野原燐(id:noharra)に突っ込む(2022年7月2日分)(副題:野原の馬鹿さにいつもながら呆れる)

◆野原のツイート

野原燐がリツイート
◆田中昭全
 先日報道された神道政治連盟が配布した同性愛者のヘイト文書は、弘前学院大学の教授がその団体で講演したものをまとめたものだというので、その大学に学ぶ当事者の学生が心配になって検索したら、学校側からはしっかりした声明が出てました。
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 「しっかりとした声明」て「楊の主張は大学の見解ではなく一個人の見解」「大学は勿論LGBT差別には反対です(但し、楊の言動を差別として批判はしてない)」つうだけの話ですからね。「自民や神社本庁ともめたくない」のか、懲戒処分どころか、「楊への明確な批判」すらしていない。むしろ楊を懲戒処分すべきではないのか。
 あんな差別暴言は「言論の自由、学問の自由」で正当化できないでしょうに。野原たちは大学に対して甘過ぎないか?

野原燐
 日本の神道は「LGBT」に関していったいどういう態度を取るのか? はっきりさせて欲しい*1。韓国のキリスト系右派と癒着しつづけるのか?*2それが神道*3なのか?

野原燐
 弘前学院大学の楊尚眞氏による講演録が配布された。これは日本の神道のふつうの見解でもない。「神道政治連盟」の一部の(カルト的な)人の見解。

 やれやれですね。
「同性愛は依存症」「LGBTの自殺は本人のせい」自民党議連で配布(松岡宗嗣) - 個人 - Yahoo!ニュースについて講師が「楊尚眞*4弘前学院大学教授(右派キリスト教在日韓国人)」であることから「神社本庁LGBT差別は韓国のキリスト教右派(楊尚眞など)にたぶらかされてるんだ!」と言うことに話をでっち上げて本庁を免罪したいようです。
 実際には「そもそも神社本庁は韓国のキリスト教右派に関係なく、昔からそういうLGBT差別の非常識右翼」でしょうが「神社本庁に特別な思い入れがあるらしい右翼分子id:noharra」は「何が何でも神社本庁をかばいたい」らしい。
 どこまで神社本庁に甘いのか。そしてどれほど韓国キリスト教に失礼なのか。
 靖国に戦犯が合祀されてるのも、戦前、国家神道体制の元で「キリスト教新興宗教創価学会)」などが弾圧されたのも全て「神社のせいではない(韓国右派、日本陸軍、日本右翼など外部の人間のせいだ)」と強弁する気か。
 そんな屁理屈を駆使していいのなら「北朝鮮拉致を、実は金正日氏は本当に知らなかったのかもしれない。部下の暴走かもしれない」など誰でも何でもいくらでも擁護可能でしょう。
 こんな「神社本庁大好きな右翼分子id:noharra」が

 松下昇*5という人を尊敬しています。

などといって「新左翼ぶる」のだから絶句です。松下昇 - Wikipedia(脚注である
情況への発言概念集 目次は全てid:noharraが作成者なので、おそらくこの項目「松下昇」をウィキペディアに作ったのはid:noharra本人)を読む限り、松下とは「新左翼活動家」なのですが。
 それとも「松下のような新左翼=実は右翼の飼い犬(例えば全学連と右翼との癒着*6)で、えせ左翼→だから不当に社会党共産党を敵視した」とみるべきなのか?
 つまり「新左翼・松下を尊敬すると語る野原」が「神社本庁大好き右翼」であることはむしろ「当然のこと」なのか?
 新左翼とは「所詮、時代のあだ花」「社会に何も意義あるものは残せなかったゴミ運動」なのか。

