今日もkojitakenに悪口する(2022年12月31日記載)

中北浩爾『日本共産党 - 「革命」を夢見た100年』を読む - (1) 日本共産党の「民主集中制」の問題点 - KJ's Books and Music
 古い記事ですがきちんとコメントしてないことに気づいたので突っ込んでおきます。なお(1)とありますが今のところ(2)はありません。

こたつぬこ🌾野党系政治クラスタ
 田村智子氏*1スペースやるんだ。せっかくだから「志位和夫やってらんねえよ」とか炸裂トークやったら人気爆発するんだけどなあ

 おいおいですね(呆)。そんなことは他党だってやりはしないでしょう。「執行部分裂」「内紛」と否定的に見られるだけでしょうに。「こたつぬこ」こと「木下ちがや*2」だって自分の所属組織(何処に所属してるのか知りませんが)についてそんな悪し様な物言いはしないでしょうに。自由な言論とはそういう話では無い。

 志位和夫が現実にやっていることは、「天皇制など*3自身の個人的な思い入れを「これが共産党の立場」「共産党の目指すもの」と勝手に決めて発言」しているだけではないか

 おいおいですね。志位氏の主張の是非はともかくそれを「常任幹部会での討議による結論」ではなく、「志位氏の個人的思い入れ」とid:kojitakenや木下が決めつける根拠は一体何なのか。何も無いでしょう。

氏はおそらく共産党員であろうから

 とkojitakenが決めつける根拠も意味不明です。木下が「俺は党員だ」とでも言ったのか。

 日本共産党社会民主主義政党に変化したような主張が現れている。他方で、今なお同党が暴力革命の方針を保持しているという見方が、警察庁公安調査庁を中心に維持され、政府の公式見解になっている。結論的にいって、いずれも妥当な評価ではない。

 俺個人は「社民政党化した」と見なしていますがこの辺りは定義や価値観の問題ではあるでしょう。
 一方「暴力革命云々」は端的に言ってデマです。警察や公安調査庁自民党ですら本心ではそんなことは思ってないでしょう。
 そもそも本気で自民がそんな考えなら「自民が弱い地域(維新が強い大阪、小沢氏が強い岩手)での例外的現象」とはいえ自共共闘 - Wikipedia(2003年の岩手県陸前高田市長選、2011年の大阪市長選、2013年の堺市長選など)などあるわけもない。

 ソ連及び中国*4に対する批判が功を奏して現在まで生き延びてきた。

 勿論「既存社会主義国」への批判が功を奏した面はありますが「それだけで生き残ってきたかのようなkojitakenの物言い」は明らかに不適切です。
 自共共闘 - Wikipediaのような柔軟性や、「過大評価は禁物」なモノの「1980年代から無党派の増大に着目し、全国革新懇を結成したこと」、
赤旗にAKB48や藤原紀香、相葉雅紀ら大物芸能人が出る理由|NEWSポストセブン加藤、古賀、野中氏…元自民幹部 宿敵「赤旗」に続々登場で首相批判 - 政治・社会 - ZAKZAKといった読者拡大を目指した赤旗紙面づくり、

上田耕一郎
◆『国会議員』(1999年、平凡社新書
不破哲三
◆『回想の山道』(1993年、山と溪谷社
◆『新・日本共産党宣言』(井上ひさしとの共著、1999年、光文社)
◆『一滴の力水』(水上勉との共著、2000年、光文社)
◆『歴史教科書と日本の戦争』(2002年、小学館
◆『私の戦後六〇年:日本共産党議長の証言』(2005年、新潮社)
◆『マルクスは生きている』(2009年、平凡社新書)
◆『不破哲三 時代の証言』(2011年、中央公論新社

といった「新日本出版社などの共産党系」では無い「商業出版社」での著書刊行など、様々な手法の相乗効果によるモノであり、単に「既存社会主義国」への批判だけで生き残ってきたわけでは無い。
 また「社会党社民党)の右傾化*5(例:野党時代反対してきた日米安保を自社さ連立の村山首相が容認、また、野党時代に反対してきた長良川河口堰の運用を村山内閣の野坂*6建設相が容認、右翼暴言で桜井*7環境庁長官、江藤*8総務庁長官が辞任など)」「社民連の消滅(江田五月*9日本新党へ、菅直人*10新党さきがけへといずれも保守政党へ参加)」(いずれも1994年)といった「ライバル政党の敵失(?)→共産党への支持移動」と言った面もあるでしょう。

