黒澤明『まあだだよ』について書いてみる

【産経抄】5月22日 - 産経ニュース

 用事はないが、東京から大阪へ汽車で行く。その費用を内田百閒*1は人から借りて旅に出た。作家は言う。それだけのお金が自分のものなら、「丸で意味のない汽車旅行につかい果たす事は思い立たないであろう」 
 ▼鉄道文学の白眉『特別阿房(あほう)列車』である。

 会員登録してないと途中までしか読めませんが赤字部分から勘の鋭い方は

それだけのお金が自分のものなら、「丸で意味のないオンラインカジノにつかい果たす事は思い立たないであろう」 

とでも言いたくなる自供をしたという「例の馬鹿者」の話だろうと気づいたでしょう(馬鹿者については例えば澤藤統一郎の憲法日記 » 賭博は不幸を作る犯罪である。IRを作らせてはならない。オンライン賭博を起訴せよ。参照)。
 しかし内田百閒(1889~1971年)も

◆『冥土・旅順入城式』(1990年、岩波文庫)
◆『私の「漱石」と「龍之介」』(1993年、ちくま文庫)
◆『御馳走帖』(1996年、中公文庫)
◆『ノラや』(1997年、中公文庫)
◆『百鬼園随筆』(2002年、新潮文庫)
◆『第一阿房列車』、『第二阿房列車』(2003年、新潮文庫)
◆『第三阿房列車』(2004年、新潮文庫)
◆『東京焼盡』(2004年、中公文庫)
◆『百鬼園百物語:百閒怪異小品集』(2013年、平凡社ライブラリー)
◆『阿呆の鳥飼』(2016年、中公文庫)
◆『百鬼園戦後日記1~3』(2019年、中公文庫)
◆『内田百閒随筆集』(2021年、平凡社ライブラリー)

【内田百閒集成・全24巻(2002~2004年、ちくま文庫)】
【1】阿房列車
【2】立腹帖
【3】冥土
【4】サラサーテの盤
ツィゴイネルワイゼン (映画) - Wikipedia(1980年公開)の原作
【5】大貧帳
【6】間抜けの実在に関する文献
【7】百鬼園先生言行録
【8】贋作・吾輩は猫である
【9】ノラや
【10】まあだかい
【11】タンタルス
【12】爆撃調査団
【13】たらちおの記
【14】居候匇々
【15】蜻蛉玉
【16】残夢三昧
【17】うつつにぞ見る
【18】百鬼園俳句帖
【19】忙中謝客
【20】百鬼園日記帖
【21】深夜の初会
【22】東京焼盡
【23】百鬼園戦後日記
【24】百鬼園写真帖

の著書があるとはいえ、世間一般には黒澤明まあだだよ」(1993年公開)の主人公という程度の認識でしょう。
 「鉄道文学」つう場合にも『阿房列車』を連想する人間が多いとも思えない。
 まあ、「鉄道文学」の定義にも寄るでしょうが、例えば「宮脇俊三*2」なんかを思い出す人間の方が多いでしょう。

【参考:内田百閒】

まあだだよ - Wikipedia
 黒澤明監督による1993年公開の日本映画。大映が製作し、東宝の配給により公開された。
 内田百閒の随筆を原案に、戦前から戦後にかけての百閒の日常と、彼の教師時代の教え子との交流を描いている。黒澤明の監督生活50周年・通算30作目の記念作品として大きな期待を集めたが、同時期に公開された『ロボコップ3』や『許されざる者』(クリント・イーストウッド監督がアカデミー監督賞を受賞)などのヒット作に押され、興行的には失敗となった。この作品の公開後、次回作の脚本*3を書いている矢先の1995年に転倒し骨折。闘病後の1998年9月6日に黒澤は脳卒中により逝去し、本作が黒澤の遺作となった。
【面白エピソード】
◆結果として遺作となったこの作品について「これが最後の作品ですかね?(周囲)」「まあだだよ(黒沢)」と冗談をいっていたという。
◆馬鹿鍋のシーンでは本物の馬肉と鹿肉が用意された。井川比佐志*4は馬肉と鹿肉は食べられないということで、助監督に頼んでわざわざ自分用に他の肉を用意してもらったものの、鍋の中に入れると、どれがその肉かわからなくなってしまい結局、ごぼうしか食べられなかったという。
ビートたけしが黒澤に「自分は映画には使わないのか?」と訊いたところ、「お前は言うことを聴かないじゃないか」とあしらわれたという。そこでたけしが「所ジョージを使ったじゃないですか」と言うと、「あいつは役者じゃないじゃないか!」と返事をした。たけしによると黒澤は猫と同じ感覚で所を起用したのだという。そのことをたけしが所に言うと「それで俺に何も文句言わなかったんだ」と納得したという。
◆映画での描写と百閒の随筆は必ずしも一致していない。
・北村(頭師孝雄)
 随筆によると「摩阿陀会」の肝煎(幹事)の一人であるが、映画では一般の出席者になっている。
・甘木(所ジョージ
 百閒の著作によく登場する名前であるが、特定の人物を指したものではない。「甘木」は「某」の字を分解したもので、百閒が個人名を出したくない時に使った符牒である。

