珍右翼・高世仁に悪口する(2022年12/29日分)

嘘の上に立つ偽りの帝国(ランズベルギス) - 高世仁のジャーナルな日々
 珍右翼・高世仁に悪口する(2022年12/28日分) - bogus-simotukareのブログでコメントしたhttps://takase.hatenablog.jp/entry/20221227_1の続きです。
 アンチ「日本ウヨ」の俺としては「嘘の上に立つ偽りの帝国」とは

明成皇后を暗殺した大日本帝国のことですか?
◆でっち上げ冤罪「大逆事件」(1910年)で社会主義者を処刑した大日本帝国(以下略)
関東大震災において甘粕事件 - Wikipedia亀戸事件 - Wikipedia社会主義者、労働運動活動家を虐殺した大日本帝国(以下略)
関東軍の謀略で満州事変(1931年)を始めた大日本帝国(以下略)
◆太平洋戦争(1941年)を「アジア解放の聖戦」と強弁した大日本帝国(以下略)
人民戦線事件 - Wikipedia(1937年)、企画院事件 - Wikipedia(1939~1941年、検挙された人間で著名な人間としては勝間田清一*1、和田博雄*2がいる)、北海道綴方教育連盟事件(1940年)、横浜事件 - Wikipedia(1942年)、満鉄調査部事件 - Wikipedia(1942年)、大阪商大事件 - Wikipedia(1943年)等のでっち上げ冤罪でリベラル派を弾圧した大日本帝国(以下略)
◆撤退を『転進』と強弁した大日本帝国(以下略)

といいたくなります。
 また「嘘の上に立つ偽りの会社ジンネット*3」を潰したバカが良く言うと思いますが、それはさておき。

 ソ連によるリトアニアの併合自体が無効だったと認めよと迫るのはこの映画の見どころの一つだ。

 これについては

赤旗「韓国併合」100年/“条約無効”賛同1000人超/日韓知識人共同声明 発起人が会見2010.7.29
 声明は、「併合条約」が有効であったとする日本政府の立場を批判し、条約が当初から不法無効であるとする韓国政府側の解釈が共通に受け入れられるべきだと述べています。

などでわかりますが、「日本による韓国併合は最初から無効」という主張の存在を考えればソ連によるリトアニアの併合自体が無効だったという主張を俺は正直「平常心で読めません(ある種の精神的苦痛を感じます)」が荒木和博、三浦小太郎、渡辺京二といったウヨ連中と交遊して恥じない高世*4にはそうした感情は何一つないのでしょう。高世のクズさ、デタラメさには心底呆れます。

 リトアニア独立が引き金になってソ連邦解体が進んでいくが、権力の巨悪の部分が残ったままになったとランズベルギスは指摘する。リトアニアへの軍事介入を押し進めた勢力(最終的にはゴルバチョフがOKしたのだが)は処罰されないままだったし、ロシアで反動派の8月クーデター(91年8月)が鎮圧されてもエリツィンはその首謀者たち*5を徹底して処分しなかった。その勢力は今のロシアで「続いている」とランズベルギスが言う。今のプーチン体制にも根底でつながっているのではないか。これはロズニツァ監督の一貫した問題意識でもある。

 まあその点は日本も褒められたモノではありません。
 まず昭和天皇が退位せず、居座り続けました。
 また

【戦犯】
賀屋興宣
 戦前、第一次近衛、東条内閣蔵相。戦後、終身刑判決となるが後に仮釈放。公職追放が解除されると政界に復帰。自民党政調会長(池田総裁時代)、池田内閣法相など歴任
重光葵
 戦前、東条、小磯内閣外相。戦後、禁固7年。服役後、公職追放が解除されると政界に復帰。改進党総裁、日本民主党副総裁(鳩山一郎総裁)、鳩山内閣外相を歴任
【戦犯容疑者】
岸信介
 公職追放が解除されると政界に復帰。日本民主党幹事長、自民党幹事長(鳩山総裁時代)、石橋内閣外相を経て首相 

A級戦犯や戦犯容疑者が政界に復帰したことが「安倍・右翼政権(安倍は岸の孫)」につながったと言っていいでしょう。
 神社業界は右翼路線を払拭できず、神社本庁靖国神社はもろに右翼ですし、靖国

【死刑となった戦犯】
 板垣征四郎関東軍高級参謀として満州事変に関与。平沼内閣陸軍大臣)、東条英機元首相(第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣)、広田弘毅元首相(斎藤、岡田、第一次近衛内閣外相)など
【服役中病死した戦犯】
 梅津美治郎関東軍司令官、参謀総長など歴任)、小磯國昭(朝鮮総督、首相など歴任)、東郷茂徳(東条、鈴木内閣外相)、平沼騏一郎(首相、第二次近衛内閣内務相などを歴任)など
【裁判中病死した戦犯】
 永野修身(広田内閣海軍大臣。太平洋戦争開戦時の軍令部総長)、松岡洋右(第二次近衛内閣外相)

