常岡浩介がリツイート
◆篠田英朗
せめて核兵器の話をするときくらい、主催者はきちんと面倒がらずに「ロシアのウクライナ侵攻」と題名を付けるべきだろう。
ICAN Japanese on Twitter: "1/28(土)13:30~Zoom📡 『「核兵器のない世界」の実現を目指して~ウクライナ戦争から考える』 ICAN国際運営委員・川崎哲(ピースボート)と、東京大学先端科学技術研究センター専任講師・小泉悠さんが登壇します。参加無料、事前登録不要です。ぜひご参加ください。 https://t.co/FWemUsGxOS https://t.co/pdb8tshwnn" / Twitter
意味不明な言いがかりです。多くのメディアが「ウクライナ戦争(侵攻)」と表現しているし、戦争において「日中戦争、太平洋戦争(日本の侵攻)」「朝鮮戦争(北朝鮮の侵攻)」など「どちらの開戦か」をわざわざ表現しない場合は何ら珍しくありません。
本当は「ウヨの篠田」が反核運動に因縁をつけたいだけのくだらない話でしょうが。
常岡浩介がリツイート
◆平野高志*1
この関田記者の写真、撮影時間が12月31日午後2時29分となっている。着弾で怪我した直後にもシャッター切ってらっしゃったのか。プロ根性だな。
朝日新聞 国際報道部 on Twitter: "キーウから45キロの集落にロシア軍が攻撃か ウクライナ副長官 https://t.co/JvIlpuKEbG #ウクライナ情勢 ウクライナ大統領府のティモシェンコ副長官は14日、ロシア軍が首都キーウにミサイル攻撃を行ったと明らかに。また、キーウの西約45キロの集落にも攻撃があったと述べました。" / Twitter
「ライターではない平野」はともかく、今や何一つ仕事をしてない「自称ライター」常岡がよくも恥ずかしげも無くこんなリツイートができるもんです。「自称ライター」でありながら『イスラム国とは何か』(高世仁との共著、2015年、旬報社)刊行以降は、今や何の業務もしていない、その結果、昔は共著を出した高世仁からも見捨てられた「自分のやる気の無さ、無能さ」を改めて実感したりはしないのか。もはや常岡もたきーし (@sakusaku_tak) / Twitterで「ジャーナリスト廃業」を正式表明した桜木武史*2のように「ジャーナリスト廃業を正式に表明」したらどうか。
また、「関田記者(朝日新聞)」の仕事からは常岡に「能力とやる気さえあれば」、長崎放送(常岡が過去に所属)を退社する必要は無かったし、仮に「長崎放送で限界を感じて」退社するにしても「関田記者の朝日新聞」などメディア企業に再就職する道もあったこと*3がわかります。
しかし、常岡はフリーを選び、但し「能力orやる気(andの可能性もあるが)」がないため今や「無様な失業状態」です。
常岡の醜態で分かること、それは当たり前の話ですが「会社員に比べ、フリーは危険だ」ということです。
「生活の安定(会社員なら月給がもらえる)」と言う問題もありますが、それ以前にフリーでは「上司、先輩などの指導が受けられる会社員」に比べ「独りよがりになって成長しないリスクが高い」でしょう。勿論「フリーでも成功できる才能の持ち主」は当然いますが、常岡は明らかに「独りよがりで成長せずに自滅」でしょう。
常岡浩介がリツイート
◆SuehiroKa
誰だ?「ロシアを悪魔化するな」とか言ってるのは。「ロシアの弱体化*4」をしないでどうするのだ。
「ロシアの悪魔化」が具体的に何を意味するかによるので「はあ?」でしかありません。
例えば「悪魔化」が「ロシア料理店やロシアクラシック音楽(チャイコフスキーなど)コンサートの襲撃」のような無茶苦茶な代物なら「悪魔化するな!」は当然の話だし、常岡と類友もまさかそれを肯定しないでしょう。
一方で「悪魔化するな」の口実で「全面的なロシア擁護(ウクライナの悪魔化?)」をするのは馬鹿げています。
なお、「悪魔化するな=停戦交渉の余地も考えるべき」は俺個人の考えでは「不当なロシア擁護として非難の対象にはなりません」。
但し、常岡と類友は「打倒プーチン政権」「ウクライナ全土からロシア軍を追い出す、停戦交渉など論外」なのでしょうが。
*1:著書『ウクライナ・ファンブック』(2020年、パブリブ)
*2:著書『【増補版】シリア 戦場からの声』(2018年、アルファベータブックス)、『シリアの戦争で、友だちが死んだ』(2021年、ポプラ社)
*3:常岡に再就職の能力があるかどうかはひとまず置きます。常岡浩介 - Wikipediaによれば常岡は1969年生まれ、長崎放送入社は1994年(25歳)、退社は1998年頃(29歳)だそうなので、退社時はまだ年齢的にも若く、才能とやる気さえあれば朝日などメディア企業への再就職は十分可能だったろうし、その方が「安全策でもあった」でしょう。長崎放送時代(25~29歳)に海外取材の経験が無い常岡が「いきなりフリーで海外取材」など、どう見ても無謀でしょう。まあ常岡が自分を過大評価していたのでしょう。