高世仁に突っ込む(2022年7/6日分)(追記あり)

【追記】
 結局、有田氏は落選しました。勿論所属政党の意向もあるでしょうが、彼が今後「政治家(国会議員)としての復帰」を目指すのか、それは諦めて、一市民活動家なり、一ジャーナリストなりになるのかが気になるところです。
【追記終わり】

有田芳生さんを再び国会へ! - 高世仁のジャーナルな日々
 「比例は共産と書く予定」「有田氏には何の思い入れもない(落選して欲しいわけではないが、当選してほしいわけでもない)」ことをまずは書いておきます。
 また、「護憲派」高世が「改憲派2/3を何とか防ぎたい」などといったこと、つまり「有田氏のこと以外について」何も言わないことにも「拉致運動仲間の有田氏の議席だけがそんなに大事か?」とも呆れますが、それはさておき。

 有田さん*1は政治家になる前から拉致問題の解決に尽力してきた。
 拉致問題の存在を海外の人々に知らせて解決に協力してもらおうと「意見広告7人の会」を立ち上げ、2002年と2009年の2回、市民からの寄付を募ってアメリカの『ニューヨークタイムズ』に一面広告を掲載。さらにフランスの『ル・モンド』、韓国三大紙(朝鮮日報東亜日報中央日報)、日本の『読売新聞』にもそれぞれ意見広告を載せた。

 ちなみに意見広告のあった2002年、2009年は朝鮮半島関係では以下の出来事がありました。なお、2009年は9月の衆院選で自民が敗北、政権交代が起こっています(拉致に限れば「政権交代による影響はなかった」とみていいでしょうが)。以下、ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)高世仁のジャーナルな日々の記事をかなり大量に紹介しています。

2002年 - Wikipedia2002年の日本 - Wikipedia参照
朝鮮半島関係(拉致問題含む)】
◆1月29日
 ブッシュ米国大統領が一般教書演説において、いわゆる「悪の枢軸発言」で北朝鮮、イラン、イラクを非難。イラクについてはその後、2003年3月に米国が侵攻し、フセイン政権を転覆(悪の枢軸 - Wikipedia参照)
◆3月12日
 よど号グループ「柴田泰弘(1953~2011年)」の元妻・八尾恵東京地裁で「私がロンドンにいる有本恵子さん(政府認定拉致被害者)を騙して北朝鮮に連れていった」と証言。八尾はその後6月に『謝罪します』(文藝春秋)を出版し、その中でも同様の証言(八尾恵 - Wikipedia有本恵子さん拉致の全貌 3 - 高世仁のジャーナルな日々(2020.2.9)、有本恵子さん拉致の全貌 4-八尾恵の法廷証言 - 高世仁のジャーナルな日々(2020.2.10)参照)。
有本夫妻がその後、なんとも無様で無残な話だと思う(拉致被害者家族の有本明弘氏) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)(2009.7.16)、
有本嘉代子さんに限らず、横田滋氏もけっきょく巣食う会との泥船に乗っちゃったから、お孫さんとの再会も墓参りなどもできなかったのだと思う - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)(2020.2.7)というのは「何とも無残」です。そう言うと家族会や救う会は勿論、「有本明弘氏自身」が激怒するのでしょうが

◆4月3~5日
 林東源・韓国大統領外交安保特別補佐官が大統領特使として訪朝。
米国のキューバへの対応から、日本の北朝鮮への対応を考えてみる - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)が紹介する

 林東源は、小泉からのメッセージも金正日に伝える。「拉致問題に進展があれば、国民を説得して関係改善を進める意思がある」との趣旨だったという。
 林は「日本人拉致は『過去に過激な盲動分子がやったことだ』という程度に認め、遺憾の意を表し、早期の帰還措置を取るのがよい」という「金大中の考え」を伝えて説得したとも回顧録で主張している。