昭和殉難者(なお、戦犯でも死刑や獄死、裁判中病死では無い賀屋、重光のようなケースは合祀されてない)として合祀し、自民党のウヨ政治家(うち首相が中曽根、小泉、安倍)が靖国に参拝する有様です。
 なお、「安倍ほどのウヨでは無い」ので、安倍(三代世襲)のようなウヨとは同一視できませんが

【五代世襲
鳩山和夫衆院議員)→鳩山一郎(和夫の長男。戦前、犬養、斎藤内閣文相、戦後、首相)→鳩山威一郎(一郎の長男。福田赳夫内閣で外相)→鳩山邦夫(威一郎の次男*6。宮沢内閣文相、羽田内閣労働相、第一次安倍、福田内閣法相、麻生内閣総務相を歴任)→鳩山二郎(邦夫の次男。岸田内閣総務大臣政務官
【四代世襲
小泉又次郎(戦前、濱口、第2次若槻内閣逓信相)→小泉純也(又次郎の女婿。池田、佐藤内閣防衛庁長官)→小泉純一郎(純也の長男。元首相)→小泉進次郎(純一郎の次男*7。第四次安倍、菅内閣環境相

と言う辺り日本は「戦前からの歴史継承」が強い、「すさまじいまでの世襲国家」と言っていいのではないか(まあ戦前から世襲というのはさすがに自民党でもこの二人くらいでしょうが)。もはや鳩山家や小泉家は「政治家が家業」と化しており「長年の世襲によって強化された三バン(鞄(資金力)、看板(知名度)、地盤)」が「選挙をほとんど無効化している」といっていいでしょう。日本人であることが心底恥ずかしい。
 また「公安警察特高)」「公安検察」もろくに責任追及されなかったことは以下の通りです。

小林多喜二を虐殺した特高 罪に問われたの?2005.2.17
〈問い〉
 小林多喜二を虐殺した特高たちはどんな裁きをうけたのですか?
〈答え〉
 虐殺に直接手を下したのが毛利基特高課長、中川成夫、山県為三両警部らです。
 毛利は、(中略)終戦直後に埼玉県警察部長を退職しますが、東久邇内閣から「功績顕著」として特別表彰さえうけています。
 中川成夫は、高輪警察署長、築地署長と出世し、東京滝野川区*8長をつとめ、戦後46年に区長をやめた後、東映取締役興行部長となり『警視庁物語』シリーズなどを全国上映。一方、北区で妻に幼稚園を経営させ、これを背景に64年には東京北区教育委員長になりました。
 岩田義道*9の虐殺に直接手を下したといわれている山県は43年に東京府会議員となり、戦後は丸の内署長時代に知りあったビフテキ店「スエヒロ」社長から店名を借り「スエヒロ」を開業、74歳で死亡するまでその経営にあたっていました。

特高が戦後、国会議員になったの?2005.3.16
〈問い〉
 特高が戦後、復権し、中には国会議員にまでなったと聞き驚きました。本当ですか? 名前もわかれば教えてください。
〈答え〉
【一例】
▽唐沢俊樹(岸内閣法相)
 労農救援会、エスペランチスト同盟、プロレタリア科学同盟の弾圧、美濃部達吉著書発禁、35年の1年間で共産党員・支持者を1772人逮捕、大本教や日本労働組合全国協議会弾圧。
▽大村清一(鳩山内閣防衛庁長官
 日本政治経済研究所や、ひとのみち教団*10弾圧。
▽山崎巌(池田内閣自治相)
 人形劇団プーク、生活主義綴方教育、京大俳句会弾圧、春日正一*11、酒井定吉、岡部隆司ら共産主義者を投獄。
橋本清吉(衆院議員、三重)
 治安維持法全面改悪、雑誌『機械工の知識』、俳句・漫画グループの弾圧、「企画院事件」で勝間田清一、正木千冬*12、岡倉古志郎*13、川崎巳三郎らの投獄、御国教などの宗教弾圧。
▽今松治郎(衆院議員、愛媛)
 ゾルゲ事件、太平洋戦争開戦にともなう非常措置弾圧、松尾鉱山朝鮮人労働者や短歌グループの弾圧。
町村金五(田中内閣自治相、町村信孝*14現外相の父)
 創価学会、第七日基督再臨団*15などの宗教弾圧、一連のいわゆる「横浜事件」の弾圧、『改造』『中央公論』を廃刊に追い込む。
古井喜実(池田内閣厚相(ボーガス注:また大平内閣法相を務めた))
 高倉輝松本正雄、美作太郎*16三木清、塩谷アイ*17らの投獄をはじめ庶民にも弾圧を拡大。
 特高官僚は、これらの権力犯罪にたいする謝罪や反省もなく、戦後も政治の中枢に居すわったのです。

