安部晋三の死に「ある種の喜び」と「ある種の屈辱」を感じた&拉致被害者家族会を批判する、ほか

 安部晋三暗殺の衝撃ニュース - bogus-simotukareのブログでいろいろ書きましたが、安倍の死を知った際に「反射的に感じた感情」を書き残しておきます。以下について「実名でないから書ける事」は否定しません。
 まず俺が瞬間的に感じた「気持ちの一つ」は「もう二度とモリカケ桜のような安倍主導の無法を見ることがないのか!」というある種の「喜び」「安心感」「解放感」ですね。
 これは俺にとって、何も安倍だけでなく「大粛清のスターリン」「ウクライナ侵攻のプーチン」など「見るに堪えない無法な政治家の死*1」全般に感じる感情かと思います。
 「暗殺にそんな感情を感じるとはボーガスはクズだ」と言う非難は甘んじて受けます。
 ただし、俺もさすがに「ヒャッホー」という類いの「明るい喜び」ではありません。
 いずれにせよそのような感情を感じた俺は「安倍長期政権」を許した「日本人の民度」に「激しく絶望し」、「安倍の三度目の復権(首相就任)」や、そこまで酷くなくても「キングメーカー田中角栄」のような形での「安倍の黒幕化」を「心の奥底」で危惧し、恐怖していたことに「安倍の暗殺で初めて」気づかされました。
 暗殺を勿論肯定はしませんが、暗殺犯も何らかの理由で「安倍に対する恐怖感」を感じ、犯行に及んだのかもしれない。
 それはともかく、つまり「完全に言い訳になりますが」、【1】護衛がつく元首相が暗殺されることなどあり得ない、【2】犯行動機が何であれ、安倍が暗殺されるならもっと早い時期に暗殺されてもおかしくない(最近、安倍への暗殺意欲が高まるような出来事があったとも思えない)、という認識(つまり安倍の暗殺など予想してなかった)もあったと思いますが、俺は今回の件が起こるまで、さすがに安倍の暗殺を「積極的には希望していません」。
 そして、これまた「完全に言い訳になりますが」、俺は一方で「安倍を刑事訴追などの形で合法的に断罪できず、今回の暗殺でそれが未来永劫不可能になったこと*2」について自らや日本社会について強い「敗北感」「屈辱感」「挫折感」も感じました。
 「1945年の敗戦で獄中の日本共産党員(徳田球一宮本顕治など)が感じた感情(大日本帝国の政治的敗北を自らの手でもたらすことができなかった屈辱感、挫折感と『それでも日本は良い方向に変わるのではないか』という解放感)」に近い気がします。


安倍晋三元総理大臣殉職に対する家族会・救う会声明
 やれやれですね。拉致問題と何の関係があるのか。そもそも小泉元首相や田中均氏ならまだしも安倍に何を感謝するのか。
 そもそも「テロ事件」で声明を出すなら「刀剣友の会事件(建国義勇軍事件)」で「たとえ意見の違いがあるとは言えども、我々は田中均氏や野中広務*3へのテロを許しません」「犯行実行者は救う会会員だったが、我々はこんなことを許さない」などと声明を出すべきではなかったのか?。「刀剣友の会事件(建国義勇軍事件)」でそうした非難声明を出さなかったこと(それどころか、俺の記憶では増元照明など一部の人間からは『自業自得』であるかのような田中氏らへの悪口雑言すら出た)で、今回の声名が「テロ批判ではなくてただの安倍万歳」でしかないことは見え透いています。
 それにしても「殉職」ねえ。「暗殺」と書くべきではないか。「殉職>暗殺(殉職と書く方が美しい表現)」と言う認識でしょうか?
 「大平首相や小渕*4首相のような過労による病死」も殉職であり「暗殺」と書く方が「暗殺犯への怒りの表明」になる気がしますが。