多田基 - Wikipedia
 1901~1995年。黒澤明の『まあだだよ』で描かれた「摩阿陀会」の肝煎(幹事)の一人である(映画では平田満が演じた)。内田百閒を中心に近代文学者に関する多くの資料を残しており、その一部が学長、理事長を務めた実践女子大学に寄贈されている。

平山三郎 - Wikipedia
 1917~2000年。作家。黒澤明の『まあだだよ』で描かれた「摩阿陀会」の肝煎(幹事)の一人である。百閒の作品『阿房列車』シリーズにおいては、百閒の旅のお供をする「ヒマラヤ山系」として登場している。著書『回想の百鬼園先生』(1986年、旺文社文庫)、『百鬼園先生よもやま話』(1987年、旺文社文庫)、『実歴阿房列車先生』(2018年、中公文庫)、『百鬼園先生雑記帳』(2020年、中公文庫)

日記読み、事実を書く 内田百閒没後50年、初の評伝を刊行 山本一生(いっしょう)さん(近代史家、競馬史家):東京新聞 TOKYO Web2021.10.9
 『百間、まだ死なざるや:内田百間伝』(中央公論新社)は、没後五十年を迎えた作家内田百閒(一八八九〜一九七一年)の初の評伝だ。
 とりわけ印象的なのは、ドイツ語を教えた法政大学の学生や弟子たちとの関係だ。
 法政大を卒業してそのままフランス語の教員になった大井征は、百閒の自宅を訪ね、一緒に上野動物園でライオンを眺めたこともあった。大井が病気になった時、百閒は入院費や家族の生活費まで支援を惜しまなかった。同様に、他の弟子や元学生の遺児らの学費を援助していたという。
 「百閒さんはすごく面倒見がいいですよね。借金してその金を弟子にやったり、特に苦しい時に助けてやる。なぜ、それを作品に書かないかというと、面倒を見たことは物語にならないから。彼の本質、人間性は、学生たちとの交流を抜きにして語れないんじゃないかと思う」

【世界文化賞・歴代の巨匠】映画監督、黒澤明さん (4)先生にすごく恵まれた(1/3ページ) - 産経ニュース2018.9.22(平成4年10月13日(火)産経新聞東京本紙夕刊の再掲)
◆記者
 新作『まあだだよ』についてお聞かせいただけますか。内田百閒が主役ですね。
◆黒澤
 こういう材料は、ちょっと映画としては珍しいんですよ。主役が別に見栄えのしない、何でもない年寄りでしょ。ま、年寄りといっても50何歳ぐらいから70何歳まで。それの門下生たちはむくつけき男ばかりですし、別に恋愛があるわけじゃないし、何にもない。
◆記者
 タイトルからして面白い。
◆黒澤
 摩阿陀会というのがありましてね。シャレみたいなもんだけど、先生いつまでたっても亡くなんないでしょ。で、毎年そのお祝いの会をやるってんで、門下生が「まあだかい?」って言って(笑い)、先生がこんな大きいコップでビールを飲み干して、「まあだだよ!」って言うところから始まるんですよ、その会は。それから(タイトルを)とったんです。
◆記者
 とてもおおらかで、すてきな人たちが描かれますね。
◆黒澤
 僕はねぇ、今日あるのはとってもいい先生がいたからで、先生にはすごく恵まれたんですよ。小学校から中学と。大学は行かなかったけども。それから映画界に入って、山さんらに実によく教育されまして、それが心に残ってるんでね。だから、先生がいかに大事かっていうことを描こうと思ってね。
《「山さん」とは山本嘉次郎監督(1902~74年)のこと。昭和12年、たまたまP・C・L映画撮影所(現在の東宝)の助監督募集に応募した26歳の黒澤青年は、二次試験の口頭試問で初めてこの山さんに会う。黒澤監督は「私の生涯の最も良き師」との出会いだったと、著書『蝦蟇の油-自伝のようなもの』(岩波書店)に記している。山本組で、『エノケンのちゃっきり金太』『良人の貞操』『藤十郎の恋』『綴方教室』などの助監督を務め、『馬』ではB班の監督を任される》

