「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2022年6/30日分:荒木和博の巻)

◆荒木ツイート

荒木和博がリツイート
◆レブラくん(RBRA)予備役ブルーリボンの会
 今回の参院選
 北朝鮮による日本人拉致被害者の救出を公約に掲げる人が少ないのは、国民の関心の低下や諦めがある事も要因にあると思う。街中の人が全員ブルーリボンバッジを着けて歩けば、必ず多くの政治家が拉致事件解決を公約にあげると思う。

 吹き出しました。「街中の人が全員ブルーリボンバッジを着けて歩」いたとして「公約に掲げるか疑問」ですが、そもそもそんな事態(街中の人が全員ブルーリボンバッジ)は「現実性がない」ので馬鹿馬鹿しい話です。大体、2002年の小泉訪朝からカウントしても既に20年が経過し、その間に「勿論、何度も国政選挙があった」のに「今更何を言ってるんだ?」ですね。


拉致事件でちょっと気づきにくいことを寺越事件から考えてみる(R4.6.30): 荒木和博BLOG
 5分程度の動画です。なお、荒木のこの動画について寺越氏失踪が「6月(だから荒木が取り上げた)」と勘違いする方もいるでしょうが、実は「1963年5月」のことです(寺越武志 - Wikipedia参照)
 動画には「おいおい」ですね。
 寺越事件云々て「はあ?」ですね。当事者である寺越氏が「拉致でない(遭難したところを北朝鮮に救助された)」としているものを仮に「実際は拉致で、寺越氏は諸事情からそれを否定しているだけ」だとしても「拉致扱い」して何の意味があるのか。
 それで「拉致被害者が帰国する」のか?
 とりあえず、荒木が何を言ってるか、動画を聴いてみます。
 「寺越氏の拉致理由は何だろうか?(荒木)」
 「はあ?」ですね。「寺越氏は何故拉致されたのか?(動画で荒木が話してること)」なんて「気づきにくいこと」なんですかね。どっちにしろ問題は「気づきにくいかどうか」ではなく「拉致被害者救出(荒木らの建前上の目的)に役立つかどうか」であって「どんな形であれ」、寺越氏に云々することが「拉致被害者救出」に役立つとは思いませんが。
 「帰国した拉致被害者5人」にしたって「拉致した理由(何故拉致したか?)」は正直な話、よくわからないでしょう。「拉致した理由」はわからない(所詮、何を述べても憶測でしかない)し、わからなくても拉致被害者帰国は実現できる。「拉致した理由」なんて「拉致被害者救出」と言う意味では「議論する必要はない」どうでもいいことを議論したがる「荒木のアホさ」には心底呆れます。
 なお、「気づきにくいこと」つうか、俺的に「何故だろう?」と思うのは何故に北朝鮮が「(拉致ではなく海難事故だとは言っている物の)寺越氏については、その存在を認めたのか?」「(認めたとは言え)存在を認めるに至るのが失踪(1963年)から24年(1987年)もかかったのは何故だろう?」ですね(あくまでも単なる疑問提示で、それを知ることが拉致解決に役立つとは思いませんが)。
 さて荒木は、他に「気づきにくいこと」として「寺越氏の失踪が拉致だとして1963年失踪だから、遅くとも、1963年以降の失踪*1を我々、特定失踪者問題調査会のように拉致認定して何が悪い。1977年(久米裕松本京子横田めぐみ)以降しか拉致と認めない政府は間違ってる(荒木の言う『気づきにくいこと』の一つ)」て詭弁にもほどがある。
 寺越さんの場合、仮に「拉致」だとしても「海上拉致(工作船と漁船が遭遇したので口封じに拉致?)」で国内から連れ出した久米氏らのケースとは大分性格が違います。大体、荒木の場合「まともな根拠で特定失踪者認定していない」ために「国内で40人以上も発見され、ほとんどが自発的失踪」なのに良くも言ったもんです。


拉致問題四半世紀を振り返って(R4.6.29): 荒木和博BLOG

 (ボーガス注:安証言で)横田めぐみさんの拉致が分かってから今日までどんなことが起きたのか、概略をお話ししました。*2

 11分程度の動画です。動画説明文には「おいおい」ですね。
 そんなことが拉致の解決と何の関係があるのか。しかも荒木がやってることは1997年2月当時の「アエラ、産経、テレ朝の安証言報道*3」「西村真悟の国会質問」について「詳細は言わないが、俺や、俺がメンバーだった救う会も貢献した」と自慢してるだけの話です。
 なお、この1997年2月当時の話については

