今日も松竹伸幸に悪口する(2022年11/28日分)(副題:三木武夫の座右の銘は「信なくば立たず」)

岸田さんに欠けているのは政治の志 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba
 今日も松竹伸幸に悪口する(2022年10/2日分) - bogus-simotukareのブログで批判しましたが約2ヶ月前には岸田さんは困っていない | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Amebaと言うアホ記事で「岸田は政権危機にない」「むしろ安倍暗殺で、安倍派の重しがなくなって良かった」と抜かしていた松竹のバカが「過去に『岸田政権は危機に陥ってない』などとアホなこと書いて済みませんでした、私には政治センスがまるでありませんでした」等の詫びもなく、岸田に「政権危機になったのは岸田に志がないから」と悪口です。「2ヶ月で事実上前言撤回」とは松竹にはどれほど先を読む目もないのか。そしてそのことを素直に詫びないとは、どれほど過去の過ちを素直に詫びる誠実さや謙虚さがないのか。そんな「政治センスも誠実性も謙虚さもない」、政治家になる資格皆無のバカ「松竹」が「共産党の党首になりたい」とは「なめてんのか!」「手前なんぞ地方議会の議員も務まるタマじゃねえだろ!」と怒りや憎悪を禁じ得ません。
 松竹には「松竹さんに欠けてるのは政治センス(あるいは『誠実性』『謙虚さ』『日本共産党に対する愛』)」と言いたいですが、それはともかく。
 今回の松竹文章を読んでいて呆れるのは「新しい資本主義」についての言及がまるでないことです。
 今や「岸田もまるで語らなくなった」とはいえ、岸田が総裁選で「新しい資本主義」をぶち上げた*1以上、「岸田さんに欠けているのは政治の志」と松竹が書けば、読者は当然ながら「松竹氏は『新しい資本主義(岸田が当初、自分の政治的志としてアピール)』についてどう評価してるのだろう?(否定的に評価してるのではあろうが)」と思うでしょうに、その言及がまるでなし。
 松竹のトンチンカンぶりには心底呆れます。

 小泉さんだったら「郵政民営化」があって、自民党内に「敵」をつくりつつ、自分の意志を押し通していった。安倍さんは、「戦後レジームの転換」とかいろいろあって、反対勢力からの批判も多かったけれども、こういうことをやるために総理大臣になったのだということが伝わってきた(もちろん、あまり志のない人もいたけれど)。
 「信なくば立たず」って言うじゃないですか。政治的立場の違いがあっても、そういうものがないと、「敵ながらあっぱれ」という話になっていかない。

 「モリカケ桜の腐敗政治家」安倍のことを「敵ながらあっぱれ」とは俺は全く思いませんね。
 「例は何でもいい」ですが、松竹だって例えば毛沢東を「文革に賭けた信念はすごい」、ヒトラーを「ユダヤ人撲滅に賭けた(以下略)」と評価はしないでしょう。
 信念があろうとも、まず第一に「その信念がまともでなければ」、第二に「信念の実現に当たって取る手法が非常識ならば」、まともな人間は「敵ながらあっぱれ」とは思わないでしょう。松竹にはどうもそうした常識はないようですが。それとも「自民党シンパらしい右翼分子」松竹においては安倍のような「自民党関係者」のみ「そうした道徳性が無視される」んでしょうか?

 予想外の統一協会問題が勃発し、安倍派が撃沈気味で、意に沿った政権運営*2が可能になった。

 「松野官房長官(第三次安倍内閣文科相)」「萩生田政調会長(前経産相)(第四次安倍内閣文科相)」「高木国対委員長(第三次安倍内閣で復興相)」という安倍派幹部を政権に入れてるのに何故そういう理解になるのか?
 松野、萩生田、高木を切らない*3(切れない)時点で「岸田には安倍派に刃向かう意思も能力もない」と見なすべきでしょうに。
 どこまで松竹もバカなのか。

 やはり、政治家は信念である。政治の階段を少しあがろうかな*4と思っている私にも、いい教訓である。
 「信なくば立たず」。さあ、立てる日は来るかな。

 「信なくば立たず」を「信念がなければ政治家に立候補すべきではない」と誤解してるらしい松竹ですが、そうではないことは「信なくば立たず」でググればわかります。
 この言葉は論語に出てくる孔子の言葉で「国民の信頼がなければ政治は成り立たない(かりに飴と鞭で成立させたとしても、そんな政治は低劣であり、道徳的観点から成り立たせるべきではない)」と言う意味です。「信なくば立たず」でググることすらせず、自らの無知をさらした松竹に大笑いです。良くもそんなバカが「共産党の党首になりたい」といえたもんです。
 ちなみに