第3317回「まあだだよ、その1、感想、なぜ漱石ではなく、内田百閒なのか 黒澤明監督」 | 新稀少堂日記
 (ボーガス注:門下生のいる著名作家なら「内田百閒の師匠でもある夏目漱石」もいますが)何故、漱石ではなく百閒なのでしょうか。門下生たちは、内田に理想の教師像を求め続けます。内田は、門下生たちの愛情を自然体で受け止めます。私自身、戦前の書生気分は好きではありません。また、彼らが繰り広げる宴会についても、好感がもてません。いやらしく感じられるのです。
 黒澤監督が、内田を選んだのは、やはり謙虚さからではないでしょうか。漱石に自らを比すのではなく、内田に止めたと。
 1993年公開当時、劇場に足を運びました。当時、私は43歳でした。最初の40分を見たところで、劇場を後にしました。金を返せとは言いませんが、時間を帰せと言いたくなる内容でした。内田と門下生たちが繰り広げる会話に耐えられなかったのです。
 そして、日本映画専門チャンネルで、昨年から1年をかけて、「デルス・ウザーラ」を除く全黒澤作品を放送しています。その機会を利用して、最後まで見たのですが、やはり中座は正解だったと思いました。駄作であることは言うまでもありませんが、商業映画として制作されたことに違和感を感じます。このような映画が、興行的に成功するはずがありません。
 1990年時代、内田と門下生たちの交流に共感を感じた人が、観客の何パーセントいたのでしょうか、いやらしさしか感じられません。細部にこだわる黒澤演出は、随所に見られるのですが、全体として映画を俯瞰しても、評価すべき点は見つからないのが事実です。黒澤「天皇」が、門下生に慕われる内田百閒に、自らをなぞらえた、それが黒澤監督の全意図だったように思えます。
(補足)
 内田百閒につきましては、濫読時代に一連の短編を読んでいます。評価するかと聞かれれば、微妙としか答えようがありません。

 一応酷評も紹介しておきます。小生は映画『まあだだよ』は未見です。
 なお、赤字部分は「違うんじゃないか」と思いますね。
 そういう面も「もしかしたら」あるかもしれないが、「(内田ファンとして黒澤が)無名の内田を世間にもっと知って欲しい(漱石は言うまでもなく有名)」「『摩阿陀会(まあだかい)』的な、とぼけた部分を描きたいが、そういうエピソードが(高尚な?)漱石には少ない」とかもっと話は複雑ではないか。

総長から皆さんへ 第13信(7月10日) 元教員・内田百閒を読む その1 :: 法政大学法政大学総長 田中優子*5
 皆さんは内田百閒(うちだ・ひゃっけん)という小説家をご存知ですか?。夏目漱石の弟子で、ドイツ文学者でもありました。芥川龍之介ともたいへん親しい人でした。そして、法政大学の教員でした。法政大学が大学令によって正式に私立大学になった1920年にドイツ語の教授となり、1934年、ある事件*6をきっかけに辞職したのです。
 百閒は辞職後も法政大学の学生たちに慕われ、ずっと交流を続けていました。そして還暦1年後の1950年より、学生たちによる誕生日会「摩阿陀会(まあだかい)」が毎年、開催されるようになったのです。この会を中心に作られた映画があります。それが黒澤明監督の最後の作品『まあだだよ』です。映画『まあだだよ』は、法政大学の教室シーンから始まります。内田百閒辞職前の最後の授業シーンです。この映画には、百閒が毎年開催される「摩阿陀会」の様子を書いた『まあだかい』と『ノラや』などが使われています。『ノラや』は飼っていた野良猫のノラがある日行方不明になり、百閒がそのことを苦しみ悲しみ、必死でノラを探し回る話で、心を打つ作品です。それがほぼそのまま映画『まあだだよ』のなかで映像化されています。

