松竹伸幸に突っ込む(2022年8月24日記載)

「橋渡し」は核抑止を抜け出てから | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba
 今回も「細部はともかく」、結論の大筋は「松竹に異議なし」です。
 明らかに「核保有国・米国の走狗」と化してる日本政府が「核保有国(米英仏露中の核五大国、インド、パキスタンなど)と非保有国の橋渡し」と言ったところでそんなものを信用する国はないでしょう。中立でなければ橋渡しできるわけがない。それ以前に岸田政権の場合「口から出任せ」で橋渡しをやる気など最初からないでしょうし、だからこそ「米国から距離を置いて中立になろうとしない」わけでしょうが。


産経新聞の「鎌倉殿の13人」 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba
 普段は「反党分子」松竹に悪口する「党外の一支持者」の小生ですが、今回は皮肉なことに「松竹に異議なし」です。
 松竹が批判する谷口雄太*1青山大学准教授について言えば「松竹の指摘が事実」ならば「日本中世史研究(特にマルクス主義的な研究)」の理解がダメすぎじゃないか。
 例えば石母田正*2マルクス主義史家でしょうが、ここまで矮小化して描かれるような代物ではないでしょう。
 この谷口論文は若手研究者*3の「過去の日本中世史研究理解(特にマルクス主義的な研究理解)」が「昔は問題だらけだったが今は立派になった」「昔の研究業績からもはや学ぶことは(研究成果も問題意識も)何もない」という「単なる発展的歴史観」という「問題大ありな代物」ということを露呈している気がします(そうではなく谷口氏が例外なら良いことですが)
 そしてそうした「単なる発展的歴史観」こそが松竹が言うように

 アプローチとしては谷口さんが批判している、あるいは谷口さんが理解しているマルクス主義*4と同じやり方である。

でしょう。
 なお、「鎌倉殿の13人」の内訳ですが以下の通りです。

十三人の合議制 - Wikipedia
御家人
北条時政
 初代将軍・源頼朝の義父。鎌倉幕府初代執権。三代将軍・源実朝暗殺と平賀朝雅*5擁立を企てたとされる、いわゆる牧氏事件(1205年)で失脚
北条義時
 鎌倉幕府二代執権。時政の次男。北条政子源頼朝の妻)の弟。三代執権泰時の父。大河ドラマでの主役
比企能員
 二代将軍・源頼家の義父。比企能員の変(1203年)で北条氏によって謀殺。その後、一族も滅ぼされる。現在の埼玉県比企郡(滑川(なめがわ)町、嵐山(らんざん)町、小川町、川島(かわじま)町、吉見町、鳩山町ときがわ町)を本拠としたとされる。
和田義盛
 梶原景時(侍所別当)失脚後の侍所別当。三浦義澄の甥。和田合戦(1213年)で北条氏に一族が滅ぼされる
梶原景時
 侍所別当梶原景時の変(1200年)で北条氏に一族が滅ぼされる
足立遠元
 『吾妻鏡』承元元年(1207年)3月3日条の闘鶏会参加の記事を最後に史料から姿を消している。当時70代の高齢に達しており、程なく没したと見られる。現在の東京都足立区、埼玉県北足立郡伊奈町)を本拠としたとされる。
◆三浦義澄
  正治2年(1200年)に病死。現在の神奈川県三浦市三浦郡葉山町)を本拠としたとされる。
八田知家
安達盛長
 正治2年(1200年)に病死
【京都から鎌倉に来た文官(公家)】
大江広元
 政所別当
中原親能
 大江広元の兄。
二階堂行政
 政所執事
三善康信
 問注所執事

*1:著書『中世足利氏の血統と権威』(2019年、吉川弘文館)、『分裂と統合で読む日本中世史』(2021年、山川出版社)、『〈武家の王〉足利氏』(2021年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『足利将軍と御三家:吉良・石橋・渋川氏』(2022年10月刊行予定、吉川弘文館)など

*2:1912~1986年。法政大学名誉教授。著書『戦後歴史学の思想』(1977年、法政大学出版会)、『中世的世界の形成』(1985年、岩波文庫)、『神話と文学』(2000年、岩波現代文庫)、『歴史と民族の発見:歴史学の課題と方法』(2003年、平凡社ライブラリー)、『物語による日本の歴史』(共著、2005年、講談社学術文庫→2012年、ちくま学芸文庫)、『日本の古代国家』(2017年、岩波文庫)など

*3:なお谷口氏は1984年生まれ(今年で38歳)

*4:勿論それはあくまでも「谷口氏のマルクス主義理解」にすぎず、多くのマルクス主義者(歴史研究者に限らない)は「そんな立場ではない」と反論するでしょうが。

*5:牧氏事件の際に自決