 2019年9月に志位がにれいわ新選組代表の山本太郎と結んだ野党連合政権との協力合意

 これについていえば「一番最初に結ばれた」とはいえ、何も共産がれいわを最重要視してるわけではない点を指摘しておきます。
 まずは「合意できる党と合意し他党の合意につなげる」と言う話です。それの何が問題なのか。

 日本共産党がかつて分派認定したはずの「日本共産党(左派)」の実質的な機関紙である『長周新聞』に熱烈な応援を受けていることが当時既に知られていたれいわ新選組と、なぜかくもあっさりと合意してしまったのかということだった。

 「長周新聞(日本共産党(左派))のれいわへの影響力は小さい(長周側が一方的にエールを送ってるだけで、資金やマンパワーの提供等で強い影響を及ぼしてるわけでは無い)」とみたか、はたまた「文革時代」はともかく今の長周新聞は「反日共産党では無い」と見たか。この辺りは共産党に話を聞かないと分からないことではありますが。
 いずれにせよ、党内においても党外においても「長周新聞ガー」でれいわを敵視しても「その通りだ!」という志位執行部に対する好意的反応があるとは思えません。

 下からの意見が全然通らず、前記のれいわ新選組との合意のように見られる不用意な決定をしてしまう。

 やれやれですね。れいわとの合意を「志位執行部が上から押しつけたモノ」で下は反対意見ばかりと決め受ける根拠は何なのか。何も無いでしょう。
 民主集中制の是非はともかく
【1】「れいわとの合意=上からの押しつけ」
【2】そうなったのは民主集中制のせい
とするkojitaken主張は【1】の根拠が何一つ提出されてないのでお話になりません。
 「党員らしい木下が否定的だった」などということは何ら「木下の意見が党員の主流」と言うことを意味しない。

 筆名ぬやまひろし。彼が作詞した「若者よ、身体を鍛えておけ」という怪しげな歌詞の歌を高校の音楽の授業で習った。おそらく教師は左翼の人だったのだろう。

 kojitakenの反共分子ぶりが窺える「西沢隆二」についての注記です。特に「怪しげな*11」と言う部分には呆れると共に「kojitakenはアホか」と吹き出しました。そんなことが西沢と何の関係があるのか。西沢がその教師に「生徒に教えろ」と命じたわけでも無いでしょう。「アホの子」kojitakenは自分が変なことを書いているという自覚がないようですが。
 西沢の注記に普通の人はこんなことを書かないでしょう。よほど当時の教師に恨みを覚えると共にそれが「反共主義」につながってるのでしょう。まあ、くだらない人格です。id:suterakusoなど、「太鼓持ち」「取り巻き」「幇間」「喜び組」も「変なことを書いてる」と注意してくれないのだから哀れです。
 なお、「西沢」についてはウィキペディアの記述を紹介しておきます。

西沢隆二 - Wikipedia参照
 1903~1976年。
 1930年に日本プロレタリア作家同盟(ナルプ)書記長となる。1931年に日本共産党に入党。1934年に治安維持法で逮捕・投獄。裁判で懲役6年の判決を下され満期後も予防拘禁とされたが、獄中に11年あって転向しなかった。
 1940年代には党青年対策部長として青年運動・文化運動に従事。徳田球一書記長の女婿であったこともあって、共産党の文化問題に関しての権威とされた。レッドパージ後に徳田ら所感派が中国に渡って北京機関を組織したときには西沢もその一員となった(後に帰国)。
 1966年10月に中国派として安斎庫治*12らとともに除名され、福田正義*13ら率いる日本共産党(左派)に参加。毛沢東思想研究会を設立し、同会の機関誌『毛沢東思想研究』編集人となった。
 晩年は正岡子規の研究に励み、子規の妹・律の養子で阪急電鉄の車掌、阪急百貨店の職員であった正岡忠三郎とは二高時代からの親友であった。こうしたことから講談社版の『子規全集』の編集委員にも名を連ねている。司馬遼太郎とも交友があり、1979年から翌年にかけて連載された司馬の小説『ひとびとの跫音』では忠三郎と西沢が主人公として登場する。

