今日のロシアニュース(2022年12月30日分)(副題:ウクライナの反ロシア感情に呆れる)

オデッサでロシア女帝像を撤去 ウクライナ南部:東京新聞 TOKYO Web
 プーチンとエカテリーナ女帝は関係ない*1のでそこまでする必要があるとは思いませんがよほど反ロシア感情が沸き立ってるのか。
 この点については白頭氏も「クリスマス」を取り上げた宗教が憎悪と分断の原動力になり下がり、政治の道具になり下がった正真正銘の戦争国家: 白頭の革命精神な日記で「ウクライナの反ロシア感情」を批判しています。
 もはや、ウクライナは以下のような戦前日本右翼の「英語敵視」と同レベルと言っていいのではないかと思いますね(但し一部『要出典』がある点に注意が必要)。

敵性語 - Wikipediaから一部引用
◆太平洋戦争突入直後の1941年(昭和16年)12月24日、朝日新聞は「抹殺せよ"アメリカ臭"」という記事を掲載。早稲田大学教授今和次郎*2(こん・わじろう)の「大東亞戰爭と同時に友邦秦國でも英語の看板を街頭から一掃したといふではないか、我々日本人を多年毒してきた浮薄なアメリカニズムを今こそ我々は風俗から生活から追放すべきだ」とのコメントを引用し、銀座での英米文化を批判した。
朝日新聞が1943年(昭和18年)1月14日朝刊に掲載した「米英音楽に追放令」という記事では、いまだにカフェで軽佻浮薄扇情的な英米音楽のジャズ・レコードが演奏されているので「低俗な英米文化を排除しなくてはならない。第二段階として日本で作曲されたものでも米英的低調な歌曲は禁止する。」という論調であった。
◆1944年(昭和19年)には、中学校国定教科書『音楽』にイギリス国歌『国王陛下万歳』が掲載されていたことが堀内一雄衆議院議員堀内光雄*3衆院議員の父親)によって指摘され、文部省当局は即時削除を命じた。
 また、教科書における「敵性箇所」は順次訂正されることになった。当時、国定教科書『英語』の編集委員だった星山三郎によると、以下の表現を「排撃」するよう求められていた。
英米の文物に最上級の修飾語を付ける表現(例:「世界でいちばん高い建物はエンパイア・ステート・ビルだ」)
・「大阪は日本のマンチェスターだ」といった不穏当な比喩
◆外務省では外国人記者に対する記者会見でも、「英語偏重の風潮を駆逐するために」英語の使用を禁じ日本語での記者会見に統一した。
NHKラジオ第2放送の「基礎英語」も開戦と同時に中断され、降伏まで復活しなかった。
◆1943年(昭和18年)1月下旬、満州国寧安市に移駐した戦車第1連隊で戦車第1旅団旅団長の巡視が行われた。その最中、「ドライバー」と「ウェス(ぼろきれ)」という言葉を発した戦車兵に対して、旅団長付の将校が敵性語(英語)を使わないよう注意し、ドライバーを「柄付き螺回し」と呼ぶよう指示した。しかし、中隊長が「血液型や軍隊符号はどうするのか」と尋ねると、その将校は「近く指示がある。」と言葉を濁した。さらに、中隊長から報告を受けた連隊長は「うつつを抜かすにもほどがある」「孫子の兵法にある『敵を知り』云々の一節でも送ってやれ」と笑って済ませてしまったという(寺本弘『戦車隊よもやま話』(1991年、光人社→2004年、光人社NF文庫)。
◆1941年(昭和16年)12月15日の外務省次官会議により、「極東」の表記が「欧米中心的だ」として全面禁止となった。日本海軍が徴傭していた飯野海運商会のタンカー極東丸は、「旭東丸」と改名されている。
【言い換え、改名例】
【野球】

 野球は敵国アメリカの事実上の国技であることから、太平洋戦争中、世間や国から「野球そのもの」が禁止されるのを免れるため競技団体自らによる徹底した英語排除が以下の通り行われた。但し、1944年12月公開の海軍省後援の国策映画『雷撃隊出動』には南方の駐屯地内で兵隊が野球をしているシーンがあるが、そこでは「アウト」「ストライク」という言葉が普通に使われている。
・「ストライク」→「よし1本」「正球」
・「ストライク ツー」→「よし2本」
・「ストライク スリー」→「(よし3本、)それまで」
・「ボール」→「(だめ)1つ」「悪球」
・「ファウル」→「だめ」「圏外」「もとえ」
・「アウト」→「ひけ」「無為」
・「セーフ」→「よし」「安全」
・「バッテリー」→「対打機関」
・「タイム」→「停止」
・「スチール」→「奪塁」(まあ現在でも盗塁と表現されますが)
・「バント」→「軽打」(まあ現在でも犠打と表現されますが)
・「ヒット・アンド・ラン」→「走打」
【雑誌】
・『キング*4』→『富士』
・『サンデー毎日』→『週刊毎日』
・『エコノミスト』→『経済毎日』
・『オール讀物』→『文藝讀物』
・『キンダーブック』→『ミクニノコドモ』
 但し、外来語を使ったすべての雑誌が改名したわけではなく、『ダイヤモンド』、『アサヒグラフ』のように、改名しなかった雑誌もある。
【社名】
・「後楽園スタヂアム」→「後楽園運動場」
・「カフェーパウリスタ」→「日東珈琲
・「キングレコード*5」→「富士音盤」
・「シチズン時計」→「大日本時計」
・「ジャパンタイムズ」→「ニッポンタイムズ」
・「コロムビアレコード」→「ニッチク(日蓄工業)」
・「大同メタル工業」→「大同軸受工業」
・「日本ビクター」→「日本音響」
・「ブリッヂストンタイヤ」→「日本タイヤ」
・「ブルドック食品(現・ブルドックソース)」→「三澤工業」
・「フレーベル館」→「日本保育館」
・「ポリドールレコード」→「大東亜蓄音機」
・「ワシントン靴店」→「東條靴店
【学校名】
 キリスト教系のミッション・スクールなどは、キリスト教的教育を施している上に、校名に創設者である外国人の名前を冠していたので、名称変更が行われた。
・「ウヰルミナ女学院」→「大阪女学院高等女学校(現・大阪女学院大学)」
・「パルモア女子英学院」→「啓明女学院(現・啓明学院中学校・高等学校)」
・「フェリス和英女学校(現・フェリス女学院大学)」→「横浜山手女学院」
・「プール学院高等女学校(現・桃山学院教育大学)」→「聖泉高等女学校」
【芸名】
・「ディック・ミネ」→「三根耕一」(歌手)
・「バッキー白片」→「白片力」(ハワイアン)
・「ミス・コロムビア」→「松原操」(歌手)
・「ミスワカナ」 → 「玉松ワカナ」(漫才師)
・「リーガル千太・万吉」→「柳家千太・万吉(もともと柳家金語楼一門だったため)」(漫才師)

*1:もしかしたら「ヒトラーがワグナーを熱愛→イスラエルでワグナー演奏が半ばタブー化」のような話かもしれませんが。

*2:1888~1973年。著書『考現学入門』(1987年、ちくま文庫)、『日本の民家』(1989年、岩波文庫)、『新版大東京案内』(2001年、ちくま学芸文庫)、『ジャンパーを着て四十年』(2022年、ちくま文庫)など

*3:宇野内閣労働相、橋本内閣通産相自民党総務会長(小泉総裁時代)などを歴任

*4:1924~1957年に発行された講談社の月刊誌

*5:1931年に講談社の系列企業として創業。社名は講談社が発行していた月刊誌『キング』に因む。