今日もkojitakenに悪口する(2022年12月9日記載)

宏池会の害毒 - kojitakenの日記

 (ボーガス注:岸田派で広島選出の)溝手顕正*1の首を安倍晋三に獲られてもなお安倍の靴を舐め続けた岸田文雄に期待した人たちはあまりにも甘過ぎた。

 俺の場合は、率直にいって、岸田に対してそれほど期待はしていません。
 とはいえ「安倍派の支援を受け総裁就任」「安倍政権で外相、政調会長を歴任した岸田」には(社会党が左派野党として強い影響力を持っていた、自民党内で石橋*2元首相らリベラル派が強い力を持っていた等、今とは政治情勢の違いがあるとは言え)「岸政権で蔵相、通産相といった重要閣僚を歴任」「岸信介前首相(安倍の祖父、改憲右派)の禅譲指名を受け、1960年の総裁選でも岸派の全面的支援を受けて、石井光次郎*3らを破り総裁に就任」という「宏池会創設者」池田勇人*4が在任中「岸のような右翼路線を取らなかった」程度には期待していました。
 そもそも岸田が当初総裁選で打ち出したのも「タカ派路線」ではなく「池田の高度経済成長」のような「新しい資本主義」なる「経済重視路線」でした(今や池田と違いそうした岸田の主張は完全に雲散霧消していますが)。
 そしてあの総裁選4候補の中では【1】「次の質問どうぞ」澤藤統一郎の憲法日記 » 河野太郎 「『桜を見る会・前夜祭』に関する公開質問状」を受領拒否
の「質問拒否体質」河野*5、安倍が支援する極右の高市*6は論外、【2】野田*7夫婦別姓主張、医療的ケア児*8支援などで比較的まともそうだが、党内支持が弱く総裁になりそうもないので、「まあ総裁は岸田かなあ(河野や高市でなければ岸田でもいいか)」とは思っていました。
 多くの人間はそうではないか。
 まさか「ウクライナ侵攻の火事場泥棒*9」で、「敵基地攻撃論」「大幅軍拡」とはね。それがid:kojitakenのように悪口するほどの落ち度だとは俺は思いません。
 ちなみに

池田勇人 - Wikipedia
安保闘争が激化した1960年6月には、自衛隊の治安出動を強く主張した*10。治安出動に強硬だったのは、池田通産相と川島正次郎*11幹事長だった。
◆日本の核武装について積極的であった。藤井信幸*12池田勇人:所得倍増でいくんだ』(2012年、ミネルヴァ書房・日本評伝選)によれば、1962年11月の訪欧時、ロンドンで英首相ハロルド・マクミラン*13と会談した後、「日本に軍事力があったら、俺の発言権はおそらく今日のそれに10倍したろう*14」と慨嘆し、各国首脳との接触を重ねるうちに、経済力の裏付けしかなく軍事力の後ろ盾を欠く*15外交の弱さを思い知らされていたという。塩口喜乙『聞書・池田勇人』(1975年、朝日新聞社)によると、酒が進むと核武装*16について話しはじめるのが毎度のことで、「被爆地広島を選挙区に持つ政治家(ボーガス注:単なる偶然ですが宏池会出身首相の宮沢喜一*17、岸田も広島選出です)が発言すべきことではない」と周囲が諫めても聴きいれなかったという。

だそうなので意外と池田は「タカ派」のようですね。とはいえさすがに「岸と同一視」はできないでしょうが。なお、治安出動に否定的だったことで知られるのが赤城宗徳*18(当時、防衛庁長官)です(赤城宗徳 - Wikipedia参照)。
 また

池田勇人 - Wikipedia
 1963年11月5日には、衆議院選挙のため訪れた福島県郡山市で、池田自身が暴漢に襲われそうになっている。演説終了後に記念撮影をしようとしていたところ、聴衆の一人が25cmの短刀を抜いて体当たりしようとした*19ため、ただちに警察官に取り押さえられた。なお、翌6日に「何か近づいてくるような気がしたので、もし側へ来たら蹴飛ばしてやろうと思っていた。こんなことを気にしていたら、大衆に接する政治家はつとまらない」と語っている。

