですかね? kojitaken氏との絡みもあるので、迷惑になる可能性もあるので、一応確認させていただきます。

だそうですが「別に構いません」。
 ご執筆予定の記事に「拙記事をリンク紹介するだけ」で、「小林、加藤についてのみ論評」し、「kojitaken氏については何も論評しないで、名前も出さなければ」彼も何ら抗議もしないで無視するだけではないか。
 彼のスタンスはどうも「小物のボーガスなど無視する」という態度のようですし(とはいえ今日もkojitaken氏に悪口する(2022年5月14日分) - bogus-simotukareのブログで批判しましたが、無視しきれず天皇制と共産党と山本太郎と - kojitakenの日記なんて文章で俺に悪口するのは滑稽ですが)。
 ということで

立花隆の『日本共産党の研究』がなければ野坂参三は共産党を除名されなかったのではないか - kojitakenの日記
 小林と加藤の著書『闇の男 - 野坂参三の百年』(文藝春秋1993)も私は読んでいないが、立花隆が解説文を書いている。しかし文春のサイトを見ても本の画像も表示されない。文春文庫入りなどもしていないようだが、立花の死を機に文春文庫から刊行してはいかがだろうか。

なんてのは過大評価ですよねえ。そもそも売れると文春が判断すれば頼まなくても復刊するでしょう。
 大体「弟子だから復刊」て(苦笑)。
 なお、大宅賞をもらっても、その後、ろくに評価されなかったと言えば、加藤、小林以外では拙記事珍右翼・高世仁に突っ込む(2022年5/18日分) - bogus-simotukareのブログで触れた

大宅壮一ノンフィクション賞 - Wikipedia
【第2回(1971年)】
イザヤ・ベンダサン日本人とユダヤ人』(角川書店
 山本七平*17(1921~1991年)のなりすました『ニセ外国人』であること、その記載内容がデタラメであることについては、浅見定雄*18『にせユダヤ人と日本人』(1986年、朝日文庫)参照。
【第4回(1973年)】
◆鈴木明*19『“南京大虐殺”のまぼろし*20』(文藝春秋
 いわゆる南京事件否定論の一つ。鈴木らの南京事件否定論に対する批判として、1970~1980年代に、

【著者名順】
藤原彰*21南京大虐殺』(1985年、岩波ブックレット
◆洞富雄*22南京大虐殺:「まぼろし*23」化工作批判』(1975年、現代史出版会)、『南京大虐殺』(1982年、徳間書店:1975年の著書の改訂版)、『南京大虐殺の証明』(1986年、朝日新聞社)、『南京事件を考える』(編著、1987年、大月書店)、『南京大虐殺の現場へ』(編著、1988年、朝日新聞社
本多勝一*24『南京への道』(1987年、朝日新聞社→1990年、朝日文庫)

が刊行された。
 ただし鈴木明 - Wikipediaによれば、その後の鈴木の著書は『“南京大虐殺”のまぼろし』(1983年、文春文庫)以降からカウントしても、『日本プロ野球復活の日:昭和20年11月23日のプレイボール』(1987年、集英社文庫)、『セ・パ分裂:プロ野球を変えた男たち』(1987年、新潮文庫)、『ジャン・ギャバンと呼ばれた男』、『わがマレーネ・ディートリヒ伝』(以上、1991年、小学館ライブラリー)などであり「長い間」事実上、南京事件否定論から逃走している。その後、鈴木『新「南京大虐殺」のまぼろし』(1999年、飛鳥新社→2006年、ワック文庫)を刊行するが「鈴木が過去の人間と化していたこと」もありウヨ業界ですらほとんど話題にもならなかった。

がその典型ですね。
 単に「受賞後、大して活躍しなかった人間」なら他にもいますが、この二人は「受賞作自体がレベルの低いデマ本」ですからね。

*1:著書『合成生物学の衝撃』(2021年、文春文庫)