けっきょく「横田めぐみ拉致問題における安明進証言」などというものにのっかったのが、高世仁が会社をこかした淵源(の少なくとも1つ)ではないか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2021.5.25
高世仁の幼稚なデマ自慢を平然と垂れ流すNHKの馬鹿さとクズぶりに本気であきれ返る - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2022.1.11

を紹介しておきます。
 なお、荒木が「兵本達吉(後に救う会に参加)が橋本議員の秘書として頑張った」としながらも橋本敦質問について今回触れてるのが興味深い。
 とはいえ橋本質問について「梶山国家公安委員長答弁(日本政府として初めて北朝鮮拉致疑惑を認めた)」に触れずに「ほとんど何の意味がなかった」かのように語り「アエラ、産経、テレ朝の安証言報道」「西村の国会質問」が一番重要であるかのように言うのは「おいおい」ですが。
 さて荒木が

新潟少女監禁事件 - Wikipedia(1990年に拉致され、2000年に救出)について、2000年の少女発見当時、北朝鮮が「ほれみろ、北朝鮮拉致疑惑なんかでっちあげだ」などと嘘をついていた(荒木の発言は全て俺の要約であり、一言一句同じわけではありません)

北朝鮮に悪口したのには、呆れると同時に吹き出しました。
 何故、北朝鮮がそのように言ったのか。それは荒木ら救う会が、少女が発見される前までは、「新潟での失踪(失踪当時、小学4年生)」というだけで、新潟少女監禁事件について「新潟県佐渡で失踪した横田めぐみさんのように、北朝鮮拉致の疑いがある」と根拠レスで放言したからです。「少女失踪について誰も北朝鮮拉致の疑いなんて言ってない」のに「新潟での失踪」というだけで北朝鮮がいきなりそう言い出したわけではない。自分らの嘘を棚に上げて良くも北朝鮮を非難できたもんです。
 小泉訪朝前(2002年)から救う会はデタラメな団体だったわけです。そして未だに荒木は「特定失踪者(新潟の少女のように国内で40人以上発見され、そのほとんどは自発的失踪)」というデマを続けている。
 それにしても荒木が「2002年の小泉訪朝から20年経って拉致への関心が風化している。でも拉致被害者がたった一人でも今からでも帰れば拉致への関心は再び高まる」と言うのにも呆れると同時に吹き出しました。
 第一に荒木が「拉致の風化」を認めた上に、それについて「拉致被害者帰国以外に打開の道がないこと」をはっきり認めていることに吹き出した。
 第二に「拉致被害者が一人でも今からでも帰れば」ねえ。「どうやって帰国させるんだ?」ですね。
 救う会、家族会が「即時一括全員帰国」と言う限りそんなことはあるわけもないでしょう。
 高世仁もこれについては

『北朝鮮 拉致問題』出版記念会見 - 高世仁のジャーナルな日々2022.6.21
 「全拉致被害者の即時一括帰国」の呪縛から一刻も早く脱するべきだ。

などと書いていますが俺も同感です。

【参考:新潟少女監禁事件】

女児監禁9年、痛恨の捜査ミス 元捜査員が語った教訓:朝日新聞デジタル2019.4.30
 逮捕された男性は、事件の1年半前に別の少女を連れ去ろうとしたとして逮捕され、有罪判決を受けていた。だが、犯行手口を記録する資料が作成されず、捜査線に浮上しなかった一因となった。
 ミスを知り、がくぜんとした。基本的な捜査ミスが命とりになった。これまで100%完璧にやってきたかというと、自分にも落ち度があったかもしれない。資料以外にも(ボーガス注:男性の)母親から署が相談を受けていたなど、ヒントはあった。

