今日のロシアニュース(2022年7月4日分)

【産経抄】7月4日 - 産経ニュース

 ビーツによる鮮やかな赤紫色のスープが特徴のボルシチは、ウクライナ人の詩人によって日本に伝えられたらしい。幼いころの病気で視力を失ったワシリー・エロシェンコは大正3年、当時のロシア帝国から日本の盲学校で学ぶために来日する。 
▼やがて文化人のサロンとなっていた東京・新宿の「中村屋」に身を寄せるようになった。
▼昭和2年にレストランを開設した中村屋は、おそらくエロシェンコから作り方を伝授されたであろうボルシチをメニューに入れた。

「ボルシチ戦争はウクライナ勝利」 無形文化遺産に登録:朝日新聞デジタル2022.7.2
ボルシチを無形文化遺産に登録 ユネスコ “緊急に保護が必要” | NHK | ウクライナ情勢2022.7.2
を受けての産経記事です。以下にウィキペディアなどの関連記述を紹介しておきます。

ボルシチ│商品の歴史│新宿中村屋
 ボルシチは1927(昭和2)年喫茶部(レストラン)開設当時、2大メニューとして純印度式カリーと一緒に発売されました。
 中村屋に出入りした多くの外国人、その中の一人にウクライナ生まれのワシリー・エロシェンコがいました。エロシェンコとの出会いが、中村屋にロシア料理であるボルシチをもたらしました。1927(昭和2)年、喫茶部開設時に提供し、純印度式カリーとともに店の看板商品になったのです。

中村屋 - Wikipedia
 ヴァスィリー・エロシェンコがレシピを伝えたボルシチは本店レストランの開店以来の人気メニューである。ただし、このボルシチはテーブルビートの代わりにトマトを使用している。

相馬黒光 - Wikipedia
 1876~1955年。夫の相馬愛蔵(1870~1954年)とともに新宿中村屋を創業。ロシアの亡命詩人ワシーリー・エロシェンコを自宅に住まわせ面倒をみ、ロシア語を学んだりした。

ヴァスィリー・エロシェンコ - Wikipedia
 1890~1952年。中村屋ボルシチのレシピを教え、1927年の喫茶部開店の折には、ボルシチがメニューとして採用されている。