*2:後に2018年、文春文庫

*3:著書『黒い看護婦:福岡四人組保険金連続殺人』(2007年、新潮文庫)、『許永中』、『同和と銀行』(以上、2010年、講談社+α文庫)、『血税空港』(2013年、幻冬舎新書)、『平成経済事件の怪物たち』(2013年、文春新書)、『泥のカネ:裏金王・水谷功と権力者の饗宴』(2013年、文春文庫)、『紛争解決人:伊勢崎賢治・世界の果てでテロリストと闘う』(2016年、幻冬舎文庫)、『腐った翼:JAL65年の浮沈』(2016年、講談社+α文庫)、『日本の暗黒事件』(2017年、新潮新書)、『ゴルフトーナメントスポンサー興亡史』(2019年、幻冬舎新書)、『高倉健』(2020年、講談社文庫)、『菅義偉の正体』(2021年、小学館新書)など(森功 - Wikipedia参照)

*4:後に2019年、文春文庫

*5:1918~1991年(後藤杜三 - Wikipedia参照)

*6:1929~2016年。毎日新聞ウィーン支局長、プラハ支局長、ボン支局長など歴任。著書『わが青春のハプスブルク:皇妃エリザベートとその時代』(1999年、文春文庫)、『マリー・ルイーゼ:ナポレオンの皇妃からパルマ公国女王へ』 (2009年、文春文庫)(塚本哲也 - Wikipedia参照)

*7:著書『麻原彰晃の誕生』(2006年、文春新書)、『水平記:松本治一郎と部落解放運動の100年』(2007年、新潮文庫)、『ふたり:皇后美智子と石牟礼道子』(2018年、講談社文庫)

*8:後に2003年、角川文庫

*9:著書『歌麿 抵抗の美人画』(2009年、朝日新書

*10:横浜国立大学名誉教授。著書『宇宙からみた生命史』(2016年、ちくま新書)、『地球外生命』(2021年、中公新書)など

*11:広島大学教授。著書『宇宙がよろこぶ生命論』(2009年、ちくまプリマー新書)、『深海生物学への招待』(2013年、幻冬舎文庫)、『地球外生命』(共著、2014年、岩波新書)、『超ディープな深海生物学』(2015年、祥伝社新書)など

*12:とはいえ共産党も文春記事を鵜呑みにしたわけではなく、それなりの調査をしていますが

*13:ググっても最近の本がまるでヒットしません。加藤(アマゾンの著者紹介に寄れば1944年生まれ、存命ならば今年で78歳、ちなみに1944年 - Wikipediaによれば1944年生まれのライターとしては例えば辺見庸(元共同通信記者、芥川賞受賞者)がいる)の最新刊は『鈴木宗男研究』(2002年、新潮社)、小林(アマゾンの著者紹介に寄れば1941年生まれ、存命ならば今年で81歳)の最新刊は『ソニーを創った男・井深大』(2002年、ワック)でいずれも20年も昔の本です(小林には『昭和史最大のスパイ・M:日本共産党を壊滅させた男』(2006年、ワック文庫)があるが、これは『スパイM』(1994年、文春文庫)の復刻に過ぎないので事実上の最新刊は『ソニーを創った男』です。まあワック文庫を最新刊と見なしても今から16年も昔ですが。なお、話が脱線しますが「日本共産党史(あるいは戦前左翼運動史)最大の公安スパイ」などならともかく「昭和史最大のスパイ」はやはり「ゾルゲ事件ゾルゲ」でしょう)。つまり小林も加藤も「一発屋」にすぎなかったのでしょう。例の「野坂批判」も高世仁の幼稚なデマ自慢を平然と垂れ流すNHKの馬鹿さとクズぶりに本気であきれ返る - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)高世仁と同じで「連中に実力があった」というよりは「運良くソ連流出資料が手に入った」程度の話でしかなかったのでしょう。