と言う話はこの時の出来事と思われる。
 この林の訪朝について日本外務省は、訪朝直後

川口外務大臣談話『林東源(イム・ドンウォン)韓国大統領特使の訪朝について』2002.4.6
1.
 今般、林東源(イム・ドンウォン)韓国大統領特使の訪朝の結果、双方が南北間の対話と協力を進めていくことで合意したが、わが国政府としてもこうした南北間の前向きな動きを歓迎したい。また、朝鮮半島の平和と安定の観点から、今回の会談を契機として、南北間の対話と協力が促進されることを期待している。
2.
 いずれにせよ、わが国としては、日朝国交正常化交渉の進展に粘り強く取り組み、こうした努力を通じて、拉致問題をはじめとする人道上の問題や安全保障上の諸問題の解決を目指していく考えである。

と言う声明を発表しているが「4/6発表当時はともかく」9/17の小泉訪朝を考えれば「なるほどね!、そういうことね!」ですね。
◆4月11日
 衆院が全会一致で「日本人拉致疑惑の早期解決を求める決議」を採択。12日には参院が同様の決議を全会一致で採択(有本恵子さん拉致の全貌 5 - 高世仁のジャーナルな日々(2020.2.12)参照)
◆5月8日
 脱北者北朝鮮亡命者)が中国瀋陽*2にある日本の総領事館へ駆け込む事件が発生
「是非はともかく」脱北者にあまり好意的な態度でなかったのは9/17の訪朝がぽしゃることを恐れていたのでしょう。
◆5月31日〜6月30日
  2002FIFAワールドカップ(日本・韓国の共同開催)
◆6月29日
 第2延坪海戦。第2延坪海戦 - Wikipediaによれば

 小競り合いとは言え、6人の戦死者*3が出たにもかかわらず、韓国国民の関心は高まらなかった。韓国では当時、日韓ワールドカップが開催されており、事件直後こそ国民の関心は非常に高かったものの、韓国代表がワールドカップベスト4の快挙を成し遂げたため、連日テレビのニュースはワールドカップ関連一色であったこともあり、すぐに関心は低くなった。韓国政府も、当時の金大中大統領が太陽政策を推進していたこともあり、また北朝鮮が「偶発的」と主張しつつも遺憾の意を表明したこともあり、北朝鮮に対する制裁などは行わなかった。

とのこと。まさにもはや韓国(人)にとっては、北朝鮮は「脅威」「打倒の対象」よりもメロドラマのネタ程度のものなのだろう(たぶん日本も同じ 関川某も自分の書いたことを撤回しろとおもう) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)つうことでしょう。
◆8月30日
 小泉首相が9月17日に、北朝鮮を訪問することを発表
◆9月17日
 小泉首相が日本の首相として史上初めて北朝鮮を訪問。日朝首脳会談金正日国防委員長(党総書記)が日本人拉致を公式に認めた。

◆10月4日
 北朝鮮がいわゆる「六ヵ国(南北朝鮮、日米中露)枠組み合意」を自ら一方的に破り、核兵器開発の再開を示唆
◆10月15日
 日本人拉致被害者5人(蓮池夫妻、地村夫妻、曽我ひとみ氏)が帰国。こうした事の影響で「新語・流行語大賞」のトップテンの一つに「拉致」が入賞
◆12月19日
 盧武鉉が韓国大統領に当選