だそうなので何も「安倍暗殺」だけが「首相や元首相暗殺(未遂含む)の初」ではないわけです(とはいえ銃器の使用は安倍が初でしょうが)。
 また、

 原文に当たっていないので詳細は不明ですが、安倍晋三は、自分をアデナウアーになぞらえていた(なぞらえようとしていた?)と岩田明子が書いているようですね。

と言うコメントを安倍晋三と『オール・ザ・キングスメン』(追記あり) - bogus-simotukareのブログid:Bill_McCrearyさんに頂きましたが

池田勇人 - Wikipedia
 1964年の総裁選で3選後、ある外国人記者に「池田内閣は来年(1965年)7月で終了し、次期(首相)は佐藤に間違いない」と言われると「オレは長年続けて首相を務める。アデナウアーのように、だ」と答えた(塩口喜乙『聞書・池田勇人』(1975年、朝日新聞社)参照)。
→実際には三選後、末期ガンが判明し首相を辞任。池田によって後継首相には佐藤が指名された。池田は翌1965年に病死

だそうです。
 無知なもので、改めてウィキペディアを見て「そんなエピソードがあったのか」と驚きました。
 なお、岸内閣通産相就任は

池田勇人 - Wikipedia
 1958年12月31日、岸の警職法改正案の審議をめぐる国会混乱の責任を迫り、池田(当時、蔵相)、三木武夫*20(当時、経企庁長官兼科技庁長官、後に首相)、灘尾弘吉*21(当時、文相)の三閣僚で申し合わせ、揃って辞表を叩きつける前例のない閣僚辞任を行った。
 1959年6月18日の第2次岸改造内閣では、「悪魔の政治家の下にはつかん」と当初、再入閣を否定した。また側近の多くが「(1958年12月の大臣辞任から)たった半年で変節したら世間から何と言われるか」などと再入閣に猛反対したが、通産相として再入閣した。再入閣の理由については【1】岸が「天皇陛下が、政局の安定、ひいては内閣の統一を希望している」と持ちかけ、尊皇家の池田を感動させた、【2】岸と佐藤の使い*22田中角栄*23から「政局の安危は貴方の閣内協力にかかっております。天下のため入閣に踏み切って下さい。そうすれば次の政権は貴方のものです」と口説かれた、【3】池田と親しい賀屋興宣*24から「内閣に入って首相を狙え」と口説かれた等の諸説があるが、側近の大平正芳*25は「あの時は、1日に株が30円も下がって、内閣改造がもう1日のびたら岸さんは、これを投げ出すという段階に来ていたから、再入閣は私がすすめた」と後に話している。

だそうなのでこの時に、苦しい立場の岸に「再入閣するから俺に首相ポストを禅譲しろ」で池田が「首相禅譲」を岸に呑ませたのかもしれません。
 そして「池田の佐藤*26への首相禅譲」は勿論「佐藤が有力政治家だった」ということはありますが、「首相ポストを禅譲してくれた岸への義理」もあったのかもしれない(佐藤は岸の実弟)。
 kojitakenからは以前「ウィキペディアばかり引用する能なし」よばわりされましたが、このようにウィキペディアは実に便利ですよね。時には「要出典」の信用性が怪しい記述もありますが。


