「ライプツィヒの夏」の記事にいろいろとコメント(2022年12月2~6日記載)

知名度の高い人がトンデモな主張をする場合、どっかの変な人物の主張をたれ流すというパターンがありそうだ - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

幼稚な真珠湾陰謀論の本を真に受けちゃって、それに全面的に依拠した発言をしてしまった国際政治学

 進藤栄一氏(筑波大名誉教授)てそんなトンデモだったのかと言うのが驚きですね。
 進藤榮一 - Wikipediaを見れば分かるように

◆『アメリカ・黄昏の帝国』(1994年、岩波新書
◆『敗戦の逆説』(1999年、ちくま新書
◆『分割された領土:もうひとつの戦後史』(2002年、岩波現代文庫)
◆『東アジア共同体をどうつくるか』(2007年、ちくま新書
◆『アジア力の世紀』(2013年、岩波新書
◆『アメリカ帝国の終焉:勃興するアジアと多極化世界』(2017年、講談社現代新書
◆『日本の戦略力』(2022年、筑摩選書)

と有名出版社(岩波、講談社、筑摩)から多数著書を出してますので。
 それはともかく

山本五十六 - Wikipedia
 1939年(昭和14年)「水から石油が採れる」と主張した自称・科学者に海軍共済組合で実験させた。海軍省先任副官・一宮義之らは反対したが、山本(当時、海軍次官)は「君達のように浅薄な科学知識ではわからない。深遠な科学というものはそうではない」と反論した。しかし、その自称・科学者は一宮らが危惧したように詐欺師だった。

『水を石油に変える人 山本五十六、不覚の一瞬』稀代の詐欺師、暗躍の戦争裏史 - HONZ
 昭和14年1月の深夜、霞が関海軍省の地下の一角では、なにやら怪しげな実験が進行していた。「水からガソリン」をつくるというこの実証実験は、山本五十六海軍次官や「特攻の生みの親」ともいわれる大西瀧治郎*1大佐などの立会いのもと、三日三晩行われ、最終日に「成功」を収めた。
 実験を行っていたのは「街の科学者」として名を馳せていた本多維富という初老の男だ。彼は稀代の詐欺師であった。
 著者の山本一生*2は石油精製会社に勤務の後、近代史家となり、残された日記から時代を読み解く作品を発表している。阿川弘之山本五十六』(新潮文庫)に書かれた「水からガソリン」事件に興味を持ち、独自の調査を続けてきた。
 (ボーガス注:日本は石油の大半を当時、米国から輸入していたため*3)喉から手が出るほど石油の欲しい軍部は「水からガソリンを精製できる」という話を信じたかったのだ。

「水からガソリン」海軍を惑わしたトンデモ科学 : 読売新聞オンライン
 山本さんがこの夏、上梓した「水を石油に変える人~山本五十六 不覚の一瞬」(文芸春秋)は、日米開戦前に起きた事件の顛末をたどるノンフィクション作品だ。
◆記者
 「水からガソリン」という荒唐無稽な話に海軍上層部が振り回された。こんなに興味深いエピソードが、これまであまり知られていませんでした。なぜでしょうか。
◆山本
 海軍にとっては恥ずかしい話なので、外部に漏らすのは憚かられたのでしょう。戦後も、阿川弘之さんが評伝「山本五十六」でこの事件に触れたり、実験に関わった元海軍関係者が思い出を語ったりしましたが、具体的にいつ、何が行われたのかは不明でした。
◆記者
 それを今回、「史実」として書いたのは?
◆山本
 十数年前に、たまたま実験の責任者だった大西瀧治郎が書いた報告書を見つけたからです。「水ヲ主体トシ揮発油ヲ製造スルト称スル発明ノ実験ニ関スル顛末報告書」と題する全58ページのマル秘文書で、これによって実験の日時や場所、関係者などを特定することができました。この一次資料によって「水からガソリン」事件は、真偽不明の思い出話ではなく史実となったといえます。
◆記者
 旧海軍側は山本五十六大西瀧治郎、米内光政*4(当時の海軍大臣、のちの首相)ら錚々たる面々が登場します。中でも山本は、海外の事情に通じた先進的リーダーとして知られ、「水からガソリン」などと聞いたら鼻で笑いそうなイメージです。なぜ、こんな実験を命じたのでしょうか。
◆山本
 この本にも書きましたけど、当時は航空機のパイロットの適正を観相学、つまり人相で判定したこともあったようです。しかも、よく当たったらしい(笑)。戦争では航空機が重要だし、燃料であるガソリンは絶対不可欠なのに、この国には石油資源もなければ、石油を精製する技術も決定的に遅れている。誰よりも追い込まれた心境だったのではないでしょうか、山本五十六は。
◆記者
 海軍側と対峙する本多維富の描写も印象的です。
◆山本
 当時の海軍を相手に「水からガソリン」なんて話を堂々と売り込もうとした人物ですから、まさに希代の詐欺師ですね。