 なお、ウヨ議員として悪名高い奥野誠亮*18

奥野誠亮 - Wikipedia
 昭和18年に鹿児島県警察部特高課長として新興俳句弾圧事件の一つであるきりしま事件を指揮。

という特高出身の国会議員です。

弾圧に関与した裁判官・検察は戦後どうなったの?2006.2.23
〈問い〉
 戦前、共産党弾圧などにかかわった裁判官、検事は戦後、どう責任を問われたのですか?
〈答え〉
 戦前、国民の自由を抑圧し、拷問や虐殺などをふくむ弾圧に直接に手を加えたのは「特高」(特別高等警察)が中心ですが、検察官や裁判官の責任も重大です。とくに検察官はいまと違って捜査の段階から警察官を指揮していたので、特高警察の非道な行為はすべて検察官も同じ責任を負っているといっていいのです。
 しかし戦後、米国の初期の対日方針である「一切の秘密警察組織の解消」に基づく1945年10月4日の“人権指令”で、特高警察機構は一応解体され、その幹部は全員公職から追放(後に解除)されましたが、検事で追放されたのは34人にとどまりました。裁判官にいたっては、警察や検察に迎合した判決を書き続けたことによって、弾圧に関与した大きな責任があるのに、一人も公職から追放されませんでした。
 つまり、治安維持法などによる起訴や裁判を担った思想検察と判事は責任追及の視野の外におかれ、思想検事や予防拘禁所関係者、司法省刑事局、刑政局などの関係者や判事は、ほとんど無傷で残ったのです。
その結果、たとえば
 生活綴方(つづりかた)教育の村山俊太郎を弾圧した予審判事・長尾信が松川事件第1審で5人死刑、5人無期懲役という異常な判決をした裁判長になる。
 京都学連事件以来多くの弾圧にかかわった思想検事・池田克*19最高裁判事となり、公務員労働者のストライキ権を問答無用に違法とした「3・15判決」(63年)を下す。
 ナウカ社社長弾圧などの予審判事の経歴をもつ石田和外*20最高裁長官が、「燈台社」事件、朝鮮人弾圧事件などに関与した元判事・岸盛一最高裁事務総長や、「満州国」の高等法院判事として多くの中国人民を残虐に弾圧した飯守重任*21鹿児島地裁所長らとともに、青法協攻撃の先頭に立つ。
 土方与志*22の起訴やゾルゲ事件などを担当した思想検事・吉河光貞が戦後、初代公安調査庁長官となり共産党中央委員追放などをおこなう。
 1938年の労農派学者グループ弾圧事件の担当検事・井本台吉が、最高検検事総長となり、日通事件(68年)では東京地検が捜査中なのに渦中の池田正之輔*23代議士と会食する。
など、暗黒政治に加担した人脈が戦後の司法反動化をすすめたのです。

*1:1908~1989年。検挙当時、企画院調査官。戦後、社会党から政界進出(和田派に所属し、和田の政界引退を契機に派閥を継承)。社会党国対委員長、政策審議会長、委員長など歴任

*2:1903~1967年。検挙当時、企画院調査官。戦後、農林省農林局長、吉田内閣農林相、片山内閣経済安定本部総務長官(後の経企庁長官)を経て、退官し社会党から政界進出。社会党政策審議会長、国際局長、副委員長など歴任。なお、左派である和田の農林相登用に、与党・自由党内では反対の声があがったが、三木武吉が「和田農相を拒否して、吉田内閣がつぶれた後に、GHQ社会党共産党に連立政権を呼びかけたらどうする」と説いて、和田の農林相就任を認めさせたのは有名な話である(和田博雄 - Wikipedia参照)

*3:高世の嘘については高世仁の幼稚なデマ自慢を平然と垂れ流すNHKの馬鹿さとクズぶりに本気であきれ返る - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)参照

*4:これについては例えば拙記事珍右翼・高世仁に悪口する(2022年12/27日分)(副題:未だに『つくる会理事』三浦小太郎を褒める高世に呆れる) - bogus-simotukareのブログ参照

*5:ソ連8月クーデター - Wikipediaによればヤナーエフ副大統領、クリュチコフKGB議長、プーゴ内相、ヤゾフ国防相、パヴロフ首相、バクラーノフ国防会議第一副議長、スタロドゥプツェフソ連農民同盟リーダー、チジャコフ国営企業・産業施設連合会会長、ルキヤノフ最高会議議長。クーデター失敗後、自殺したプーゴを除き、ほとんどが「エリツィン政権時代の恩赦によりろくに処罰されなかった」ものの、(やる気も無かったのか、やりたくてもできなかったのかはともかく)政治的にはたいしたことはできなかったようです。その点で、「プーチン政権」とクーデター勢力には直接のつながりは無いでしょう。