総長から皆さんへ 第14信(7月20日) 元教員・内田百閒を読む その2 :: 法政大学法政大学総長 田中優子
 前回からの続きです。夏目漱石の弟子でドイツ文学者、法政大学の元教員、内田百閒(うちだ・ひゃっけん)について書いてきました。前回は短編小説の魅力や、映画『まあだだよ』の原作になった随筆『まあだかい』を紹介しました。
 随筆『まあだかい』にはたくさんの法政大学卒業生が出てきます。そのなかに、のちに百閒の『阿房(あほう)列車』『第二阿房列車』『第三阿房列車』の旅に同行した平山三郎という作家がいました。旧国鉄日本国有鉄道)で機関紙の編集をしながら法政大学に通っていた人で、大学時代は授業料を内田百閒に肩代わりしてもらっていたのだそうです。見るに見かねて学生の授業料を払ってやる教授がいたのですね。ちなみに『阿房列車』シリーズは、ひたすら駅から駅へ移動するだけの旅を書いた、かなり変わった紀行です。だから「阿房」なのです。
 百閒にはもう2種、法政大学関係の作品群があります。1種が『実説艸平記(じっせつそうへいき)』と、そのもとになった『学校騒動記』『学校騒動余殃(よおう)』『予科時代』等です。一言で言うと、(ボーガス注:井本健作、内田百閒、野上豊一郎*7森田草平*8ら)夏目漱石門下が集まっていた法政大学で、その門下の作家どうしの対立があり、森田草平が学内の権力を握ろうと画策して百閒を追い出したのでした。それが「法政騒動」と言われた事件です。その森田草平と事件の顛末を、『実説艸平記』はじつに丁寧に描いています。森田草平を悪くいうわけではなく生々しくユーモラスに書き、読者はつい、この人物を笑ってしまうという描き方は、漱石に通じるものがあります。

映画音楽書物遊戯等断罪所 まあだだよ
 興行的には失敗したと言われるが、この映画を高く評価する者も案外多いことに驚かされる。
 どうも、賛否がはっきり分かれる作風となっているように考えられる。
 他の黒澤映画にも言えることなのであるが、実に男好きな・・・・・まぁ、いいか。
 それだけに(ボーガス注:内田百閒の妻を演じた)香川京子の存在感が俄然大きく感ぜられる。

黒澤明監督の映画「まあだだよ」を再度観た - amamuの日記
 映画「まあだだよ」は、結果的に映画監督・黒澤明の遺作となってしまった作品である。
 「七人の侍」などの大活劇を作った、世界の黒澤とすれば、「まあだだよ」は、きわめて地味な作品と言わなくてはならない。小津安二郎山田洋次に対する自意識があったのだろうか。そんな気にもさせてくれるほど、黒澤作品としては地味な作品なのである。
 実在の内田百閒と松村達雄扮する先生が似ているかどうかは別にして、映画の中の松村達雄はまさに先生然としている。
 そして、この先生は少しおかしい。
(中略)
 映画の中の先生の語り口調は、落語的で、ユーモアがある。実際、この先生の語りは、山田洋次監督の映画「男はつらいよ」の寅さんを彷彿とさせる。