【参考:松下昇】
 正直、無名人らしくググってもほとんど記事がヒットしません。

つづく・・・・・・ - 文学と新人賞(木田拓雄*7)2011.11.30
 昔、松下昇さんという人がいた。
 過去形で語るのは1996年に亡くなられたからである。
 松下さんは神戸大学のドイツ語の先生だったので松下先生の方がふさわしいのだろう。
 先生嫌いの私が珍しく(というよりは唯一人)好きになった先生であるから、よけいのことそう呼ぶべきなのだけれど私はいつも「松下さん」と呼んでいたのでその形を変えないでおこう。
 松下さんの死を知ったのは新聞の訃報によってであった。
 1996年5月22日の水曜日「毎日新聞」朝刊の紙面を一部引き写す。
「60年代後半から70年代にかけて神戸大学教養部(当時)の『造反教官』として知られた元講師(ドイツ語)松下昇氏が今月6日午前10時15分ごろ神戸市の道路上で急性心不全のため亡くなっていた。60歳だった」
 70年代~80年代にかけ大学を懲戒免職された松下さんと私はその頃共にアルバイトで生計を立てていた。
 彼の年収は60万円くらい。私はその4倍はあったはずだ。
 「木田さんはいいですね」と松下さんはいつもうらやんだものだ。
 私をネズミの駆除に雇う会社があっても東大卒の大学教授*8であり著名*9な詩人でもあった松下さんに同じアルバイトをさせる会社はなくて当然である。その差が年収に現れた。
 私と松下さんがどちらも経験した唯一の仕事はたこ焼屋だった。
 私の仕事場はフードコート。
 松下さんの場合は自分が教える*10神戸大学の構内で勝手に開店した「自営業」であった違いはあるのだけれど・・・。

[0456]松下昇・小沢一郎・クリムゾン・ショスタコーヴィチ・・・それぞれの1969年 | TRAZOM@さるさる横丁2012.6.29
 松下昇といっても知らない人がほとんどだろうし、ボクもそうだ。神戸大学の講師をしていたが1996年に急逝、その新聞記事には<神戸大学教養部(当時)の「造反教官」として知られた元講師>とある。

松下昇 - こころなきみにも大阪府立大学名誉教授・萩原俊治氏*11)2016.4.21
 松下昇氏は神戸大学の教員だったが、神戸外大で自主講座をしていた。私は二回行ったけど、面白くないので、行かなくなった。と言うより、当時は芝居にこっていて、自分でも芝居の本を書いていて忙しかったからだ。
 噂を聞いただけだが、松下さんは神戸大学の黒板にペンキで字を書くという象徴的行為をしたりして(「消えるような字を書くな!」という意味だったらしい)、大学から訴えられ、首になったそうだ。
 当時、私は同人費を学割にしてもらうかわりに同人誌の編集を手伝っていたが、その同人誌を編集していた池内紀*12という神戸大学の教師が松下さんと同じ東大(ボーガス注:大学院)の独文出身だった。池内さんは松下さんが首になる前、「そんな馬鹿なことはやめろ」と言ったけれどダメだった、と泣きそうな顔になった。それ以来、私は(ボーガス注:【1】松下氏の学者としての才能を評価する一方で、問題点(『教授会欠席』、『授業や試験の拒否』、『黒板にペンキで字を書く』などについて『そんなことをしても大学から懲戒処分を受けるだけで意味があるとは思えないから辞めろ』と批判)にはダメ出しし、【2】そのダメ出しを無視されても松下氏に『あいつはバカだ』などと悪口しない、むしろ「自分の無力さ」を悲しむ(?))池内さんを信用するようになった。
 松下さんの奥さんは病気だった。子供さんも病気だった。松下さんと親しかった造反教官の小川正巳先生から聞いたことだ。
 そのうち、全共闘の誰かから、松下さんが阪急六甲*13のところで屋台のたこ焼き屋を始めたという噂を聞いた。嘘か本当か知らないが、気に入らない神戸大学の教師が通りかかると、熱いたこ焼きを投げつけたという話だった。いや、たこ焼き投げつけ事件のことは、小島輝正*14から聞いた話だったか。
 私は松下さんが嫌いではなかった。自主講座で朗読した彼の孤独な詩も好きだった。そのうち、奥さんが亡くなったと聞いた。子供さんはどうしたのだろう。地震*15のあと松下さんは亡くなった。