新潟少女監禁事件 - Wikipedia
 1990年(平成2年)11月13日夕方に新潟県三条市の路上で、少女A(当時9歳・小学校4年生)が男Sにより誘拐され、約9年2か月間にわたり新潟県柏崎市のSの自宅2階の一室に監禁された事件。
 拉致から約9年2か月後の2000年(平成12年)1月28日、S(当時37歳)の母親から「息子の家庭内暴力に悩んでいる」と相談を受けた医師や保健所の職員らが、Sを強制入院させるために現場の住宅を訪れたところ、19歳になっていた被害者少女Aを発見・保護した。
 新潟県警によって逮捕された加害者Sは未成年者略取、逮捕監禁致傷罪で起訴された。
 監禁期間が約9年2か月という長期にわたっていたことや、事件に関わる新潟県警の捜査不備、不祥事が次々と発覚したことなどから社会的注目を集めた。また、犯人が長期の引きこもり状態にあったことから、同様の引きこもり状態にあった男が同じ年(本事件発覚後)に起こした西鉄バスジャック事件 - Wikipediaとともに、引きこもり問題の社会的認知度を大きく高めた事件ともなった。
 事件以前から引きこもり問題に取り組んでいた精神科医斎藤環*4が本事件について、「引きこもりは、初期には犯罪者予備軍と誤解されました。実情を知らずに印象だけで語る人たちとの戦いが、まず私の仕事でした」と後に述懐している。
【事件当事者のその後】
 少女Aの保護から1年10か月後の2001年12月1日に『新潟日報』が報じた記事では、「被害者少女Aは事件後、成人式に出席したほか運転免許を取得し、家族と新潟スタジアムへサッカー観戦に赴いたり家族旅行に出かけるなど、日常を取り戻しつつある」と伝えられている。また、『週刊新潮』の記事「特集・あれから15年「新潟少女監禁男」の刑期満了が迫っている!」 (2015年2月19日発売) は被害者女性A(当時30歳代)について、近隣住民の声を引用して「家族とともに明るく平穏に生活している」と報じている。
 一方、加害者Sは2003年(平成15年)に最高裁で懲役14年の刑が確定。『週刊新潮』 (2015年)によれば、 千葉刑務所に収監されたが、公判中から減少していた体重がさらに減り、歩行に介助が必要な状態となり、その後、八王子医療刑務所に移され治療を受けた。
 Sは2015年(平成27年)4月に52歳で刑期満了を迎え、出所後は千葉県内で障害者福祉施設からの支援を受け、生活保護を受給しながらアパートで1人暮らししていた。2017年(平成29年)頃、S(当時54~55歳)はアパートの自室で病死(孤独死)しているのを発見された。事件発覚から20年目となる2020年(令和2年)1月23日に『新潟日報』や『柏崎日報』でその事実が報道された。また加害者Sの母親は、息子Sの収監後に認知症が進み、老人介護施設に入所したため、2003年(平成15年)頃からは刑務所へ面会に訪れなくなり、Sの服役中に病死した。
 「野に放たれた“脅威” それからの「新潟少女監禁男」」『週刊新潮』(2021年2月4日発売)によれば、事件現場となった加害者S宅はSの母親名義のままで、2021年2月時点で事件当時のまま空き家となっているという。
新潟県警の不祥事】
【少女A発見・保護時の状況についての虚偽発表】