*1:参院議員。日本共産党政策委員長。それにしてもこたつぬこ(木下)が何故田村氏を「志位氏の批判勢力」扱いするのか謎です。

*2:著書『国家と治安 : アメリカ治安法制と自由の歴史』(2015年、青土社)、『ポピュリズムと「民意」の政治学 : 3・11以後の民主主義』(2017年、大月書店)、『「社会を変えよう」といわれたら』(2019年、大月書店)、『”みんな”の政治学:変わらない政治を変えるには?』(2022年、法律文化社

*3:1)「など」が何を意味するのか、2)志位氏の天皇制論の何が気に食わないのかが明確で無い辺り「何だかなあ」ですね。

*4:ソ連についてはチェコ侵攻やアフガン侵攻への批判、中国については文革天安門事件への批判など。なお、ここでkojitakenが「ラングーン事件全斗煥暗殺未遂)や大韓機爆破などでの北朝鮮批判」を書かない理由は不明です。

*5:社民党が今のような零細政党に転落した一因は自社さ連立での右傾化による支持者離反にあります。他にも「鳩山・菅新党(民主党)に党主力が移動し、連合も民主党を支持→その後も社民党から民主党への移籍が相次ぐ」といった理由もありますが。

*6:1924~2004年。社会党国対委員長(村山委員長時代)、村山内閣建設相、官房長官を歴任した村山首相の最側近。なお、自社さ連立の中心人物は鳥取県議だった野坂と、鳥取県警に出向していた際に野坂(当時、鳥取県議)とつながりができた「元警察官僚」亀井静香(連立樹立の論功行賞で村山内閣で運輸相)だとされる(野坂浩賢 - Wikipedia亀井静香 - Wikipedia参照)。

*7:1933~2017年。1994年6月30日、村山内閣環境庁長官として初入閣。同年8月12日の閣議後記者会見で、日中戦争、太平洋戦争に関して『日本は侵略戦争をしようとして戦った訳ではない。日本だけが悪いという考えで取り組むべきではない。戦争の結果、アジアは植民地支配から独立し、教育も普及して、アフリカよりはるかに識字率が高い。経済復興の勢いが出てきて民族活性化にもつながった』と述べた。8月15日の終戦記念日や、村山富市首相の8月23日からの東南アジア諸国連合訪問を控えていたことから、桜井の辞任を野党や(連立に必ずしも好意的では無い)社会党左派が強く要求。8月14日、桜井は就任後約1カ月半で環境庁長官を辞職(桜井新 - Wikipedia参照)

*8:1925~2007年。 1995年8月、村山改造内閣総務庁長官に就任するが、同年11月、「韓国植民地時代に日本は悪いこともしたが、良いこともした」という発言で批判を受け、長官を辞任した。その後の2003年7月12日に福井市内で行った講演においても、日本の過去の戦争が全て正しかったわけではないとしつつ、「侵略戦争だったと頭を下げて、自分の国が悪いように言ってきた」として、日本の歴代首相が謝罪を行ってきたことを批判。1910年の韓国併合条約については、「両国が調印して国連が無条件で承認した(勿論当時国際連盟はないので江藤の誤解)」と発言し、1937年の南京事件についても「南京大虐殺が30万人などというのは、でっちあげのうそっぱち」と主張した(江藤隆美 - Wikipedia参照)。

*9:1941~2021年。社民連代表、細川内閣科技庁長官、参院議長、菅内閣法相など歴任

*10:社民連副代表、新党さきがけ政調会長、橋本内閣厚生相、鳩山内閣副総理・財務相、首相などを経て立憲民主党最高顧問

*11:kojitaken的には「何がどう怪しいのか」教えて欲しいところです。

*12:1905~1993年。著書『安斎庫治聞き書き・日本と中国のあいだで』(2018年、皓星社

*13:1911~2001年。1947年、日本共産党に入党し、党山口県西部地区委員長。 1948年、党山口県委員。1949年、党山口県常任委員、党中国地方常任委員。 1952年(昭和27年)、『アカハタ』中国総局長に就任。また、劇団はぐるま座結成。1955年、『長周新聞』を創刊。1966年、日本共産党から分裂し、日本共産党山口県委員会(左派)を結成。 1969年、同じく親中国派である寺尾五郎らとともに日本共産党(左派)を結成し、中央委員会議長に就任(福田正義 - Wikipedia参照)