2009年 - Wikipedia2009年の日本 - Wikipedia参照
朝鮮半島関係(拉致問題含む)】
◆3月11日
 韓国・釜山市で日本人拉致被害者の親族が、大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫と面会
◆4月5日
 北朝鮮がミサイル発射実験を実施
◆4月7日
 衆院北朝鮮のミサイル発射実験に対する抗議決議を自民党民主党公明党などの賛成多数で採択。決議は、自民党公明党の共同提案。日本共産党は反対し、社会民主党は棄権。4月8日には参院で同様の決議を採択。共産党の反対理由については赤旗
北朝鮮のロケット発射について/志位委員長が談話(2009.4.6)、制裁強化 衆院で決議/北朝鮮ロケット 共産党は反対国会決議への日本共産党の態度について/こくた国対委員長語る(以上、2009.4.8)、参院も制裁強化決議/北朝鮮ロケット 共産党は反対北朝鮮に核兵器開発を終わらせる――この最も重要な目的達成のための外交努力こそ/水戸で志位委員長が訴え(以上、2009.4.9)、北朝鮮 ロケット発射問題/共産党はこう考えます(2009.4.12)参照。どうも決議に「日本政府に追加制裁を求めるような文言があること」について「現時点でそこまで踏み込むのはまずくないか(強硬論で日朝外交が挫折する事への不安)」という判断があったようです。勿論是非はともかく「ミサイル実験を擁護」という意味合いでの反対ではない。
◆4月14日
 国連安保理北朝鮮のミサイル発射実験を非難する声明を採択(例えば、赤旗安保理議長声明を採択/北の発射「非難」 6カ国協議再開要請参照)
◆5月23日
 盧武鉉・前韓国大統領が自殺
◆5月25日
 北朝鮮が2006年に続き2度目の核実験実施
◆8月4日~5日
 クリントン元米国大統領が訪朝。拘束されている米国人2人の解放を求めて平壌金正日国防委員長(党総書記)と会談し解放を実現。元・米国大統領の訪朝はカーター元大統領(1994年の米朝核合意、2010年の拘束米国人解放交渉)以来、2回目。
 なお、1994年の核合意時の大統領はクリントンで、クリントン、カーターとも民主党所属
→こういうのを見るといまだ、強硬策で拉致被害者が北朝鮮から帰国できたと立証する文書・証言を知らない - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)と俺も思いますね。
◆8月18日
 金大中・元韓国大統領が病死
◆10月4日~6日
 温家宝・中国首相が国交樹立60周年を祝うため平壌を親善訪問。金正日国防委員長(党総書記)と会談、6カ国協議(6者協議)への復帰を促す

 2002年について言えば「八尾の裁判証言(3/12)」「瀋陽総領事館脱北者駆込事件(5/8)」「拉致被害者5人の帰国(10/15)」など朝鮮半島関係ではいろいろありますが、赤字(9/17の小泉訪朝)が、我々日本人にとって「拉致関係、朝鮮半島関係での最大のビッグニュース」ですね。
 小泉訪朝(9/17)及びその後の拉致被害者帰国(10/15)を除けばほとんどが俺の記憶力の悪さもあって「あれ、2002年って日韓W杯だったっけ?」ですね。ほとんどが「忘却の彼方」です。
 それはともかく、この会については以前も高世は

意見広告ふたたび!1 - 高世仁のジャーナルな日々2009.2.25
意見広告ふたたび!2 - 高世仁のジャーナルな日々2009.2.26
意見広告ふたたび!3 - 高世仁のジャーナルな日々2009.2.27
意見広告ふたたび!4 - 高世仁のジャーナルな日々2009.3.2
募金が目標額に到達!継続宣言 - 高世仁のジャーナルな日々2009.3.9
募金1000万円突破で記者会見 - 高世仁のジャーナルな日々2009.3.19
今度は韓国の新聞に意見広告だ - 高世仁のジャーナルな日々2009.4.22
やった!NYタイムズに意見広告 - 高世仁のジャーナルな日々2009.4.29
意見広告ついに「ル・モンド」紙へ - 高世仁のジャーナルな日々2009.9.10
勝谷誠彦さんの訃報によせて - 高世仁のジャーナルな日々2018.11.28(勝谷も会のメンバーだった)

で触れていますが、 「意見広告7人の会意見広告7人の会 - Wikipedia参照、有田氏や高世もメンバー)て、拉致解決という意味で、何の意味があったの?」ですね。
 2009年の運動当時は記事を書いてもそれ以降「ほとんど記事にしてないこと」自体「失敗だった」と高世が事実上、認めてるようなもんでしょう。そもそも拉致問題は「日朝外交交渉」でしか解決しません。意見広告でどうにかなる話じゃない。
 既にこの会、「正式に解散か、(正式な解散はせず)自然消滅or休眠状態*4かはともかく」どうやら「事実上、消滅した」ようです。この会のメンバーの一人は「加藤哲郎*5」「湯川れい子*6」ですが