友人に教えられた映画のみかた
 友人は故黒澤明監督のファンなのですが、僕自身は黒澤監督の作品をそんなには観たことがなかったため、参考にと思って訊いてみたんです。
 「黒澤監督の作品の中で、一番いい作品って何?」
 訊きながら、でも実は心の中では「七人の侍」や「用心棒」あたりが出てくるかな、と思っていたんです。世間の評価も高いですし、飛び抜けてダイナミックな演出には今なお世界中にファンがたくさんいるからです。
 しかし、友人の返答は違いました。
 「もちろん、『まあだだよ』じゃないかな」
 思いがけない答えでした。
 「まあだだよ」という作品は、黒澤監督の最後の監督作品。世間的にはあまり高評価を得ておらず、内容も地味なだけに、どちらかというと忘れられがちな作品です。
 「そうなの?」
 きょとんとして問い直す僕に、友人はうなづいて見せました。
 「うん。いや、確かに『まあだだよ』より、『七人の侍』とかが一般的に評価が高いのは知ってるよ。演出はダイナミックだし、活劇として見応えもあるし。でも、そんな作品よりも『まあだだよ』のカット割りや画面構成、人物の捉え方は素晴らしかった。『七人の侍』や『用心棒』が代表作、と言われているのは、世間がそういう黒澤作品を求め、黒澤さん本人が目指した『まあだだよ』のような作品を求めていなかった、それだけのことだと思う」
 聞きながら、目からうろこでした。
 確かにそういうことってあるかも知れない、と思ったんです。
 世間がその監督に対して求めている作品と、監督自身が撮りたい作品に違いが生じ、その結果世間からの評価が得られない作品が生み出される。それは、個々の作品を正当に評価していないということでもあるかも知れません。
 そして、それから少しずつ、僕の映画の見方は変わってきました。
 「こんな映画が面白い!」という定規を当てはめてはみ出した部分を批判するのでなく、「この映画で監督は何を目指したかったのか」を考え、それが「十分表現されているか」どうかで映画を評価するようにしよう、と思ったんです。
 最近の映画で言うならば、一番目につくのは「アンブレイカブル」でしょうか。
 これもM・ナイト・シャマラン監督の前作「シックス・センス」のような大どんでん返しを期待してみなければ、とても高レベルにまとまった作品なんですよね。そもそも作品の方向性自体が違いますし(それを混同させてしまうような映画会社の売り出し方にも問題がありますが)。
 「シックス・センス」が超常現象を小道具にしてドラマを展開し、結末で大きくひっくり返すという作風だったのに対し、「アンブレイカブル」はストーリーそのものよりもむしろ、映像や語り口で観客に次々と暗示や不安を与えて心理的に揺さぶる、という作風でした。これは、大いに成功していたと思います。
 こんな風に観るようになってから、映画がとても楽しくなってきました。
 単品の作品についても「『バーティカル・リミット』は雪山でのアクションを見せたかったんだよ、あの矢継ぎ早なアクションシーンだけは凄かったからね。面白かった」とか、「『シックス・デイ』はシュワちゃんの超人的な活躍を見せたかったんだよ、だってそうじゃなきゃシュワ映画じゃないし。面白かった」とか、「『チャーリーズ・エンジェル』は3人美女のコスプレとアクションをやりたかったんだよ、だって他に何がいるの?。面白かった」なんて、おそらく以前は「つまらん」の一言で斬り捨てていたであろう映画まで楽しめるようになったんですから。
 もちろん、それとは別に「面白い映画の基準」というのが僕の中にはあって、それに合致したとき「大絶賛!、大傑作!」と騒ぐことになりますし、逆に「つまらない映画の基準」というものだってあります。
 しかし、そんな自分の中の絶対的な定規とはまた別に、作品を評価出来る自由な尺度を持てるようになったというのは、映画ファンとしては大きな前進かな、と思っています。
 そのきっかけとなった会話をしてくれた友人に、感謝。
【追記】
 ただ節操がないだけ、なんて突っ込みは聞こえません。
 歳をとって丸くなっただけ、なんて分析も聞こえません。

