今日の朝鮮・韓国ニュース(2022年11月21日分)

めぐみさん拉致 「北朝鮮の仕業」と認識 元署長謝罪と面会者証言 /新潟 | 毎日新聞

 特定失踪者、大沢孝司さん(同27歳)の兄昭一さん*1(86)が登壇し、45年前にめぐみさんの捜索を担った新潟中央署の元署長が横田滋さん、早紀江さん夫妻に「当時から北朝鮮の仕業と疑いながら表に出せなかった」と直接謝罪していたことを明らかにした。

 公安警察幹部ならともかく、何で一介の警察署長がそんな認識をするのか。何故彼の生前ではなく死後にそんな話が出てくるのか。何故、横田早紀江本人ではなく別の人間がこんなことを言うのか。およそ信じられません。「死人(元署長)に口なし」でデマを飛ばしてないか?
 但し、仮にそれが事実だとしても、拉致被害者帰国には全く関係ない。記事にする価値は全くない。毎日新聞はバカかと心底呆れます。
 それにしても荒木が横田めぐみさん拉致事件にまた新たな情報(R4.11.21) - YouTubeでこの新潟日報記事に触れた上で「1977年当時の福田赳夫首相も北朝鮮拉致だと知っていたのに隠蔽した」と放言しているのには呆れました。どこまで福田赳夫氏や親族(康夫元首相)等に対して無礼なのか。というか、それが事実だと強弁するなら荒木は「安倍晋太郎福田内閣官房長官)も知っていた」と言うのか?
 そして安倍はその後も「自民党政調会長(大平総裁時代)、中曽根内閣外相、自民党幹事長(竹下総裁時代)」という要職を務めながら拉致隠蔽に加担したとでも言うのか?


横田めぐみさん拉致事件、前日にも不審な車の目撃証言 | 新潟日報デジタルプラス

 1977年11月15日に横田めぐみさん=失踪当時(13)=が新潟市立寄居中から下校中に北朝鮮に拉致された前日の14日、めぐみさんが失踪したとみられる現場周辺で、同じ寄居中の女子生徒が不審な車に尾行され、自宅へ逃げ帰っていたことが20日、女子生徒の家族の話で分かった。

 その不審な車がめぐみ氏拉致に関係あるのか、ないのか45年前(1972年)のことなんか今更分かりようがない。
 めぐみ氏拉致とは関係ない「不審車」かもしれない。
 ちなみに1972年の日本 - Wikipedia未解決事件 - Wikipediaによれば「1972年の未解決事件」としては第一ホテル殺人事件 - Wikipediaがあります(後でウィキペディアの記述を紹介しておきます)。
 この不審車話は「第一ホテル殺人事件の犯人を捕まえよう」と今言うぐらい馬鹿馬鹿しい。
 「話を元に戻しますが」、 仮に拉致と関係あるとしてもそんなことは拉致被害者帰国に役立つ話ではない。全く馬鹿馬鹿しい。記事にする価値(以下略)。新潟日報はバカ(以下略)。
 そして今大事なことはそんなことよりも「彼女が今生きてるのか、死んでるのか」「生きてるならどう帰国させるか、死んでるならどう遺骨回収するか」でしょう(個人的には「嘘をついてまで隠す理由があるとは思えない」ので死亡の可能性が強いと思いますが)。
 なお、この与太話については荒木和博も

荒木和博 on Twitter: "令和4年11月21日月曜日「荒木和博のショートメッセージ」第951号。今日の新潟日報がめぐみさん拉致事件の現場周辺で前日女子中学生が不審な車に尾行される事件が起きたことを報じました。11月24日の集いでは情報を整理して横田めぐみさん拉致の検証を行います。 https://t.co/ekrG4UdpOj @YouTube" / Twitter
横田めぐみさん拉致事件にまた新たな情報(R4.11.21) - YouTube