*14:社民連代表、細川内閣科技庁長官、参院議長、菅内閣法相など歴任

*15:団塊ジュニア(1970年代後半生まれ)の小生が物心ついたときに「一世を風靡していた」のは「マドンナブームの土井たか子(1986~1991年まで社会党委員長)」であり、そんな俺にとって社民連江田三郎(1977年死去)には何の思い入れもありません。

*16:こういう人間が「社会党内で多数派を形成できず離党した江田三郎」については「自分たち(江田派)だけが正しいことを主張し、それが(協会派に)潰された時に、彼らは「かわいそうな私たち」などと自己憐憫の情にかられるのだろうか。そんなものは偽善に過ぎない。多数派を形成する努力を最初からしないでどうする。」とは言わずに「追い出した協会派が悪い」で済ませるのだからいい度胸です。おそらくさとうしゅういちさんを広島県議会議員にしよう! - kojitakenの日記で褒め称えた「さとうしゅういち(佐藤周一)」にもそうした厳しい評価は適用されないのでしょう。佐藤周一 - Wikipediaによれば「2011年に広島県議会議員選挙に立候補したが最下位で落選。2021年、参議院議員再選挙(広島選挙区)に立候補したが、3位で落選(なお、この参院選では野党共闘候補が自公系を破って当選)」という大した実績もない御仁ですが。

*17:著書『比較文化論の試み』(1976年、講談社学術文庫)、『日本人の人生観』(1978年、講談社学術文庫)、『「空気」の研究』、『私の中の日本軍』(以上、1983年、文春文庫)、『勤勉の哲学』(1984年、PHP文庫)、『1990年代の日本』(1987年、PHP文庫)、『一下級将校の見た帝国陸軍』(1987年、文春文庫)、『無所属の時間』(1988年、PHP文庫)、『ある異常体験者の偏見』(1988年、文春文庫)、『聖書の常識』(1989年、講談社文庫)、『「派閥」の研究』(1989年、文春文庫)、『日本型リーダーの条件』(1991年、講談社文庫)、『聖書の旅』(1991年、文春文庫)、『日本人とは何か』、『日本的革命の哲学』(以上、1992年、PHP文庫)、『日本資本主義の精神』(1995年、PHP文庫)、『人生について』(1997年、PHP文庫)、『聖書の常識・聖書の真実』(1999年、講談社+α文庫)、『禁忌の聖書学』(2000年、新潮文庫)、『帝王学:「貞観政要」の読み方』(2001年、日経ビジネス人文庫)、『日本人とユダヤ人』、『日本はなぜ敗れるのか』(以上、2004年、角川oneテーマ21)、『すらすら読めるイエス伝』(2005年、講談社+α文庫)、『「孫子」の読み方』(2005年、日経ビジネス人文庫)、『危機の日本人』、『山本七平武田信玄論』(以上、2006年、角川oneテーマ21)、『洪思翊中将の処刑』(2006年、ちくま文庫)、『日本人と組織』(2007年、角川oneテーマ21)、『現人神の創作者たち』(2007年、ちくま文庫)、『日本教徒』(2008年、角川oneテーマ21)、『徳川家康』(2010年、ちくま文庫)、『昭和天皇の研究』(2015年、祥伝社新書)、『小林秀雄の流儀』(2015年、文春学藝ライブラリー)、『日本人と中国人』(2016年、祥伝社新書)など

*18:東北学院大学名誉教授。著書『統一協会=原理運動』(1987年、日本基督教団出版局)、『聖書と日本人』(1988年、晩聲社)、『偽預言者に心せよ』(1989年、晩聲社)、『新宗教と日本人』(1994年、晩聲社)、『なぜカルト宗教は生まれるのか』(1997年、日本基督教団出版局)、『改訂新版・旧約聖書に強くなる本』(2010年、日本キリスト教団出版局)など