黒澤明監督『まあだだよ』(大映,電通,黒澤プロ1993年)のおもしろさ徳島大学総合科学部教授 石川榮作*9
 黒澤明監督の遺作となった作品である。この映画は、随筆家として今もなお人気の高い内田百閒(1889-1971)とその門下生たちとの心の触れ合いを描いたものである。黒澤明はこの随筆家の多くの著作からエピソードを拾い出して、そこから自由に映画としてのストーリーを組み立てている。ストーリーとしてはそれほど取り立てて論じるほどのものではないが、しかし、そこには黒澤明監督自身の言葉どおり、「今は忘れられている、とても大切なものがある」ことは確かである。
 この映画のストーリーは、昭和18年、内田百閒先生(松村達雄*10)がドイツ語教員として30数年間勤めてきた大学を退職して、作家業に専念することになったところから始まる。教師として最後に教壇に立った日、高山(井川比佐志)という門下生の息子でもある教え子(吉岡秀隆*11)が百閒先生を称えてこう言う。
「学校の先生をやめても、先生は先生です。先生は金無垢(きんむく)です。混ぜもののない金の塊。本当の先生だという意味です。先生は僕たちにドイツ語以外になんだかとても大切なことを教えてくれたような気がします。」
 百閒先生は、一言で言えば、金無垢先生ということであろう。教え子たちからいつまでも「人生の先生」として慕われ続ける存在であり、時代は違っても同じドイツ語教師の私としては、とても到達できないような、まことにうらやましい限りの理想の教師である。
 百閒先生が教員を退職して、ある家に引っ越したときにも、高山(井川比佐志)、甘木(所ジョージ)、桐山(油井昌由樹*12)、沢村(寺尾聰*13)の4人は、もちろんその手伝いにやって来た。その引っ越し先の家は、家賃がとても安いというが、それもそのはず、泥棒が入りやすい家という評判なのである。奥さん(香川京子*14)は泥棒が入るのを怖がるが、しかし、百閒先生は「泥棒が入れない方法を編み出した」という。その夜,試しに高山と甘木の2人がこっそりと先生宅に忍び込んでみると、壁に貼り紙がしてあって「泥棒入口」もあれば,「泥棒通路」もあり、おまけには灰皿付きの「泥棒休憩所」まであった。これでは泥棒も参ってしまうことであろう。2人は笑いながら夜道を帰って行った。
 先生が還暦の60歳になった誕生日を迎えた日は特別で、先生の方から多くの門下生たちを呼んで、鍋物をすることになった。その鍋物は馬と鹿の肉を使ったものなので、まさに「馬鹿鍋」である。その「馬鹿鍋」を食べながら、先生と門下生たちが語り合う場面が、これまた楽しくてたまらない。
 昭和21年の春、門下生たちによって百閒先生の誕生日を祝う第一回「摩阿陀会」(まあだかい)が開かれた。またまだ長生きしそうな先生にちなんで、例の4人が先生の誕生日会をそのように名付けたもので、その年から毎年、先生の誕生日に催すことになったのである。この第一回の「摩阿陀会」の場面がこれまたおもしろい。
 昭和37年春、第十七回の「摩阿陀会」が開かれた。第一回の「摩阿陀会」とともにこの映画のクライマックスである。先生はやはり年をとったが、同時に門下生たちもそれ相当に年をとった。今回の「摩阿陀会」には門下生たちの孫まで出席している。その孫たちが先生のもとに大きな誕生日ケーキを運んだ場面で、先生は子供たちに向かってこう言う。
 「自分にとって本当に大切なもの、好きなものを見つけてください。そしてそのもののために努力しなさい。それはきっと心のこもった立派な仕事になるでしょう。」
 これは(ボーガス注:文学に人生を捧げた?)百閒先生のメッセージであると同時に、(ボーガス注:映画に人生を捧げた?)黒澤監督のこの映画にこめたメッセージでもあろう。人間はやはり一生涯それに打ち込むことのできるものを持ってほしいものである。それを求めて努力するのが、その人の人生であり、そういう生活そのものが幸せというものなのではあるまいか。自らの努力によって自らの文学世界を切り拓くとともに、このような「摩阿陀会」を門下生たちによって開いてもらって、門下生たちと一緒に人生を謳歌する百閒先生は、幸せそのものの象徴であり、これ以上の幸せはないのではあるまいか。このような喜びに満ちた祝賀会の最中に百閒先生は突然倒れてしまうが、それを門下生たちが心配して先生の周りに集まってくるシーンが、またジーン(私としては駄洒落のつもりではない)とくる。「大丈夫だよ」と言いながら先生が会場を立ち去る場面に歌われる「仰げば尊し」は、この映画の冒頭の教室で歌われる同じ歌とペアになっていて、全体を締め括る重要な役目を果たしている。温かい心を感じさせるとともに、熱い涙を誘う場面であることは言うまでもない。
 門下生の例の4人は体調を崩した先生を気遣って、その夜は先生宅で過ごすことになるが、その最終場面もみごとな出来栄えである。4人が静かに酒を飲もうとしているとき、隣の部屋に寝ている先生の寝言が聞こえてくる。どうやら先生は少年時代のかくれんぼの夢を見ているようである。草の茂った堤で着物姿の少年たちがかくれんぼをしており、少年時代の先生が藁の中に隠れたかと思うと、また飛び出してきれいな空を仰ぎ見る。空には天国を思わせるような多彩な色で、さまざまなかたちをした雲が浮かんでいる。とても穏やかで、心和む、平和的で印象的なラストシーンである。
 この映画のおもしろさは、以上述べたとおりであるが、もう一つ指摘しておきたいのは、百閒先生の周りに集まる門下生たちの表情がどの場面においても、笑みを浮かべながら、本当に生き生きとしていることである。特に例の4人の表情が最高である。井川比佐志と油井昌由樹の二人もいいが、とりわけ所ジョージ寺尾聰の二人が際立っている。なかでも映画全体のナレーションを務める寺尾聰は、セリフとしては一言もしゃべっていないが、そばにいながら存在感のある演技をしている。一言もしゃべらなくても重要な役割を果たしているのである。この寺尾聰の表情と存在感に注目しながら、この映画を鑑賞するのもおもしろいものである。この映画をすでに見たことのある方も、一度見たから「もういいよ」と言わずに、是非、もう一度ご覧ください。また「まあだだよ」という方も、是非、この機会に鑑賞してみてください。黒澤明監督のメッセージどおり、この映画には「今は忘れられている、とても大切なものがある。うらやましいような心の世界がある」はずであり、それが私たちの心を豊かにしてくれることは確かである。

