◆黒坂ツイート
黒坂真
反社会的カルト集団、とはどのように定義するのか、これが困難なのです。
桜疑惑(マルチ商法のジャパンライフ会長の出席など)の時の詭弁「反社の定義は困難」を「統一教会疑惑」でまた持ち出す黒坂には心底呆れます。
一方で共産党に対しては「敵の出方論」を根拠に「悪口雑言(事実上、共産党を反社扱い)」からデタラメ極まりない。
黒坂真
志位さん、今晩は。不破さんが平成12年8月24日の赤旗紙上で、朝鮮労働党をきちんとした話し合いのできる相手と評価しました。
「だから茂木は間違ってない」と強弁する黒坂です。平成12年(2002年)と言えば小泉訪朝2年前であり、これは「拉致問題、核ミサイル問題」などで「(カーター訪朝等を考えると)北朝鮮との間にそれなりの外交は成り立つのではないか」と言うだけの話です。小泉訪朝を考えれば不破発言は全く正しいのではないか。
「共産党が朝鮮労働党と近い将来復縁する」と言う話ではないし、実際、復縁してない。
黒坂真
小池晃書記局長が、NHK「日曜討論」での茂木幹事長の発言「(ボーガス注:統一教会と自民の関係だけでなく)日本共産党と過激な左翼団体の関係も問われるべきだ」に怒っています。在日本朝鮮人総連合会と朝鮮労働党*1は、チュチェ思想を信奉する過激な左翼団体ですよ*2。
【1】あさま山荘事件(1972年、連合赤軍)、三菱重工ビル爆破(1974年、東アジア反日武装戦線)等を起こした「極左過激派」と日本共産党はむしろ「お互いに対立関係*3」にあり、茂木発言は事実に反するデマの上、
【2】「統一教会問題に対する居直り」なのだから、小池氏が激怒するのも当然ですが、予想通り茂木擁護の黒坂には心底呆れます。
しかし【1】「第二次安倍内閣経産相」「自民党政調会長(第二次安倍総裁時代)」「第四次安倍、菅、岸田内閣外相」など政府、与党の要職を歴任した与党幹事長が、【2】共産党幹部(小池書記局長)の前で共産を誹謗した上、【3】その場所が全国放送されているNHK「日曜討論」と言うのには絶句ですね。今の自民党はどこまでレベルが低いのか(とはいえ黒坂に比べたらまだ茂木の方がましですが)。
【参考】
小池晃がリツイート
自民・茂木幹事長の発言に共産・小池氏が抗議「撤回してください」 ネットでは「事実無根」トレンド入り― スポニチ Sponichi Annex 芸能
自民党と教団の関わりを追及する小池氏に対し、茂木氏は「(被害者救済は)旧統一教会の問題だけではなく、社会的に問題のある団体すべてについて考えていかなくてはならない。小池さんいろいろおっしゃるんですけど、例えば左翼的な過激団体と共産党との関係、ずっと言われてきました。そこについて全く調べないというのも問題だと思いますよ」と発言。小池氏は「全く関係ありません。公共の電波を使って自民党の幹事長が全く事実無根の話をしないでください。撤回してください。過激な団体と共産党がいつ関係を持ちました?」と強い口調で反論したが、茂木氏は発言撤回に応じず、司会者は他の発言者に話題を振った。
小池氏は番組終了後、自身のツイッターで「言うに事欠いて、こういう超デタラメなことしか言えないぐらい、自民党が追い詰められているということだと思います。攻めに攻めていきましょう」とコメント。ツイッターでは「事実無根」「誹謗中傷」「茂木幹事長」がトレンド入りし、議論を呼んでいる。
*1:「はあ?」ですね。日本共産党は朝鮮労働党とは「ラングーン事件(1983年)」等を契機に現在は関係断絶状態です(ここで「断絶以前は一定の交流があった」と言い出すのは詭弁です)。朝鮮総連も「過激な極左団体」ではないし、「総連の式典に共産党幹部が出席する」等一定の交流があるとは言え、日本共産党が総連と親密交際しているわけでもない。そもそも【1】日本と北朝鮮は国交がないが、【2】拉致問題解決等を考えたら何か交渉パイプが必要であり、【3】むしろ「交渉パイプとなり得る」朝鮮総連と一定の交流をすることは「当然のこと」でしょう(勿論、日朝間に国交が樹立されれば、朝鮮総連の位置づけは変わってきますが)。一方、統一教会にはその種の「付き合う正当な理由」はどこにもない。
*2:茂木の発言は明らかに「日本赤軍」「革マル、中核派」といった新左翼系団体を想定していますが、黒坂ですら「共産党は革マル、中核派などと関係がある」とはさすがに言えないようです。まあ黒坂の「朝鮮総連」云々だって言いがかりですが。まあ、茂木は黒坂の存在などそもそも知らないでしょうが、知っていても「黒坂の珍説」を得意げに紹介するほどのバカではさすがにないでしょう。
*3:例えば「極左過激派の共産党敵視」の例としては、小生が評価する五十嵐仁氏(1951年生まれ、法政大名誉教授、全国革新懇代表世話人)は都立大学生時代に民青系の学生組織に加入していたことから極左過激派に襲撃され右目を失明しています(7月22日(水) 残された左目を殴られたのは1972年2月28日のことだった:五十嵐仁の転成仁語:SSブログ(2015.7.22)参照)。