第2話 信なくんば立たず - 法話図書館 佐藤俊明のちょっといい話
 (ボーガス注:孔子の弟子)子貢が政治の要諦をたずねると、孔子は、まず
第一に、「食を足し」食生活の充実をはかってやること、
次に、
「兵を足し」軍備をととのえること、
そして、
「民これを信ず」民の信頼を得ること、
と答えた。
 子貢は、ではその三つのうち、止む得ずして一つを除くとしたら、どれを除きますかと再問した。孔子は言下に、
「兵を去れ」軍備を捨てよ、
と答えた。
 子貢は第三問を発して、その二つとも保持し得ない事態が到来した場合、どちらを捨てますか、と迫った。孔子曰く、
「食を去らん。古よりみな死あり、民信なくんば立たず」
 つまり、食を過大視してはならぬ。道が信じられず、道がすたれるようではおしまいだ、というのである。

ということで「信なくば立たず」には前振りがあるわけです(「信なくば立たず」でググればこうした話は他にもいろいろとヒットします)。
 孔子曰く「国民の信頼を得ることが政治では一番大事だ。そのためには軍備や経済発展を犠牲にしても仕方がない」。
 そして「経済発展と軍備では経済発展が大事だ。軍備増強で国民が疲弊するようで何の意味があるのか。国民がまともに生活できることが大事だ」
 いやー、軍備に多額の金を使う(あるいは使おうとする)連中、例えば「現首相・岸田」「岸田に同調する維新や国民民主」に聞かせたい言葉です。
 あるいは「アベノミクス*5」を持ち出して未だに安倍を称える連中に「信なくば立たず、ですよ。経済発展は政治倫理の破壊を正当化しない」「安倍がモリカケ桜疑惑、レイプもみ消し疑惑、国交省統計捏造疑惑等で政治倫理を、国民の政治への信頼を破壊したことは許されることではない」と言いたくなります。
 そして「意味を勘違いしていたからそうはしなかった」のでしょうが、松竹も「信なくば立たず」を使うのなら「孔子軍縮発言(?)」も紹介して「岸田軍拡批判」でもしたらどうなのか。
 しかし「江戸時代の官学化」で「儒学」がそれなりに普及した日本ですが「明治以降の軍国主義化」の弊害か、こうした「ハト派的な価値観」があまり普及しているようには見えないのは何ともかんとも。
 ちなみに「信なくば立たず」でググったら三木睦子*6の回想録『信なくば立たず:夫・三木武夫*7との五十年*8』(1989年、講談社)がヒットしました。そういえば「信なくば立たず*9」は三木の「座右の銘」でしたね。
 と言っても最近の若者は三木武夫(1988年死去)も三木睦子(2012年死去)も知らないでしょうが。
 しかし比較するのも「三木睦子に失礼」ですが同じ「元首相夫人」「大富豪のご令嬢(睦子は昭和電工創業者一族出身、昭恵は森永製菓創業者一族出身)」とは言え「安倍昭恵(森友小学校の名誉校長に就任予定だった)のようなバカ」とは「レベルが違うこと(勿論、睦子の方がまとも、ウヨは勿論、逆に『護憲派』睦子を敵視していますが)」には「日本も劣化した物だ」という屈辱感を禁じ得ませんね。
 それはともかく、もしかしたら「信なくば立たず」と言ってる松竹は「自分を三木に、志位執行部を三木と対立した田中角栄*10」に見立ててこんなことを言ってるのかもしれません。
 但し、そうはっきり言うのは「松竹は誇大妄想と自己顕示欲が過ぎる」と言われると思ったのでしょう。さすがに松竹も恥ずかしい上に「なら志位執行部が田中角栄か!、志位執行部を侮辱するのも大概にしろ」という批判を浴び、離党(松竹に「離党しろ」と言う非難が殺到し泣く泣く離党)や除名につながりかねないので「分かる人には分かるだろう*11」というこういう書き方をするのではないか。もし、この「俺の邪推が正しい」としたら「志位執行部」に対しても「三木」に対しても松竹は失礼です。所属政党の執行部を「金脈疑惑&ロッキード事件」「目白の闇将軍*12」田中扱いとは何様のつもりなのか。そこまで「党に対する愛」がないのなら離党したらどうなのか。
 松竹ごとき小物が自分を三木に見立てるとは何様のつもりなのか。そして堂々と「俺はたとえるなら田中の無法に立ち向かう三木武夫」だと言えずにこんな姑息な行為*13をするような男が何が「共産党の党首になりたい」なのか(呆)。
 なお、以上は松竹記事に投稿しますがどうせ掲載拒否でしょう。「自由な言論と言ってる奴(松竹)が批判コメントはいつも掲載拒否(賛同コメントのみ掲載)とは超笑える」と今日も松竹を小馬鹿にしたいと思います。