として取り上げています(6分18秒の動画です)。

参考

第一ホテル殺人事件 - Wikipedia参照
 1972年(昭和47年)6月26日、東京都港区新橋の第一ホテルで女性歯科医が全裸で死んでいるのが発見された。鑑定の結果、殺害後、姦淫されていることが判明。
 捜査開始当初から顔見知りによる犯行だと見て捜査していたが「容疑者」としていた顔見知りが全て「アリバイ成立」「遺体に残っていた犯人の体液の血液型とあわない」などによって容疑者から外れると、初動捜査において「顔見知り」以外の可能性を探る捜査をしていなかったため、大勢の人間が行きかうホテルという空間の中から変質者を割り出すことは困難となり、事件は迷宮入りした。


【産経抄】11月21日 - 産経ニュース

 旧ソ連の独裁者スターリンには2男1女があった。ことさら一人娘のスベトラーナをかわいがった。
 6歳の時に母親に先立たれたスベトラーナは4度の結婚を含めた波乱の生涯を送る。なかでもスターリンの死後、米国への亡命を果たしソ連政府を公然と批判すると、大きな反響を引き起こした。まもなく発売された回顧録では、スターリン時代をこう総括する。後世の人たちにとって「イワン雷帝の治世にも似て、はるかに遠く、不可解な、戦慄を誘うほどに恐ろしいものになるのだろう」。

 【1】この書き出しと【2】「今日の朝鮮・韓国ニュース」という記事を俺が書いていることで勘の鋭い方は落ちが予想できたでしょう。

金正恩氏の娘、ICBM試射に同行か 手つなぐ写真も公開:朝日新聞デジタル
金正恩氏の「娘」登場、意図は ICBMで「自信の反映」/世襲意識か:朝日新聞デジタル
新たな革命伝説づくり? 金正恩氏の娘、ICBM発射現場で披露 | 毎日新聞
金正恩氏の「愛する子供」ミサイル発射実験に同行…識者「頻繁に同行なら後継者暗示」 : 読売新聞オンライン
初めて姿を現した金正恩氏の「後継者」? 【礒﨑敦仁のコリア・ウオッチング】:時事ドットコム
金正恩氏娘の「ジュエ」さん? | 国際 | 全国海外 | 神戸新聞NEXT

等といった娘報道をネタに「いずれスベトラーナのように(金正恩の娘が)造反するかも」云々と言う趣旨の悪口雑言です。
 引用する価値もないと思うので紹介はしません。

参考

スヴェトラーナ・アリルーエワ - Wikipedia
 スヴェトラーナが16歳のときに、ユダヤ人の映画監督アレクセイ・カプレルと恋に落ちる。カプレルは当時40歳を超えていた。父スターリンは娘の交際に激しく反対した。後にカプレルは、「イギリスのスパイ」として有罪を宣告され、北極圏近くの工業都市ヴォルクタに10年間追放された。スヴェトラーナが抗議するとスターリンは激怒し、彼女に暴力を振るった。
 スターリンがカプレルにとった措置について、カプレルが娘を介して権力へ取り入ることを警戒したとも、あるいはスターリン自身の反ユダヤ主義のため(スヴェトラーナ自身の解釈)ともいわれる。
 1967年3月6日、スヴェトラーナは、米国大使館へ向かい、「政治的亡命」として正式に請願書を提出する。1967年4月、ニューヨークに到着したスヴェトラーナは雑誌に寄稿し、回顧録(邦訳『スベトラーナ回想録:父スターリンの国を逃れて』(1967年、新潮社))を発表してスターリンソ連政府を公然と非難した。
 1982年、スヴェトラーナは娘とともに英国のケンブリッジに移住する。1984年にソ連に帰国して市民権を再び獲得し、グルジアの首都トビリシに移り住むも1986年に再度出国、1990年代には英国に戻る。1992年に英国市民権を獲得した。2011年11月22日、結腸がんのため、米国ウィスコンシン州リッチランド・センターで死去、享年85歳。

*1:1936年生まれでしょうか?。1936年生まれの著名人としては「元巨人の長嶋茂雄」「福田康夫元首相」「山崎拓自民党幹事長」「イタリアのベルルスコーニ元首相」などがいます(1936年 - Wikipedia参照)。