共産党の堕落 - kojitakenの日記
 ケムトレイル云々での愛知県知事選に絡んだ共産党非難です。
 以前も

今日もkojitakenに悪口する(2022年11月18日記載) - bogus-simotukareのブログ2022.11.18
 尾形某氏が「そんなに問題の多い御仁」と思うのなら愛知県知事選(来年2/5の日曜)まで、まだ時間もあることだし、「共産党に悪口雑言する前」に「尾形擁立に反対だ」と反対運動をして、「別の人間が擁立される」ように動くべき話でしょうよ。何でそうした事そっちのけで共産党に悪口雑言なのか。
 結局、「反共分子」id:kojitakenにとって愛知県知事選は共産党に悪口するネタでしかないわけです。
 そもそもこの擁立話、現時点では「その可能性がある程度の話」にすぎません。しかもこの擁立話には「彼の嫌いな共産やれいわ」だけでなく、社民党の名前も出てくるのに「社民党が劣化してると言わない」辺りも実に分かりやすい反共ぶりです(kojitakenは自ブログにおいて社民党*4支持を表明しています)。
 なお擁立の是非はともかく、この擁立を「志位氏が主導したかのように決めつける」kojitakenには何の根拠があるのかと呆れます。
 実際には「愛知の共産を含む、愛知の大村知事批判派(愛知の社民、れいわその他いろいろ)が決定したこと」を志位氏が説明を受け「事後承認しただけ」ではないか。いくら何でも志位氏も「現場を無視してトップダウンで命令はしない」でしょう。

今日もkojitakenに悪口する(2022年11月30日記載) - bogus-simotukareのブログ2022.11.30
 実際にリアルの活動をするとなれば、相手が「政治的に敵対するグループ」ならともかく「政治的な共闘相手」なら「好き勝手に破壊的な批判をする」訳にもいきません。それでは共闘が成り立たない(中略)。
 kojitakenのように無責任に悪口するわけにも行かない。そこはリアルの運動の悩み、苦しみがあります(勿論、そこを乗り越えたところに喜びはあるのでしょうが)。
 例えばkojitakenが非難する「ケムトレイル陰謀論」云々にしても、それが事実だとしても「現場(愛知の共産)がその方向で愛知県知事選の野党共闘を進めている*20」のであれば、志位執行部が頭ごなしに「辞めろ」とは命令しがたい*21し、是非はともかくさすがに「愛知の共産」も「野党共闘内での広い支持が得られそう」と言うだけの話であって、さすがにケムトレイル云々まで支持してないでしょう(せいぜい「意見の違い」としての黙認)。 
 まるで共産が積極的に「ケムトレイル陰謀論」云々を支持しているかのようなkojitakenの主張は本多勝一氏の著書『本多勝一戦争論』(2011年)、『本多勝一の日本論:ロシア、アメリカとの関係を問う』(2012年)を刊行する新日本出版社に「本多の東洋医学けっきょくこれらの本を読めば、本多勝一氏の東洋医学の本など根本から崩壊してしまう(高橋晄正氏の著書) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)参照)云々も支持するのか!」と悪口するに近い物があると思いますね。
 それはともかく「好き勝手な批判」をしたら信頼関係が破壊され共闘が成り立たないが、批判せずに馴れ合ったら運動が堕落していく。
 そこをどう上手くやっていくかに「神でない凡人」として、皆悩んでるわけで、その悩みを「とにかく問題があれば批判すればいいんだ」「批判を躊躇するのは盲従だ」とkojitakenのように切り捨てるのは単に無責任でしかありません。気持ちはスカッとするかも知れませんが、子どもじみています。

と書きましたが今回もそれに付け加えることはあまりありません。
 一点だけ触れておくと

 志位和夫は「左の岸田文雄」なのか。

というkojitaken主張は意味不明です。
 愛知県知事選の決定は「志位氏が主導した」というより「共産を含む愛知県の大村批判派の主流」が決定したことでしょう。志位氏はそれを承認したに過ぎないでしょう。
 志位氏が主導したかのようなid:kojitakenの記述は明らかに不当です。