【参考:三木武夫と『信なくば立たず』】

三木武夫が残したもの – 【四国・徳島県】阿波市観光協会
 「人、信無くば立たず」を座右の銘とし、政治は国民の信頼を得なければ成立しないとの信念から、国民との対話である演説に全力を尽くした。

信なくば立たず | 約束の地へ…Love&Peace
『信なくば立たず』
 首相を務めた三木武夫さんが好きな言葉で、奥様の三木睦子さんが、同じタイトルの本を出された。
 素晴らしい本であった。
 そして、自分の座右の銘にもなった言葉である。
 それを真っ向から否定し、「俺の言うことを聞かないヤツは切って捨てる」的な発想を持つ政治家*14は、政治家になる資質と資格はない。

3月17日。三木武夫「信なくば立たず」|久恒 啓一|note
私は何も恐れない。ただ大衆のみを恐れる
「信なくば立たず」。
 国の存立のためには軍備、経済、信頼が必要だ。やむを得ない場合は軍備を捨て、次に経済を捨てよと孔子は「論語」で語っている。「民、信なくんば立たず」と結んでいる。周囲からの信頼がなければ、目的成就はできない。
 私は今まで、リーダーとして決起するには、周囲の支持がなければならない、信頼がなければ立つべきではない、と理解してきた。本来の意味とは違うかも知れないが、そういう意味でこの三木武夫の言葉を理解したい。

 赤字も勿論三木の座右の銘ですが、これに似た言葉を山宣こと「山本宣治」が残してることは有名です。
 山宣についてもこの機会に紹介しておきます。

山本宣治 - Wikipedia
 帝国議会での治安維持法改悪反対を訴える「 実に今や階級的立場を守るものはただ一人だ、山宣独り孤塁を守る!だが僕は淋しくない、背後には多くの大衆が支持しているから」という全国農民組合大会での演説の一節は有名で彼の碑銘でもある(この言葉は大山郁夫*15の筆で山本宣治の墓に刻まれ、その拓本は国会内の日本共産党事務所に飾ってある)。

赤旗山本宣治ってどんな人?
 大山郁夫書の墓碑銘「山宣ひとり孤塁を守る だが私は淋しくない 背後には大衆が支持してゐるから」は、いまも多くの人の胸に刻まれ、たたかいを励まし続けています。

果たされなかった約束 | 倉山満公式サイト
 本日は、「三木元首相夫人」という肩書で今も極左活動を続けている睦子未亡人の有名な逸話。
 出典をあげろと言われると、有名すぎる話はかえって困るけど、とりあえず18歳のときに150回くらい読み直した『信無くば立たず』を(我ながらいやな18歳*16だ)
 三木が現職首相の時、佐藤栄作*17国民葬*18というのをやった。
 テレビで全国生中継している時に、「三木首相殴打事件」というのが発生。
 右翼団体の構成員の仕業。
 ちなみにこの右翼団体*19、半端な団体ではなくて、(ボーガス注:構成員の山口二矢が)社会党委員長の浅沼稲次郎を暗殺*20したこともある武闘派団体。
 事件を知った睦子夫人、その右翼団体の総帥である赤尾敏さんに抗議の電話。
睦子「ちょっとアンタ!ウチの旦那になんてことしてくれたの?」
赤尾「・・・」
 さすがに直接言われると、気まずかったらしい。
睦子「一国の首相がヒキガエルみたいに尻モチついてみっともない!。全国放送で大恥かいたじゃない!。どうしてくれんの?」
赤尾「は、はあ・・・」
としか言いようが無いが、何か話の方向性が微妙にずれているような気がする。
 で睦子夫人の罵声。
睦子「やるんだったら、ちゃんと殺しなさい!。みっともない!」
 赤尾さん、先生に怒られた子供みたいに力なく
赤尾「わかりました。次はちゃんと殺します」
 この約束、果たされなかった。