 拉致というテロと戦ってきた*5安倍総理がテロに遭うという事態がなぜ起きるのか。

 【1】現時点では犯行理由が分からないこと、【2】どんなクズでも殺されるいわれはないことを断った上での話ですが「モリカケ桜のような無法」をやる安倍に「殺意を感じる人間」がいても何らおかしくない。例えば「元近畿財務局職員・赤木氏の妻*6」などは「安倍のせいで夫が自殺した」と恨んでいても何らおかしくない。
 安倍を美化するのも大概にしたらどうなのか。
 ついでにいえば「テロと戦ってきた」どころか、「テロを助長してきた」のが安倍ではないのか。
 「安倍によるテロの助長(右翼のテロ行為を批判せず容認)」の例はいくらでもあるでしょうが、例えば「刀剣友の会事件」において安倍は「意見は違うが田中氏へのテロは許されない」と一度でも言ったことがあるのか。恐らくないでしょう。
 あるいは今月号(8月号)の前衛には

新刊紹介:「前衛」2022年8月号 - bogus-simotukareのブログ
特集『「自由」が危ない:政治による介入を問う』
◆「表現の不自由展」開催が問いかけているもの(岡本有佳*7

と言う記事が載っています(以前、id:kojitakenは『前衛なんか党員以外ほとんどの人間は読まない』と抜かしていましたが、こういう「共産党とあまり関係ない記事」もそうやって馬鹿にするのが奴なんですかね?)。
 「あいちトリエンナーレ(あいトレ)」での「不自由展」が「少女像」などを理由に「ウヨと思われる人間」から脅迫を受けたときに安倍は「脅迫は許されない」と批判したのか?(脅迫については表現の自由への脅迫/テロ予告や職員個人に攻撃も/愛知 国際芸術祭 企画展中止(2019.8.4)参照)
 今更言うまでもないでしょう。批判一つしなかった。
 それどころか、補助金不交付撤回を/文化庁前「不自由展」抗議(2019.10.3)としていったん決めた「文化庁補助金支給」を撤回した。
 「テロの脅迫」を批判しないだけでも問題ですが、こんなこと(補助金不支給)をやれば脅迫者の側に「安倍政権も我々を支持してる」という応援メッセージを送ったのも同然です。
 せめて「補助金は支給しないがそれは我々が脅迫を容認してるという意味ではない」程度のことぐらい言って当然でしょうが、安倍らは勿論そんなことはしませんでした。
 とはいえ、「西岡力島田洋一らウヨに牛耳られる救う会(少女像を敵視)」と「救う会の言いなりの家族会」にそんなことを言っても「馬耳東風」でしょうが。
 彼らにとって「安倍へのテロは汚いテロ」「田中や不自由展へのテロ(と言うか「銃弾を送りつける」など、テロのターゲットにするぞと言う脅し)はきれいなテロ」なのでしょう。下手したら「田中や不自由展へのテロ」について「死人は出てない」と言い出すかもしれない。
 「岡本論文も指摘しています」が「名古屋での不自由展」相手に

「表現の不自由展」中止に/愛知・国際芸術祭 脅迫・圧力発言受け2019.8.4
ガソリン缶をもってお邪魔します」などのテロ予告や脅迫を含むメール、電話などが2日間で1400件に上ったといいます。
→なお、京都アニメーション放火殺人事件 - Wikipedia(2019年7月18日発生)がこの直前に起こっている

なんて脅すのはしゃれにならないんですが(ガソリン放火の危険性については例えばガソリンを使った放火はきわめて危険だ - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)参照)。

*1:まあプーチンは死んでませんし、スターリンの死去は暗殺ではありませんが

*2:勿論「政治的断罪」は死者についても可能だし「すべき」ですが。

*3:村山内閣自治相・国家公安委員長小渕内閣官房長官自民党幹事長(森総裁時代)など歴任

*4:竹下内閣官房長官自民党副総裁(河野総裁時代)、橋本内閣外相を経て首相

*5:「小泉訪朝の立役者である田中均氏」などならまだしも、「蚊帳の外」安倍のどこが「戦ってきた」のか?

*6:とはいえ彼女もさすがに「少なくとも建前の世界」では今回の暗殺を喜びはしないでしょうが。

*7:「表現の不自由展・東京」共同代表。著書『あいちトリエンナーレ「展示中止」事件』(編著、2019年、岩波書店)など