*1:本名・榮造。号の「百閒」は、故郷岡山にある百間川から取ったもので、当初は「百間」と表記していたが、後に「百閒」に改めた(内田百閒 - Wikipedia参照)

*2:1926~2003年。著書『時刻表ひとり旅』(1981年、講談社現代新書)、『最長片道切符の旅』(1983年、新潮文庫)、『時刻表2万キロ』(1984年、角川文庫)、『時刻表おくのほそ道』(1984年、文春文庫)、『シベリア鉄道9400キロ』(1985年、角川文庫)、『終着駅は始発駅』(1985年、新潮文庫)、『中国火車旅行』(1991年、角川文庫)、『途中下車の味』(1992年、新潮文庫)、『車窓はテレビより面白い』(1992年、徳間文庫)、『失われた鉄道を求めて』(1992年、文春文庫)、『インド鉄道紀行』(1993年、角川文庫)、『韓国・サハリン鉄道紀行』(1994年、文春文庫)、『線路の果てに旅がある』(1996年、新潮文庫)、『ヨーロッパ鉄道紀行』(2000年、新潮文庫)、『駅は見ている』(2001年、角川文庫)、『豪華列車はケープタウン行』(2001年、文春文庫)、『鉄道廃線跡の旅』(2003年、角川文庫)、『鉄道旅行のたのしみ』(2008年、角川文庫)、『汽車旅12カ月』、『終着駅へ行ってきます』、『旅の終りは個室寝台車』(以上、2010年、河出文庫)、『「最長片道切符の旅」取材ノート』(2010年、新潮文庫)、『終着駅』(2012年、河出文庫)、『全線開通版・線路のない時刻表』(2014年、講談社学術文庫)、『宮脇俊三鉄道紀行セレクション』(2014年、ちくま文庫)、『増補版・時刻表昭和史』(2015年、角川ソフィア文庫)、『夢の山岳鉄道』(2021年、ヤマケイ文庫) など

*3:後にこの脚本は『雨あがる』の題名で小泉堯史監督により映画化され、2000年に公開された。ちなみに『雨あがる』の原作は黒澤映画『椿三十郎』(1962年)、『赤ひげ』(1965年)、『どですかでん』(1970年)、黒澤脚本『どら平太』(黒澤生前には映画化されなかったが、黒澤脚本に参加した市川崑によって、黒沢死後の2000年に映画化)、『海は見ていた』(黒澤生前には映画化されなかったが、熊井啓によって、黒澤死後の2002年に映画化)の原作者でもある山本周五郎