 少女Aが保護された当日の21時30分より三条警察署で緊急の記者会見が開かれ、1990年に三条市で行方不明となった少女Aが柏崎市で発見されたことが公表された。しかしその後、Sの家庭への対応が拙かったのではないかと追及されていた保健所所長が、A発見の経緯についての警察発表が事実と異なると指摘し、改めてA発見時の状況について注目が向けられた。
 これについて柏崎警察署副署長は「柏崎署に通報があり、そのときは警官の都合がつかず出動できなかったが、折り返しの連絡時に出動の意向を伝えた。しかし『Sが大人しくなったので必要がなくなった』と保健所側に言われた」という旨の説明を行った。しかし、これに対し県健康福祉対策課長は「(保健所側が出動を)お断りしたことはないと聞いている」と反論。いずれにしても、Aの保護を行ったのは警察ではなく保健所の職員であったことが明らかとなり、2月15日には県警が保健所からの出動要請を断ったことが一斉に報じられた。
 2月17日昼には県警刑事部長が釈明会見を行った。会見では出動要請を拒否したとされる点について「要請を断ったという認識はないが、結果として迅速な対応ができなかったのは事実。申し訳ないと思っています」と刑事部長が謝罪した。
【事件発覚時の県警本部長らの対応】
 少女Aの発見当日、新潟県警には当時各地の警察を視察に回っていた警察庁特別監察チームのトップである関東管区警察局長(以下、局長)が訪れており、視察後、局長と県警本部長(以下、本部長)を含む県警幹部たちは新潟県三川村(当時、現在は市町村合併で阿賀町)のホテルに1泊する予定であった。ホテルに向かう車中で刑事部長より本部長に対して「三条市で9年2か月前に行方不明になった少女Aが発見された」という一報が入った。この様子を見た局長は本部長に「(県警本部に)帰ったらどうか」と促したが、本部長は「大丈夫です」と取り合わなかった。食後は局長、本部長、生活安全部長、総務課長、生活安全企画課長が参加し、図書券を景品とした麻雀が行われた。翌朝、朝食を終えた本部長らは捜査本部設置を指示するなどしてから帰途についたが、すぐに警察本部には戻らず、その帰路に本部長は局長をハクチョウ飛来の名所である水原町(当時、現在は市町村合併阿賀野市)の瓢湖へ案内した。その後、県警の不祥事はマスコミに批判報道されるだけでなく、国会でも取り上げられ、野党の批判を受けたことから、警察庁は2月20日から「検証チーム」を新潟県警に派遣し、幹部および署員らに対する事情聴取を行った。その結果を24日に「緊急調査結果」として発表し、一連の不祥事の事実関係を認定した。
翌25日、本部長が会見を開き、
◆性犯罪歴のあったSが少女Aの不明時に捜査対象とならなかった
◆4年前にSの母親が柏崎署に相談に来た際の相談簿を紛失した
◆少女Aを発見・保護した保健所職員からの出動要請を拒否した
◆少女Aの発見・保護状況で虚偽の発表をした
◆事件発生から9年2か月の間、巡回連絡で被疑者宅を3回訪れていたにも拘らず不審情報を得られなかった
という5点について正式に謝罪した。
 翌26日、本部長は再度会見を開き、「少女Aの発見・保護時の状況について虚偽の説明を行った」、「懇親会の席上にあった本部長自身が事件発覚の報告がなされた後も帰庁しなかったことで、警察の信用を失墜させた」という2件につき、国家公安委員会から減給100分の20(1か月)の処分を受けたことを発表。同時に自身の辞職願が2月29日付で受理されたことも合わせて発表した。
 最終的に本部長と局長はともに依願退職したが、世論の反発は強く、(依願退職の場合に支払われる退職金については)両名ともにその受け取りを辞退した。また両名への対応が甘いとしてマスコミ等に批判された田中警察庁長官は、「局長の行為に対する監督責任がある」として国家公安委員会から減給100分の5(1か月)の処分を受けた。さらに虚偽発表、出動要請拒否、麻雀接待に関わった県警刑事部長、警務部長、生活安全部長ほか、警視4名、警部1名、警部補1名の計9名に減給、本部長訓戒、注意の処分が下された。また、柏崎市議会は2000年3月8日に柏崎署と新潟県警本部に対し、一連の不祥事の原因究明・信頼回復を求める申し入れを行った。

*1:まあ荒木らの場合、1962年以前の失踪も特定失踪者認定していますが

*2:これでは安証言が「6月」と勘違いする方もいるでしょうが、実は「1997年2月」のことです。なお「四半世紀」云々とは1997年の安証言(荒木が拉致と関わるようになった時期)から四半世紀(25年)ということですね。

*3:荒木がアエラについては長谷川煕の、産経については阿部雅美の名前を挙げながら、テレ朝については何故か高世の名前を挙げていません。

*4:著書『社会的ひきこもり』(1998年、PHP新書→2020年、改訂版)、『ひきこもりのライフプラン:「親亡き後」をどうするか』(共著、2012年、岩波ブックレット→2020年、新版)、『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』(2012年、ちくま文庫)、『「ひきこもり」救出マニュアル〈理論編〉』、『「ひきこもり」救出マニュアル〈実践編〉』(以上、2014年、ちくま文庫)、『ひきこもり文化論』(2016年、ちくま学芸文庫)、『中高年ひきこもり』(2020年、幻冬舎新書)など