 倉山のような極右が睦子を敵視するのは予想の範囲内で、そこは読んでて不快ですが「赤尾敏*21(この人も最近の若者は知らないでしょう。下手したら「日本で最も有名な右翼フィクサー」である「ロッキード事件の児玉(ロッキード社の代理人として政界工作)」も知らないかもしれない。まさに「昭和は遠くなりにけり」です)」とのやりとりがユーモラスなので紹介しておきます。
 勿論「睦子一流の皮肉」でしょう。まさか本当に殺して欲しいわけではない。
 それはともかく、安倍暗殺以前にも首相襲撃があったわけですが、幸いにも殺害に至らなかったからか、あまり話題にならなかった気がします。
 「三木殴打、安倍銃撃」などでググると以下のような記事は一応ヒットしますが。

「後方警戒十分でなかったのでは」 安倍元首相銃撃防げなかった警備体制 警察庁「十分だったか確認中」 :東京新聞 TOKYO Web2022.7.8
 要人に張り付くように警護するSP制度は、1975年、当時の三木武夫首相(故人)が右翼に殴られた事件を機に発足した。

三木元首相の負傷事件、国家公安委員長は4時間後に会見…安倍氏銃撃で目立つ対応の遅れ : 読売新聞オンライン2022.7.23
 警察を所管する国務大臣二之湯智国家公安委員長(77)が最初に記者会見し、「警察庁に警護の検証を指示した」と述べたのは発生4日後の12日になってから。しかも、閣議後の定例会見の場だった。
 警察も、事件当日に記者会見したのは捜査を担当する奈良県警刑事部長らで、警護の状況については「確認を進める」とだけ話した。翌日に県警本部長が「警護・警備に問題があった」と認めたが、元警察幹部は「未曽有の事態であり、大臣会見などを早期に行って説明責任を果たすべきだった」と批判する。
 過去には例がある。1975年6月、東京・日本武道館で行われた佐藤栄作・元首相の国民葬で、三木武夫首相(当時)が右翼の男に殴られて負傷した事件では、発生4時間後に福田一*22国家公安委員長(当時)が記者会見を開いた。
 福田氏は会見で「警察庁長官以下幹部を呼び、責任の所在を明らかにするよう指示した」と述べ、事件について「誠に申し訳なく思っている」と謝罪した。

*1:こども家庭庁にしてもそもそもは「新しい資本主義」のパーツの一つという扱いでした。

*2:党内最大派閥「安倍派」の政治力をそこまで松竹が軽視するのもどうかと思いますし、そもそも安倍派が衰退したところで「麻生副総裁の麻生派」「茂木幹事長の茂木派」の方が岸田派より「大きな派閥」なのだから、松竹が言うほど「意に沿った政権運営」などできはしないでしょう。岸田が最後まで山際(麻生派)をかばい続けたのもおそらくは麻生に「更迭するな」と恫喝されたからでしょう。山際の件でわかるように「安倍派が一番深刻」とはいえ「安倍派以外にも統一協会汚染議員がいる」のだから「安倍派が衰退して、岸田は万々歳」と松竹が言うような単純な話ではそもそもない。

*3:とはいえ官房長官政調会長国対委員長を全員首にしたら政権がやっていけないでしょうが。つまりはそんな重要ポストに安倍派をつけた時点で「岸田には安倍派に刃向かう能力も意思もない」と言う話です。

*4:どう「上がる気なのか」是非教えて欲しいところです。

*5:とはいえアベノミクスは「安倍と支持者が自賛するほどの成果はなかった」というのが客観的事実だと思いますが

*6:1917~2012年。森コンツェルン総帥で昭和電工の創業者・森矗昶(1884~1941年)の次女。佐藤内閣総理府総務長官を務めた森清(1915~1968年)は兄。中曽根内閣環境庁長官を務めた森美秀(1919~1988年、兄・清から地盤を継承)は弟。麻生内閣法相を務めた森英介(1948年生まれ、父である美秀から地盤を継承)は甥。憲法改悪阻止を訴える「九条の会」、「憲法行脚の会」呼びかけ人の一人。また、2001年に北朝鮮から長年に渡る日朝友好親善への貢献(睦子は日朝国交促進国民協会副会長、「朝鮮の子どもにタマゴとバナナをおくる会」会長を歴任)により、 平壌の万寿台議事堂で親善勲章第一級を授与されている。著書『三木と歩いた半世紀』(1993年、東京新聞出版局)、『八十歳の夢:孫には負けていられません』(1997年、海竜社)、『心に残る人びと』(1997年、岩波書店)、『毎日あきれることばかり』(2001年、アートン)、『憲法九条、あしたを変える:小田実の志を受けついで』(共著、2008年、岩波ブックレット)、『総理の妻:三木武夫と歩いた生涯』(2011年、日本経済評論社)、『いま、憲法の魂を選びとる』(共著、2013年、岩波ブックレット)など(三木睦子 - Wikipedia参照)

