高世仁に突っ込む(2022年7/4日分)

フィリピンのネットメディア「ラップラー」に閉鎖命令 - 高世仁のジャーナルな日々
 フィリピンの事件(選挙で選ばれたマルコス新大統領の無法)から分かること、それは「米国トランプ」「安倍自民」「大阪維新」「最近の山際の暴言」などでも分かりますが「選挙で選ばれた=民主主義的とは必ずしも言えない」と言うことです。
 「俺たちの支持者の意見は聞く。反対派(フィリピンの場合、マルコスに批判的なメディア。例えば今回弾圧を受けたラップラー)は叩き潰す」なんてのは「まともな民主主義」とは言えません。そして「支持者」が政治家のそうした振る舞いを容認するようではそれはまともな民主主義ではない。


ウクライナ"空白地帯”の避難民 - 高世仁のジャーナルな日々

 政党助成金を得るために、なりふり構わない手段に出るN党。
 しかし、選挙の本来の意味からは完全にはずれている。
 こんな手法を成功させてはならないと思う。

 俺の願望込みですが、「なりふり構わない」と言う時点で「成功の見込みは低い」のではないか。
 そしてこんな愚行を助長してる政党助成金は廃止すべきだと思います。

 TBS『報道特集』(2日OA)の特集『ウクライナ「空白地帯」の避難民』で、私たちが見逃している戦争の現実を深く掘り下げる取材だった。
 取材は日本のNGO「テラ・ルネッサンス」(小川真吾*1理事長)によるウクライナの国境にあるザカルパッチャ州ルーマニアハンガリースロバキアと国境を接する)の避難民支援に密着した。
 この州はウクライナのなかでも貧しく、支援を必要とする地域で、取材に入ったところでは水道も引かれていなかった。

 戦争が「状況をさらに酷くしている」ものの、以前から「ウクライナには生活面での問題があったこと」が窺えます。
 なお、ザカルパッチャ州 - Wikipediaによれば

◆ザカルパッチャは13世紀にはハンガリー国王ベーラ4世によってハンガリー王国の版図に組み込まれた。16世紀からはハンガリーハプスブルク帝国の統治下となり、18世紀以降はオーストリア帝国の一部として統治された。オーストリア=ハンガリー帝国の成立後は、ザカルパッチャは帝国内のハンガリー王国の一部として統治された。1918年、第一次世界大戦オーストリア=ハンガリー帝国が敗北。戦後の講和条約によってザカルパッチャはチェコスロバキア領になった。
 1939年3月15日には、ザカルパッチャ州議会がチェコからの独立を宣言。しかし、3日後の3月18日にはハンガリー*2の侵攻で国家首脳部はルーマニアへ亡命、ハンガリー支配を再び受けることとなり、国は亡びた。第二次大戦末期の1944年11月にはソ連軍がナチス・ドイツハンガリーを破り、ザカルパッチャは再び独立を宣言。しかし、この国家はウクライナ(当時はソ連の一部)と合併することになり、1945年7月に消滅した。1991年のソ連崩壊に伴いザカルパッチャは新しく成立したウクライナの一部となった。当初はウクライナを離脱しチェコスロバキアへの再併合を求める声もあったが、1993年にチェコスロバキアチェコスロバキアに分裂すると議論されなくなった。
◆2011年のデータに寄れば、ザカルパッチャ州の主要な民族としてはウクライナ人(80.5%)、ハンガリー人(12.1%)、ルーマニア人(2.6%)、ロシア人(2.5%)。
ハンガリーオルバーン・ヴィクトル政権は、ザカルパッチャ州ハンガリー人が多く住む自治体へ財政支援を行っており、ハンガリーの国旗が掲揚されている地域もあるという。
復活始めた「大ハンガリー」 民族主義オルバン政権 隣国の市に財政支援 | 毎日新聞2019.12.23

だそうです。
 当たり前ですが歴史的に「ハンガリーとのつながりが深い」とはいえ、「ロシアによる侵攻」のようなことをハンガリーザカルパッチャ州にはしないわけです。
 「国力的にできない」という面もありますが、それ以前に国際的批判を考えたらできる話でもない。プーチンの異常性には改めてげんなりします。

 取材は私も知っている菊地啓さん(日本電波ニュース社)という若手のディレクター。

 つまりは報道特集の下請けを日本電波ニュース社がやったわけで「電波ニュース社を退社して独立した高世」もジンネットが倒産した今、「独立せずに今も電波ニュース社にいるべきではなかったか?」と内心複雑ではなかったか。

*1:著書『ぼくらのアフリカに戦争がなくならないのはなぜ?』(2012年、合同出版)

*2:チェコ軍でなくて?」と思いますが、ドイツの軍事的圧力に直面していたチェコ(その後、ドイツの侵攻で国が一時滅亡)はそれどころではなく、その間隙を突いて、当時はドイツの同盟国だったハンガリーが侵攻したようです。