加藤哲郎 | ちきゅう座(ちきゅう座に加藤が書いた記事)
ビートルズ初来日で単独インタビューに成功、戦後女性初の音楽評論家・湯川れい子の生きざま(週刊女性PRIME) - Yahoo!ニュース音楽評論家・湯川れい子86歳が考える人生で後悔しないための「5つの原則」…幸せはお金や肩書きからは生まれない | 文春オンライン(最近の湯川へのインタビュー記事)

にも「意見広告7人の会」のことなんか何一つ出てきません。
 湯川の記事で出てくる社会問題、政治問題は北朝鮮拉致ではなく

ビートルズ初来日で単独インタビューに成功、戦後女性初の音楽評論家・湯川れい子の生きざま(週刊女性PRIME) - Yahoo!ニュース
 2022年4月16日、生放送のラジオ『田村淳のNewsCLUB』に出演。
 「地産地消でエネルギーのシステムを作れば、原発を稼働させなくても、経済は回せます」と主張し、ロンドンブーツ1号2号の淳さんと丁々発止のやりとりをした。

という「脱原発主張」です(まあ『田村淳のNewsCLUB』を放送する文化放送拉致問題など「ノーサンキュー」でしょうが)。
 「高世や有田氏はともかく」加藤や湯川にとってもはや「この会」のことは「忘れ去りたい黒歴史」ではないか。
 しかもこの7人の中には「デマ右翼の勝谷誠彦*7(2018年死去)」「デマや盗作(例えばKAFKAESQUE(日垣隆検証委員会)参照)がばれて事実上、業界を追放された日垣隆*8」がいるのだから話になりません。
 そして「今現在拉致が解決してない」以上、「他の件はともかく」国会議員としての有田氏が「拉致解決に役立たなかったこと」は明白です。

 有田さんは横田夫妻の個人的な相談にも乗ってきた。

 それ国会議員の職務じゃねえだろ、て話です。

【参考:日垣隆

日垣隆 - Wikipedia
【虚偽発言】
 1973年7月23日、日垣が中学3年生のときに同じ学校に通う中学1年生の弟(当時13歳)が死亡した。信濃毎日新聞は、同中学校の1年生約220人が集団登山に出かけた際、宿泊先の旅館の脇にある深さ4メートルの除雪溝に転落し、頭の骨を折ったと報じた。事故後、旅館側は安全管理のミスを認め、日垣の両親に650万円を支払った。この事故に関して、日垣の両親は中学校の設置主体である長野市を被告として長野地裁に対し、損害賠償請求の訴えを提起した。1977年1月21日、長野地裁は原告である両親の請求を概ね認め、長野市に約680万円の支払いを命じる判決を言い渡した。双方からの控訴がなかったため、裁判は一審で確定した。日垣はこの出来事について自著『「ルポ」高校って何だ』(1992年、岩波書店)などで度々言及し、当初は「学校事故」と書いていた。しかし、その後、少年犯罪を取り上げた著書『そして殺人者は野に放たれる』(2006年、新潮文庫)、『少年リンチ殺人(増補改訂版)』(2010年、新潮文庫)では、「弟が同級生に殺された」との虚偽発言を行うようになる。
【盗作】
 2006年11月に刊行された『すぐに稼げる文章術』(幻冬舎新書)について山内志朗*9新潟大学教授(当時。後に慶応義塾大学教授)の著書『ぎりぎり合格への論文マニュアル』(2001年、平凡社新書)の一節と酷似した内容が掲載されていることが刊行の翌年にインターネット上で指摘され、平凡社幻冬舎に抗議する事態に発展。問題とされた部分は増刷の際に書き改められた。その後、2007年いっぱいで当時抱えていた連載(「新書一点賭け」(文藝春秋)、「MEDIA WATCH 売文生活日記 どっからでもかかって来い!」(WiLL)、「通といえば販!」(週刊現代)、「敢闘言」(エコノミスト)、「日垣隆のどこへ行くのかニッポン!」(日刊ゲンダイ))をすべて終了させた。
 2009年7月より、講談社の雑誌「週刊現代」にて「なんなんだこの空気は メディア考現学」として雑誌への連載を再開したが、2012年7月に再び連載終了。以降、いわゆるマスメディアへはほとんど登場せず、ツイッターフェイスブックなどのSNSによる情報発信、有料メルマガ、電子書籍による自費出版を盛んに行っている。

