「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2022年12/25日:島田洋一の巻)(副題:存命なら今年で曽我ミヨシ氏は91歳)(追記あり)

島田洋一
 長年の不摂生がたたって昨年末、緊急入院したが、適切な医療のおかげで無事生還した。
 庶民には医療などない北朝鮮なら、今頃墓の中だろう(墓すらないかも知れない)。
 早く拉致被害者を取り戻さねばならない。

 小泉訪朝直後ならまだしも20年も経ってから良くもこんなことが言えたもんです(呆)。
 なお、以前も拙ブログの別記事で書きましたが、早期発見だったので治療できましたが、以下の記事で分かるように、曽我ひとみ氏は帰国後に肺がんが発見されています。

朝日新聞曽我ひとみさん、肺がんで手術 経過は良好」2003.3.18
 昨年10月25日、新潟県立がんセンターで受けた健康診断の際、曽我さんの右肺中葉に約9ミリの腫瘤が見つかった。今年2月19日、同センターで受けた再検査で、悪性の可能性が高いことが判明。今月12日に都内の病院に入院、14日に摘出手術を受けたという。
 曽我さんは自力で歩ける状態で、一両日中は静養し、近く自宅に戻る予定。今後は新潟県立がんセンターで定期的に検診を受けるという。

曽我さん、肺がん手術体験語る/「勇気を持って」と講演 | 全国ニュース | 四国新聞社2007.6.9
 曽我ひとみさん(48)=新潟県佐渡市=が9日、都内で開かれた日本医学会主催の公開フォーラム「がんに挑む-肺がん」で講演。自らの肺がん手術の体験をもとに「勇気を持って病気と向かい合えば、最後には勝てる。絶対にあきらめないで」と約500人の参加者に訴えた。
 曽我さんは北朝鮮から帰国後の2002年10月、健康診断で右肺に約9ミリの腫瘤が見つかり、再検査で悪性腫瘍の可能性が高まったため03年2月に摘出手術を受けた。
 告知されたときの心境について「自覚症状がなかったので驚いたが、向こうで1日1箱くらいはたばこを吸っていたので思い当たった」と振り返る曽我さん。
 北朝鮮で共同生活し末期の肺がんで死亡した女性*1の顔が頭をよぎったといい「向こうは検診があまりなく早期発見が難しい。わたしは日本に帰ってきたから小さながんを見つけてもらい、今もこうして元気で働ける。つくづく幸せだし、ありがたい」と語った。

asahi.com(朝日新聞社):曽我ひとみさんの手記全文:2 - 北朝鮮関連2012.9.2
 日本滞在中に健康診断でも受けたらとのアドバイスもあり、特に悪いところはなかったのだが、せっかくなので人間ドックを受けることにした。その時、先生から「ちょっと肺に気になるものがあります。まだほんの小さな粒程度ですが、もし時間が経って大きくなるようなら手術した方がいいと思います。まずは、1年くらい様子を見ましよう」と言われた。私は、すぐに「肺がん」だと確信した。なぜなら、北にいたとき(ルーマニア拉致被害者の)ドイナが肺がんで亡くなっていた。初期の症状からずっと見ていた私には、肺に何かがあるというだけで、理解することができたのだ。精密検査をするため組織を取ったが、ほぼ間違いなく悪性だろうと思われた。怖くなった。目の前に「死」が迫っていると感じた。だが、先生が「ほんの初期ですから心配いらないですよ」と言ってくれたので安心できた。これが(ボーガス注:日本に比べ医療面で劣る)北朝鮮だったら、(ボーガス注:ガンの発見が遅れ)私は確実に死んでいただろう。ドイナのように、死ぬ直前まで故郷を思い、二度と故郷の土を踏むことが叶わなかっただろう。未練を残したまま死ぬことを考えたら、日本に帰れたことを感謝した。

 もし小泉訪朝による帰国が無ければ冗談抜きで「がんによる死亡→2022年現在は既に故人」の可能性があったでしょう。
 実際、上で紹介した曽我氏手記でも分かるようにドイナ・ブンベア - Wikipedia氏は肺がんで死去しています(勿論詳しい事情が分からないと、拉致されなければ、適切な治療が受けられてがん死しなかったとは言い切れませんが。医療の発達した日本でもガンの発見が遅れ死去することは珍しくないからです)。

参考

曽我ひとみさん 拉致問題について地元佐渡の小学校で講演|NHK 新潟県のニュース2022.12.7
 曽我さんはいま、いちばん懸念していることとして、北朝鮮にいる拉致被害者新型コロナウイルスに感染することをあげ、「母は90歳になりますが、ワクチン接種ができる地域に住んでいるのか、感染したらウイルスに打ち勝てるのか考えると気分が落ち込んでしまう」と話していました。

 まあ90歳(卒寿)だと「コロナ云々」以前の話ですけどね。病気の危険は勿論、運動能力の低下から「転倒して頭を打って死亡」「誤ってコンロの火が衣服に着火して焼死」といった事故死の危険性も高くなります。
 なお、今年で90歳ということは「1932年生まれ*2」ですが、後で紹介しますが「1932年生まれの故人」は当然多数います。
  「奥田碩トヨタ自動車会長、経団連会長など歴任)」「小和田恒(元外務事務次官、元ICJ所長、皇后雅子の父)」「堂本暁子新党さきがけ参院議員会長、千葉県知事など歴任)」「仲代達矢(俳優、無名塾主宰)」「秦郁彦千葉大教授、日大教授など歴任)」「広岡達朗(元巨人選手、元ヤクルト、西武監督)」「本多勝一元朝日新聞記者、元週刊金曜日編集長)」*3など存命者も一方では勿論いますが(1932年 - Wikipedia参照)。
 曽我ミヨシ氏(曽我ひとみ氏の母)が今も存命である可能性は決して高くないでしょう。