という山本ファン(アンチ含む)には有名な「黒歴史エピソード」がありますが「トンデモにはまるか」どうかと「実務能力や頭の良さ」は必ずしもイコールではないのか、とげんなりしますね。海軍航空本部長、海軍次官連合艦隊司令長官等、「海軍の要職」を歴任した山本が無能なわけもないので。まあ、こんなことを言ったら山本五十六 - Wikipediaで批判されてる「山本ファン」半藤一利は「『大島の方がまし』とは山本を馬鹿にするな」等と激怒でしょうが、「デマ科学に山本が騙された一件」に話を限れば、「ナチドイツ(ヒトラー)に過大な期待をかけた大島浩」の方がまだましでしょう。あるいは「半藤のハニートラップ説(デマですが)」の方がまだましではないか。

 『週刊金曜日』は、かつて船瀬俊介のようなトンデモな人物をやたら重用していた

 id:Bill_McCrearyさんもそうかと思いますが、俺的に一番呆れた週刊金曜日の問題点はそこよりも「911陰謀論」ですね。
 なお、週刊金曜日エセ科学信奉は船瀬だけでない事は以前今週の週刊金曜日が千島学説を好意的に紹介してる件(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログ(2010.8.7)で指摘しました。


やはり人工透析まで行くとかなりまずい(渡辺徹の死に寄せて) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
 やはり肥満は健康に悪いと言うことを改めて実感ですね。他にも肥満で寿命を縮めた人間には以下のような人間がいます。

中島啓江さん57歳急死 体重180キロ、心臓や肺圧迫 呼吸不全…― スポニチ Sponichi Annex 芸能2014.11.29
 所属事務所によると、中島さんは17日に「呼吸がしづらい」と訴え、病院で検査を受けたところ、「血中酸素が少ない」と診断され入院。(中略)23日に急変した。
 これまでも飛行機に乗った際に気圧の変化で呼吸がしづらいと訴えたことがあり、医師から「太りすぎで心臓と肺を圧迫している」と指摘されていたという。2009年にテレビ番組の企画で189キロから168キロまで減量したが、最近は180キロ程度にまで戻り、負担がかかる膝を痛めて数カ月前からは、つえや車いすを使い生活していた。
 入院しながら食事療法と筋トレを行うことを医師から勧められ、亡くなる前日の22日には所属事務所代表取締役の岡田秀春氏に電話で「治して頑張ろう」と元気な声で話していたという。


「現実を検討する能力が著しく劣る」というのは、ろくでもない人生を送る人間に共通するところなのだと思う - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
【1】「死刑は犯罪抑止にならない」と死刑廃止派(俺もその一人ですが)から良く言われるのは多くの場合死刑に該当する犯罪(典型的には複数殺人)を起こすような人間は「現実を検討する能力が著しく劣る」ので「殺人以外の問題解決方策を思いつかない(殺人しか解決法がないと勝手に思い込む)」「自分には完全犯罪が可能(だから死刑にならない)と何故か思い込む」などといった欠陥があることが多いからです。そんな人間には当然ながら「死刑は抑止力」にはなり得ないでしょう。
 「現実を検討する能力が著しく劣る」というのは、ろくでもない人生を送る人間に共通するところなのだと思う - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)が紹介する凶悪犯にはそういう連中が多々いる。
 一方で死刑が抑止力になるような常識人は「死刑廃止→無期刑が最高刑」でも殺人(特に複数殺人)などまずしないでしょう。「殺人以外の解決方策」を当然目指すし、ましてや「完全犯罪が可能」なんて思わない。 
 実際、統計データ上も「死刑廃止国で廃止前より凶悪犯罪が増えた」「死刑存続国の方が廃止国より凶悪犯罪が少ない」等の事実は認められていません。
【2】「慶應義塾大学卒、筑波大学大学院修士課程修了」で「予備校の人気教師」だった佐藤氏(佐藤忠志 - Wikipedia参照)が非常に分かりやすいですが、「学力」と「現実を検討する能力(平たく言うと社会常識)」が必ずしも一致しない辺りが厄介なところではあります。勿論、「佐藤忠志氏」は「凶悪犯罪で死刑判決が出るような連中」ほど酷くはないですが。

*1:第二連合航空隊司令官、第一連合航空隊司令官、 第十一航空艦隊参謀長、海軍航空本部総務部長、軍需省航空兵器総局総務局長、第一航空艦隊司令長官、軍令部次長など歴任

*2:著書『競馬学への招待』(1995年、ちくま新書→2005年、平凡社ライブラリー)、 『恋と伯爵と大正デモクラシー有馬頼寧日記1919』(2007年、日本経済新聞出版社:有馬は日本中央競馬会理事長を務め、有馬記念にその名を残している)、 『書斎の競馬学』(2008年、平凡社新書)、『哀しすぎるぞ、ロッパ:古川緑波日記と消えた昭和』(2014年、講談社)、『百間、まだ死なざるや:内田百間伝』(2021年、中央公論新社)など

*3:昭和14年時点では対日石油禁輸はされてませんが、この時点から勿論日本は「蒋介石政権に好意的な米国」の対日石油禁輸を危惧していましたし、勿論、最終的には対日石油禁輸が実行されます。

*4:戦前、佐世保鎮守府司令長官、第二艦隊司令長官、横須賀鎮守府司令長官、連合艦隊司令長官、林、第一次近衛、平沼、小磯、鈴木内閣海軍大臣、首相などを、戦後、東久邇宮、幣原内閣海軍大臣を歴任