珍右翼・高世仁に悪口する(2023年1/16日分)

アフガンの麻薬とタリバン - 高世仁のジャーナルな日々

 きょうは「タリバン政権と故中村哲医師のレガシー」というテーマでズームで講演した。主催は日本ジャーナリスト会議JCJ)。
 70人くらいの参加があった。

 少人数の講演会であり、これをとてもジャーナリズム活動とは言えないでしょう。

 アメリカが20年におよぶ米国史上最長のアフガニスタン戦争に1兆ドルという莫大なお金と膨大な人員、労力を投入したことで、イラク戦争と相俟って、国力を激しく消耗したことが、同盟国、とくに日本に負担を求めることにつながり、今回の日本の安全保障政策の大転換をもたらしたという指摘には反響があった。

 以前から米国はベトナム戦争などで日本の後方支援を受けてるのでそうした問題は何も昨日今日始まった話ではない。
 むしろそれよりも大きいのは
1)日本で安倍政権という極右政権が誕生し長期化したこと、極右政党・維新が直近の衆参選挙で議席増加したこと(一方、共産は苦戦)などで米国が「日本の今の政治情勢ならやれる」と判断したこと
2)ウクライナ戦争での巨額軍事負担(日本も肩代わりしてくれ)
3)大国化する中国をライバルと見なし米国が敵視していること
などではないか。1)~3)がないのに果たして今回の事態が生じたかどうか。


「皆殺しになっても発砲厳禁」(中村哲) - 高世仁のジャーナルな日々

 あるとき、診療を受ける順番をめぐるいさかいがこじれ、診療所襲撃へと発展した。夜、診療所が包囲され銃撃が始まった。診療所スタッフの中にも銃の扱いや戦闘に慣れた猛者がいて反撃の態勢を取ろうとした。中村さんはその時「反撃を厳禁する」と言ってスタッフの前に立ちはだかった。
 それじゃ、皆殺しにされてもか、と不服を述べるスタッフに、「そうだ。皆殺しになってもだ!」と中村さんは強く言った。
「よく聞きなさい。私たちは人殺しに来たのではない。人の命を助ける仕事でここにいる。鉄砲で脅す奴は卑怯者だ。それに脅えて鉄砲を撃つものは臆病者だ。君らの臆病で迷惑をするのは明日の診療を待っている患者だ。」
 全く反撃しない、こちらの落ち着きぶりを不気味に感じたのか、銃声は収まり、襲撃者たちは引き上げた。
 翌朝、中村さんは付近の長老や族長20人を前に「診療所が無用ならば、私たちは直ちにここを引き上げます」と告げた。しばしの沈黙の後、長老が立ち上がり、非礼を詫び、すべてが解決した。長老の決定は絶対である。
 中村さんは事件をこう振り返る。
「武器を携行しないことは、携行するより勇気のいることだが、事実は人々の信頼を背景にすれば案外可能なのです。無用な過剰防衛は敵の過剰防衛を生み、果てしなく敵意、対立がエスカレートしていく」。(『ほんとうのアフガニスタン*1』より)

 私見を言えばこれは「単純な非暴力主義」と解釈すべきではないでしょう。ガンジーであれ、誰であれ、多くの場合、「その計算の是非」はともかく、それなりの計算があるのであって「単純な非暴力主義」はどこにもないでしょうが。
 まず第一に襲撃者も「中村氏やスタッフを皆殺しにする気」は常識で考えて「ない」でしょう(時として中にはそうした常識が無い人間がいるから困りますが)。
 話の流れからしてこれは「診療所を潰す目的の襲撃」ではない。
 第二に「ここで反撃すれば事態がむしろ悪くなる」「むしろ明日、『こんなことが起こるようでは、ここで診療所を続けられない』と長老に抗議した方がいい」という判断が襲撃直後から中村氏にあったのでしょう。
 常に非暴力主義が正しいわけでない。とはいえ「非暴力」、「人を殺傷しない」で済むならそれに越したことはない。安易に武力を発動すべきでない、まずは平和的な解決を図るべきだという中村氏の考えには全く同感です。
 岸田やバイデンのように「軍事力偏重」など「明らかに間違い」と俺は思います。勿論実際に軍事力を行使したプーチンなどは論外です。

 私はこの事件に、(ボーガス注:中村氏の祖父)玉井金五郎の姿を重ね合わせてしまう。
 若松に金五郎が玉井組事務所を開いて間もないころ、市民に無理難題を吹っかけて迷惑がられている「江崎組」の若い衆を金五郎がたしなめたところ、江崎組から深夜零時に「なぐりこみ」をかけるとの果し状がとどく。
 初めて迎える組同士の「決闘」である。組の存続がかかっている。
 迎え撃とうとはやる子分たちを前に、金五郎は、自分一人にまかせろ、「おれが斬られても手出しするな」ときつく言いつけるのだった。
 火野葦平(ボーガス注:玉井金五郎の長男で本名・玉井勝則)が玉井組を描いた実録小説『花と龍』前半のクライマックス。このあとが最もハラハラさせるシーンである。金五郎はたった一人で、どうやって数十人の武装したならず者どもに立ち向かったのか。
(つづく)

 (つづく)については「皆殺しになっても発砲厳禁」その2 - 高世仁のジャーナルな日々を参照してください。まあ『花と龍』は小説ですからね。鵜呑みにはできないでしょう。とはいえ、ヤクザの抗争とて、

第4次沖縄抗争 - Wikipedia
 1973年、上原組が、旭琉会理事長・新城喜文を殺害
山一抗争 - Wikipedia
 1985年、一和会が山口組組長・竹中正久、若頭(ナンバー2)・南力(南組組長)を殺害

のような暗殺は時としてありますが、むやみやたらに武力行使(銃や短刀などで対立組織幹部を殺害)するわけでもない。それをやったら警察の摘発や市民の反発が予想され、かえって苦境になる恐れがあるので、犯罪組織の彼らとて、「武力行使しないで済む(つまり脅し等のレベル)ならそれが一番いい」わけです。

*1:2002年、光文社