*19:1925~2003年

*20:1973年、文藝春秋→1983年、文春文庫→2006年、ワック文庫

*21:1922~2003年。一橋大学名誉教授。著書『軍事史』(1961年、東洋経済新報社)、『日本帝国主義』(1968年、日本評論社)、『天皇制と軍隊』(1978年、青木書店)、『戦後史と日本軍国主義』(1982年、新日本出版社)、『太平洋戦争史論』(1982年、青木書店)、『日本軍事史』(1987年、日本評論社)、『昭和天皇15年戦争』(1991年、青木書店)、『南京の日本軍:南京大虐殺とその背景』(1997年、大月書店)、『餓死した英霊たち』(2001年、青木書店→2018年、ちくま学芸文庫)、『中国戦線従軍記』(2002年、大月書店→2019年、岩波現代文庫)、『天皇の軍隊と日中戦争』(2006年、大月書店)など。(藤原彰 - Wikipedia参照)

*22:1906~2000年。早稲田大学名誉教授。南京事件研究の草分け的存在として知られる。著書『間宮林蔵』(1960年、吉川弘文館人物叢書)、『庶民家族の歴史像』(1966年、校倉書房)、『近代戦史の謎』(1967年、新人物往来社)、『南京事件』(1972年、新人物往来社)、『北方領土の歴史と将来』(1973年、新樹社)、『朝鮮戦争』(1973年、新人物往来社)、『幕末維新期の外圧と抵抗』(1977年、校倉書房)、『天皇不親政の起源』(1979年、校倉書房)、『天皇不親政の伝統』(1984年、新樹社)、『鉄砲:伝来とその影響』(1993年、思文閣出版)、『幕末維新の異文化交流』(1995年、有隣堂)など(洞富雄 - Wikipedia参照)

*23:副題で分かるように鈴木『「南京大虐殺」のまぼろし』が批判されている。

*24:元朝日新聞編集委員週刊金曜日編集委員。著書『アメリカ合州国』、『カナダ・エスキモー』、『戦場の村』、『中国の旅』、『ニューギニア高地人』(以上、1981年、朝日文庫)、『殺される側の論理』(1982年、朝日文庫)、『そして我が祖国・日本』、『ルポルタージュの方法』(以上、1983年、朝日文庫)、『アラビア遊牧民』、『殺す側の論理』、『事実とは何か』、『職業としてのジャーナリスト』(以上、1984年、朝日文庫)、『北海道探検記』(1985年、集英社文庫)、『憧憬のヒマラヤ』、『冒険と日本人』(以上、1986年、朝日文庫)、『検証・カンボジア大虐殺』、『子供たちの復讐』(以上、1989年、朝日文庫)、『植村直己の冒険』(1991年、朝日文庫)、『日本環境報告』、『マゼランが来た』(以上、1992年、朝日文庫)、『釧路湿原:日本環境の現在』、『しゃがむ姿勢はカッコ悪いか?』、『先住民族アイヌの現在』、『新版・山を考える』(以上、1993年、朝日文庫)、『実戦・日本語の作文技術』(1994年、朝日文庫)、『滅びゆくジャーナリズム』(1996年、朝日文庫)、『リーダーは何をしていたか』(1997年、朝日文庫)、『きたぐにの動物たち』(1998年、朝日文庫)、『マスコミかジャーナリズムか』(1999年、朝日文庫)、『アイヌ民族』(2000年、朝日文庫)、『新・アメリカ合州国』(2003年、朝日文芸文庫)、『中学生からの作文技術』(2004年、朝日選書)、『疋田桂一郎という新聞記者がいた』(2009年、新樹社)、『本多勝一・逝き去りし人々への想い』(2010年、講談社)、『本多勝一戦争論』(2011年、新日本出版社)、『本多勝一、探検的人生を語る』、『本多勝一の日本論:ロシア、アメリカとの関係を問う』(以上、2012年、新日本出版社)、『日本人の冒険と「創造的な登山」』(2013年、ヤマケイ文庫)、『アムンセンとスコット』(2021年、朝日文庫)など