週刊誌『サンデー毎日』(8/15・22合併号)のコラム「本のある日々」で、夢野中也さん(通教部・塚田クラス生)の作品『松下損塾』がとりあげられる。 | 詩と小説 大阪文学学校2021.8.31
 夢野中也(ゆめの・なかや)さんは、通教部の提出作品『松下損塾*16』を手作りの小冊子にして、友人・知人に届けていました。その1冊が、『サンデー毎日』誌上でコラム「本のある日々」を執筆している上原隆さん*17の手に渡ったのでした。
 なお、上原さんの文章に登場する「Y」は夢野さん、「M」は神戸大学においてその昔「造反教官」と呼ばれていた松下昇さんのこと。
20歳前後、ぼくも松下さんの書いたものを読んだ記憶があります。

*1:神社関連団体で差別文書を配っても「本庁の態度ははっきりしてない」んだそうです。「神社本庁支持者らしい」野原のバカさには呆れて二の句が継げません。

*2:「癒着」ではなく「そもそも神社本庁はああいう団体」なのですが、「神社本庁支持者らしい」野原にはそれが認められないようです。

*3:俺個人は「それが神道」とは思いません。神道なら「当然に極右で差別者」とは思いませんが「極右で差別者が今の日本神道主流(神社本庁)であること」は事実です。野原はもっとストレートに神社本庁を批判したらどうなのか?

*4:著書『同性愛と同性婚の真相』(2021年、22世紀アート)

*5:1936~1996年。神戸大学講師(後に懲戒免職)

*6:1963年、TBSラジオが『ゆがんだ青春/全学連闘士のその後』(吉永春子)を放送し、全学連の唐牛健太郎(委員長)や島成郎(書記長)が田中から資金援助を受けていたことを報じた。日本共産党は『赤旗』で、「右翼と結びついていた」として全学連を連日批判した(田中清玄 - Wikipedia参照)

*7:1980年、『二十歳の朝に』で新潮新人賞受賞。著書『秋の苦い光』(1997年、角川書店)、『もやもやした自分をすっきり整理する自己分析ノート』(2006年、日本実業出版社)、『本から生まれるものは愛』(2015年、樹書林)

*8:原文のまま。実際は「大学講師」。しかし「元・大学教員」なら「自著の刊行」「翻訳」つう「お仕事」がすぐ思い浮かびますが、それをしなかった理由は何なのか?

*9:失礼ながら「著名」ではないですね。

*10:懲戒免職後なら勿論「教えた」が正しい。

*11:著書『ドストエフスキーのエレベーター』(2021年、イーグレープ)

