珍右翼・高世仁に悪口する(2022年9/15日分)

戦争で結婚が増えているウクライナ - 高世仁のジャーナルな日々

 国葬反対はどんどん増えている。内閣支持率は急落。それでも政党支持率に変化がないのが不思議だ。

 自民批判派としてげんなりしますが地道に批判するしかないのでしょう。国葬反対が増え、支持率が下がるだけましではある。

 心理学者のコジンチュク氏によると、性暴力は兵士個人の性的衝動とは関係ないという。
「市民を服従させる」のが目的で、だから「戦況が思うように進まなくなると誰かを服従させたくなる」という。

 「支配欲」云々は「戦争犯罪」に限らず、性暴力についてはよく指摘される話ですね。
 だからこそ
【1】日本軍の慰安所は必ずしも強姦を減らさなかった
【2】性風俗の存在は性犯罪の減少に必ずしも貢献(?)しない
【3】「美男子」「金持ち」など女性にもてる条件を有し、実際にもてる人間でも性犯罪を行う
わけです。
 そういえば「服従手段としての性暴力」といえば旧ユーゴ紛争では

◆ベヴェリー・アレン『ユーゴスラヴィア民族浄化のためのレイプ』(2001年、柘植書房新社

なんて話もありました。

 ウクライナで結婚する人が増えているという。
 ウクライナのある心理学者がこう分析していた。
「遺伝子を残したいという本能的な欲求ですが、もちろん他の要因もあります。多くの人がコントロールの欠如を感じています。自分の人生をコントロールしたいのに、今は戦争にコントロールされている。だから自分の人生をコントロールするために、あらゆることをしようとするのです」。

 これについては以下の記事を紹介しておきます。ウクライナでも同様の「政府や社会」による「生めよ増やせよ」がもしかしたらあるのではないか。
 もしそうならば「ウクライナの結婚増加」は「自分のコントロール」とはとても言えないでしょう。

https://twitter.com/hayakawa2600/status/807429239393775616
早川タダノリ*1
 婚活じゃぶじゃぶ事業にさまざまな人からツッコミが入っているので、その流れで元祖婚活事業「結婚報国」運動、その概略がわかる論文をご紹介。
◆河合務*2「戦時下日本の「結婚報国」思想と出産奨励運動」、鳥取大学地域学部『地域学論集』2009年

公営の婚活サービス、戦前もあったの?|公文書に見る戦時と戦後 -統治機構の変転-

 国や市町村による婚活サービスの提供は1940年代に盛んとなり、1940(昭和15)年に厚生省による国立の優生結婚相談所が三越デパートに開設され、1941(昭和16)年に東京市結婚相談所が設置されました。
 こうした公的な婚活サービスの背景にあったのは、いわゆる「産めよ殖やせよ」政策です。
 戦時体制下に入り、「産児報国」「結婚報国」をスローガンに、総力戦に必要な人的資源を確保するための人口政策が始まったのです。
 適齢期の男女をとにかく結婚させて子供を増やすことが人口政策の基本であるため、結婚の斡旋や紹介は単なる個人の商売や趣味ではなく、官民挙げての国策協力事業となったのです。
 近代日本の生殖をめぐる政治を研究した荻野美穂氏*3はこうした事態を、「いわば「仲人国家」の誕生である」と述べています。
 妊娠した女性の流産や死産を防ぐため、1942(昭和17)年に妊産婦手帳制が導入されました。
 これが、今もある母子手帳の始まりです。
 厚生省は1940(昭和15)年5月に優良多子家庭表彰要綱を策定し、子ども10人を戦死や天災以外の原因で1人も死なせることなく育てた家庭を「優良多子家庭」として表彰することとしました。
 敗戦後は一転して人口過剰が問題となります。
 1947年から1949年(昭和22年から24年)の第1次ベビーブームを経て、1950年代には人口抑制政策として「家族計画」が奨励され、夫婦あたり子どもは2人、夫が働いて妻は専業主婦という戦後家族の理想像が普及しました。
 高度成長を経てさらに出生率が低下すると、今度は「少子高齢化社会の危機」がさかんに言われるようになって現在に至ります。

戦争中に結婚数が増えるメカニズム~個人から切り離された「正しい結婚」という闇(荒川和久) - 個人 - Yahoo!ニュース2022.8.12
 未だ戦争状態の続くウクライナで婚姻数が激増しているらしい。首都キーウでは、5か月間に9120件の婚姻届が提出され、1110件だった2021年の結婚式の数と比して8倍以上も増加したと報じられている。
 しかし、戦時下で結婚数が増えるのは過去の世界の歴史を見ても明らかで、日本でも日中戦争が開始された1937年と太平洋戦争が開始された1941年に大きく婚姻数が増加している。
 いつ何があるかわからない過酷な状況の中で、寄り添う相手や家族を求めたいという気持ちの表れかもしれない。
 しかし、残念ながら日本のこの日中戦争以降の大幅な婚姻増は決してそんな個人のロマンチック・ラブだけに起因するものではなかった。
 日中戦争開始の翌年、1938年1月に厚生省が設立された。
 厚生省読本の冒頭には、その設立の狙いとして「健全な肉体の完成が日本魂を培養する真の要素である」と書いてある。徴兵する健康な男子をたくさんほしいという意味である。
 1938年4月には国家総動員法が公布され、国家の戦争総力戦体制が整えられていく中、戦争継続に必要な兵隊としての子を産む「結婚」が、個人のものから国家の事業として取り込まれていくことになるのである。
 同時に、いわゆる仲人業など結婚媒介業は国の社会事業のひとつとして考えられるようになり、結婚相談所の公営化がはかられていく。それだけでは足らず、会社・工場・町村会・隣組まで巻き込んだ一大結婚斡旋網が作られ、結婚はもはや個人の問題ではなく、誰もが果たすべき国民の義務と化していった。
 その空気を大きく後押ししたのはメディアである。
 1942年8月の朝日新聞には「生めよ、殖やせよ」という大見出しで結婚を煽った。「結婚するのが正しい道」だと説いた。そのため、多くの結婚を媒介した仲人は英雄的に扱われ、彼らを賞賛する記事も多数掲載されている。
 まさに「結婚によって国に報いる」結婚報国思想が唱えられ始めるのである。

*1:著書『神国日本のトンデモ決戦生活』(2014年、ちくま文庫)、『「日本スゴイ」のディストピア:戦時下自画自賛の系譜』(2019年、朝日文庫)など

*2:鳥取大学教授。著書『フランスの出産奨励運動と教育』(2015年、日本評論社

*3:大阪大学同志社大学名誉教授。著書『生殖の政治学フェミニズムとバース・コントロール』(1994年、山川出版社)、『中絶論争とアメリカ社会』(2001年、岩波書店)、『ジェンダー化される身体』(2002年、勁草書房)、『「家族計画」への道:近代日本の生殖をめぐる政治』(2008年、岩波書店)、『女のからだ:フェミニズム以後』(2014年、岩波新書