*1:第一次安倍内閣国家公安委員長

*2:吉田内閣蔵相、鳩山内閣通産相などを経て首相

*3:吉田内閣商工相、運輸相、自民党総務会長(鳩山、岸総裁時代)、岸内閣副総理・行政管理庁長官、池田内閣通産相、佐藤内閣法相、衆院議長など歴任

*4:大蔵次官から政界入り。吉田内閣蔵相、通産相、石橋内閣蔵相、岸内閣蔵相、通産相などを経て首相

*5:第三次安倍内閣国家公安委員長、第四次安倍内閣外相、防衛相、菅内閣行革相などを経て現在、岸田内閣デジタル相

*6:第一次安倍内閣沖縄・北方等担当相、第三次安倍内閣総務相自民党政調会長(第二次安倍、岸田総裁時代)等を経て、現在、岸田内閣経済安保相

*7:小渕内閣郵政相、福田、麻生内閣食品安全等担当相、自民党総務会長(第二次安倍総裁時代)、第四次安倍内閣総務相、岸田内閣地方創生等担当相など歴任

*8:野田の子どもが「医療的ケア児」で彼女は当事者ですが

*9:この点、「イフの話をしても仕方ない」のですがウクライナ侵攻がなければこうした暴論に岸田も出なかったかもしれない。勿論「ウクライナ侵攻」が「軍拡の理由になる」と思うことは「ウクライナと日本の違い(既に日本は世界有数の軍事力を保有している)」を考えれば常軌を逸していますが。

*10:これが「禅譲狙いの岸へのこび」だったのか、本心だったのか気になるところです。

*11:鳩山内閣行政管理庁長官、自民党幹事長(岸総裁時代)、副総裁(池田、佐藤総裁時代)など歴任

*12:東洋大学教授。著書『テレコムの経済史:近代日本の電信・電話』(1998年、勁草書房)、『地域開発の来歴:太平洋岸ベルト地帯構想の成立』(2004年、日本経済評論社)、『通信と地域社会』(2005年、日本経済評論社)、『世界に飛躍したブランド戦略:森村市左衛門・御木本幸吉』(2009年、芙蓉書房出版)。森村市左衛門は日本陶器(現・ノリタケカンパニーリミテド)創業者、御木本幸吉は御木本真珠店(現・ミキモト)創業者。

*13:イーデン内閣外相、財務相などを経て首相(1957~1963年)。1963年にプロヒューモ事件 - Wikipediaなどで支持率が低迷したことで辞任。後任首相はヒューム(マクミラン内閣外相)

*14:1956年の第二次中東戦争 - Wikipediaスエズ動乱ともいう)で「意外なことに米国アイゼンハワー政権が英国批判に回ったこと」で、英国が国際的批判を浴び、当時のイーデン首相が退陣に追い込まれたこと(後継が財務相だったマクミラン)を考えれば「軍事力があれば外交は有利」というほど話はそんなに単純ではないでしょう。マクミランもそうした池田の考えを仮に聞いたら「渋い顔」をしたのではないか。

*15:勿論池田時代に既に自衛隊はあります。

*16:日本が核武装を正式に断念するのが佐藤内閣でのNPT加盟です。

*17:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、福田内閣経済企画庁長官、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相などを経て首相。首相退任後も小渕、森内閣で蔵相

*18:内閣官房長官防衛庁長官、池田、佐藤内閣農林相など歴任

*19:脅しではなくマジでやる気なら、刺殺された原敬首相や浅沼社会党委員長のように死んでいたでしょう(勿論岸元首相を刺した暴漢のように殺す気はなかった可能性もありますが)。

*20:国民協同党委員長、片山内閣逓信相、国民民主党幹事長、改進党幹事長、鳩山内閣運輸相、岸内閣科学技術庁長官(経済企画庁長官兼務)、池田内閣科学技術庁長官、自民党政調会長、幹事長(池田総裁時代)、佐藤内閣通産相、外相、田中内閣副総理・環境庁長官等を経て首相

*21:戦前、内務次官。戦後、政界入り。石橋、岸、池田、佐藤内閣文相、池田内閣厚生相、自民党総務会長(三木総裁時代)、衆院議長など歴任。日華議員懇談会会長を務めた有力台湾ロビー。

*22:田中は佐藤の子分。佐藤は岸の実弟で、岸内閣蔵相、自民党総務会長として岸を支えた

*23:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)などを経て首相

*24:戦前、第一次近衛、東条内閣蔵相。戦後、終身刑判決を受けるが後に仮出所。公職追放も解除され政界に復帰。池田内閣法相、自民党政調会長(池田総裁時代)など歴任

*25:池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、蔵相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相

*26:運輸次官から政界入り。吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣通産相、科技庁長官などを経て首相