*12:1940~2019年。神戸大学講師、東京都立大学助教授、東京大学助教授、教授を歴任。定年退官前の1996年に東大を早期退官。著書『ウィーン』(1989年、ちくま文庫)、『悪魔の話』(1991年、講談社現代新書)、『読書見本帖』(1991年、丸善ライブラリー)、『地球の上に朝がくる:懐かしの演芸館』(1992年、ちくま文庫:著書名はコメディアンで「あきれたぼういず」リーダーだった川田晴久 - Wikipedia(1907~1957年)の定番ギャグのようです)、『101冊の図書館』(1993年、丸善ライブラリー)、『ぼくのドイツ文学講義』(1996年、岩波新書)、『モーツァルト考』(1996年、講談社学術文庫)、『ザルツブルク』(1996年、ちくま文庫)、『温泉旅日記』(1996年、徳間文庫)、『カフカのかなたへ』(1998年、講談社学術文庫)、『はなしの名人:東京落語地誌』(1999年、角川選書)、『湯めぐり歌めぐり』(2000年、集英社新書)、『ドイツ・町から町へ』(2002年、中公新書)、『となりのカフカ』(2004年、光文社新書)、『ひとり旅は楽し』(2004年、中公新書)、『森の紳士録:ぼくの出会った生き物たち』(2005年、岩波新書)、『ゲーテさんこんばんは』(2005年、集英社文庫)、『なぜかいい町一泊旅行』(2006年、光文社新書)、『作家の生きかた』(2007年、集英社文庫)、『川を旅する』(2007年、ちくまプリマー新書)、『異国を楽しむ』(2007年、中公新書)、『ひとつとなりの山』(2008年、光文社新書)、『東京ひとり散歩』(2009年、中公新書)、『文学フシギ帖:日本の文学百年を読む』(2010年、岩波新書)、『カフカの生涯』(2010年、白水Uブックス)、『人と森の物語:日本人と都市林』(2011年、集英社新書)、『今夜もひとり居酒屋』(2011年、中公新書)、『海山のあいだ』、『出ふるさと記:作家の原点』(以上、2011年、中公文庫)、『東京いいまち一泊旅行』(2012年、光文社新書)、『きまぐれ歴史散歩』(2013年、中公新書)、『日本風景論』(2015年、角川選書)、『カール・クラウス』(2015年、講談社学術文庫)、『カント先生の散歩』(2016年、潮文庫)、『闘う文豪とナチス・ドイツトーマス・マンの亡命日記』(2017年、中公新書)、『消えた国追われた人々:東プロシアの旅』(2019年、ちくま文庫)、『ヒトラーの時代』(2019年、中公新書)、『幻獣の話』(2020年、講談社学術文庫)、『山の朝霧・里の湯煙』(2020年、ヤマケイ文庫)など(池内紀 - Wikipedia参照)

*13:神戸大の最寄り駅である阪急電鉄六甲駅のことか?。ただしつづく・・・・・・ - 文学と新人賞によれば「たこ焼き屋は神戸大構内」だそうですが。

*14:1920~1987年。フランス文学研究者。神戸大学教授、松蔭女子学院大学(現・神戸松蔭女子学院大学)教授を歴任。1980年、大阪文学協会理事長となり大阪文学学校の運営に携わり、織田作之助賞を創設。1984年、フランス政府よりパルム・アカデミー勲章を授与される。没後の1990年、大阪文学学校は小島輝正賞を創設した。小島賞は神戸ナビール文学賞に継承される形で1992年に終了。神戸ナビール文学賞神戸エルマール文学賞[公式]に継承される形で2006年に終了 (小島輝正 - Wikipedia参照)

*15:1995年の阪神大震災のこと

*16:勿論「松下村塾」のもじりで、この場合の「松下」とは「松下昇」でしょう

*17:コラムニスト。著書『友がみな我よりえらく見える日は』(1999年、幻冬舎アウトロー文庫:タイトルの元ネタは恐らく、石橋啄木『友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ』)、『喜びは悲しみのあとに』(2004年、幻冬舎アウトロー文庫)、『雨の日と月曜日は』(2005年、新潮文庫:タイトルの元ネタは恐らくカーペンターズ雨の日と月曜日は - Wikipedia』)、『雨にぬれても』(2005年、幻冬舎アウトロー文庫:タイトルの元ネタは恐らく 雨にぬれても - Wikipedia(映画『明日に向って撃て!』の挿入歌))、『にじんだ星をかぞえて』(2009年、朝日文庫)、『胸の中にて鳴る音あり』(2011年、文春文庫)、『君たちはどう生きるかの哲学』(2018年、幻冬舎新書:タイトルの『君たちはどう生きるか - Wikipedia』は吉野源三郎ジュブナイル小説岩波文庫))、『晴れた日にかなしみの一つ』(2021年、双葉文庫)など(上原隆 - Wikipedia参照)