ボルシチはどこの国の料理なのか〜食文化から考えるロシアとウクライナ | 時事オピニオン | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス2022.5.19
◆インタビュアー
 私たちはボルシチ=ロシア料理と思ってきましたが、実はウクライナが発祥の地だそうですね。
◆沼野*1
 ロシア食文化研究家ポフリョプキンの『料理大百科事典』(邦訳なし、2003年)では、ボルシチウクライナ料理に分類されており、多くのロシア人も「ボルシチの本家本元はウクライナ」と認めていると思います。ボルシチポーランドリトアニアベラルーシ、ロシアなどの周辺地域に広がっていき、これらの地域でもボルシチやそれに似た料理が食べられるようになりました。
 ボルシチがいつ頃ロシアに広まったのかということについても正確なところはわからないのですが、16世紀に書かれた『ドモストロイ(家庭訓)』というロシア語の書物に載っていることから、少なくともそれ以前からロシアでも食されていたと思われ、今では、ロシアのいたるところで食べられている「国民的な」スープです。ロシアが大国となり世界に影響力を持つ過程で、ボルシチは「ロシア料理」というイメージを持たれるようになったと思われます。
◆インタビュアー
 そもそもボルシチとは、どのような料理なのでしょうか。
◆沼野
 さまざまなバリエーションがあるボルシチの基本形が何かというと、具だくさんのビーツのスープというところだと思います。一部の地域ではビーツを使わないボルシチも食べられていますが、ボルシチボルシチたらしめているのはビーツのほの甘さと鮮やかな赤紫色だと思います。そして、ボルシチになくてはならないのは食卓で各自が好みの量を入れるディルなどのハーブと、スメタナという乳脂肪分の高いサワークリームです。このふたつが加わることで、風味はもちろん、ビーツの赤紫色、ハーブの緑、スメタナの白と、見た目も非常にきれいで、(中略)食欲をそそられます。
◆インタビュアー
 日本ではビーツが入っていない、トマトスープのようなボルシチもよく見られます。
◆沼野
 日本でボルシチが食べられるようになったきっかけのひとつに、ワシリー・エロシェンコというウクライナ出身の盲目の詩人が、日本の盲学校で学ぼうと1914年に来日し、当時の文化サロン的な場所であった新宿・中村屋に身を寄せていたということがあります。後にボルシチ中村屋の看板メニューのひとつとなりますが、レシピはエロシェンコが教えたのではないかというのが私の仮説です。その頃の日本ではビーツの入手が難しかったのでトマトを使ったのではないでしょうか。(ボーガス注:今でも)日本でビーツを買おうとすると生のものは値段も高く、缶詰では味は落ちてしまいます。日本でももっとビーツを栽培するようになってほしいですね。ちなみに、スメタナも日本では手に入りにくいですが、私のロシア料理の先生である料理研究家の荻野恭子さんによると、ヨーグルトと乳脂肪分の高い生クリームを同量ずつ混ぜ合わせることで、かなり近い味になるということです。
◆インタビュアー
 歴史や文化も重なり合うロシアとウクライナの何が違うのか、日本人にはなかなかピンとこないところもあるように思います。たとえば、料理や食文化で両国の違いはどういったところに見られるのでしょうか。
◆沼野
 平地のウクライナはさまざまな民族が行き交いやすい地理的条件を備えているため、異なる文化の活発な交流や同化が起こり、互いに影響を受けたり与えたりし合ってきました。食文化も、まさにそのひとつと言え、またロシアの食文化もやはり多様な民族のものが渾然一体となっています。ロシアやその周辺国の食文化研究はまだこれからというところがありますから、今後、いろいろなことが明らかになっていくかもしれませんが、現時点では、これはウクライナ料理、これはロシア料理と明確に区切るのは難しいように思います。
 ウクライナの食文化の多くがロシアと共有されたり、ロシアの食文化がウクライナに入ってきたりするということになりました。たとえば、ウクライナでは「サーロ」という豚の脂身の塩漬けをよく食べると言われますが、それが伝わって、ロシア人も「ウォッカにはサーロ」と好んで食べていたりします。その一方で、ロシアのサラダの代表格である「オリヴィエ」というじゃがいものサラダは、ウクライナでも「ロシア風サラダ」として好まれているメニューだと聞いています。
 そうした中でウクライナの食文化の特徴を挙げるとするならば、ヨーロッパの穀倉地帯と呼ばれる肥沃な黒土で採れる小麦の料理にあると思います。北方のロシアが小麦よりもライ麦を作るのに適しており、ライ麦から作る黒パンが伝統的に食べられてきたのに対し、ウクライナでは小麦の生産量が多く、白パンや小麦粉の料理が発達してきました。現代のロシアでは白パンも食べますし、ウクライナでも黒パンが食卓に登場しないわけではないと思いますが、傾向として、ロシアは黒パンに強い思い入れがあり、ウクライナは黒パンよりも白パンということは言えるでしょう。
◆インタビュアー
 2021年3月に、ウクライナボルシチユネスコ世界無形文化遺産に登録申請したという報道がありました。また、2014年にロシアがクリミアに侵攻を始めたときには、ロシアのレストランでボルシチを「赤いビーツのスープ」に改名したところもあったと聞いています。食文化が時にナショナリズムの発露として使われることについて、どのようにお考えでしょうか。
◆沼野
 先ほど、「(ボーガス注:ロシアなど近隣国との文化交流があるので)これがウクライナ料理とはっきり言うのは難しい」「ロシアとの共通点も多い」というようなことを言いましたが、これは現在、ロシアに侵攻されているウクライナの人々にとっては受け入れがたい言説かもしれません。リヴィウ大学の原真咲さんによれば、チャイコフスキー(祖先がウクライナのコサックであった)やストラヴィンスキー(父方はウクライナのコサックで士族の家系であったと言われている)など本人も認めていたウクライナ人のアイデンティティーがいつのまにか「純粋に」ロシアだけのものにされるなど、多くのウクライナ由来のものや人物が「ロシアのもの」にされてきた歴史があり、ウクライナ人にはボルシチまでロシアに盗られたくないという想いがあると言います。「ボルシチはロシア料理」という主張は、ウクライナ人にとっては「よく食べられている国民食だというのは認めるが、だからと言ってロシア料理と断定できるのか」という違和感があるようです。
 一方、ロシアの一部にはウクライナを「小ロシア」と呼んで一段下に見て、「ウクライナはそもそもロシアの一部であり、ウクライナのものはすなわちロシアのもの」という論理がまかり通る土壌があり、(ボーガス注:プーチン氏の過去の言動から推測すると)プーチン大統領も同様の歴史認識を持っています。こうした認識が、ウクライナウクライナでありロシアの一部ではないというウクライナ人の主張とぶつかるのは必然でしょう。
 ウクライナが言語を始めとするロシア化を強制されてきたという歴史的経緯、そしてロシアに侵攻されている状況を踏まえれば、今のウクライナ民族意識が急激に高まっていることは理解できます。私自身は、それぞれが「ボルシチは自分たちのものだ」と主張する必要はないと思っています。とはいえ、ロシアと重なり合う共通点を強調するのか、それぞれの独自性を強調するかは、軽率にはできない、大変デリケートな問題と言えるでしょう。
 一方、ウクライナへの同情からロシア文化全般への反感や憎悪をつのらせること*2に対しては、非常に危惧を持っています。東京・銀座のロシア食材店の看板が壊されるというニュースもありました。実際はこの店のオーナーはウクライナ人なのですが、ロシア人だったら加害していいわけではないというのは言うまでもないことです。ロシアにもウクライナ人が住んでおり、ウクライナにも民族的にはロシア人でもウクライナに生まれ、ウクライナ人としてのアイデンティティーを持っている人もいます。また、双方の国に親戚がいるという人たちも少なくありません。このように複雑に織りなされた両国の関係を考えれば、物事を単純化することはとても危険だと思います。

*1:東京外国語大学教授(ロシア文学)。著書『ロシア文学の食卓』(2022年、ちくま文庫)など。東京大学名誉教授。名古屋外国語大学教授(ロシア文学)の沼野充義は夫(沼野恭子 - Wikipedia参照)

*2:同情を口実に「どんなに叩いても良い存在=ロシア」とした上でさすがに「ロシア大使館」など公的組織への攻撃は躊躇して、弱い者(一般の民間ロシア人)いじめしてるだけでしょう。心底呆れます。