1932年 - Wikipedia参照
【1932年生まれの故人:死去年順、死去年が同じ場合は名前順】
山田康雄(1995年死去)
 俳優、声優。声優としての代表作に、アニメ「ルパン三世」や、クリント・イーストウッド*4ジャン・ポール・ベルモンドの吹き替えがある。テアトル・エコーでは看板俳優として活躍。特に、1969年以降は『日本人のへそ』『表裏源内蛙合戦』など井上ひさしによる多数の書き下ろし作品で主役や準主役を多くつとめた。
青島幸男(2006年死去)
 作家、作詞家。元参院議員、元都知事。1981年、小説『人間万事塞翁が丙午』で同年上半期の直木賞を受賞。
横山ノック(2007年死去)
 コメディアン。元参院議員、元大阪府知事
谷啓(2010年死去)
 コメディアン。元「クレージー・キャッツ」メンバー
大島渚(2013年死去)
 映画監督
納谷六朗(2014年死去)
 俳優、声優。俳優、声優の納谷悟朗(1929~2013年)は兄
◆ ジャック・シラク(2019年死去)
 元フランス大統領
村上正邦(2020年死去)
 宮沢内閣労働相、自民党参院幹事長、会長など歴任
横田滋(2020年死去)
 元拉致被害者家族会会長
小林亜星(2021年死去)
 作曲家。1974年のTBSドラマ『寺内貫太郎一家』(平均視聴率31.3%を記録)で寺内貫太郎を演じたことでも知られる。
白土三平(2021年死去)
 漫画家。『忍者武芸帳 影丸伝』『サスケ』『カムイ伝』など忍者を扱った劇画作品で人気を博した。
田中邦衛(2021年死去)
 俳優。1993年に映画『学校』で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞、映画『子連れ狼 その小さき手に』でブルーリボン賞助演男優賞受賞。
盧泰愚
 元韓国大統領(2021年死去)
石原慎太郎(2022年死去)
 1956年に『太陽の季節』で芥川賞受賞。福田内閣環境庁長官、竹下内閣運輸相、都知事など歴任。俳優・石原裕次郎(1934~1987年)は弟。俳優・石原良純は次男
尾身幸次(2022年死去)
 橋本内閣経済企画庁長官、小泉内閣沖縄・北方等担当相、第一次安倍内閣財務相など歴任
藤井裕久(2022年死去)
 元大蔵官僚。1976年、大蔵省主計局主計官で退官し政界入り。細川、羽田内閣蔵相、鳩山内閣財務相など歴任。

【追記】
戻らない母は今年91歳「時間がない」 曽我ひとみさん帰国20年:朝日新聞デジタル
北朝鮮拉致被害者の曽我ミヨシさん 91歳の誕生日 今も消息不明 | NHK | 拉致
 曽我ひとみさん 拉致問題について地元佐渡の小学校で講演|NHK 新潟県のニュース母は90歳になりますがを「1932年生まれの90歳(今年で卒寿)」と勘違いしていましたが、「曽我氏が講演した時点では90歳」であって「誕生日が来れば今年で91歳(1931年生まれ)」なんですね。
 せっかく書いたので上記の文はそのままにしておきますが、新たに「1931年生まれの故人」を追記しておきます。
 勿論「明石康(元国連事務次長)」「香川京子(女優)」「久我美子(女優)」「篠田正浩(映画監督)」「山田洋次(映画監督)」「ラウル・カストロ(元キューバ国家評議会議長(大統領)、閣僚評議会議長(首相)、キューバ共産党第一書記)」など存命の方も一方ではいます。

1931年 - Wikipedia参照
【1931年生まれの故人:死去年順、死去年が同じ場合は名前順】
いかりや長介(2004年死去)
 コメディアン。ドリフターズの元リーダー
ボリス・エリツィン(2007年死去)
 元ロシア大統領
ジャニー喜多川(2019年死去)
 ジャニーズ事務所創業者
全斗煥(2021年死去)
 元韓国大統領
◆デズモンド・ムピロ・ツツ(2021年死去)
 ケープタウン大主教1984ノーベル平和賞受賞者
海部俊樹(2022年死去)
 元首相

*1:ルーマニア拉致被害者ドイナ・ブンベア氏のこと

*2:追記しましたが戻らない母は今年91歳「時間がない」 曽我ひとみさん帰国20年:朝日新聞デジタル北朝鮮拉致被害者の曽我ミヨシさん 91歳の誕生日 今も消息不明 | NHK | 拉致によれば「1931年12月29日生まれ(誕生日が来れば今年で91歳)」で曽我ひとみさん 拉致問題について地元佐渡の小学校で講演|NHK 新潟県のニュース2022.12.7では「90歳だった」にすぎないようです。「1932年生まれ」を前提とした「以下の記載」は誤記ですがせっかくの記載を消すのももったいないので残しておきます。

*3:仲代、広岡や本多氏も、もうそんな年齢かと思うとしみじみします。

*4:1930年生まれ。1992年、『許されざる者』で、2004年、『ミリオンダラー・ベイビー』でアカデミー作品賞、監督賞受賞。俳優としての代表作に『荒野の用心棒』(1964年)、『夕陽のガンマン』(1965年)、『ダーティハリー1~5』(1971年、1973年、1976年、1983年、1988年)など