*1:著書『歌屋 都はるみ』(1997年、文春文庫)、『テレサ・テン十年目の真実』(2007年、文春文庫)、『ヘイトスピーチとたたかう!』(2013年、岩波書店)、『50分でわかる!立憲民主』(2019年、弓立社新書)、『北朝鮮拉致問題:極秘文書から見える真実』(2022年、集英社新書

*2:遼寧省省都

*3:まあ朝鮮戦争なんかと比べたら「雲泥の差」ですが。

*4:まあ休眠と言ったところで再開の見込みはもはやないでしょうが

*5:一橋大学名誉教授。『戦後意識の変貌』(1989年、岩波ブックレット)、『東欧革命と社会主義』(1990年、花伝社)、『社会主義の危機と民主主義の再生』(1990年、教育史料出版会)、『コミンテルンの世界像』(1991年、青木書店)、『ソ連崩壊と社会主義』(1992年、花伝社)、『モスクワで粛清された日本人:30年代共産党と国崎定洞・山本懸蔵の悲劇』(1994年、青木書店)、『国境を越えるユートピア』(2002年、平凡社ライブラリー)、『象徴天皇制の起源』(2005年、平凡社新書)、『ワイマール期ベルリンの日本人』(2008年、岩波書店)、『日本の社会主義:原爆反対・原発推進の論理』(2013年、岩波現代全書)、『ゾルゲ事件』(2014年、平凡社新書)、『731部隊と戦後日本』(2017年、花伝社)、『パンデミック政治学』(2020年、花伝社)など

*6:作詞家、音楽評論家。著書『熱狂の仕掛け人:ビートルズから浜崎あゆみまで、音楽業界を創ったスーパースター列伝』(2003年、小学館)、『湯川れい子のロック50年:見た!聞いた!会った!世界のスーパースター達』(2005年、シンコーミュージック

*7:著書『ベトナムへ行こう』(1997年、文春文庫)、『にっぽん蔵々紀行』(2004年、光文社文庫)、『色街を呑む!』(2006年、祥伝社文庫)、『偽装国家』(2007年、扶桑社新書)、『麺道一直線』(2009年、新潮文庫)、『平壌で朝食を。』(2010年、光文社文庫)、『喋るも食うも命がけ食の極道』(2010年、文春文庫)、『あっぱれ!懲りない朝日新聞(笑)』(2013年、ワック文庫)、『獺祭』(2016年、扶桑社新書)など

*8:著書『「松代大本営」の真実』(1994年、講談社現代新書)、『学問のヒント』(1997年、講談社現代新書)、『情報の「目利き」になる!』(2002年、ちくま新書)、『現代日本の問題集』(2004年、講談社現代新書)、『世間のウソ』(2005年、新潮新書)、『売文生活』(2005年、ちくま新書)、『刺さる言葉:目からウロコの人生論』(2006年、角川oneテーマ21)、『使えるレファ本150選』(2006年、ちくま新書)、『父親のすすめ』(2006年、文春新書)、『折れそうな心の鍛え方』(2009年、幻冬舎新書)、『裁判官に気をつけろ!』(2009年、文春文庫)、『つながる読書術』(2011年、講談社現代新書)など

*9:著書『ライプニッツ』(2003年、NHK出版)、『「つまずき」のなかの哲学』(2007年、NHKブックス)、『普遍論争』(2008年、平凡社ライブラリー)、『目的なき人生を生きる』(2018年、角川新書)、『新版・天使の記号学:小さな中世哲学入門』(2019年、岩波現代文庫)など