*4:1968年にフジテレビドラマ『男はつらいよ』(山田洋次脚本)で諏訪博士役を演じ人気を得る。黒澤作品では他に、黒澤が監督を務めた『どですかでん』(1970年)、『乱』(1985年)、『夢』(1990年)、『八月の狂詩曲』(1991年)、黒沢脚本の『雨あがる』(2000年)に出演。また山田監督作品では『霧の旗』(1965年)、『家族』、『男はつらいよ・望郷篇』(いずれも1970年)、『故郷』(1972年)、『同胞』(1975年)に出演(井川比佐志 - Wikipedia参照)

*5:著書『江戸の想像力』(1992年、ちくま学芸文庫)、『江戸の音』(1997年、河出文庫)、『江戸の恋』(2002年、集英社新書)、『樋口一葉「いやだ!」と云ふ』(2004年、集英社新書)、『江戸はネットワーク』(2008年、平凡社ライブラリー)、『未来のための江戸学』(2009年、小学館101新書)、『春画のからくり』(2009年、ちくま文庫)、『江戸っ子はなぜ宵越しの銭を持たないのか?』(2010年、小学館101新書)、 『江戸百夢:近世図像学の楽しみ』、『きもの草子』(以上、2010年、ちくま文庫)、『グローバリゼーションの中の江戸』(2012年、岩波ジュニア新書)、『張形と江戸女』(2013年、ちくま文庫)、『芸者と遊び』(2016年、角川ソフィア文庫)など

*6:法政騒動 - Wikipediaのこと

*7:1883~1950年。能楽研究者。森田草平、内田百閒、井本健作など漱石門下の文学者を法政大学教授に招聘するが、1933年に学内紛争(法政騒動)で辞職(1941年復職)。1946年に法政大学総長に就任。総長在任中の1950年に死去。没後、収集した資料を基にして「野上記念法政大学能楽研究所」が作られた。作家・野上弥生子は妻。著書『能の話』(1940年、岩波新書)(野上豊一郎 - Wikipedia参照)

*8:著書『夏目漱石』(1980年、講談社学術文庫

*9:徳島大学名誉教授。著書『「ニーベルンゲンの歌」を読む』(2001年、講談社学術文庫)、『ジークフリート伝説』(2004年、講談社学術文庫)、『ニーベルンゲンの歌(前編)(後編)』(2011年、ちくま文庫)、『トリスタン伝説とワーグナー』(2020年、平凡社新書)、『人間ベートーヴェン』(2021年、平凡社新書)(石川栄作 - Wikipedia参照)

*10:1914~2005年。黒澤作品では他に黒澤脚本の『雨あがる』(2000年)に出演(松村達雄 - Wikipedia参照)

*11:男はつらいよ』シリーズ第27作『男はつらいよ・浪花の恋の寅次郎』(1981年公開)から第48作『男はつらいよ・寅次郎紅の花』(1995年公開)まで車寅次郎の甥・諏訪満男役でレギュラー出演、代表作となる。山田作品ではそのほかに『キネマの天地』(1986年)、『虹をつかむ男』、『学校II』(いずれも1996年)、『虹をつかむ男・南国奮斗篇』(1997年)、『学校III』(1998年)、『隠し剣鬼の爪』(2004年)、『小さいおうち』(2014年)に出演。黒澤作品では他に、黒澤が監督を務めた『八月の狂詩曲』(1991年)、黒沢脚本の『雨あがる』(2000年)、『海は見ていた』(2002年)に出演(吉岡秀隆 - Wikipedia参照)

*12:黒澤映画では他に『影武者』(1980年)、『乱』(1985年)、『夢』(1990年)に出演(油井昌由樹 - Wikipedia参照)

*13:黒澤作品では他に、黒澤が監督を務めた『乱』(1985年)、『夢』(1990年)、黒澤脚本の『雨あがる』(2000年、主演)に出演(寺尾聰 - Wikipedia参照)

*14:黒澤作品では他に『どん底』(1957年)、『悪い奴ほどよく眠る』(1960年)、『天国と地獄』(1963年)、『赤ひげ』(1965年)に出演(香川京子 - Wikipedia参照)