*6:長男は鳩山由紀夫元首相です。

*7:長男は俳優の小泉孝太郎です。

*8:1932~1947年まで存在。今の北区南部(滝野川区 - Wikipedia参照)

*9:1898~1932年。日本共産党中央委員

*10:パーフェクトリバティー(PL)教団の前身

*11:1907~1995年。衆院議員(1949~1950年:レッドパージにより任期途中で失職)、参院議員(1965~1977年)を歴任(春日正一 - Wikipedia参照)

*12:1903~1982年。鎌倉市長を2期8年(1970~1978年)務めた。

*13:1912~2001年。アジア・アフリカ研究所初代所長、大東文化大学東洋研究所所長、日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会常任理事など歴任。非同盟運動をライフワークとし、『非同盟運動』(1987年、大月書店)、『非同盟研究序説』(1989年、新日本出版社)の著書がある。

*14:森内閣文科相、小泉、第一次安倍内閣外相、福田内閣官房長官衆院議長など歴任

*15:現在のセブンスデー・アドベンチスト教会の前身

*16:1903~1989年。横浜事件の被告人の一人。日本評論社編集局長、専務取締役を歴任。1951年退社し、1952年に新評論社(のち新評論)を創立(美作太郎 - Wikipedia参照)

*17:1912~1978年。1952年、東京・北区の労働者クラブ保育園園長に就任、全国に先駆けて産休あけ保育、学童保育などを実施。1965~1977年、都議(共産党)(塩谷 アイ(シオヤ アイ)とは? 意味や使い方 - コトバンク参照)

*18:田中内閣文相、鈴木内閣法相、竹下内閣国土庁長官など歴任

*19:1893~1977年。1946年8月に思想犯担当検事の経歴から公職追放。1952年に公職追放解除され、1954年に最高裁判事に就任(池田克 - Wikipedia参照)

*20:1903~1979年。判事退官後の1978年、元号法制化実現国民会議(のちの日本を守る国民会議日本会議の前身の一つ)を結成、議長に就任した右翼活動家(石田和外 (裁判官) - Wikipedia参照)

*21:1906~1989年。『1961年には嶋中事件の実行犯の背後にいると目された赤尾敏に対して東京地検が「暴力行為」「殺人教唆」で勾留請求した時に「暴力行為」について勾留を認めただけで、「殺人教唆」の取調べは認めず、勾留請求を却下した。その際に、「安保反対の集団的暴力の横行が事件の根本的原因で集団的暴力対策の貧困が政治テロを生んだ」という所見を発表し、最高裁から注意処分を受けた。青法協問題に絡んで、平賀書簡問題が発生した時は平賀健太(札幌地裁所長)を擁護し、「青法協は革命団体で、最高裁は昇給のストップ、判事補は判事に昇格させないようにすべき」と主張した。1970年12月に鹿児島地裁・家裁所長として部下の9人の裁判官に対して、「青法協をどう思っているのか」「革命的体質を持つ全司法労組の体質は合憲的かどうか」「天皇制についてどう思うか」「階級闘争は合憲か違憲か」といった思想調査につながりかねない公開質問を出した。反青法協の立場を取っていた最高裁もさすがに同じ立場には立てず、最高裁は飯守の上司である福岡高裁長官宛てに「件の公開質問状の形式で回答を求めることは明らかに所長の職務範囲を逸脱した行為である。よって、同所長に対し公開質問状を撤回するよう伝達されたく、また質問を受けた裁判官にも質問に応ずる限りではない旨を伝達されたい」と緊急指示を出した。そして、最高裁は飯守を東京高裁判事に異動させようとすると、飯守が拒否したため、最高裁初めての措置としてただちに鹿児島地裁・家裁所長を解職して地方判事に格下げした。飯守は辞職を選び、直後に「解任されることを前提にして行動していたので、別に驚いてはいない。これからは野に下り、自由に青法協批判活動を続けていく」と述べた。撫順戦犯管理所に収容された経験をもち、中国帰国者連絡会(中帰連)のメンバーであったが、中帰連から除名された』という札付きの右翼(飯守重任 - Wikipedia参照)

*22:1898~1959年。築地小劇場を拠点に新劇運動を興した(土方与志 - Wikipedia参照)

*23:1898~1986年。池田内閣で科技庁長官。1968年に発覚した日通事件によって受託収賄罪に問われ在宅起訴。1977年に最高裁で懲役1年6ヶ月・追徴金300万円の実刑判決が確定。病気で服役は免れたが、政界から引退した(池田正之輔 - Wikipedia参照)