*7:1907~1988年。国民協同党委員長、片山内閣逓信相、国民民主党幹事長、改進党幹事長、鳩山内閣運輸相、岸内閣科学技術庁長官(経済企画庁長官兼務)、池田内閣科学技術庁長官、自民党政調会長、幹事長(池田総裁時代)、佐藤内閣通産相、外相、田中内閣副総理・環境庁長官等を経て首相

*8:睦子が三木と結婚したのが1940年、三木の死去が1988年なので正確には48年

*9:三木が松竹のような誤解「信念がなければ立候補すべきではない」をしていたのかはググった限り不明です。三木が「クリーン(政治的清潔さ)」「ハト派護憲派)」を売りにしていたことを考えれば「軍備よりも国民の信頼が大事」と正しく理解していた可能性も勿論あります。

*10:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)などを経て首相

*11:まあ、でもこんなことが分かるのは【1】「三木内閣当時(1974~1976年、今から約46年前)」に既にある程度の年齢(小学生)に達していたかなりの年配の人(55歳以上)か【2】当時まだ生まれてなかった(1977年以降の誕生、45歳以下)or生まれていても幼稚園児、小学校低学年など幼かった(45~55歳の間)がその後、本等の知識で三木の「座右の銘」を知った人間だけでしょう(俺は【2】の方ですが)。

*12:以前読んだ立花隆の本に寄れば闇将軍とは「闇奉行(表の奉行が裁かない巨悪を抹殺する必殺仕事人)」云々という勧善懲悪時代劇を見ていた田中が「俺がなるなら闇奉行じゃなくて闇将軍だな」と軽口を叩いたのがルーツで、田中的には「闇将軍=正義の味方」だったわけです。田中には「むしろお前が闇奉行の粛清対象と違うのか?」と言いたいですが。

*13:とはいえ、既に触れたように「三木武夫座右の銘」自体を知る人が決して多くないので、松竹のそうした「底意」に気づく人間も少ないでしょうが。それとも「身近な取り巻き連」だけには「自分の底意」を明かし、「松竹さんは日本共産党三木武夫(改革派)だ、志位執行部は田中角栄守旧派)だ」などと「取り巻きと一緒に志位執行部に悪口雑言」という「げすな行為」に励んでるんでしょうか?

*14:典型的には「溝手氏に刺客候補・河井杏里を放って潰そうとした」&「こんな人たちに負けるわけにはいかないんです!」の安倍ですね。「溝手氏への刺客候補」についてはこんなめちゃくちゃなことが不問であるらしいのは、安倍晋三でなければありえない - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)を紹介しておきます。

*15:1880~1955年。1930年の衆院選新労農党より立候補し当選するが2年後にアメリカに亡命。戦後、帰国。1950年の参院選日本社会党日本共産党などで構成される全京都民主戦線統一会議(民統:今の野党共闘のようなもんでしょう)の支援を得て立候補し当選。参院議員在職中の1955年に死去(大山郁夫 - Wikipedia参照)

*16:三木夫婦に傾倒してたのなら、むしろ「18歳の時」の方がまともで今の方が異常でしょう。

*17:運輸次官から政界入り。吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣通産相科学技術庁長官などを経て首相

*18:国民葬の是非はともかく、安倍と違い「国葬」ではない点を指摘しておきます。

*19:大日本愛国党のこと

*20:ただし山口に対し赤尾が暗殺を命令した証拠がないとして、赤尾は刑事責任を追及されなかった。

*21:1899~1990年。1951年、親米反共を訴える右翼団体大日本愛国党」を創立し初代総裁(赤尾敏 - Wikipedia参照)

*22:池田内閣通産相、田中、三木内閣自治相・国家公安委員長福田内閣法相、衆院議長など歴任